Everytime you were right for me.







寮に戻って、空き部屋を勝手に使って置いておいた資料を持ち上げて応接室へ運び込む。主にヤーグが。こういうときだけヤーグの存在にすごく感謝する。……こういうときだけっていうのは言い過ぎだな。ルカは内心だけで反省しておいた。
資料作りは滞りなく進んだ。ただし、ここにシド・レインズがおらず雑用に参加しないことにジルが何度も怒りの余りテーブルを叩いたことを除けば。かといって彼がいたならいたでジルはそっちにストレスを覚えていたに違いないのだが。相性が悪い以上に、ジルは彼が嫌いで嫌いで仕方がないのだ。
共感はしないものの、ジルがなぜ彼を嫌うのかなんとなくわかっているので、ルカは苦笑いしてなだめるのみだ。

どうしようもないほど幸せな生活。いつもの日々。

とりあえず1000部と少し片付いたところで、今日はとりあえず切り上げることにして資料を空き部屋に戻す。まだ数週間、講演会まで余裕がある。焦る必要はなかった。
そうして三人、夕食をとる。丁度食べ終えたところで、シドが寮に戻ってきた。

「資料作りは終わったか?」

「あー半分とちょっとかな。明日には終わりますよー」

「そうか、できたらそのまま放置しておいてくれていい。前日になったら講堂に運ぶから」

「ほーい」

ジルとヤーグは避難するみたいにさっさと自室に引き揚げてしまう。それを見送りつつ、ルカは少し遅い夕食を食べ始めたシドを眺めた。……若いなぁ、こうして見ると。いついかなる時でも高いところから見下ろしてくる彼が自分に与えている威圧感について今更考えてみたりする。……当然のように、頭痛がした。

「どうかしたか?」

「へ?」

「突然一人で笑い出したかと思ったら今度は顔を顰めた」

「あーっと、変顔選手権練習中なんですよ」

ルカが笑いかけると、シドはきょとんと両目を見開いてルカを見つめた。ああ、“学生のルカ”ならばしなさそうな返事だからか?

……?
自分の考えていることが、さっきからまるでわからない。違う言語を放り込まれたみたいに、理解を放棄する。

「……ともかく、昨日のノルマが終わってなくて。明日まで伸ばしてください」

「そしたら明日までのノルマはどうなるんだ」

「それも明日までに片付けるって。なんか、ちょっと頑張れちゃいそうだから」

なんせ幸せだから。また笑うと、シドはとうとう怪訝に眉を顰めた。

どうしようもないほど幸せな生活。いつもの日々。


何時間か自室で勉強して、もう眠ろうかと思ったところで、シドがいないと安眠できないことを思い出した。成長のない自分に苦笑しつつシドの部屋に入り込む。合鍵は首にぶら下がっていた、いつも通り。
彼は既に眠りに就いていて、隣に潜り込むと俄に目を覚ましルカを引き寄せて抱きしめた。いつも通りの、少しだけ低い体温と一緒に断続的に緩やかな鼓動が伝わってくる。シドの大きな手が背中を撫でて、首に触れた。ああ、安心する。

どうしようもないほど幸せな生活。いつもの日々。

どうしようもないほど幸せな生活。いつもの日々。

どうしようもないほど……幸せな生活。いつもの日々。

……本当に?

「、っづぁ……ああ……!」

頭が割れそうに痛む。苦しくて苦しくて、背筋が痙攣していた。何が、どうして、一体、あなたはどこに。ルカは悲鳴を上げるのを必死にこらえた。どうしようもない。本当にこんなの、どうしようもないから。

痛みに耐えるために蹲ろうとしたところで、シドが頭を優しく撫でた。
その指がなぞる動きに従うみたいに、痛みが鎮まっていく気がして、ルカはついシドに縋り付いた。シドは何度も何度も頭の上を往復し、ルカの耳元であやすみたいに何度も何かを囁いた。そのうちに痛みが殆ど消え去って、ルカはようやくシドの服を握りしめる手を離した。

「どうしてここにいるんだ?」

「へ?……あ……だって、眠りたかったから……」

「違う。どうして、十年以上も過去の中にいるんだ」

考えようとして、でも考えられなかったことをシドが言い放った。その問いに答えようとするのに唇がカサついて動かなくて、そしてそもそも答えなど持っていないことに気がついてしまう。
震えるルカを、シドがゆっくり助け起こした。二人向い合ってベッドに座って、ルカは真っ暗な部屋、窓から差し込むファルシ・フェニックスの光だけ浴びるシドの顔を見た。目がいつも通り、自分にだけ優しい。知っている熱を持っている人。

「……私……、」

「こんなところにいる場合か?誰のために戦っているかぐらい、今もクリアだろう」

「わ、私……私、幸せだったんだ……」

何の答えにもならないことを、ルカは言った。無意味だと知っていて、でもそれしかルカにはわからないから。

「ここで、先輩と、ジルとヤーグと……生活するの。すごく楽しくて、毎日幸せだったんだ……」

「……ん」

「いつもここの日々ばっかり思い返してた。旅の間中ずっと。呪いはもう解けないって知ってるから、ここに帰ってきたかった……」

“現在”も幸せだ。二人と一緒にいて、これからシドと合流する日を待つ。けれどもしかしたらそれ以上に……幸せは過去にあるのではないかと勘違いしてしまう。
だってそれは、ずっとルカの真実だ。ジルに憎まれ、ヤーグと決別し、シドを失ったあの日々の中で、縋れたのはこの場所だけだった。

カイアスが自分たちに何をしたのかルカは知らない。でも、あえてこの過去を選んだのは間違いなく自分の意思だと思った。望んでここに来てしまった、おそらくジルとヤーグまでもを巻き込んで。

「どうすればいいの。どうすればいい?私……私、ここにいたい……」

「ああ……そうだな。おかしなことに、誰もがそれを望んだんだよ」

君ひとりじゃない。ナバートもロッシュも、同じことを望んだ。呪いをかける前、ただ平穏だったはずの過去に戻ることを。

シドの声は一音一音、耳の中で揺れて涙がこぼれ落ちた。その雫ばかりが熱くて苦しい。二人が同じことを望んだというのが真実でもそうでなくても、シドが言えば何より信用できてしまう。強制的に安堵する。

「ここにいてもいい。ずっといてもいい。それが本当に幸せだと思うなら、私がこの時空の狭間で君を守ろう。そのうち二度と、あの苦しい時間のことなんて思い出さなくて済むようになる」

「……」

「それでも君は天秤に掛けなきゃいけない。何を失うのか、今の幸せと比べて天秤に掛けてみろ。ナバートとロッシュのことは今は考えなくていいから」

「……失う?」

失う?失うって何を。私が失うもの。それは、一体何?あの旅路を永遠に忘却の彼方に押しやって、それで失うものって何だ。
失うもの。……そんなの簡単だった。

「ライトニング……ライト、スノウくん、ホープくんにヴァニラ、サッズ、ファング……みんな?みんな失う?私……みんなを助けられなくなる?」

「ああ」

「ヴァニラとファングはまだクリスタルで……スノウくんは旅に出たんだって。サッズたちはどうしてるのかな、ああチョコリーナに会ったんだよ。そうだ、ライトニングは一体どんな力を手に入れてひなチョコボを人間に……」

「それら全部、君はゆっくり忘れていく。そして、私たちとの日々の中でだけ生きていくことになる。それを生きると呼ぶかどうかは、個人の自由だけれども」

「……忘れちゃうの」

「私たちと生きるだけなら、彼らのことなんて知らなくていい。幸せだけに浸っていればいい」

声が、いっそ聞き慣れないくらい優しい。愛おしい。彼が好きだ。唐突に思った。
シドが抱きしめてくれる。温かい。ルカは腕を回して縋り付いた。この体温を失くしたくない、ずっとこうしていたい、……でも。

「……私を起こしたのはライトニングなんだ……」

「ん……」

「また先輩たちと会えたのはライトのおかげなの。歴史を変えることは、重いから。死ぬところだったのに救ったのはライトニングで、それなのに、ライトをあの暗い世界に置き去りにすることは……」

私の幸せは。私が幸せを甘受する、それは。
本当に、ライトニングの永遠の孤独と引き換えにしていいものか?

「……できない」

想いはすとんと胸に落ちた。落ちてしまえば全部わかる。わかっている。ずっと最初からわかっていた。
ライトニングを、今更見捨てる。そんなことはできない。あの旅路でライトニングは一瞬だって自分を見捨てなかった。信用できないとわかっていたくせに、嘘ばかりだと糾弾したくせに、それでも一発殴って全部チャラにした。強すぎる彼女が、また傷付いても多分誰かを守ろうとして必死になってる。彼女を見捨てられるわけがない。
それはきっと、あの旅を始めたのとやはり同じ理由で。ライトニングが大事だから。ジルとヤーグを大切だと思った、だからあの旅についていった。それと全く同じ理由で。

「先輩ってさぁ、ほーんと……どの時間軸でも私を助けてくれるんだから、もう」

「過去でも未来でも現在でも?」

「うん。不思議なことにね、ルシたちとのあの旅がなければ多分そんなことには気が付かなかったよ」

「バカだからな」

ひどい。
ルカは抱きつきながら爪を立てた。シドは笑いながら、ルカをまた抱きしめた。そして最後、シドがルカの頬に手を押し当てて顔を上げさせた。キスの距離だと気付く頃には、口を吸われていた。あ、少し味が違う。十年違えば何もかも違うのか……そのことがむしろ、ルカを引き戻す寄す処となった。
八年後の彼が違う彼だったのと同じ。過去の罪と未来の罪をキスで雪いで、そしてもう行かなければならないのだ。ルカが並び立つのは、ルカのシドでなければならない。ルカの恋人の隣でなければ。

「先輩、愛してる」

だからもう行くね。未来で会おうね、またいずれ。
暗くてもシドが微笑んだことがわかった。それぐらいには付き合いが長いから。

ルカはベッドから降りて、部屋の外へ飛び出した。もう振り返らない。
階段を下りると、丁度部屋を出てきたジルと行き合った。

「……あんた、過去でも未来でもあの男のところにいるんだから」

その笑い方は、もう学生のジルのものではない。それよりは少し意地悪で、あけすけに優しい。そして後ろから追いついたヤーグもまた、ルカたちの姿を認めるとすぐに「戻るぞ」と言った。
この同調具合が嬉しくてたまらないんだから、自分は全くどうしようもない。でも、“どうしようもないほど幸せな生活”に全てを委ねてしまう気は、もう無い。

「うん。行こう」

強く頷く。と、またぐらりと視界が揺らいだ。門を潜る時と全く同じ感覚だ。落ちる、そして墜落寸前に意識だけが僅かな浮上。全身を包む浮遊感。胃がまた締め付けられる。苦しい、息が一瞬止まった。
目を開けて視線を巡らせる。あの黒衣の男……カイアスと目があった。髪に、首に、砂がこびりついている。倒れているのだと気付いて、手で剣を探しながら立ち上がる。

「ほう……戻ってきたか。幸福な時間を捨てて、自分の人生に」

「幸福かどうかは私が決めますんで。っていうかお前性能わりぃんだよ、どうせ見せるんならもっといい夢見せてくんね?あっさり覚めちゃったぜ?」

砂を掻く指先は剣をすぐに見つけた。それを手に立ち上がる後ろで、二人分の呻き声がする。ああよかった……二人もきちんと戻ってきた。
ルカは砂を振り払うように剣を薙ぎ、目の前のカイアス・バラッドを見つめる。カイアスは薄く微笑んだ。むかつく。

「君がそれでもこの生を選ぶなら。私が君を摘み取ろう……全てはユールのために」

「……よくわかんないけど。邪魔するんなら、私はお前を刈り取るよ。あくまで私自身のためにね」

あわや交戦か、そう思った直後だった。カイアスは突然、踵を返した。

「とはいえ、君は無価値だ。あえて殺す程の価値さえない。どうせもうすぐ……君は勝手に消える」

「はぁ?」

とんでもなく高圧的な上に不吉なことを上から目線で言い放ち、カイアスはそのまま歩き出す。そしてふいにまた門が開いて、カイアスはその内に姿を消してしまった。ユールは……と思ったが、もうどこにも影も形もなかった。自分たちが倒れている間に去ったのか?

「ユール……」

彼女の存在。自分の存在。分かたれたもの。生まれてくる前に、繋がっていたはずの彼女。
ろくに話をすることもなく、互いを理解することもなく消えてしまった。少しだけ残念な気持ちを抱きながら、それでも背後を振り返る。大事なものは果たして、そこにあるから。
ゆっくりと上体を起こしたジルに手を貸して、立ち上がるのを手伝う。隣でヤーグも立ち上がっていた。

「……ルカ、さっきのって……」

「ん……先輩は、時の狭間って言ってた。意味はわかんねえ」

解けない呪いだから、掛かる前を望んでしまった。それはジルの弱さであり、ヤーグの弱さであり、ルカの弱さだ。そんなこともう何度も思い知っているのに、また間違えてしまった。次がないことを祈っても、

シドと話し合った。分かり合って、約束をして道を違えた。そして、道がもう一度交差するのを待っている。
それなら二人と話し合わなくていい道理はない。だって一緒に歩くのだから。


ジルが見つめてる。ヤーグも見ている。口火を切るのはルカでなくてはならない。二人はただ受け入れる以外術がない。罪を犯すというのはそういうことで、ルカが変わらず二人を愛するのなら彼らをきちんと見つめなければならない。

「……カイアスの言うとおりかも。これが呪いだって言うんなら、呪いは解けないのかも」

ジルの目は揺らがない。

「全員間違ってて、傷つけあって、あのときからずっとそれが心に刺さって抜けないんだ」

ヤーグの目も、揺らがない。

「許せば終わるならいくらでも許す。でもそんなの、私の自己満足にしかならないから……それが、私の甘えなんだと思う。いやあの男何なんだよマジでストーカーかよ怖いなんで全部知ってんの?」

ルカはいつもの癖で強がった。そうしなければ、二人の前だというのに泣いてしまう。
情けなくて。申し訳なくて。二人が掛けた呪いさえ利用して、自分の人生に二人を縛り付けておきたい。そんな甘えが、本当は自分で気に食わない。
それでも、そこに縛られているのは自分もだ。


不思議なことを思う。
立場が互いに入れ替われば、自分たちは全員が同じことをしたのだろうなと。

耐えられないからだ。お互いを失うことに耐えられない。失うくらいなら、どんな最悪な手段だって次善の策に過ぎなくなる。よくわかっている。

「……謝る気、ないわ。私はね。ヤーグは知らない」

「私に振るな、このタイミングで」

「ともかく、あれは悔いてない。ああするしかなかった。できうる中で、最善ではなくても……必死だったから」

ルカは頷いた。傷つけあって、殺し合って、それからまた一緒になった。
だから互いの罪は互いで禊げばいい。誰がそれを甘えと呼ぼうと、誰がそれを責めようと、ルカは自分たちの共依存を否定するものを許さない。ジルもヤーグも許さないのなら、それはルカの寄る辺になる。

コクーンを作った日、ルカが望んだのは己の幸福だった。
そしてコクーンを失った日も、自分の思う最上の幸福を願った。

今だって同じ。ルカなりの最高の幸せを祈る。

「今度こそ……みんなが消えたらきっと生きていられない」

だから終わりを重ねよう。ジルがヤーグが先輩が終わる日、私も終わろう。ルカは今、そう覚悟した。
ここで今、そういう新しい呪いを掛ける。


ルカは再度の自殺宣言の後、二人まとめて抱きしめた。というか飛びついて、二人の首に抱きついたとも言う。高低差が少し激しいけど、十分抱きしめられる二人分の体温。やっておいてなんだが、相手がジルだけだったら確実に押し倒してたなコレ……ヤーグがいてよかった、そう内心苦笑した。

「好きだこらーっ」

「わかったから離れろ、おい!」

「あらヤーグ、まさか何か意識して?」

「ジルお前何度も言うがアウトだからな本当」

何がアウトなのかはよくわからないが、二人の秘密なのか。何にせよ知りたがればきっとヤーグが嫌がる気がして、自粛。
ルカはゆっくりと力を抜いて、地面に足をつけた。二人はいつも通りの目でルカを見る。

「……なんていうか、謎が増えたわねぇ……あのユールって子、なんなの」

「よくわかんない。でも関係者なのは確かだと思う」

関係者。私の過去の?巡りあったことはないとユールは言ったけれど、それなら互いの名を知る理由がわからない。正直、名前以外何もわからないというのが真相だ。ルカは首を傾げ俯いた。

「ともかく、知るためにも先に進まなきゃ」

「最近そんな宣言ばっかりしてる気がするわね……」

「どっちにしろ行くしか無いんだ。ほらルカ、早く門開け」

「んー……いやさ、適当に飛ぶとこういう変なところに来ちゃうじゃん。もうちょっと考えてから門開こうかと……思うんだけど」

「考えるって何をよ?」

ジルに問われて考えた。ふむ……そう言われてしまうと難しい。セラの気配をたどるというのが多分一番簡単で確実だが、いかんせんセラとまともに会話したことすらないのだ。会ったのはあの、旅の始まりの異跡の中で一度きり。しかも彼女は眠っていた。そんな彼女の気配など追えない、さすがに。

「じゃあ、とりあえず誰か仲間の気配を。そうね、じゃあ……スノウくんを追おうか。彼も旅に出たんなら、先に出たぶん何か多くを知ってるかも」

ルカはジルとヤーグの腕を取り、門を開いた。
今度はスノウくんを探して旅路を征く。混沌溢れる不可視世界に、三人で足を踏み入れる。また味わう浮遊感にルカはさすがに辟易とした。
今日だけで何回これ味わうんだよ吐きそうなんですけど。


とは思えども、それほど悪い気分でもなかった。それは当然、隣に二人がいるからだった。







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