エゴイスティック・コーズ






会話する余裕もなく、呆然と歩いていた。もやがかかって真っ白で、こんなことを街に対して感じるのも変なのかもしれないが……なんというか、“生気がない”。ひとけがない、それ以上に、いきものの気配がまるでしない……。
おそらく獣さえも住み着いていないだろうとルカは予測した。……ヴァニラたちを故郷に連れて行けると……思っていたのに。

「……ファングたちがコクーンに来たのがいつだかはわからないけど……黙示戦争付近だったなら、600年以上前ってこともあり得るからね」

「私たち……本当に、そんなに長く眠ってたの……?」

ヴァニラの声があまりに空虚で耳に痛くてルカはつい片目を細めた。自分が痛がってどうする、とは思うけれど。きっと郷には二人の家族が居て、友人が居ただろう。自分が同じ目に遭ったら?……死んでしまいそうだ。
いや冗談でなく死ぬ。確実に死ぬ。ヴァニラたちの互いへの依存度を100としたら自分は500ぐらいある自覚があった。誰への依存かなんて聞くなよバカ。

と、ルカの近くでサッズが嘆息する。

「にしたって、こりゃあよ……」

「みんな私の幻想だったってのか……?烙印を止める方法だって……!」

ファングが悲痛な声でそう嘆いた。ルシたちは掛ける言葉もなく黙りこんだし、ルカには本当に胸が塞ぐ声色だった。
シドがルシかもしれないとか、そういうことがまだただの疑念だったころ、ルカはなんとかして真実を明らかにしようとした。今にして思えば遣り様は下等だし結果も最低だけれど……ルカなりに必死だったのだ。ただの疑念だからこそ、全力で動けないこともある。こそこそシドの裏を嗅ぎ回り、裏をつこうと画策して……今思えば本当に、児戯にも等しい下策さであるが。
ファングもそうだったはずだ。否、ファングだけでなくここにいる全員が。そしてルカの大事な人たちも。誰もが必死に最善を探り、叶えようとして、しかしそれがこんな事態を引き起こしている。先日ホープにも言った言葉を思い出す。合成の誤謬。個人の最善が全体の最善とは限らない。

「でも、まだ道はあるかもしれない」

スノウが唸るような声でそう言った。彼が本当にそう信じているかは疑わしい。けれど希望は捨てきれないのだと、そんな想いも感じられる声。
と、ホープが努めて明るい声を出した。

「そうですよ。僕達みんな、自分で決めてここまで来たんです……最後まで、確かめましょう」

「ああ、諦めるにはまだ早いさ。……いくぞ」

ライトニングもそれに乗った。ルカには、彼らの言葉が全くの本心とはとても思えない。諦めたいと、もう楽に死んでしまいたいという考えがゼロだなんて思わない。
けれども、まだもう少しだけ歩ける。
もしかしたら――。ルカはふと、顔を上げコクーンを見上げる。

もしかしたら、この旅は、諦めるための旅なのかもしれない。突飛でくだらない妄言。だけど、もしかしたら……少なくとも、私にとっては……全てを諦めるための、旅なのかも。終わりにする覚悟を決めるための旅。

「……だめ」

小さく呟いて、必死にネガティブな妄想を振り払う。疲れているからこんなことを考えるのだ。案外、この旅の終わりにはジルやヤーグと笑い合っているかもしれないじゃないか。そうよ。もしかしたらって思うなら、一縷の希望を掴むべきだ。

白いもやが頬を撫ぜ始める。それがクリスタルの細やかな粒子だと気付くくらいには、ヲルバの郷に近づいてきていた。







砂漠のように白い粒子がその村を埋めかけていた。塔を出て数分歩き続け、ようやく固い地面に足が着いた。長い道のりだったな、とルカは思う。ヴァニラとファングにとって、長い道のりだった。
とことん無粋で空気クラッシャーな自覚のある己でさえ、感慨深くなるほどに。

ヲルバの郷は徹底的に滅んでいた。全てが廃墟で、微かな気配はどこか澱んでいる。獣さえ棲みついていないだろうに、しかし何かが居るのだろうか?

「ただいま……」

ヴァニラがそう呟いた。声は泣きそうなのに顔はひどく穏やかだ。目から安堵が窺えるぐらいに。

「ヴァニラさんたちの家は?」

「みーんな、わたしたちの家だよ」

ホープの問いにヴァニラは両手を広げて答えた。この村全てがヴァニラとファングの家……それは壮大な話だ。リンドブルム全体が先輩の部屋みたいなもの?……ああもう、だから考えるなっちゅーに。ルカは奥歯を噛み締めた。
村の中を散策しながら、ファングが懐かしげに目を細める。

「みんな一緒に暮らしてたんだ。一緒に飯食って……狩りもした」

「大家族だな」

「なんか、学生時代の寮を思い出すよ」

もっとも、ルカの所属していた寮はあからさまに核家族化が進んでいて、基本的に孤立主義だったが。食事さえ全員一緒ではないことがほとんどだった。
と、ヴァニラが村の真ん中の辺りにある家のドアを開ける。そして瞬間、中へ飛び込んでいった。

「バクティ!!」

まさか誰か生存者が――?そう驚いて追おうとすると、ファングが今にも走りだそうとするスノウとルカの腕を掴んで止めた。振り返ると彼女は肩を竦め、「人間じゃねえよ」と言った。それはどういう意味か、と問うより早く理解した。耳に滑車の回るような音が届いたのである。
ヴァニラの方を見れば、小さな……本当に小さな箱のような自立型ロボットがカタカタと小さな音を立てて動いていた。下界は本当に、技術から言ってもコクーンに引けをとらないな。ルカはこっそり嘆息する。

「犬型の探査ロボットだ。異跡なんかを調べる時に使う」

「へえー……ああ、あの異跡って、ヲルバの郷の近くにあったんだもんね?」

そう、あの異跡。ファングとヴァニラが眠っていたという異跡。ルカが目覚めた異跡。ライトニングとスノウがセラを探しに来た異跡。
あれはこの、ヲルバの郷のすぐ近くにあったという異跡で、それがコクーンのファルシの手によってコクーンに引き上げられたという。

「ああ、あの異跡を調べるのにも使ったなそういや。便利なやつでよ、喋るし」

「……バクティ?」

ふと、ヴァニラが問うような声音でバクティの名を呼ぶ。見れば、バクティは完全に沈黙し動かなくなっていた。隣に膝を着いたヴァニラが手で撫でるも、まるで反応を返さない。ヴァニラは悲しげに微笑んで顔を上げて、「最後のあいさつ?」と呟いた。
それがあまりにもかわいそうに思えて……ルカはサッズと顔を見合わせた。サッズは彼らしく口角を上げて笑う。

「諦めるにゃまだ早いかもしれねえな?」

「パーツなら武器用が代用できるかもね。修理してみる?」

ルカはサッズと共にヴァニラの傍に腰を下ろす。ルカはつい今朝方ライトニングの武器を修理するのに使った工具箱を取り出した。レンチにドライバー、ネジやボルト。ネジなどは規格が合わないだろうと、ルカは接着剤を取り出した。

「固めるのか」

「イケると思うんだけどどうかなー……ああ、歯車がズレてるね。あと電源になりそうなものが無いからー……サンダー!」

チップをいじり、ルカはばちばちっと電気を飛ばした。ギア魔法ならばルシの魔法と違って弱く、刺激が少ないと考えたためである。
バッテリーが無くとも、電気が巡ればエネルギーにはなる。バクティは大きく震えたかと思うと、ぎしぎし歪な音を立て動き始めた。

「バクティ……!」

「……ココハ、危険でス。逃ゲてくだサイ」

「え……?」

「近クに来てイマす。探しニ来てイマす。手遅レデス。そレでも逃ゲてくだサイ」

「バクティ、何言ってるの……・?」

バクティはそこまで話したかと思うと、ふらふらと家の中を動きまわり始める。それはロボットとしては異常な動き方で、修理をしたルカとしては「やっちゃった?」という恐怖を覚える。

「修理があんまりちゃんとしてないからバグったのかも……」

「大丈夫だよ、気にしないで。……どのみち連れてはいけないもんね」

ヴァニラはそう言って微笑み、立ち上がった。跪いたままのルカに手を差し伸べてくれたので、したがって立ち上がる。ヴァニラの表情に哀しみが滲み、やはりどうしても申し訳無さが勝つ。かといってできることはない……こういう状況にこれまでどれほど苦しめられてきただろう。そして、これから何度苦しめられていくんだろう……と、被害者でもないのに思ってみたりした。そんな自分に、一瞬だけ嫌悪がよぎる。そしてきっとそこまでセットで、傲慢なんだろうとルカは思う。

全員、言葉もなく外に出る。外の風景に変化などあるはずもなく、やはりクリスタルの粒子に埋め尽くされたままだ。哀しげな白がずっと遠くに続いていく。ボーダムしか知らなかったルカは、無条件に海は青いものだと思っていた。けれど、ヲルバの海は灰色だった。白が暗い。潮の匂いも、まるでしない。
階段を降りて、砂浜へ向かう。波が弱く押し寄せては去った。どこからどこまで生気がないな、とルカは嘆息した。と、嫌な臭いがした。つんと鼻を刺すそれは、血の臭い。数日で慣れきった鉄さびの、喉を逆撫でるような……。

「え……、」

何かがぎしぎしと、砂を擦らせて歩いてくる。前方からも、後方からも。
ルシたちもルカも驚きつつ、反射的に武器を構える。嫌な気配が膨れあがり、侵食してきていた。ゆっくりと姿を現したのは、果たして――シ骸であった。

「何でシ骸が……!?」

「ファルシが近くに居たってことでしょ、そんでルシにしてシ骸にしたってことだよ……!」

「じゃあダハーカが?何で……何でシ骸になんて……それに、郷はこんな様子なんだよ!?人間なんて最近まで居たはずないよ!どうやってルシなんか……つく……る……」

ヴァニラは自分で言いながら答えに気がついたようだった。
そうだ。ヲルバの郷は明らかに、もうずっと昔に滅んでいる。おそらく10年や20年じゃない。もしかしたら600年前?……有り得ないとまでは、言えない。
もしそうだとしたら。この郷が滅んだのが、黙示戦争当時だとしたなら……このシ骸になっている人間というのは。

「嘘だろ……郷のみんなかもしれないってのか……?」

ファングが震えた声で問い、誰かが息を呑んだ。そして彼女に答えるための答えは誰も持っていない。

「おい嘘だろ!?嘘だって……嘘だって言ってくれよ!!」

「言えないよそんなこと!!」

ルカはよろめいて武器を取り落としそうになるファングの腕を掴み必死に引き戻した。目の前のシ骸はとうにルカたちを標的にして、ゆっくりとでも確実に近づいてきている。今正体を失くして取り乱すというのはあまりにも拙い。

「そうです!……今わかるのは、もう倒す以外に道が無いってことだけです……僕らにとっても、彼らにとっても」

「シ骸になったらもう戻らない……ってか」

サッズが噛みしめるように言う。それはもうずっと、何度もシ骸と対峙するたびに思い知らされることだった。しかしそもそも最初に、シ骸になったらもう人間には戻れないと教えてくれたのはヴァニラとファングだ。彼女たちはルカたちのようなコクーン育ち以上に、その事実を理解している。

「戦うしかない。……ファング、戦えるか」

「やるしかねえんだろ……それなのに、聞くなよ」

ファングが歯噛みして、しっかりと槍を握る。ヴァニラはコクーンを救うと宣言したあとであるし、それにファングはアークで仲間に武器を向けてまで先に進むことを決意した。それなのに今ここで武器を手放すことはできないだろうとルカも思う。
ヤーグを守れなかったルカが今更迷えないように。ジルにあそこまでさせたルカが今更止まれないように。ルカが、シドを止められなかった自覚があるルカが今更……諦められないように。

ルカは武器を抜いた。ファングとヴァニラに戦わせるのはそれでも酷だ、できるだけ戦闘を引き受けようと思ったのである。
そう思ったのは当然ルカだけではなく、ライトニングとスノウが庇うように一歩前に出、ホープとサッズは支援のためプロテスを唱え始めた。ルカはまた、己を今まで至れなかった境地に押し上げるルシの魔力を感じながら……しっかりとハイペリオンの柄を握る。

呼吸を合わせようと思わなくても、もう何もかもが揃う。突き込みのタイミングも、立ち位置も。無意識に、スノウがブリザガを掛ける射線にシ骸を二匹誘導していてそんな自分をルカは笑った。戦闘で連携なんて器用な真似をする相手が、まだ出会って数日の相手だなんて酷い皮肉だ。十年来の付き合いの人間は、ずっと遠いあの地平の中に居るというのに。

ライトニングが隣に立ち、視線を一瞬だけかち合わせて跳び込んだ。敵の大振りな攻撃が降り注ぐのをかいくぐる。ホープの掛けたプロテスとシェルが微かながら敵の攻撃を曲げさせ、辛うじて避けられたのだ。
その駆け込む勢いを殺すことなく、返す刀で切り返す。腕から先に剣先を強く差し込み、ぐるりと回して切り飛ばした。悲鳴とも取れぬ叫び声が空気を揺らすが、そんなことではもう集中も途切れない。体を砂に埋めたシ骸に、容赦なくライトニングの雷が突き刺さる。
もうあと一匹……!ルカは剣先を砂に滑らせながら駆ける。突き刺せ――そう自分に命じた瞬間だった。何か、強い力が足を掴んだ。
驚いて視線をやる先にはシ骸の腕。さっき腕を刎ね飛ばした片腕のシ骸が一匹。下半身を凍らされほとんど死にかけながらも、必死にルカの足を掴んだ。
転ぶ!?ルカはとにかく腕を着き、しかし剣を手放さないことを選ぶ。代わりに逃げることは叶わない。そしてたった今対峙した最後の一匹が、それをむざむざと逃がすこともない。

シ骸の攻撃は大振りで、俊敏なルカにはその攻撃は普段ならば当たらないはずだった。けれど足を掴まれたままでは、ルカには身を捩ることさえできやしない。動けない、そう思う間にも攻撃は迫り来る。

「ルカ!!」

誰が叫んだのか、呼ばれたルカがその声の主を知る前に彼女は――ヴァニラはロッドのワイヤーを絡め、シ骸の背後へ入り込んで攻撃を直前で引き止めた。ルカはその寸止めにされた攻撃を腕で横に叩き、なんとか体を横向け周囲を窺った。そんなルカの目に次に写り込んだのは……ルカの足を引っ掴むシ骸目掛けて、三叉槍を突き立てんと高く飛び跳ねたファングの姿。

「らぁぁあっあああああ!!」

彼女の槍が深く深く、捻りまでこめてシ骸の心臓を背中から貫いたのがわかる。かと思ったらファングはすぐさま槍を引き抜き、次の目的をヴァニラが留めた最後の一匹に定めた。

「ファング……!」

そして彼女は躊躇わない。ヴァニラもまた、強い力でシ骸を捕らえて逃がさない。そこに、ファングは狙いすました一撃を捩じ込んだ。槍はファングの体重と掛かる速度を載せて、シ骸を貫き背中からその穂先を生やす。
そこでルカはようやくシ骸の手から抜けだした。足には痛みが走ったが、ホープが駆け寄りすぐさまケアルを掛けてくれた。それだけで痛みは掻き消える。
ライトニングたちがファングに駆け寄り、ルカもまたその後を追う。ファングたちは苦い笑みを互いに交わしてから、こちらを見て微笑んだ。

「そんなに心配しなくっても大丈夫だよ。私たちは、大丈夫」

「ああ。ウチらはそんなに弱くねーっつの」

「……でも、大丈夫って言う人ほど大丈夫じゃないよ」

痛かった。
どこにももう傷はないのに、ルカのほうが痛かった。

シ骸の死体が、腐敗するみたいに溶けて消えていく。それは砂に混じっていき、すぐにほとんど死体も確認できなくなった。

「行こう。まだ、郷の向こうが調べられてない。……コクーンを救えるのは、もう私たちだけなんだもん」

ヴァニラがルカにそう笑いかける。優しすぎる彼女の強さが、世界を埋める白に映えて美しくて仕方がないと……ルカは眩しげにただ、目を細めているしかなかった。







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