キリングマシンの生命線






『もしもし、ホープくん?』

連れ去られて数時間後のこと、ルカから連絡があった。

『あのね、すぐそっち戻ろうと思うんだけど。二人はどう?』

「無事ですよ。さっきもナバートさんがピリピリしてましたけど、それだけです」

『うわぁマジかごめんね……!殴られなかった!?』

「……さすがに大人ですし、殴られるのってルカさんだけだと思いますよ」

『そういうこと言わないで傷付くから!……ともかく、すぐ行くからちょっとだけ待っててね』

彼女は最後にそう言い置いて、リンドブルムの公式回線を使っての通話は切れた。ホープはコミュニケーターを胸ポケットにしまう。……思えば、電話を引くのも大変だった。アンテナを建てたりなんだり。
最初のうちはコクーンのものが使えたけど、今から大体四、五年前にはそれらも使えなくなってしまって。予期していたおかげで混乱は避けられたが、大層不便だったものだ。

ルカがすぐ戻ってきてくれるというのなら助かった。了承したのは自分だが、二人の人間を隠し通すのは難しいとわかっていたのである。そんなことは最初からわかっていた。でも、彼女の頼みを断ることはできなかった。
シドは八年ぶりだろうが、自分は十年ぶりに会ったのだ。お互いあまりにもいつもの調子だから、懐かしむ余裕もなかったけれど。そんなに久しい旧知の仲間の望みを蹴ることなどホープにはできない。

だから少々無理をしてでも、二人のために奥の方のテントを空けた。本当ならこの研究所にそんな余裕はない。ホープの研究は、アカデミーの発展のため、ひいては人類の発展のために必要なことだと証明するのがとても難しい。本当に必要かどうか、ホープ自身定かではないからだ。そうなると多くの予算を割くこともできない。公正でなければアカデミーはコクーン聖府の二の舞になるとわかっていたから、ホープはいつも不正を見逃さないために必死だ。レインズたちもそのために力を貸してくれている。だから、当然ホープは予算を規定以上確保できない。備品はいつもぎりぎりの中で運用している。

かといって諦めるわけにはいかない。あの予言の書……見たこともないライトニングの姿。彼女が生きているかもしれない、それはホープの最大の希望だった。
そしてルカが訪れ、少しでも彼女の知ることを話してくれたおかげでまたひとつ希望を得た。ルカはホープがライトニングの希望だと言ってくれた。その言葉に、ホープがどれほど救われるか彼女は知るまい。

ホープはナバートたちのテントに向かうためベースキャンプを出た。ルカから連絡があったことを伝えておこうと思ったのである。遠くの空で陽が深く傾いていた。テントは居住区の最奥にある。完全に暗くなってしまったら、足元が危うい。

「……?」

強い違和感が、不意に肌を突いた。ホープは昔から、危険を察知する能力が高い。ルシになったことでそれは更に鋭敏になった。敵の存在はいつも遥か遠くから察知できる。だから今この時も、感覚を疑わなかった。
何かがいる。しかもその気配は、ナバートたちのテントの方にある。ホープは駆け出した。折りたたみ式ブーメランは、まだちゃんと衣嚢に収まっている。

「ナバートさん、ロッシュさん!」

テントの入口の布を払い、中に飛び込む。と、ホープの目に飛び込んできたのは、まず光。ホープが背に受ける陽光を受けて煌めいた小さな刃。
刃の柄を握るのは、ホープもよく知っている女性。もう何年も共に研究してきた、アリサ・ザイデルだった。

「アリサ……!!」

アリサは刃をまっすぐロッシュに向けている。ロッシュはテントの壁際で、後ろにナバートを庇いアリサと対峙していた。ナバートは銃を抜いているが、銃口は下を向いている。

「先輩。私言いましたよね?この人達、知ってるんですよ……聖府の人間だった、そうでしょう!?」

「アリサ、落ち着いて……!そんなことしちゃダメだ!」

「こ、殺されたんです……友達が殺された……違う!私が殺された!この人達、私を殺した!!」

ロッシュの眉間に刻まれている皺が深くなった気がした。彼はまともな神経の持ち主だから、アリサの言葉が心を抉っただろうことは容易に想像できる。
それはもうホープの関知するところじゃない。ないけれど、アリサの手にあるナイフだけはなんとかしなければならなかった。そうでないと……ああ、嫌な予感がする。
嫌な予感。……そう、だってもうすぐ。

「何してるの」

ざわ、と背筋を嫌な汗が垂れた。よく知る声だったから。それなのに聞いたこともないくらいに、冷たかったから。

風が一陣、ホープの隣を摺り抜けた。そして風は、アリサの身体を弾き飛ばす。でもまだ止まらない。ナイフは弾かれて遠くに落ちたけれど、彼女の手には微かにねじ曲がった歪な刃が握られ、アリサに向けられていた。

「ルカさん!!」

ホープはやっと我に返り、急いでルカの手を掴んだ。ルカの肩がびくりと跳ねたかと思うと、彼女はゆっくり顔を上げる。見たこともないくらいに殺気立っていた。

「ホープくん……これはどういうこと」

「……すみません。僕の管理不行き届きです。でも、とりあえず落ち着いてください」

「ルカ」

後ろからロッシュが声をかけ手を差し出すと、彼女はそれを握って立ち上がる。それから震える手で、ナバートに抱きついた。

「無事?ジル、大丈夫?」

「ええ……心配ないわ」

「ヤーグも?」

「ああ」

ホープはアリサに手を貸して立ち上がらせる。彼女は見たこともないくらい青い顔で、唇を引き結んで俯いていた。一体何が……。
疑問はいくらでもあるけれど、予想することはできる。先程彼女は“友達が殺された”と言った。それはつまり、友達がパージ被害に遭ったということではないだろうか?

「……アリサ、君はもしかして……」

「パージ被害者、か?」

ロッシュが代わりに言葉を継いだ。アリサはゆっくり視線を上げる。その眼の奥に、ホープは粘ついた血の色を見た気がした。
その表情が、もう答えになっている。知らなかった……彼女はパージで友人を失っていたのだ。そんな人間はいくらでもいるけれども、アリサは一度も言わなかったから知らなかった。

「何でこの人達は、生きてるんですか。10年前に死んだと思ってた……それなのに」

「……私が生きて欲しいと思ったから」

ルカが前に出て、ロッシュを庇うようにしてアリサを睨めつけた。彼女が怒るのは当然だ。十年前、命を掛けて戦った彼女の旅の理由は、全部今後ろに立つあの二人なのだから。
覚悟をしたのだ。
あのとき、彼女には命よりずっと大事なものがあった。だから覚悟した。ホープはそれを理解している。

「生憎だけど、あんたみたいな人間が何千何万束になったって、私はここを譲らない。二人には指一本触れさせない」

命より大切なものがある、という言葉は呪いだ。ルカに掛けられたものと、あるいは同質な。
その言葉が胸にあるうちは、人間は人間を顧みない。かつてレインズが、ナバートが、ロッシュがそうであったように。ルカが今そうであるように。

「君がどれほど命を懸けてあの時戦ったのかは知らないし、二人を恨んでるのかも知らない。でも私は私の方法で戦って勝って、未来を叶えた。今更横から出てきて、何も懸けないで奪えるものだけ奪おうなんてちゃちい復讐、私は絶対許さない」

「……何で?あんなに殺したのに?殺したのに、何でこの人達だけ生きるの……!」

「私がそれを望んで、戦ったからよ。諦めなかったからよ。ファルシにも戦いを挑んだからよ。あんたに手を出していい相手じゃない。……あんたとも戦うよ。この二人に手を出したいなら、私も殺さなきゃだめよ。できるの?」

最後につけられたそれは問いのようでいて、同時に切り捨てる強さを孕んでいた。アリサがルカに敵うわけがない。アリサは青い顔で、わなわなと唇を震わせている。彼女が怯えていることが明らかだったので、ホープはルカを見つめそっと首を横に振った。もうやめてくれという意味だ。ルカはそれを正確に受け取り、微かに頷いた。

「すみません。アリサのことは、僕に任せて頂いてもいいでしょうか」

「……ん。私たちは、もう行くよ」

「そうですか。今度はどこに?」

「とりあえず帰るつもり。いろいろと、やらなきゃいけないことができたから」

ルカはロッシュとナバートを庇うように先にテントから出して振り返った。アリサを見つめ、それからホープに視線を移す。

「ありがとね、ホープくん。またいつか会おう」

「……はい。どうかご無事で」

ホープの言葉に笑みを深め、ルカは踵を返した。その顔は、ホープもよく知る彼女のものだった。
アリサを見下ろすと、彼女はかたかた震えていた。視線も一箇所に定まらない。

「……大丈夫?」

「先輩も……パージに苦しめられたんですよね?」

「ああ。……母親が死んだ」

覚えている。あの時、隣にはヴァニラがいた。視線の先にスノウがいて、その手の先に母がいた。
あの時はまだ生きていた。……よく覚えている。

「何でですか?何で先輩は許してしまえるんですか!?」

「……それは違うよ」

先程、全く同じことをナバートに問われた。その時は、もう憎んだって仕方ないからと答えた。それは嘘ではないが、正確でもない。
憎み続けることはできる。いくらでもできる。母を奪われたのだ。父だってまだ、時折ひどく落ち込んでいる。

でも、そう。ホープが母を思い出すのはあのシーンなのだ。スノウの手から滑り落ちていく母の姿。軍隊が銃を向ける姿じゃない。あの時の、自分の身体全部がひっくり返ってしまうような、喉が奥から焼けるような感覚は、他の全てを超越したから。
だから、ホープが誰かを憎むとしたら、まずスノウになってしまう。あの時もそうだった。スノウを恨み、憎悪して、復讐のために必死になった。でもそれが間違いだったと気付いて……憎しみは風船が破裂したように大きな音を立てて壊れてしまった。他の誰かを代わりに憎むことはできなかった。

許したのではない。ルカとは違う。ホープは彼らを、確かにまだ憎んでいる。
ただ、それが激情に結びつかないだけだ。パルムポルムでホープたちを敵と呼び、武器を持った人たちがいた。おそらく問題は“あれ”なのだ。本当に敵かどうかなんてわからないのに、自分の生活を脅かすかもしれないと思えば嬲り殺してしまえという、その欠落。超えられない本能、過剰な自衛。

母を殺したのは“あれ”だ。自分を追い詰めたのも、仲間たちをさんざん甚振ったのも、“あれ”。一つの概念が、きっとホープの最大の仇。
それと戦うために、ホープは人間を守ることを選んだ。真実を知れば、人間は愚かなことはしないのだと知るくらいには、ホープは賢い。

「憎いよ。でも、あの二人が悪いわけじゃない。だからルカさんは、必死になって戦ったんだ。僕はそれを間近で見てたから……それを否定できないだけだ」

「……おかしいです。おかしいですよ。先輩、おかしい……」

アリサはまだ震えて、首をしきりに横に振った。でも、ホープの言いたいことは理解できたように思えた。彼女は彼らを追おうともせず、ただ怯えているように見えたから。それならすぐに落ち着くだろう。彼女は大丈夫だ。
それからしばらくして、アリサを他のスタッフに任せ、ベースキャンプに戻ったホープはもう一度予言の書を再生させた。

「……ライトさん」

ルカさんに会いましたよ。元気でした。何も変わっていませんでした。ライトさんが生きてるって教えてくれました。……ライトさん。
今でも焦がれるように彼女を想う。ライトニングはホープにとって憧れで、強さの象徴だった。単に力ではない。そう、彼女は強すぎた。だから遠くに行ってしまった。

自分も彼女に会いに行くために、何ができるだろうか。少し前に旅立ったセラとノエル、そしてルカのことを想う。自分は自由に旅立つことはできないだろう。ホープにはホープの戦いがある。

「……いつか必ず、追いつきます」

ホープは何度も重ねるように誓う。スノウもサッズも消えてしまって、行方が知れない。もう自分だけになってしまった。それでもかならず彼らに辿り着く……ホープは映像が消えた虚空を睨むようにして仰ぎ見た。視線のずっと遠くで、陽がゆっくりと落ちて行った。








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