裂いてぶって凪いで泣いて







途方も無い浮遊感が断続的に全身を甚振る感覚にも早く慣れなくては。そう思うと同時に、こんなものに慣れるほどこの門を通過してはならないとも思う。隣に二人が立つ以上、己の身体を基準に考えて行動するべきではない。二人に混沌が過剰に流れ込んでしまったら、ルカの人生に巻き込んでしまうかもしれない。それはルカだけが幸せな、どうしようもない未来だ。なまじ幸せだから否定するのが難しい。
集落を出る前胃に適当に詰め込んだものがひっくり返り、喉を内側からなぞるみたいで吐き気がした。それでも世界の門は開く。

「……あ、」

外に出る一瞬前に、脳裏を懐かしい景色が掠めた。ルシたちとの旅路の終わり、最後に訪れた下界の廃都。
そして、門から弾き出されて初めて見た風景とその懐古は合致する。

「ヲルバの郷だ……」

「ここに来たことがあるの?」
.
「うん。ほら、ルシにヴァニラとファングっていたでしょ?下界から来た二人。その二人が、ここの出身だったの。……でも、なんか……」

すごく朽ちている。過去訪れたときにもここは荒廃していたけれど、ここまでではなかった。例えるなら今はそう……無色。かつて感じた血の臭いもまるで無い。それはあの時シ骸を滅ぼしたからだとしても、いくらなんでもこの静けさは。

「……どうやら、滅んで数十年かそこらではなさそうだな。気をつけろよ、建物には近付くな」

「数十年なんてもんじゃないよ。だって私がみんなとここに来たときすでに何百年か経って、」

無風の中に、一陣だけの風が吹き込んで。足を向けた先で銀色の長い髪が、ふわりと一瞬高く舞った。それはさらさらと優しく落ちて、あるべきところに落ち着いていく。綺麗な髪だった。こんなに綺麗なものは、たぶん世界に他に無い。そう思ってしまうくらい、ぞっとするほど無機質で綺麗な銀糸。緑の目が、あくまで無感動にルカを見つめた。

「あなたにとって、わたしは知っているユールじゃない。けれどわたしはあなたをよく知っている」

「ゆ……ユール……ユール……?」

唇が勝手に、“彼女”の名を紡いで動く。頭が痛い。彼女はだれ?わからない。わからない。でも自分は、彼女のことをとてもよく知っている。
吐き気がどろりと思考を絡めとって、塗り込めるように泥沼に沈めていく。息が苦しい。まだ吐き気がする。

「女神は選べなかった。愚かで慈悲深いから、わからなかった。人の世を見るために必要な容れ物は無限がいいのか断続がいいのか。生かし続けるべきか、何度も殺し新しく作り変えるべきか」

少女の声は柔らかく響き、されどルカを威圧する。この少女に出会うべきではない……出会うべきではなかった。
少女がゆっくりと、ルカの真正面に立つ。後ろでジルが彼女の思惑を量りかねてか、ヤーグから受け取ったライフルの撃鉄を起こす音がする。ヤーグもまた静かに剣を抜いた。少女から敵意は感じないが、殺意なく戦う人間も極小ながらいるのである。二人は警戒していた。

「だから両方作った。いくつもいくつも、作ってしまった。異なる時間に、わたしたちは生きた。永遠に巡りあうこともないはずの世界で、あなたと最初のユールは世界を分かち、人間として永き系譜を続かせた」

「……じゃあ何でユールがここにいるの……」

「女神は死んで、わたしたちは取り残される。終わらない円環の内側に立ち尽くし、もう巡ることもない。わたしは循環をやめる。どちらも生きてしまったから。どちらも苦しんで、でも生き続けてしまったから、どちらも消えないまま残ってしまう」

少女は、ユールは表情無くそう語る。騙る。女神が死ぬ?そんなこと……そんなこと。取り残される?女神が死んで、力を失いながら?ぞっとした。女神がいなくなったらどうなる?……生き物すべてが摩耗して、いずれ消える世界に果てることになる。

「そう、君のせいだ」

ルカが身震いしたときだった。砂を踏む、柔らかい足音がもう一つ、視界の端から聞こえ、その影は声を放った。反射的に顔を上げた先にいたのは、男だった。黒衣で、長髪。髪は一度脱色してから色を入れたみたいに、人工物めいた印象を与える。
誰だかは今度こそまるでわからない。会ったことなどないから。でも、ユール以上に、嫌な気配がしていた。ルカは無意識にジルを庇うように足を動かしたが、そんな彼女の腕を更にヤーグが引いた。ユールには感じなかった敵意を、新たな男には感じたからか。ルカはしかしヤーグの後ろに庇われようとは思わなかった。この男は明らかに自分の敵だからだ。

「君がいたずらに生き続けるばかりで、何も変わらないから。君があの時死んでいたなら、女神も一息に死んで、ユールは解放されたかもしれなかった」

「……は?何それ……どういうこと……」

「君にもエトロの力が継がれている。エトロの血脈を継ぐ人間に、エトロの力は流れ込む。君、私、ライトニング、ユール……それからあの娘。セラと呼ばれていたか?女神の力を受け持つ命が死ねば、女神はその分力を失う。特に君は、ユールとは違う。混沌をただ多く宿すことで、永遠にこの世に留まり続ける」

頭が痛い。ライトニング?セラ?あの二人に、女神の力が流れ込む?それはつまり、ただの人間ではなくなることではないか。ルカのように、ユールのように。
ああ、吐き気で視界が揺れている。

「そうでないなら時空を超えることなどできはしない。時間軸を己の中に取り込むことなど。そして一旦超えてしまったなら、知らなくてよかったことを知る」

「どういう意味よ……!」

男はゆっくりと、ルカに近寄る。刃先がいくつもに分かれた剣が静かに振り上げられた。そしてそうっと、空気を撫ぜるようにルカを狙う。ルカが吐き気の中で反応する前に、ヤーグがルカの腕をもう一度掴んで強く引いた。そしてルカの代わりに、己の剣で男の攻撃を受け止める。

「切り捨てられたいか貴様……!!」

「……ふん。エトロの力を手に入れて、何も変わらずに今までと同じでいられると思うか?そんなはずはない、ルカ。君が連れているその二人も、これから連れることになる男もだ」

「……意味がわからない上に、あんたの高圧的な態度に反吐が出るわ。ルカ、こっちに来なさい」

ジルがライフルを構えながら呼ぶ。けれどルカは動けなかった。頭痛がするからか、吐き気がするからか、あるいは男の目が射抜くからか。

「それで、呪いがただ解けるとでも?君は呪われた。誰しもに“要らない”と言われた。コクーンを追放されて、地べたを這いずり回って、自分にとってのハッピーエンドを演出して。そんな程度のことで、本当にその呪いが解けると思っているのか?」

言葉が、抉る。
触れてはならない奥底の、癒えない傷を。
抉られたのは誰か。一瞬吐息さえ見失ったのは、ルカでありヤーグでありジルだった。過去の罪を突きつけて、男は笑う。

「そんなはずはない。呪いは解けない。永遠に解けない。君は自分で何度も思ったはずだったろう?シルシなどない遅効性の呪いはゆっくり自分を蝕んで、そして永遠の別離となる。君は知っていたはずだ。何を甘えている」

「あ……甘え……って……」

男は剣を持たない手を伸ばし、立ち尽くしていたルカの鎖骨の下を強く突いた。あ、と自分の声が、自分の耳奥で震えるのを感じる。

「私はカイアス。カイアス・バラッド。君を不幸にする者の名を覚えておくがいい」

「いや、助けて……ユール……!」

なぜユールに助けを求めたのかわからない。ともかくルカはユールに手を伸ばした。
ルカを見つめていたユールは、うっすらと目を細めた。そこに哀しみらしきものが滲んで、そして消えていく。

ルカは後ろ向きに倒れた。視界の端で、ジルとヤーグが同じように倒れこむのを見て、焦燥に胸が焼かれる。
二人に触れないで、お願いだから。ルカの手が、宙を欠いた。






落葉。暖房があっても少しだけ寒さを感じてしまう季節。制服の上からセーターを着込めば、過ごしやすいというありきたりな評価を通り越してしまう。つまりひどく眠たい。
この気候に加えて睡眠不足なせいだ。昨日はシドに言い渡されたノルマが若干片付かなかった。おかげで寝不足、はい順当。
ルカは机の上でだらりと四肢を投げ出し、声とも息とも問わぬ言葉を吐いた。

「あんた今日はひっどい顔色してるわねえ」

「冬は眠くなるんですうー……」

「その理屈でいくと他の季節の居眠りはできなくなっちゃうわよ」

ジルがくすくす笑うと、金の髪が肩より少し下で揺れた。夏の蝶を見つけたような気持ちでそれを目で追いながら、ルカはゆっくり伸びをする。睡眠欲がメーターを振り切る勢いで急上昇するけれど、もう終業時間だし……ルカはどうせ寮に戻るのだからと無理やり意識を覚醒させた。とはいえ、寮に戻ったら途端に眠れなくなるのが己なのだが。いずれにせよ、今日は生徒会の仕事もある。寮で全てできるところが現行の生徒会の強みである。
生徒会に入って数ヶ月、仕事にもかなり慣れてきていた。まぁ元々大した仕事ではないし。主にイベントの統括と予算管理だ。イベントに関してはほぼ裏方だし、予算申請も不正めいたことはそうそう起こらない。そう、大した仕事ではない。ちょっと量が多いだけだ。

立ち上がりバッグを担いで、寮に戻るため三人連れ立って歩き出す。校舎を出ると寒気がスカートの下から這い登ってくる。あまりに寒いのでジルに抱きついたところ少々本気で嫌がられた。哀しい。

どうしようもないほど幸せな生活。いつもの日々。

ルカはジルを解放してやりながら、今日の仕事はなんだっけと口にした。隣のジルが答えてくれる。

「雑用よ。今度うちの講堂を使って企画するOB訪問の資料作り」

「うわめんどくっさ」

「言うと更に面倒くさくなるから言うな……まぁ、“どうせ仕事が忙しいから普段鍛錬なんてできなかったんだが”、……」

ヤーグがそう言って立ち止まった。そう、忙しいのだ。官憲の忙しさたるや、スノウたちは高価い武器振り回してるだけだなんてバカにしてくれたけれど。PSICOMとして仕事を始めた後はほとんど仕事以外の時間なんてとれなくて、最初は困惑したものだった。苦労していたかと言われればそんなことはないけれど。例えばライトニングのように、背負うもののために自己を犠牲にしたことはない。ライトニングは“犠牲”という言い方を咎めるかもしれないが。それなら献身とでも呼ぼうか。

「……あれ」

私今、何考えてた?ルカは混乱して、一瞬立ち止まる。ライトニング?……ライトニング、ライトニング……ライトニング……。
ああ、頭が、痛い。

「ルカ?どうしたの?ぼーっとしてる時間無いわよ、資料は何部刷りだと思う?2000部よ2000部。そんなの“うちの部下だって嫌がる”、わ……」

結局三人共立ち止まって、呆然とする。何か、思い出してはいけないものに触れている気がした。喉がひゅうっと鳴って、ただ戸惑っている。
考えようとすると、頭にまたひどい痛みが走った。それは二人も同じだったらしく、ジルとヤーグも痛みにか表情を歪ませる。ルカは慌てて二人の腕を取った。

「か、帰ろう!寮に帰って……早く、仕事始めなきゃだよ……」

「……じゃないと寮長が怒るな」

「会長なんだか寮長なんだか、はっきりしてほしいものね」

二人は苦笑した。なんとか頭痛が治まったことを知り、ルカは安堵しつつまた三人一緒に歩き出す。考えてはいけない。

「(ライトニング)」

考えてはいけないのだ。







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