そして吐息で囁く小鳥







「そんなわけで、もう一回八年前に戻ってみようと思いまーす……」

「何で突然そんな暗い顔をしてるんだお前」

「いや……なんか、すごく気が重いので……殺されてしまうかもしれない……」

「それは……多分無いでしょうきっと……きっと、多分、いえもしかしたら……」

「もしかしたらってなんだよ!やっぱ殺されるかもって思ってんのかちくしょう!」

ルカは頭を抱えた。わかってはいたけど、いざと思うととても怖い。
今は、エトロの力で無理やり作ったあの門の傍に立っている。……不可視世界を通るのはジルとヤーグには有害なので、自分だけ向かいたい。でもそうすると、合流できない可能性もあった。不可視世界の門はルカが適当に作っているだけだから、どこに着地するかは運なのだ。一応地面に着地するくらいはうまいことできるが、かなり離れた地点になってしまうこともある。

「じゃあ、門をくぐりましょう」

「ん……ごめんね、なんかいろいろ定まってなくて……旅の目的も、行く先も」

「気にするな。お前にそんなことは期待していないから」

「何で上げて落とす……」

足元がぱっくりと割れた。瞳が開いて、ルカはあの皮膚の焼けるような嫌な臭いを感じた。三人、一緒にその穴に飛び込む。また、不可視の混沌に身を投げるのだ。世界が逆流する中を三人で泳いで、最初にこの混沌を通った地点を探した。
なんとなくでしか特定できない時間に、それでも真っ直ぐ近づいていく。外に出る瞬間、つい無意識に息を止めてしまった。世界の出口に、辿り着く。




「……ツイタヨー」

「どんどん顔が暗くなってるわよ」

「行きたくないなら先延ばしにしても……」

「珍しく優しいお言葉だけど、約束したから行かないと。できればもう破りたくないの」

「……そうか」

ヤーグがふっと、微笑んだ。昔に比べて、最近のヤーグはとても表情が軟いとルカは思う。この二年の間に何かあったのだろうか。
ルカは顔を上げて視線を傾ける。もうとっぷりと陽が落ちていて、少し遠くに集落らしき灯りが見えた。とりあえずそこを目指して、歩き始めることにする。

「ここ、どこなんだろうね……」

「街の名前がわかればな。地図は頭に入ってる」

「そっか。どこかで電話借りれるといいなぁ。逆探知してもらって迎え呼ぶ」

「リグディが溜息吐きながら来るわよきっと」

「そして私が怒られるんですよね」

「いつものことだな」

定型パターン化しすぎて疑問を抱くことさえ忘れているほどに、それはいつものことだ。どうしようもないな、と少し笑って、ルカたちは足を急がせた。あまり夜遅くなってしまえば、リンドブルムに連絡ができない可能性もある。コクーンと違って、下界では人々は夜になったら眠るのだ。あの一件からこの世界はまだ二年しか経っていないから、尚更。夜通し遊ぶ若者が存在できるほど、みんな生活に余裕がない。

「あ、ねえ小銭貸して。無一文だわ、私」

「そりゃそうね。ヤーグ」

「何で私が……」

ジルがにっこりと微笑んでヤーグの腕を手の甲で叩き、ヤーグは渋りながらもルカに小銭を手渡した。そのあまりにも自然な流れに、ルカは自身が不在であった二年間の中身がだいたい窺えた気がして温い笑みを返礼にする。ヤーグが「何だよ」と言いたげに口の端を歪めたので、関係性がよく見えるなあと、自分たちのことだというのにルカはどこか他人事めいた感想を抱いた。

適当な商店を見つけ、ドアベルを鳴らしながら中に入る。店主らしき壮年の女性がもう閉店よと声を掛けてきたので、ルカは電話を借りたい旨を伝える。こんな時間に突然訪れた三人組に彼女は一瞬戸惑うような顔を見せたが、ルカがこっそり小銭を握らせると彼女は壁掛けの電話に顎をしゃくった。ルカは頷いて受話器を取る。
そこで気がついた。

「番号知らないデース……」

「そんなことだろうと思ったわ。ほら」

ジルの細い指がルカの頬の横を過ぎ、九つしかないダイヤルを躊躇いなく叩いていく。よく覚えているものだと思ったが、相手はジルなのでそう不思議でもない。

「まあでも、覚えてるのは公式の番号だけよ。受付案内係に繋がるわ」

「頑張れば先輩にもたどり着けるっしょ。……っていうか、繋いでくれないと、後で先輩が知ったら怒る気がする」

あの八年後の様子からして。
コール音が耳奥で響くのを聞きながら、ルカはひっそり覚悟を決めた。案内係の今後の職歴のためにも、ここでミスするわけにはいかない。

「……もしもし?」

『こちら騎兵隊でございます、ご用件を承ります』

「あー、あの、せんぱ……じゃなかった、えっとあの、シド……レインズさんに繋いでもらえます?」

抑揚のない穏やかな声に調子が少し狂い、それからシドを名指しするという自分の中での珍事に戸惑い声が吃ってしまう。当然ながらその当惑が向こうにも伝わって、一瞬息を呑んだのがわかった。怪しまれている。

『あの……申し訳ございませんが、レインズの方は多忙でございまして……』

「……じゃあもうリグディでも、ああレイダでもいいわ。いいからお願い、誰でもいいから繋いで」

『お約束などはございますでしょうか?』

「ない。けど、言えばわかるはず。ルカが話したいって伝えてくれない?」

『……少々、お待ちくださいませ』

ためらいがちに平坦な声がそう告げ、微かな電子音を織り交ぜた軽快な音楽が流れ出す。ルカはそっと目を細めた。

「……めっさ怪しまれてマース……」

「そりゃあれだけ吃ってればな」

「なんであんなに挙動不審だったの?……ああ、あの男のこと名前で呼ばないものね」

「たまーに呼ぶとどうしていいかわからなくなるんですよねえ……ああ、もう一生やりたくない」

「一生呼ばないつもりか?」

ヤーグが怪訝に、窺うような目を見せた。その目がどこか、あまり見たことのない色を孕んでいたのでルカは逡巡して視線を逸らした。

「まあ、呼びたくないですけど」

「結婚するんじゃなかったか」

「へ?ああー……あああーあの……ああー……」

畳み掛けるみたいに続く詰問につい頭を抱える。そうだった、二年前にはそのはずだったのだ。今は己の右手にある指輪が電灯の光を浴び鈍く輝いて、過去を想起させる。
でも違うのだとルカは首を横に振った。

「あの、実はあの、二年前に一応別れたことになってるはずで!だから結婚の話はもうナシで……!」

『……そんなことを伝えるためにわざわざ連絡してきたのか?』

「うわぁぁぁ先輩!?いつからそこに!!」

『部屋から出ていない。掛けてきたのはそっちだろう』

「……うわあー声がもうすごく怒ってますわーこの人ぉ……」

声は暗く怒気を孕み、地響きでも襲ってくるような気配がする。ルカは胸が塞ぐ心地だった。この人に割りと本気で怒られるのがこんなに怖いとは。想像とはまた違う。ジルやヤーグに失望されるのもとても怖いが、この人だとまた違って怖い。二人に対しては“見離されたくない”という恐怖があるのに対して、彼に対しては“見離されるだけじゃ済まない”という恐怖がある。
ルカはふっと細い息を吐き、決意しなおした。ここまで来ては止まれないし、この人のためにも 止まるべきじゃない。この人のために、自分はもう。

「……先輩。お話が、あるんです。迎えをよこしてもらえませんか」

『……逆探知が途中だ』

「それは話が早い。誰でもいいですよ、でもあの、お金貸してもらえないですかねー。ジルとヤーグはできればこの街に残したいんです。それで宿を取りたいから」

『信用がないのは私か、彼らか?』

「そんなことない。先輩と、ちゃんと話がしたいだけ」

電話の向こうで、彼が息を呑むのが伝わって、己の喉まで震えてしまった。彼がじっと自分の言葉を聞いているのが、なぜか鼓動を静かに揺らす。心臓をゆっくり内側から叩かれる感覚にまた戸惑った。
目覚めてからずっと、ひたすら翻弄されている。

「先輩。……会いたい」

自分からあんなやり方で飛び出しておいて、こんなことを言えてしまう己の薄情さにうんざりしていた。本当にバカだなと思うのはこういうとき。どうしてもっと、吐くべき言葉が思いつかないのか。遣り様はいくらでもあるはずなのに、一つも考えつかなくて結局彼らに全て押し付けている気がする。最低だ。
それでも意義ある一言だったらしい。彼は数秒の逡巡の後、「すぐに迎えをやる。動くなよ」とだけ言って電話は切れた。ルカはそのまま少しの間静止したあとで、ゆっくり受話器を元に戻す。

振り返ると、ジルが項垂れていた。ヤーグさえもあらぬ方向を向いている。

「……え、ちょ、なに」

「うるさいわよばか」

「え、何ホント!何で落ち込み、え?」

「気にするな……こっち見るな」

何なんだ一体、とルカは頬を膨らませて拗ねてみたが、特に反応もないのでやめた。この二人が何を考えているのか、ときどきわからないのだ。二年間が溝を作ってしまったのならそれはひどく哀しいことだ。時が隔てる壁に抗えないことをよく知っているから、寂しい。八年後をふいに思う。彼は別人みたいだった。
過去のことはあまり覚えていない。エトロの瞳であったこと、それだけしか。何があってそうなったのか、そのときの感情はよく覚えているのに、それ以外ほとんど思い出せない。過去に知り合った人間のことも。
ただ寂しい。それだけ。だから考えまいとする。考えると、別れの前から全て哀しいから。

ルカたちは商店を出て、小さな街を少しだけ照らすたくさんの光を眺めた。空に視線をやって、飛空艇がやってくるのを待つ。

「……結局、この街の名前聞きそびれちゃった」

「逆探知させたんだろう?」

「ん。すぐに来てくれると思うんだけど、どうかなぁ……先輩も忙しいかもなぁ」

「いやすぐさま来るでしょう。本人が来たら私逃げるわよ、その時あんたの隣にいたら殺されかねない」

「なんですと」

怖いこと言うなや、とルカは身震いする。ジルは苦笑した。ジルの表情が柔らかくなっている気がする。特にシドに対して。何か心境の変化でもあったのだろうか。シドに後でそれとなく聞いてみようかとも思うけれど、その結果またジルとトラブルになるのも困るなと結論づけた。彼は基本的には猫かぶりの、優しげな顔で誰にでも微笑んでみせるくせに、ジルとヤーグに対してはかけらもその表面を発揮できないのだ。

ふいに、遠くの空で一つ赤い光が煌めいた。それはまっすぐ飛来して、街に近付くにつれはっきりと存在感を露わにする。

「ほらね、早かったでしょう」

「……怖いなぁもう」

「行くと決めたのはお前だろうが」

それでも、二年の月日が怖い。八年後のことを思えば尚更だ。
飛空艇がゆっくりとルカたちの前に降り立った。そして数秒後、ハッチを開いて中からリグディが顔を出す。

「……お前はよぉ……」

「やだ出会い頭にキレてるこの人」

「俺は仕事の真っ最中だったんだよ!それが!突然!呼び出されたと思ったらまぁぁたお前だよ!?いい加減俺も我慢の限界だクソが!」

「明日頑張れば終わるさ仕事なんて」

「そういう問題じゃねぇぇぇ!!」

予想以上に怒っていて、ルカは少々申し訳ないと思ったり思わなかったりした。

「……で?何で突然帰ってきた」

「心境の変化とかー色々?で、先輩と話し合い的なことをね、しておこうかと」

「あの人すげえ怒ってっかんな。今のうちに覚悟しとけ」

「あ、ははっ」

それならもう、今日だけで何度も覚悟している。リグディがルカに金の入った袋を投げて寄越したので、中身を確認してヤーグに渡した。思ったより、というか常識はずれなほど中身が多いのがとても不穏だが、大丈夫負けない。渡したヤーグもぎょっと目を見開いて、「お前……無事に戻ってこいよ」と珍しく本気で心配したような顔をした。この金にシドの意思がやはり絡むのであれば、それはルカにとっては望ましいものではない。大丈夫負けない。ルカは繰り返した。
リグディが飛空艇のハッチに視線をやったので、ルカは乗り込むことにする。一度振り返って、「ちょっと行ってくるね」と笑いかけた。二人が頷いたので、ルカはリグディとともに飛空艇に乗り込んだ。

暗闇の中を、危なげなくリグディの艇は飛んで行く。光がどんどん遠ざかり、代わりにぼんやりとした赤いライトが空に浮かんでいるのが見えてくる。リンドブルムはそこそこ近くにいたらしい。それでも十分程度はかかりそうだが。

「何で突然出てったんだよ」

「……ん?リグディもそういうこと気になるんだ」

「気にするに決まってんだろ。俺が変なこと言ったせいかとも思ったし」

リグディはとことん、シドが至上の上司なのだ。ルカのことは知己としてそこそこ慮ってくれるけれども、所詮それだけだ。だからそんなことを彼が気にすると思うと少しばかり変だった。

「いやね、最初っから旅に出るのは決めてたよ。うん……たぶん、決めてたんだと思う」

「ファロン軍曹がどうのって、お前も言うのか。死んだんだぞ」

「記憶なんてあやふやなものだよ。知らない時間に起きた出来事は改変される」

「お前が何言ってんだかわかんねえんだけど」

「私もよくわからんから安心しろ」

ルカは苦く笑って視線をまた地面に落とす。もう何も見えない。暗すぎる世界に浮かんでいるのが、どうしようもないほど寒々しくてヴァルハラに似ていた。ライトニングが本当にヴァルハラにいるのなら、きっと今の己なんて比べ物にならないくらい孤独だと思う。
そう、孤独。ヴァルハラに永遠に宿るのなら、それは己以上に孤独。そんなはずないのにと必死に前向きに考えながら、それでもライトニングの現状がわからないことが不安だ。ヴァルハラの映像……そのあとの衝撃が大きかったせいですっかり頭から吹き飛んでいたのだが、あれは大きな手がかりである。
ライトニングがあそこにいるのは、かなり確定的になってしまった。あとはどうしてヴァルハラにいるのか。それが判れば、ヴァルハラから連れ出す方法もわかる。そのための手がかりはもう、彼女……セラ・ファロンだけ。
旅に出たという。それも、時空を超えるという方法で。それは本来“有り得ない”方法だ。エトロの瞳は混沌を多く宿すため、ルカにはもちろんいくらでも可能だけれど、彼女は瞳じゃない。ライトニングが何か手助けをしたのか?

「ああー……もうだめ、わからん、おわればたんきゅー」

「何だよ突然」

「考え事ってほんと向いてないなぁって……考えるといつも悲しくなるから考えない癖がついて、考えるの苦手になっちゃったんだよ」

「言い訳だなそりゃ。やるしかなけりゃやるだけだろう」

「……おんなじこと言ってた人を知ってるよ」

その彼女を探さなければいけないんだ。ルカは目を閉じた。やるしかなければやるだけ……そうだ。その一言で、自分たちはあの旅を乗り切った。結果がコレだ。自分たちだけは幸福を享受できなかった。なんて、バカバカしい恨み事を。
ルカ・カサブランカの最期に祈った、物語の結末を、世界はひとつも叶えなかった。だから全部叶えに行くのだ。ルカはゆっくりと、目を開いた。







リグディは途中で帰らせた。我ながら珍しく、二人にして欲しいと乞うて。リグディに部屋まで連行されると、どうしたって一瞬遠慮があるから。一人で会いに行きたい。

「センチメンタルでノスタルジック?」

郷愁は違うか。いや合ってるか?ほらね、考え事は苦手。
やっと着いた。私は部屋の前で一瞬立ち止まる。ふーっと細い息を吐いて、だめ、止まってる時間はない。ノックすると、入れと返答がある。その声は間違いなく先輩で、私は安堵した。八年後の彼とは違う。私の知る、私の先輩だ。

「……せんぱい」

机に軽く腰掛けて、彼はじっと私を見つめていた。部屋は少し薄暗い。青銀の双眸に焼かれてしまう気が、なぜかしていた。








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