プロミスビフォアゴッド







「……う…………?」

冷たい石を頬に感じている。いつからこうしているのか、よくわからなかった。それでも、自分が高いところから落ちてきて、暫しの間気を失っていたことだけはわかる。天井は遥か遠くで、視認できない。が、かなり高いところまで登っていたことを思うと相当な距離を落下したのだろう。
何で生きてんだマジで……そう思いつつルカは幾度も瞬きをし、自分が確かに生命活動を行っていることを確かめる。それから指先を動かそうとして、あまりの激痛に体が一瞬跳ねた。

「いひゃぁあうッ!?」

なん、なに、いたい、何これ痛い。痛すぎてどこが痛いんだかわからない……が、そのうちに痛みの波がわずかに収まり始めると、痛みの発生源が左肩であることに気付いた。そこだけを庇うようにしてみれば、体を起こすことはあまり難しくない。

「いってぇこれ……これ肩どうなってんの……折れてる?まさか折れてるなんてそんなこと……いや外れてんな」

痛すぎて冷静になりながら、ルカは己のだらりと垂れた左腕を眺めた。正直もんどり打って叫びまわりたいくらいに痛いのだが、そんなことをすると悪化すると知っているし、痛みには慣れてきている。ありがとう散々私を傷つけてくれた人たち今度お礼参りするからね、と内心で悪態をつきながら右手をそっと左肩に寄せた。

「あぅぐっ……!」

えーい、と心の中でだけ陽気に掛け声を掛けて、肩を無理やり嵌める。いくらなんでも自力では無理かもと思ったのだが、やってみればなんとかなるもんである。神経をビッタンビッタン鞭で嬲られるような激痛が鼓動に合わせて全身を駆け巡っており、なんとかなってるとカウントしていいのだろうか迷ったが、病は気からというじゃあ精神系がアレな人はどうしたらいいんですかと言いたくなる言葉を思い出しなんとか耐えた。何が言いたいんだか自分でも分からないが、……というか暗い塔の最下層に一人きりなのに何をふざけてんだか……。

でもあれだよな、空元気なのが君の美点だねって昔先輩に褒められ……褒めらっ……いやそれは褒められてない……!?驚愕の新事実にわなわなと震えながらルカはゆっくり立ち上がる。前も同じことを考えた気がするけれど、何を見ても何をしても彼やジルやヤーグばかり思い返すのもそろそろやめなくては。そのたび己を抉る刃が心の内側に生えている。
痛みは辛いが、左手の指先を動かすと何とか動いた。右手の指先についたままのギアを操作し、ケアル・ギアを掛ける。ギア魔法は弱いので痛みを和らげる程度のことしかできないが、あとでヴァニラにケアルを掛けてもらえばなんとかなるはずだ。

とにかく、上に戻らなければ。階段に足を掛け、上層に昇る、向こうが探しに来るかはわからないが、ここで一人寝っ転がっているわけにはいかない。それだけヲルバに着くのが遅くなる。ヴァニラたちを故郷に戻してあげたいと先ほど思ったばっかりだし、と意気込んでみたはいいのだが。

「……道どっちやねん」

薄暗いし、全ての階が同じ作りのためどちらだかわからない。壁に沿うように設置されたいくつもの階段は、あのファルシテメーこの野郎によっていくつか封鎖されていたはずだ。もちろん最初そうしたように総当りしてみてもいいのだが、それだと時間が掛かる上体力を消耗する。平素ならば気にしないが、今は左肩の激痛が一歩ごとに全身を打つという有り様だ。できるならば、早く上にたどり着きたい。
ルカは荒い息で立ち尽くした。呼吸までも負担だった。どうしたものか……。

そう思った瞬間だった。ぶわ、と風が耳を打った。

「……ッ!」

反射的に振り返ろうとして、しかし肩の痛みによって不可能だった。そしてすぐに、それに感謝することになる。長く大きな石の太刀が、ルカの体を縦に切り裂く直前の肩口で止まっている。ゆっくり剣から逃れるように体ごと回り、振り返る。そこにはあの、巨像が立っていた。距離を取りながら、ルカは巨像を下からじっとりと睥睨した。

「……なに?私に、なんか用?」

「……………………エトロ…………」

それは唸り声だった。しかし途中、一言、一瞬だけ判別できる声が響いた。エトロ。それは確か、女神の名前ではなかったか。
巨像は剣を担ぎ上げると、ゆっくり目を壁に向ける。そしてしばし見つめた後で、またふっと掻き消えてしまった。

「……いや何なんですかぁ……この塔妙なこと多いな……不思議ちゃんの巣窟め」

先ほどの意味ありげな視線が気になる。巨像が見つめていた壁。階段の登り口。そこに近づいて目を凝らすも、暗すぎて何もわからない。右手の指先を押し当て、壁の模様を探ってみる。絵だったらさすがに触感じゃわかるまいと思ったが、……果たしてそれは文字であった。
しかもおそらく小さな小刀で無理矢理に削ったのだろう、深さがまちまちで削りが荒い。それに小さい。文字一つで、ルカの指の関節一つぶんほどしかなかった。

「上へ……?」

な、なんと親切な。ルカは驚いて目をぱちぱちと瞬かせた。
……というかそれなら最初っからこれに気づけば良かったなぁ……いやあの像がもっと早く教えてくれれば済んだのでは……つまりあの像のせいで自分たちは翻弄されていたのでは……ということは自分が落ちたのもあの像のせいなのでは……?と、ともすれば、

「肩が痛いのも私がこんなところにぼっちなのも人々の争いが終わらないのも人が死んでは生まれるのも全てあの像のせいなのでは……ッ」

という話になりそうなこじつけ合戦を脳内で繰り広げながら、ルカは案内にしたがって階段を昇る。あの像はどこまで高次の存在なのか。神か。神なのか。エトロって言ってたのはアレか、自己紹介か何かか。いや女神じゃないのかよ!もうわけわかんねぇよ!とルカ自身混乱し始めた自覚はあるのだが、いかんせん怪我しているということで許されたい。つーか許せ。

「いや、だから本当に私は誰と会話を……うう……」

痛い……すごい痛い……。こういうときジルかヤーグが居てくれたらなあと思う。ジルならばきっと適切な処置をしてくれたろうし、ヤーグならばさんざん躊躇った後おぶってくれるだろう。
ああ、あるいは先輩が居たら?……考える価値もないな、やめよう。ルカは楽しくない想像と共に浮かぶシドの顔を必死にかき消した。考えないようにしようと思ったばっかりだ。第一もう……会えない、のだし……。

涙は出なかった。シドとの別れの直後に目を覚ましたときも、下界に辿り着いた後も、そして今に至ってなお涙腺は刺激されない。
悲しくないのかと問われれば、当然悲しいに決まっている。泣きたくなるくらいに。しかし、それでも涙は出ないのだ。理由はわからなかった。
何もかもと決別したのに、だ。自分にはもう何もない。それなのになぜ涙が出ないのだろうと、ルカは目を細める。薄情なバカ女だから?……じゃあ、それでいいわ。それが理由なら、自分はこれ以上傷つかなくて済むとわかっていた。

思考はネガティブにどん詰まりだった。暗いし痛いし辛いし酷いし、しょうがないといえばしょうがない。何よりひとりぼっちというのがルカには大きい。今までずっと近くに居たルシたちが居ないことで、気を張る意味がないのだ。
小さなプライドはどんな状況でも順当に作用していた。彼らの前でみっともない醜態を晒すことは避けたかったのだ。なんというか、PSICOMの高官としてより、シドの第一の部下として。そしてジルとヤーグの、第一の友人として。ルシたちに一様に武器を向けた彼らと最も近しい者として、ルシの足手まといになりたくなかった。

「……こっちは行き止まり、か」

すぐ近くの階段の登り口で壁を触り文字を探ると、今度はそう書かれている。ならばと違う階段を目指す。そちらは“上へ”と書かれていた。正解らしい。

「急がなきゃ……」

ルシたちが己を置いていくとは思えない。しかし、よんどころない理由により引き離されることは十分にあり得る。今彼らと引き離されたら、ルカにはいよいよもってできることが何もなくなってしまうのだ。
ルシと共に居るのは、自分が今や完全に無力と化したことがわかっていたからだ。ルシたちに伝えた、「ジルとヤーグを守るため」という目的はもちろん真実で今や至尊。そのためには、彼らに怪しい虫か何かのようにくっついていく以外もう方法がない。バルトアンデルスという敵が居る以上、いつかはコクーンに戻る時が来るはずなのだ。ルシには時間が無いのだから、その時は決して遠くない。

肩の痛みは、刺すような激痛から鼓動に合わせた鈍痛に変化している。ふと、上階から何か、金属のぶつかり合うような音が聞こえてきた。誰かが交戦している……ライトたちがファルシと相対してるんだ……。ルカは痛む肩を庇いつつ、音のする方へ足を急がせた。







最上階にて、ルシたちはファルシ=ダハーカと向き合い武器を構えていた。共通認識として、急いでルカを救いに行かなければという思いがあった。それがどうしても焦りを産み、吹き出す汗が武器を滑らせる。
ファルシ=ダハーカは尾を切られ、かなり弱体化しているようだった。代わりといわんばかりに周囲の装置から何か、エネルギーを吸い上げて襲い掛かってくる。ルシたちはファルシ=アニマやバルトアンデルスといったファルシと既に相対しており、おそらくそれに比べれば決して強大な相手ではない。けれども焦りと、大きな羽がルシたちの攻撃を外れさせた。

「エアロ魔法を使いましょう!落とさないと……!」

「だが上手く当てられない!」

「囲え!そうすりゃ否が応でも当たるだろ!俺とファングで引きつけるから、その間に義姉さんとホープとヴァニラで囲いこむんだ!サッズ!エンハンスを絶やすな!」

「おうよ!」

サッズがプロテスやシェルを連続して掛けていく。その手は休むことなく仲間に向けられ、何度も何度も彼らの力を強化した。スノウとファングが飛び出して武器を振り回し囮になる。ファルシは簡単には誘われないが、それでもファルシの意識の片隅を占拠した。
そうしてファルシを囲うためにライトニングたちはゆっくりと三人、ファルシから距離を取る。ライトニングとヴァニラが手の中に作り出すのは雷と炎。そうして同時に叩きつけ、混乱を誘うのだ。
それはうまくいき、スノウとファングに意識を傾けていたファルシ=ダハーカは突然の死角からの攻撃に惑い、驚いて一瞬動きを止めた。そこにホープがエアロ魔法を放つ。飛び上がることもできなかったファルシ=ダハーカはそれにまんまと捕われ、風の中で目を回す。

「今だ!」

ファングが怒鳴り、走り出す。三叉槍を伸ばして跳ね、ファルシの喉元に真っ直ぐ突き立てた。蛇腹の隙間に突き刺さった穂先が深く抉る。ファルシは甲高い悲鳴を上げ、頭を振り回した。そのせいでファングもまた翻弄され、槍を手放し転ばされてしまう。ファルシは体躯に似合わぬ細い腕を伸ばし、槍を掴んで引きぬいた。それからじっとりと、立ち上がろうとするファングを睨めつける。

「ファング!!」

一番近くにいたスノウが、なんとかして彼女の腕を掴み引き寄せる。それまでファングのいた場所に、ファルシのルインが突き刺さる。それは一瞬で床を抉りとった。
ファルシは明らかに傷つき、動けなくなっている。けれども最後の抵抗が一番激しいのは当然なのだ。ファルシは怒りにかぶるぶると震え、次の狙いをホープに定めた。死に物狂いで引っ掻かんと爪を振り下ろす。ライトニングが寸でのところで駆け込み、ホープの手を取り避けさせる。ルシたちは明らかに翻弄されていた……最後の抵抗があまりにも激しすぎて近寄ることすらできないのだ。一体どうしたら……ファルシは羽を折ったらしく飛び上がれないながらも、ばたばたと全力で暴れている。体力がなくなるのを待つしか無い、それまで身を守って耐えるほかない……。
そう思った瞬間だった。

「どぅうらっしゃあぁあああい!!」

階段から飛び出した影が、鋭い音と奇妙な掛け声で剣をファルシの蛇腹に突き刺した。そこには先ほど、ファングの開けた穴があり、その人物は片手でそこをぎちぎちと押し広げていく。ファルシは悲鳴を上げ逃れようとするも、その攻撃が深すぎて抗えない。ファングの槍よりも身が長いので、内臓をきちんと抉るのだ。

「ルカ……!」

飛び出してきたその人物は、さきほど最下層まで落ちたはずの女だった。左腕を怪我したのか、庇うようにして剣を突き立てている。ファルシが思い切り強く身を震わせて彼女を突き飛ばす。ルカは剣から手を話し床を転げたが、ファルシはそれでもう体力を使い果たしたらしい。ぐったりと身を投げ出したかと思うと、ぴしりぴしり亀裂が走るように全身が割れ始め、そして最後には砕け散って粒子となった。空気に霧散し渦巻いて散っていく。ルシたちはファルシに打ち勝った。

「ルカ、大丈夫!?」

ヴァニラがルカに駆け寄り助け起こす。ルカはどこかが痛むらしく悲鳴を上げる。

「どうしたの、怪我をした?」

「肩が外れたので嵌めました……!いだだだっ……!」

「自分で嵌めたの!?そりゃ痛いはずだよ……自分で上手く出来るわけないじゃない。後でよく冷やしたほうがいいね」

ヴァニラは呆れた声を出したが、既に嵌っているものはもうどうしようもないとケアル魔法を掛ける。ルシの魔法は威力が高く、ルカは腕を動かせるようになったようだった。そうして自力で立ち上がり、彼女はルシたちに視線をやる。

「ほーら頂上まで来られたぞ。急いで郷に行かないとね。君たちの呪いを解く方法が、見つかるかもしれないんだから」

「ああ、……でもよくこの短時間で戻って来られたな。最下層まで落ちただろーに」

「落ちたんだけど、なんか壁に表示があったの。それで戻って来られたのよ」

「はあ?……あったとしても、コクーン文字じゃないだろうよ。読めるわけがねえ」

「……あ」

ルカはファングの言葉に驚いたように肩を跳ねさせた。コクーンの人間に下界の文字が読めないというのは、ルシたちもとうに知っていることだった。当惑してか黙りこくるルカに、スノウが苦笑して折れた塔の先端を指さした。

「まあいいじゃねーか、とりあえず急ごうぜ!ヲルバの郷はもうすぐそこなんだろ?」

「そうだね、急がないと……きゃあ!」

ヴァニラがふいに小さな悲鳴を上げた。彼女の視線の先にはあの厳しい巨像が立っていた。
巨像はまた、唸り声を出す。そして最後に、ルカにまた剣先を向けた。

「……エトロ!」

最後にそれだけ言って、また巨像はふっと消えてしまう。今まで何度もそうだったように。

「……え」

ぴしりとヴァニラは硬直し、ゆっくりとルカを見つめた。ファングもまた、困惑したように黙りこくっていた。あの唸り声に何か意味があったのか……?と仲間たちは訝しむが、ヴァニラは暫し躊躇った後、解説する。

「あの像たちは新しい敵を探しに行くって。下界を守ってるんだよ」

「それから、“エトロを隠せ”ってよ」

ヴァニラの言葉に付け足すようにファングが言った。

「何を思ってルカに言ったのかは知らねーけどな。お前気に入られるようなことしたか?あるいは嫌われるようなこと」

「何もしてないですよー……?でもさっき、下に降りた時も会って、なんか言われたよ?意味わかんなかったけど」

肩を竦めるルカはさっさと歩き出し、スノウの指さした方へ向かう。その先、塔の向こうにはヲルバ卿があるはずだった。
それを追いかけるように、ライトニングたちも郷へ向かって足を進める。

「ヲルバの郷ってどんなところなんですか?」

「えーっとねえ、緑が多いかな?いいところだよ、みんな気さくで明るくて」

「そうそう、海に面してるから飯も上手いしな」

「そりゃ楽しみだ。下界に来て以降、飯は惨憺たる有り様だかんな」

「おいおいサッズ、そりゃ誰への皮肉だ?ああ?」

コクーンと下界では好まれる味覚が違うこともあり、ルシたちはこと食卓事情となると鬼門なのである。だから、本当にまともな食に辿り着けるならそれは望ましい展開であった。
皆一様に期待に胸を躍らせた。ファングとヴァニラは懐かしい故郷に、ライトニングたちは新たな希望に。
けれど――。

「真っ白だ……」

「い、色が……ない……」

外に出た瞬間、彼らはあまりの光景に声を失った。
少しだけ先に見えるヲルバの郷は真白に染まり、完全に亡都と化していたのである。








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