What's past is past.







「……せんぱい、会いたかった」

「白々しいとは思わないか」

「思うよ。でももういつものことだから」

「威張るな」

彼は薄く笑った。その程度に安堵できるほど現状を楽観してはいないけど、ルカはゆっくりと彼に歩み寄った。
怒っている?それは当然だ。その怒りを鎮めることはできるだろうか。いや……できるできないの問題じゃない。やるしかなければやるだけだ。そう言った彼女を助けに行きたいのだから、ここで止まれない。ルカはじっと目前に迫ったシドを見つめた。両手を腕と胴の間に差し込むようにして、抱きつく。耳を心臓の上に押し当て、どくどくとした鼓動の音に安堵する。

「先輩、ごめんね……心配した?」

「……いや。心配、ではない」

その声に彼らしくないほど苦い感情が入り交じることに気付いて顔を上げると、見下ろす目は揺らいでいた。

「心配ではなかった。ただ、君が……もう、現れないかもしれないと……不安だった」

吐露されてはいけない、彼が沈黙するウィーク・ポイントが曝される。こんなことは初めてで、ああ、やはりニ年の間、この人はまた感じなくていい苦痛を受けて……ルカの知らない側面が転がり出てしまったのだ。今までわからなかったことが、すんなりと解けて己の中に落ちてくるのをルカは感じていた。八年も苦しめて得たものがそれだけだなんて、自分が情けなくて仕方がないけれど。

「ニ年間君は目覚めなかった。姿を消して戻らなくても……おかしくないかもしれないと」

「先輩……」

「……何で、数週間で戻ってきたんだ?そして、今度はいつ、旅立つつもりなんだ」

「……旅立つ日は、決めてない。でも、そう長くはいられないと思う」

回した腕に力を込め縋り付いた。己のそれより低いはずの体温に温められてしまう。優しい温度。と、ぐりんと強い力でひっくり返され、机に押さえつけられた。やり口が八年後と全く一緒で、笑い出してしまいそうだ。実際にはそんな余裕はないのだが。押さえつけられて胸が締まる。

「ご、ほっ」

「それなら、逃がさない方法を考えた方が合理的か」

「違う……そうじゃ、ない。逃げるんじゃない……私は、戦いに行くの……」

「それを逃げると呼ぶんだ」

鎖骨の下に彼の手が入り込み、シャツの襟を割って広げた。ボタンがひとつ飛んだような音がした気がした。強い力がぐっと下に向かって押す。彼の力ならば、本気でやれば骨を砕くことくらいわけないと知っているから、本能的に仄かな恐怖が宿る。八年後の彼よりなぜか怖いのは、ルカのよく知る彼だから。ある意味、とても自分に近いからだ。

「先輩、話さなくて……ごめんね。ちゃんと話すべきだったんだ」

「そんなこと、もうどうだっていい」

「よくない。よくないの。だから話しにきたんです」

お願い、話を聞いて。仰ぎ見て、両手を伸ばして縋ってまで対話を乞うなんて。恋人のすることではないなと今更思う。……そもそも恋人らしいことなんてこの人との間に経験があるか?なんて、無意味にバカバカしいことを考えた。……本当にバカバカしい。しなくていいからしなかったのだ。それを、今更。

わかりやすいくらい、彼は迷っていた。躊躇って、逡巡して、それでも結果、ゆっくりと上から退いてくれた。ルカはそれを見てから、滑るように身を起こした。
シドは己の椅子に腰を降ろす。ルカは自分がどこに座ろうか迷った。長椅子に座れば遠すぎるし、かといって立ったままだとなんというか、上司と部下という構図に似ていて嫌だった。もう違うからだ。それよりは少しだけ近くにいたい。甘えた発想だった。
迷った結果、机の端に腰掛けた。左下から、何も言わないシドの手が伸びて、ルカの顔に掛かる髪を弄ぶ。少し擽ったくて目を細めた。

「セラちゃんは不可視世界……女神エトロの世界を通って、未来へ旅に出たみたいなの。元ルシってこともあって、門を通ることができるのかもしれない。不可視世界を通るのってヴィジョンを見るのによく似てるから。あ、エトロっていうのは、ファルシが探してた神様のことね。それで、ライトニングを探しに行ったらしい。多分ライトはなんらかの理由でヴァルハラっていう、死後の世界……エトロの世界にいる。そこに辿り着く前に、私はできればセラちゃんを捕まえたい。目覚める前に、ライトにセラちゃんを頼まれたんだ。っていうか……セラちゃんのために、ライトが私を起こしたんだと思う」

「……荒唐無稽だ」

「ホントですよね、言ってて混乱してきましたもん」

まったくもって、真実味などかけらもない。到底理解などできはしない。それなのに、事実は事実としてそこにあるから逃げられない。

「私はエトロの瞳で……だから、セラちゃんを追える。しかし今となっては瞳も希少価値高いんですねぇ昔は大勢いたもんですけど」

「意味がわからない」

「先輩からそんな発言が聞けるとは……生きててよかった……。いや、確かにちょっと意味不明だけどさ、とにかくさらっと理解してくれないかなー」

「私がわからないと言っているのは、それだ」

彼はルカの首を指差した。首というか、襟元というか。ルカは意味を量りかねて、片眉を上げた。その視線の先を指で探るも、何もない。と、彼が呆れたような目をして、手を伸ばした。

「へ?」

そのまま手はルカの首を掴み、手袋に包まれた親指が、皮膚を擦ってひりつく痛みを残した。何だ、突然?

「おかげで話が頭に入らなかった。それでなんだって?何がどうなったら、ここに“噛み痕”がつくんだ?大体二センチ弱、明らかに人間の付けた鬱血痕だが」

「……はいっ!?」

身動ぎしてルカはその位置を探り直そうとしたが、シドが首を覆うように掴んでいてその指が外れなかった。噛み痕?ルカは意味がわからなくて考える、思い返す。そしてそもそもそんな行為、及ぶ相手は一人しか思い当たらないことに気付く。
目の前の、この人だ。それ以外の人はそんな場所に口で触れない。八年後の彼。そういえば、確かに彼とそういう雰囲気になった瞬間があったような。っていうか彼に噛まれたような。

「君がいなくなって数週間。どこにいた」

わけがわからないがこの人ものすごく怒っている。ルカは戸惑った。
何がどうなっている。

「ど、どこにって……えー、八年後?のパドラに……そんで、これは先輩がつけた痕だよ?」

「私じゃない。記憶にない」

「いや先輩だって。八年後だっただけで」

「だからそれを、別人と、呼ぶんだ!」

シドの眉間に皺が刻まれるのをルカは見た。やはり取り乱している?なぜ?
と、ふいにデジャヴを感じて、ルカは目を細めて思考を巡らせることにした。なーんか全く同じことを考えて、そしてすごく後悔した記憶があるぞ……っていうかついさっきだぞ……。

「……先輩、あの、まさかなんだけど……じぇらし?」

「殴るぞ」

「べつに殴ってもいいけど、あのね……そこについても今、猛省中なの」

愛するのは簡単でも、愛されるのが難しいことがある。自覚するのが難しいことがある。
疑っているのではない。認識していないのだ。八年後にもシドの言葉を聞いた。胸の奥が焼かれる気が、なぜかしていた。

「先輩。もう一回言うね」

先輩、好き。ねえ知ってるでしょ。二年前に伝えた、あの瞬間から私は何も変わってないの。

両手を伸ばして首裏に回し抱きついた。シドは首を掴むのとは反対の手でルカを抱き寄せた。よく知っている、少しだけ低い体温が心地よくて幸せだった。

「あのね、未来の先輩とは何もしてないよ」

「この痕と矛盾する」

「それは先輩ががっついてたんじゃないですかぁ、あだ、いた、いたたたたやめて肩外そうとすんのほんとやめうごおおおお!」

学ばないなお前は、と各方面から言われそうな気がした。いつも余計なことを言って、シドの鉄拳制裁を受ける。しばらく痛みを感じはしたものの、シドのことだから痕もできないだろうし痛みも今だけだと知っている。少し息が荒くなるのは仕方ない、痛み故。
しばらくしてそれが落ち着いたのを感じてから、ルカは腕を回してシドの膝に乗って抱きつき直した。真正面から。

「先輩、また少ししたら旅に出るよ。多分あんまり時間もないから。でもね、いつかここに帰ってくるよ」

「リンドブルムにか」

「違うよ。先輩のところに、帰ってくるよ」

ぐいぐいと肩口に顔を押し付ける。泣いてしまいそうだった。
彼は自分を信用してくれるだろうか?傷つけたことさえ自力では気づけないような女を、彼は信じてくれるのだろうか?……無理だろうな。ただでさえ、必要以上に他人に信頼を傾けない彼だ。ルカは信用に足らない。少なくとも、今は。逃げたばかりの今は。
信用ほど利潤の少ない投資はない。長い時間をかけて、一度も裏切らない……それしか回収する方法がない。そしてルカはもう二度裏切った。だからきっと、彼はルカを信じてはくれない。

「愛してる」

どちらが呟いたのかはわからなかった。それでも伝われば、それでいいと思っていた。






当然のように一晩経った。

「いや、ほら、予測してましたし……っていうか説得すんのに時間掛かるだろうなって思ってましたし……思いの外さらっと説得できただけどさ……」

誰に言い訳してるんだろうと思いつつ、ルカはベッドを降りた。部屋に誰も居ないから、シドはもう仕事中かと理解する。眠気にかまけて思ったより長時間寝てしまったけど、すでに陽がかなり昇った後のようだ。よく寝たなぁ……。
シドの傍だとなぜかこんこんと眠ってしまうのだ。なぜか。寝付きが異様によくなる。時計を見ると、始業時間は確かに過ぎている。

腹部の、潰れた花のような、十数センチ四方にも及ぶピンク色の傷痕を指の腹でそっと撫でた。何度もそこに口吻けられて、甘い痺れを覚えた昨夜。
この傷がついたばかりの頃、ヴァニラがとても苦しそうな顔をしていたことを思い出す。こんな大きな傷が身体について、と。多分そこには、恋人にこんな傷を作られるなんて、という悲哀も含まれていたと思う。
けれど、ルカは一度もそんなことは思わなかった。この身体に触れるのはどうせ彼だけだからだ。彼がこの傷を、罪の証だと思ったとしても。

「……さーて、今度はまともな服探そ」

こんな場所では窓の外から見られることもないので、下着姿でも頓着する必要はない。とはいえ心許なくて落ち着かないのも事実。
クロゼットと化している自室、というか己のスペースへと足を踏み入れ、服を探す。短いパンツがあれば動きやすくていいのだが。PSICOMで着ていた軍服はその点はとても優秀だった、防御特化ゼロの代わりにとにかく動きやすかった。おかげで式典には顔を出せない格好だったが。いや、式典の際は全員同じ軍服を着るからな。あまり関係ないか。
軍服に似た服は探しても見つからなかったが、まぁいい。そこそこ動きやすそうなパンツと、綿シャツを選んだ。靴はローヒールのブーツ。動きやすければなんでもいいのだ。

それから顔を洗って冷蔵庫をあさり、勝手に飲み食いして部屋を出る。親しき仲にも礼儀ありという言葉が脳裏をよぎったが、ただ親しいだけじゃないので許してもらえるだろう。ついでにベッドサイドのチェストとかあさったけど許してもらえると信じている。

シドは執務室で仕事をしていた。書類をぱらぱらと面倒くさそうに捲っている。よほどつまらない仕事なのか。まあ、そういう日もあろう。

「先輩ー、私そろそろ行きますね?」

「……そんな予定は聞いてないが」

「い、今言った」

「ちょっと殴るからこっちに来なさい」

「そう言われて行くバカがどこにー、やめて行くから魔法唱えようとしないで、え待って先輩も魔法使えんの!?ちょ、やめてエンハンスしないで、ブレイブしないでいいから!ヘイストもだめだってば!」

結局行って軽く殴られた。バカはいた。

と、シドが手招きして、ルカはチョップを食らった頭頂部を押さえつつ胸元に雪崩れ込む。昨日と全く同じ流れのような気はしたが、気にするだけの余裕はなかった。

「一年だ」

「……へ?」

「一年あれば、全ての業務を引き継ぎして私は必要なくなる。君が起きる前からずっと考えてたんだがね」

「いや、え、意味がわかりません」

「この仕事飽きた」

「何言ってるんだアンタ」

本当に何を言っているんだ。
ルカの髪をぐしゃぐしゃと引っ掻き回して、考えるようにシドは遠くを見た。大きな手が首裏を這いまわるのが擽ったくてルカは身を捩る。

「考えていたんだよ。私の仕事は、市民の政府を作ること。彼らが思うまま生きる土壌を作ること。それはこの二年でほとんど整って、アカデミーは思ったよりずっと上手く回っている。ここにいても、私の使命はもうない」

そればかりか、救世の英雄として祭り上げられる恐れさえあったんだ。実際はその逆にも等しいのに。
シドがひどく自虐的に呟いたので、ルカはそんな目をやめさせたくて彼の頬に右手をおし当てた。シドはその上から、ルカの手を覆う。手のひらに口吻けを落として、シドは苦笑した。

「私のやるべきことは、アカデミーが第二の聖府にならないように見張ることなんだ。だから、ここで数十年だけ眺めていても意味はない」

「……いやだから何だってば」

「全て終えて、追いつく。時間を超えるなんて離れ業ができるならそんなに時間は掛からないだろう」

「え……」

ルカは硬直し、目を見開いてシドの目を見つめた。シドの言っていることがよくわからない。否、わかるのだけれど、それだけでは意図が読めない。

「君が戻ってくるのをただ待つのはどうせ性に合わないし、それならアカデミーが滅ばないよう次の危機の時代でも探した方が建設的だと思わないか」

「いや、あの、え?発想が宙飛んでませんか大丈夫?」

「一年だ。一年、今度は君が待っていろ。私を、待っていろ」

重ねて告げられた命令が一種告白めいていて、今更すぎるのにルカは己の顔が赤くなるのを感じた。最近この人にとの間に芽生えた、というか、認識し始めた感情が己を振り回している気がする。いつも。
そしてシドの指先が、ルカの右手を重ねたまま掴み、薬指の根元を掴む。ふいにするりと指輪が引きぬかれた。綺麗になったあの指輪が。

「これは、ここにあるべきじゃない」

シドは手を伸ばして、ルカの左手を取った。そしてルカに了承を得ることもなく、するりと薬指に嵌めた。

「せんぱい……」

「結婚しようと言ったのは、茶番でも酔狂でもない。ファルシから逃がそうとしていただけじゃないんだ」

「……だけだと思ってた」

「と思ってるんだろうと思ってた」

ルカは目を細め、その指輪をこつりと額に当てた。冷たいそれに体温が伝わってすぐ温くなる。考えることは同じだなぁと、ルカはシャツの胸ポケットに指を差し入れ中から欲しいものを取り出した。
そしてシドの手袋を外す。当然、左手のものを。

「結婚式とか、未来じゃしても呼ぶ人いないね」

「今手短に済ませておくのか」

「まだ誰も結婚するなんて言ってなーいよ」

指輪をくるくる回すようにして、薬指に通していく。彼はルカの皮肉に片眉を上げて苛立ちを示したが、まぁそれくらいは真っ向から受けていただこう。正面きって喧嘩していれば、不健康に肚を探り合って当て付けに自棄になることもないのだ。多分。

「じゃあ、私、未来で待ってる。先輩が追いかけてきてくれるのを」

「違う。追いかけるんじゃない。私は私のやるべきことをやるだけだ」

「……うん、わかった。先輩が、誰に命じられたでもない先輩だけの使命を果たすために、隣に来てくれるのを待ってるね」

ぎゅっと抱きついて、甘えるようにして縋ってみた。好きだと思った。
この人はいつも、ルカを一人にするまいと戦ってくれる気がしていた。ふと、昔言っていたことを思い出す。

「利用する人間の面倒くらいはみる……だっけ?」

「……あー、皮肉か。皮肉だなそれは」

「やだ先輩、嫌味っぽい。良くない兆候だなー」

先輩、あのね、先輩のこと恨んだりなんてしてないからね。怒ってないからね。二年前のことも何もかも。
あなたが私につけた傷さえ愛しいと思ってるの。

そう言うと、自分の腕の下でシドの肩が身動ぎしたのを感じた。八年後を思う。あの彼にルカは二度と会えないけど、彼も救いたいからシドに会いに来た。救いたい。相手があなたなら、それがいつの時代でも。

そしてルカはまた旅に出る。シドは今度こそ、真正面から部屋を出るルカの背中を見送った。またいずれ、と約束をして。
そう約束できることを、ルカは幸せだと思った。

過去は過去として、もう先に進まないといけない。それでもきちんと、手は握ったまま。






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