裏返る感傷を振り解け







外界の空気の澄み渡り方がどこか懐かしさを孕んで心地いい。コクーンの人間でも下界の人間と感覚を同じくすることがあるんだなと疑問に思ったところファングによってまさにその通りの言葉で横槍を入れられたので、多分人間の原初の記憶が遺伝子に記憶されてうんたらかんたらなんだろう。よくわからん。
ファングが言うには、コクーンはやはり作り物で、数百年前に突然ファルシが地表を剥がしてついでに何人かの人間も拉致していったというから、やはりコクーンの人間も自分達とルーツは同じでつまり遺伝子うんぬんもそれほど的はずれな発想じゃない。たぶん。

ここに着いて、飛空艇を地面に打ち捨て、キャンプを張ってはや数日が経った。早く外界の探索に赴きたい気持ちはみんなにあったが、外界のことを何もわかっていない状態で歩き回れば最悪事故で死にかねないとファングが強く忠言した。せめて食べ物と水に慣れるまではというその言葉に従ったルシたちは、エリアを決めてその中の探索だけにとどめ、共同生活を送っていた。その間に色の鮮やかなものは花であれ実であれ気をつけろと教わり、危険な魔物の見分け方もファングは丁寧に説明してくれた。ヴァニラは羊から毛をもらい、それで布を作る方法も教えてくれた。

そして食べ物にあたることもなくなり、水で腹を下す人間も居なくなった頃。先ほどまでの話し合いで、明朝キャンプを出ると決まっていたから、ルカはファングが書いてくれた外界の地図を眺めていた。全員に同じ地図が渡り、緊急時の集合場所も丁寧に描かれたそれは、ファングの粗野な態度とは一見結びつかないほどよく書けている。これを持っている状態で迷うということはほとんどなかった。道の整備されたコクーンとは異なり、広大で目印すら時に頼れなくなる外界では強い方向感覚と距離感が必須だったが、この地図は的確にそれを助けてくれる。
ふと、テントの中でホープが寝返りを打った。あれほど大人びていても、寝姿は14歳の少年らしく可愛らしい。隣で姿勢よく眠っているヴァニラもまたとても幼く見えた。時折見せる真剣な眼差しが完全に緩んでいるからだろうか。
中央の焚き火に視線を戻して、手元の細い枝をそこに放り込んでから、火の周りに座したままの大人たちにさっと視線をやった。みんな少し疲れてはいるが、ルシだけあって体力は基本底なしらしい。宵の口とはいえ、誰も眠りたいとは言わなかった。

「なんか、外界に来たって気ぃしないねー……キャンプって感じ」

「キャンプ?ああ……演習の」

「ライトもやったことある?そりゃあるか、軍人だもんね。……私は士官学校の頃にあったんだけど、大変だったなあ」

爆発とか戦闘とか爆発とか。そう言って力なく笑うと、「夜間演習の話をしているんだよな?」とライトニングが怪訝そうな顔をする。そういえば自分が体験したのは夜間ではなかったな、と思い横に軽く首を振った。まあほどほどに暗くて、夜間みたいなもんだったけど。ルカは思い返すときりきり痛む胸の傷に蓋をした。思い出というものは、思い出すときの心次第でくるくる色を変えて掴みどころがない。扱いに困ることもあるのだ。
ふと、斜め前に座るファングがにやにやと自分を眺めているのに気がついた。あれは悪いことを企んでいる顔だぞ、と思う間もなくニタァと口は開かれる。

「おうおうスノウ、うちらルカには聞きたいことがあったんじゃなかったっけかぁ?」

「ん?……え、なんだっけ」

「ああてめーはバカだったな。いいわお前は。私から聞くぞー、ルカお前、レインズとの馴れ初め話せよう」

「大人が5人も集まって恋バナとか世も末だなおい」

突然の質問に皮肉で返すが、ああそういえば確かに世は末っぽいんだった。はははと苦笑いして躱そうとするも、ライトニングがじっと自分を覗きこんでいるのにも気づく。いやそんなばかな、ライトだぞ、いかにもこんなことくだらないと切って捨てそうなライトだぞ。

「……あのーライトさん……?」

「レインズにもお前の秘密政策にも振り回されたしな。ここらでお前がいつ言われても赤面するようなネタを仕込んでおけるとありがたい」

「やめて真面目に考えないで、その発想はおかしい」

っていうかちょっと待ってそういう話は子供も居るんですから。そう思ってホープくんに目をやるが、ああガチ寝ですわこれは……。完全に起きる兆しも見えない。
……ん?ルカはふと思い当たってファングを見つめてみた。

「もしかして二人が寝るまで待ってた……とか……」

「だぁーってよお、大人の男女の話聞き出すのにホープとヴァニラが起きてちゃやりにくいじゃんかよう」

「確信犯かよ!汚い大人だな!」

というかなぜそこまでしてそんなことを知りたがるんだと頭を抱えたが、見ればスノウとサッズまでもがにやにやしていた。いい大人が何をと呆れ返るも、ここでルシ4人に詰め寄られるというのも避けたかった。
何よりあまり、語りたい思い出がない。シドとの間のことは全部二人だけの秘密だったから、人に話すことを考えて纏めてみたことがないからかもしれない。まあでも、ある意味シドとの間にあったことをあけっぴろげに語れる相手などそうそう居ないのだ。そしてその数少ない人間が今ここに居るルシたちであろう。
ならちょっとくらい、話してみるのも悪くない……のか?躊躇いながらも、ルカはひとつ制限を課すことにした。

「じゃあスノウくんがセラちゃんについて惚気けて、ライトがキレて一発殴ったら一回質問を受け付けようではないか」

「鬼か!!?」

スノウがぐわあと目を剥く。さてそれなら酒でもないとやってらんねえな、とルカはファングと連れ立ってすぐそばのショップ端末に向かった。酒の肴にしてやろう。
どうやらこのショップ端末もコクーンから落ちてきたものらしいのだが、強い力に自動的に抗う機能のあるそれは壊れることもなく地上でふわふわと浮かんでいたのである。これを発見したときは正直ルカは感動した。ただしそれはご都合主義にでも奇跡にでもなく、ファルシの予想以上の手の回し様にであるが。重いものなので持ち運ぶのは難しいだろうが、きっとファルシのことだから各地に用意してくれてるんだろう。
そこで自分のIDを使い酒を欲しいだけ購入してファングと分け合いキャンプに戻る。どういうわけかスノウにはすでに殴られたあとがあった。

「ほら質問しろスノウ。じゃないともう一発殴るぞ」

「あっいや私その惚気け聞いてないから、それノーカンね。もう一回なんか惚気けて」

「お前ホント鬼か!!」

悲鳴をあげてからスノウはライトニングをこわごわと見遣り、少しばかり怯えたような顔で「えーと」と口を開く。

「前に泊まりで遊びに行ったとき、レブロの適当な怪談話にすごくびくびくしてたのが可愛かっ、」

「……きっさまあああああ!」

最後まで言わせることなくライトニングの飛び蹴りが炸裂した。理由は言わずもがなである。

「泊まり!?泊まりだと!!聞いてないぞそんな話はきさまあああセラを汚したなきさまああああ!」

「いや違うってみんなでわいわい夜通し騒いでただけで何もしてな、あっやめて義姉さん蹴らないで脛蹴らないでくれ!」

「どう思いますーファングさん、年頃の男女がわいわい夜通し騒いでただけなんですって」

「キモいなー、事実だとしてキモいし正直そんなん嘘に決まってんだろーと思うわー」

「きっさまあああああ!!」

「ん?でも今のは私の青春時代の否定にもなる気がするなあ、ヤーグとジルに後で謝らなければいかんかね?」

見かねたファングがライトニングを取り押さえるまでスノウは開放されず、殴る蹴るの暴行を受けてぼろぼろになったスノウはまるで一気に年を取ったみたいに変わり果てていた。「ほら……馴れ初め教えろよ……」と呟いた声があまりに悲愴で笑う。

「でも今のは最初飛び蹴りだったし、一発殴ったらって話だったじゃん?ライトが我を忘れるような話じゃなー」

「お前鬼過ぎるだろ!!?話す気ないなさては!!?」

「はははほんの冗談ですよやだなーやめろこっち来んな詰め寄んな、背丈が似すぎてトラウマが蘇るんだよ……。えーとなんだっけ、馴れ初め?付き合いだしたきっかけってことでいいんですかね?」

馴れ初めかー。……馴れ初め、ねえ。
意外と難しいな最初っから。剣を取り出してボトルの口を撥ねながら思案するも、適切な表現が見つからない。……いや、待てよ。

「そもそも馴れ初めてない……?」

「は?」

「んんー……付き合い始めたのはね、私が一番先輩の役に立てるから……かな」

それは惚気話の延長にしてはあまりに無骨でそぐわない発想だったので、自分でも口に出した瞬間少し驚いた。驚いたのだけれどもしかし考えれば考えるほど、それは的確な表現にも思えた。
もちろんその考えをルシたちが理解できたはずもなく、ファングとスノウが反応に困って眉根を下げたしライトニングも片眉を上げてみせた。サッズは最近の若いやつらの考えることはわからんと言いたげな顔をしたが、思えばルカやシドたちはルシ一味世代とサッズ世代の丁度真ん中に位置しているわけで、もしかしたら己は両方から理解を受けないのかもしれないな。……いや、多分ジルもヤーグも理解してくれんだろうな。世代関係ないわ。

「私は記憶喪失だったって言ったでしょう。本能的に、コクーンは変なところだって思ってたんだよねえ。そういう観点ってコクーンに生まれて育ったら簡単には持てないものなんだとよ、先輩曰く。そこと、武術の成績を買われたわけ」

「……惚気て欲しいって話だったと思うんですけどォ……」

ファングが後ろの岩に身体を預け、ブーイングを飛ばしてくる。そうは言われても事実なのだから仕方が無い。

「あと私には野心がなかった。そして先輩に成り代わる意思も能力もない。ただしある程度には有能で、放っておいても多少は出世もしてくれる」

ただ、自分にはなにか知らない秘密か何かがあるようで、そのせいで“多少”なんてレベルじゃなく出世してしまったわけだけれども。大佐というのは明らかに行き過ぎだ。この戦いのために配置された駒だと己を認識していたのはきっと大正解で、何がしかのハプニングを経てルカが異跡に落ち、ルシたちと合流させるのは一つの目的だったはずである。そしてそのためにルカを大佐にして、ジルやヤーグとの不和を煽った。功績もなく出世をしていくルカは、傍から見ればあからさまにシドが引っ張りあげているように見えるのだ。
先輩はそんなことしないんだけどね、とルカは溜息を吐いた。それでルカがPSICOM内で爪弾きにされているんじゃ世話ない。それにシド・レインズは准将だ。つまり、上級大佐ということで、将軍扱いではあれど公的には大佐と地位が変わらない。それなのにルカを大佐にしてどうするっていうんだ。ということにさえ最近まで気付いていなかったわけなのだけれども。そして、誰も気付いていなかったようなのだけれども。

「リンドブルムで騎兵隊に会って、気が付かなかった?あそこはね、リグディみたいな“バカ”が多いんだよ。野心なんて欠片もなく、主君を持つことに喜びを感じちゃうバカがね。リグディはあれで冷静だしいざとなれば先輩も見限れるような男だけど、でも同時にそれこそ取り返しがつかなくなるまで躊躇い続ける愚直さもある。人が好いから。そして先輩はそういうのばっかり集めるのが、異様なぐらい上手い」

じゃなきゃ先輩のルシ化に気付いてもよかっただろうものを。リグディは他人の機微には敏いくせに、一旦身内と思った相手にはあまり気を配らない。わりかしモテるくせに女をよく逃がしているのは明らかにこの気質だ。釣った魚に餌やんないからなーアイツ。ルカはいろいろと思い返し苦笑した。

「……せ、政略結婚?」

「それや」

サッズが恐る恐る言葉に出したので、ずびしと指をさしてやる。政略のために、人生のある部分を犠牲にするという意味では、まさしくその通りだ。

「先輩は私に政治上の義務を強要した。やらなきゃいけないことはたくさんあった。PSICOM本部に盗聴器をばら撒いたり、情報を漏らしたり……先輩の言いたいことをPSICOM内での声として代弁したりね」

「ホープの父親と話していたこともその範疇か?」

「おお、よく覚えてたね。まあ、でも……さすがにちょっと、私はやり過ぎだったんだろうねえ」

「やり過ぎ?」

「上申されるのがまるきり先輩の意図なら、それにジルとヤーグが気づかないはずがない。そしてそれがどういう意味を持つか、私は考えなかった。考えないようにしてた……だから、二人は私を切り捨てようとしたんだと思うよ」

一瞬、沈黙が下りた。聞くべきじゃないことに首を突っ込んでしまったか、とライトニングは顔を歪めるような仕草をして、それからぱっと顔を元に戻した。ヤーグ同様、顔に感情が出ない性質ながら出てしまうとそれがより顕著だ。そして、そういう癖やちょっとした動きで相手を謀ることをしないのも、どこかヤーグに似ている。ヤーグはここまで好戦的じゃないけれど。
しかし、ライトニングはもういっそ吹っ切れたらしい。ルカがそれほど気にしたふうでもないので、この機会に聞きたいことを聞いておくことにしたようだった。

「ずっと、仲の良い友人だと言っていたな」

「今でも言うよー。もう、前と同じには戻らないかもしれないけど」

それでもいいと言えるほどには強がれない。そんな自分に少しうんざりしながらルカはへらりと笑った。今でも仲がいいと思っているのは本当だった。だって憎まれているだけなら、ヤーグともジルともあんなふうにはならなかった。ジルはもっと確実に自分を殺したはずだし、ヤーグだってエストハイム邸の前の斬り合いで躊躇うことはなかったはず。少なくとも憎まれてはいない。むしろそれなりにまだ大切にされていて、けれども私を邪魔だと判断したのだろう。

「……ルシじゃないっていうのも、思えばレインズがお前をリンドブルムから出さなかった時に気付くべきだった」

「いやーそれはどうかね。私がルシだったとして、先輩はもっとしっかり私を閉じ込めたと思うよ。今よりもっと強い私が前線に出るだなんて、尚更先輩にとっては厭だったでしょーし……。最悪、リンドブルムで殺されてたかもね」

「お前さあ……お前さ、仮にも恋人なんだろ?レインズが自分を殺しただろう、なんてよく言えるな」

「言えるさ。事実だもの。じゃなきゃ私はあの人に十年も付き合ってないよ」

ファングの辟易としたような声に、ルカは目を細めた。そうだ……だから十年、一緒に居た。先輩はずっと理想しか見てなかった。ルカのことも、他の人のことも。その理想のためになら、あの男は悲しんだとしても確実に自分を殺せる。だから、ずっと一緒に居られたのだ。

「ええと……ああ、俺言葉選ぶの苦手だから率直に聞くけどさ、×きじゃなかったってことか?でも仲は悪そうに見えなかったけど……」

「あの人は鬼で悪魔で鬼なんだよそして鬼なんだ……。学生時代はレポート一つとっても提出前に検閲されたわ!鬼だったわ!」

「へえー夜のご生活も?」

「ぶふぅっ」

ファングが嘲笑うような顔で揶揄し、ルカは酒を吹き出した。丁度口元に酒缶の飲み口があったせいで、咥内の酒が中に逆流した。てめえこのやろう、と恨みの篭った視線を向けるも、ルカがいかに睥睨しようとまるで堪えた様子がなかった。

「あのねえ……そういうことをね、聞く場ってもんが……」

「若い奴は寝てて、ここには他に誰もいなくて、全員酒が入ってる。これ以上どんな条件が必要だよ」

「いや、あの、……ええー……」

どん、と小突かれて地味に痛い。手の中の酒缶の中で、酒が勢い良く揺れた。馴れ初めなんてものを聞かれる以上に難しい。

「大体さあ、あの人年中空の上に居たわけでだなぁ……一緒に暮らしたのも一、二年だったしさぁ……」

「そうだったな。騎兵隊の司令官ともなれば、艇を降りられるのも年に数度がせいぜいだったろう」

「ライトの言う通りだよ。ほとんど降りてこないくせにある日突然帰ってきて、もうてんやわんやですよ」

戻ってくるとなれば、仕事を早く片付けて家に戻り彼を待たなければならない。自分が居なくても、地上で休むのに何ら問題は無いという点が明らかになるのが望ましくないからである。というか、それは流石に悔しい。

「……ともかく、普通の恋人じゃなかったのは事実かもね。×したし、×された。だけど私とあの人は、理想で繋がってた。ジルやヤーグとは違う……でもそれって、見てるだけじゃわからないでしょう。私と先輩がただの恋人じゃないこと、あの二人は勘付いてはいてもよくわかってなかった。だからこんな方法に出たんだよ。明確に先輩と同じ立場に立つ敵じゃなく、でも二人の絶対の味方でもなく……一番わかりにくくて、だから一番“うざったい”。私をまず消そうとしたのは、多分そういうことだね」

「何でそこまでわかってて……レインズと付き合ってたんだ」

スノウくんのそれは呆れたような口ぶりだった。疑問というより、呆れたような。

「肋骨折られたからです」

「……はぁっ?」

「理由なんて無いよ。必要ない」

理由なんぞ無くとも一緒にいたかったんだから、それでいい。
さて、とルカは両手を叩き、二本目の酒缶のプルタブを引いた。そしてこじ開けて一口喉に流し込み、スノウを見やる。

「他に質問が無いならここまででーす、私は酒が飲みたいでーす」

「レインズの話が面白くないんならアレだアレ、ホープん家の前でさ、お前を庇った……あいつともなんかあるだろ」

「ええー……ヤーグの話……?いやおかしいでしょ、ヤーグはただの友人でしてよ」

「いや嘘だ、絶対嘘だ、なんかあったはずだ女の勘ってやつがそう言ってる、だよなライト!」

「知るか」

「とにかくほらさっさと惚気ろスノウ。惚気ないと私が殴る」

ファングがそう言って凄み、スノウくんに迫る。スノウはライトニングをあからさまに警戒しつつ口を開いた。

「えーっと、あー……がんばりやでときどき夜通し勉強してたりして、心配だけどそういうところがかわい、」

「何でそんなことを知ってる貴様ぁぁぁぁ!!」

「夜電話したからです義姉さんんんん!違うって泊まってない、うぐふぅッ」

綺麗なアッパーが無理のない体勢で叩きこまれ、やはりスノウが一瞬浮き上がるのをルカは穏やかな微笑みと共に見守っていた。なんでだろう、スノウくんが虐げられているところを見るとすごく溜飲が下がるというか嬉しいというか「お前鬼か!?」背丈がなあ、似てるからなあ。

「じゃあ質問な、あのー……なんだっけ、ヤーグ?となんかなかったのか!」

「ないよ」

「ええー……それじゃ俺殴られ損……」

「だってさあ、ヤーグですよ?あいつは良い奴だし好きだけどさあ、何か起きちゃだめでしょー。浮気相手にできる相手じゃないよ。私あいつのこと好きだもん……あ、でも……」

ふと一つ思い出したことがあった。
けれどもすぐにそれを振り払う。あれはもうずっと前のことだし、結果として何も起きていない。ヤーグは何ら変わらなかったし、自分も何も変わらなかった。今、気にするべきことじゃない。
しかしファングはその一瞬の間を見逃さなかった。突然、隣に居た彼女はルカに圧しかかってきた。

「なんだよなんだよ話せよう!」

「重ってぇぇぇ……!離してってちょっと、」

「いやこの上は面白い話の一つも聞けなきゃ引き下がれねえなあ!」

「酔ってますね!?酔ってますねファング姐さん!?」

見ればファングは缶を三つ開けていた。そのうちにオレンジ色のものを見つけてルカはやっちまったことに気がついた。あれを呑んで翌朝記憶が飛んでいたことが何度かある。ファングにも酒を適当に選ばせたのが災いした。缶の酒の中では、あれは度数が飛び抜けて高い。
そしてそのうえ、雰囲気酔いもあるだろう。耳元の酒気から解放されるために、ルカは仕方なしに口を開いた。自分の目が泳いでいるのがわかって、ああ何でこんなこと言わなきゃならないんだろう。

「……結構前のことだけど、うちで、飲んでて。ジルと三人で……んで全員酔いつぶれて寝て、夜中目を覚ましたら……上に、ヤーグが乗ってたことがあった」

「ぶふっ」

サッズが飲んでた酒を吹き出した。隣のスノウが慌ててタオルを差し出している。先ほどのルカとは比べ物にならない吹き出し方だ。
ライトもこちらをじっと見つめ、様子を窺っているようだった。圧しかかるのをやめたファングはしかし大変楽しそうにルカをにやにやと見つめ、やめろうざい。

「ロッシュ中佐は良い奴だぞ……!」

「サッズより私のが知ってるよそんなこと。君の子供と遊んであげてたのはジルの命令だと思うけど、でも優しさからだよー。……だからヤーグも酔ってたんだと思う。目が据わってて……正直、色っぽい話にはならないと思うよ。そういう感じじゃなかった。なんか、追い詰められた殺人犯みたいな顔してたし」

「殺人犯て……んで?ルカはどうしたんだよ、それを」

「ダメって言った。殺されかねない空気だったし……殺されちゃ困る」

思い出す。暗い部屋だった。
自分はひどく酔って、頭が痛くて、視界もほとんどぼやけて……目を覚ましたとき、真上にヤーグが居て少しだけ驚いた。ジルが近くに居るはずで、窓から差し込むファルシ=フェニックスの細く白い光だけがうっすらと差し込む。呼吸が微かに乱れたヤーグの目だけが妙にしっかり認識できたのを覚えてる。圧しかかるという形ではなく、重さはとくに感じなかった。ただすぐそこにヤーグが居て、かさついた体温の高い指がルカの輪郭をなぞった。ゆっくりと指は上下し、自分を混乱させた。けれど自分は、知らぬ間に「ダメだよ」と言っていた。
ダメだよ。それ以上こっちに来ちゃダメだよ。私のことをこれ以上、知っちゃダメだよ……。何でそんなことを言ったのか今でもよくわからない。殺すなよと言いたかったのだと、無理やり自分を納得させている。

「ただそれだけ。先輩よりずっと長い時間を一緒に過ごしたし、先輩より私の趣味嗜好なんかは知ってると思うけど……でも、そんだけよ。ジルとおんなじ、何も起こっちゃいない」

「殴られた以外?」

「あー忘れてた……そう、後ろから殴られた以外何も起きてないよ」

ライトの皮肉をさらりと躱した。その中身にすらショックを覚えなくなってきている自分が悲しい。
されど、これで話はおしまい。そう言って両手を叩くと、ファングは唇を尖らせた。

「でも絶対なんかあるだろー……」

「なんもねっつの。これ以上はあいつの名誉に関わるので禁止ー」

ルカは缶を捨てるために立ち上がった。ファングのゴミも受け取り、一人で少し離れたショップ端末にまた歩いて行く。ゴミ箱を開いて缶を突っ込み、キャンプに戻る途中でコクーンを見上げた。夜は白く輝く丸い地平。
あの小さなものの中に、ルカの宝物は全部詰まっている。宝箱が壊れても、中の宝物は変わらない。

「…………」

先輩……先輩……。
ヤーグのことをジルのことを思い返すたび、彼の涼やかな目が一緒に思い出されるのだ。いつだって自分のこころを知っていた。ルカのことをなんだってわかっていて、いつも大切にしてくれていた。
×されていないと思うことがあった。それは感じる度胸に深く落ちて疼き、私を悲しみに震えさせた。でもその苦しさが、なぜか今は思い出せない。少しでも彼を心憎く思えればきっと楽なのだけれど……無理だった。憎しみは×情の裏返しだというなら、私は彼を×してなどいなかった。必死に否定するけれど、もしかしたらと芽吹く疑念。
それを長所と呼んでくれる先輩は本当に、ひどい人だった。誰かを想い、喪って、憎んでそしていつか忘れる。それはとても強いことだ。それなら一人で生きていけるんでしょ。私にはそれすらできないんだよ、わかってたでしょう。

焦ってはいなかった。けれども彼の理想の行方を不安に思い胸が詰まる。ルシたちのキャンプを見つめた。焚く火が道標のように私を導いてくれている。それに従って、ここまで来た。今の私は一人で、孤独である。あのとき、彼らと共にコクーンを出たことをすでに少し後悔していた。けれどもすぐに思い返す――あのままあそこに居ようと、自分は孤独に死んだだろう。孤独に生きるか、孤独に死ぬか。突然投げ出された下界では、全てが己の選択次第だった。

「せんぱい」

大丈夫。止まらないよ。
明日、自分たちはまた旅立つ。あの地平を守るために。大切なものを、守るために。
どこまでも自分本位な己のさがを嗤ってやろう。それでも足を止めるわけにはいかないのだから。







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