だから今、さよならを。







コクーンをクリスタルの柱が包み込んで支えていくのを、ただ見ていた。市民のほとんどを下界に運び終えた頃だった。
彼女がそう言ったように、平原は見晴らしがよく市民を守ることも難しくない。シドは騎兵隊とPSICOMに指示を飛ばしながら、ルシたちの無事を内心で祈った。彼らが生きて戻ってくるように……最も苦しんで、人間のために戦い抜いた者たちだけに未来が無いなんて、そんなのは理不尽すぎる。

「閣下!コクーンの麓でルシたちを発見したと、報告が!生きてるようです」

「そうか……すぐ迎えをやれ。市民の目には触れないようにな、彼らに危険の無いように」

そんなことはわかっているという顔でリグディが頷き、数名の兵士に声を掛ける。兵士たちは飛空艇をいくつか動かして、コクーンの下へ向かっていった。シドはそれを待つだけだ。
何だ、戻ってきたではないか。今生の別れとでも言いたげな顔で去って。どうからかって笑ってやろうか?
ふと、シドは気がついた。ロッシュとナバートが見当たらない。騎兵隊に混ざって、というわけではないが、彼女に頼まれたからとPSICOMを動かして市民の護送に協力していた二人が。消えるなんて、何故……。
聖府の欺瞞がバレて市民に攻撃された?否、早すぎる。この混乱の中では、まだ誰に責任を取らせるかなんて発想は生まれているはずがない。それがどうして、消えた?彼女が戻ってきた時に、あの二人が見当たらなければ八つ当たりされるのは己なのだが……。シドはため息をついた。

「……おい、そんなわけねぇだろ!もっとよく確認しろ、ルシたちにもちゃんと話を聞け!!」

「リグディ?」

突然無線相手に怒鳴り散らし始めたリグディに多少の驚きをいだきつつ目をやると、彼は酷い顔をしていた。不安と恐怖と困惑と、とにかく負の感情が入り乱れた顔。
付き合いの長いシドだけれど、リグディがこんな顔をしたのを見たのは初めてだった。悪寒が走る。

「……か、閣下……その、……まだ確証もなんもない報告なんですけど、」

あいつだけ……あいつだけがコクーンから戻ってないそうなんです。ルシたちによれば、あいつだけコクーンに残ったと。一緒に来ようとしなかったって。

一瞬だけひどい頭痛がした。脳が膨張したような感覚。……それは、つまり……彼女は自ら戻らないことを選んだ……?

「ファングとヴァニラがクリスタルになってコクーンを支えてるって。それから……ファロン軍曹は亡くなったそうです。……閣下?」

「……ああ。聞いている」

シドは、混乱のさなか、互いの無事を喜び合う市民たちの群れを見た。彼女が戻らない……、その理由に自分が無関係だと思えるほど、シドは脳天気ではなかった。
そして、ここでただ立ち止まっていられるほど大人しい人間でもない。

「飛空艇を出せリグディ。コクーンに向かう」

「はぁっ!?いや、え、……今ですか!?」

「当たり前だろう」

「いや何言ってんだアンタ!?無理に決まってる!まだ安全確認なんか始まってもいないし、モンスターがうろうろしてるはずだし、市民放置でそんなことしてる場合かよ!?第一誰を向かわせるつもりですか、死ににいかせるようなもんじゃ……!」

「それなら問題ない、私が行く」

「問題しかねえよ!?」

……ふむ。
シドは暫し悩んだ後で、リグディの脳天に握り拳を振り下ろした。

「ぐふぅっ!な、何、」

「上官相手に言葉の乱れが激しすぎるので文字通り鉄拳制裁だ」

相当痛かったらしく蹲ったリグディのことはもう放っておく。
代わりにリグディを眺めてニヤニヤしていた少佐に命令することにした。この男は有能だが、リグディを敵視するきらいがある点だけは問題である。が今は役に立つ。

「少佐。市民たちだが、囲い込んで決して外に出すな。食糧確保等々はリンドブルムのものを解放するように。が、すぐ尽きてしまうだろうから、コクーンに適宜艇を飛ばし、物資の確保もしなければならない。そのための先遣隊は私が指揮する。市民を頼んだ」

「はっ。畏まりました」

なんせリグディより命令には従順だ。リグディを振り返ると、まだ痛むのか頭をさすりつつシドの後ろを着いてきていた。説得は不可能とようやく思い知ったらしい。

「……俺が操縦します。他のやつには任せらんねぇ。でも誰かルシを呼んできたほうがいいでしょうね、案内役は必要だ」

そう言って無線を操作しだすリグディはやはり、有能は有能である。
コクーンを見上げる。外からだと小さく見えるあの球の中に、シドの大切なものがある。急く気持ちを抑えつつ、シドは歩き出した。










「はぁッ、はッ……!」

友人が息を切らすのを背中で聞いて、そういえばこいつがここまで疲労した様子なのは初めてじゃないかなどとどうでもいいことを考えた。それでも速度は緩めないが。
岩場に手を掛けて登り、そのまま振り返ってヤーグは彼女に手を伸ばした。彼女は何のためらいも無く当然のようにそれを取る。何も言わない彼女を引き上げると、やはり私も無言のまま前に向き戻り走り続けた。
あれから丸一日こんな調子で、おそらく体力は既に限界を突破しているだろうに。何も言わないのは意地か何かかと、冷静に彼女を分析する。官僚になっても鍛錬を欠かさなかった己でさえも、既にきついと言うのに。

コクーンを支える柱が伸び、そしてルシたちが戻る前に、ヤーグたちは逃げだすことにした。ルシへの誤解が解ければ、PSICOMの人間は一転追われる身になるだろうことは想像に難くないからだ。先手を打つつもりで、彼らはすぐに逃げ出した。動乱のときの民衆ほど恐ろしいものはない。ルシ狩りを心から望む声をずっと眺めてきたからこそ、彼らが次に望む首が自分たちのものである可能性にすぐに思い至ったのだ。
そしてそれを、受け入れるわけにはいかなかった。絶対に。惨めに逃走を謀ってでも。

自分たちは、死ぬわけにはいかなかったのだ。
あいつが望んだから。あいつが、私たちに生きろと言ったから。だから、だから私たちは生き延びて、あいつが戻ってくるのを待つ。


気がついたら、雨が降っていた。
冷たい雫が大地と自分たちを濡らして冷やし、雨は次第に本降りになる。
根っからの軍人らしい思考で雨に体力を奪われることを危惧した彼らは、少しだけ道ならぬ道を戻り薄暗い洞穴へ身を潜めることにした。もちろん雨は臭いを消し、モンスターとの遭遇率を下げることはわかっていたが、そんなのは大したメリットでもない。

「良かったな、雨宿りできて」

「……ええ」

ジルは少し重いため息を吐き出す。やはり相当疲労しているらしい。
洞穴の奥を見やるが、特に生き物の気配はなく、少し進んだだけで終わりが見える本当に小さな洞穴だった。これは思ったよりも、隠れるのには適した場所のようだ。
今日はここで休んで明日また移動しよう、とジルに伝えようと思い、ヤーグは振り返る、と。

「……何よ」

「お前……人の目をだな……」

「人なんて居ないじゃない」

彼女は平然と上着その他もろもろを脱ぎ、上半身のみだが下着姿になっていた。どうやら水を吸った服を絞ろうとしての行動らしい。
それにしたってジルといいあいつといい己の周りには危機感の薄い人間が多くないか。それとも自分が男、いや人間としてカウントされていないのか。悲しいがおそらく後者だと思いつつも、それなら自分は何なのだろうと考える。あいつとの関係性は何だったのだろう、と。

友人だった、はずだ。十年も一緒に生きてきたのだ。気恥ずかしいがかけがえのない、友人だったはずだ。……だがそれにも、自信がなくなってずいぶん経つ。ヤーグは自嘲した。


あれはいつだったか。……確か自分たちがまだ、ほぼ同じ速度で昇進していた頃。遅ればせながらのあいつの少佐就任を祝って、あいつの家で三人で飲んだときだ。
ワイン、ビール、缶チューハイはともかくとして、あいつがシェイカーを取り出し片っ端から混ぜ始めた辺りから一旦記憶が飛んでいる。
途中でジルが客間で寝ると言って離脱して、ヤーグもソファでそのまま落ちて、それでもあいつは飲み続け、0300を回った頃。あいつはソファで眠り込んでいて、自分はなぜか突然目が覚めて……そして。

「ん……」

まだ薄暗かった。夜中だった。あれだけ飲んだにしては、やけに頭がはっきりしているなと思いながら身を起こした。
すると、すぐそばの、もう一つのソファではあいつが掻き消えそうな寝息と一緒に眠っていた。

無防備な寝顔だった。
目蓋はしっかり閉じられていた。
睫が薄明かりの中でも影を落とす横顔。
綺麗だと思った。たぶん、こいつを綺麗だと心から評したのは、片手で数えるほどしかない。そのうちの一回。数少ない、チャンス。

だからつい手を伸ばした。何も考えていなかった。無意識だったと言っても差し支えないほどに。
頬に触れると少し温かく滑らかで、つい指先が滑る。知らないうちにヤーグは立ち上がり、彼女の足元に座り、まるで押し倒したかのような体勢になっていた。

「(一度だけ……)」

一度だけ。一度くらい。ヤーグは反芻した。
鍛錬で掴むとか、剣をぶつけ合うとかそういうんじゃなくて、一度くらい……“そういう風に”触れてみたかった。何をしたかったのではない。彼女を犯したいとか、そんなこと思いつく余裕もなかった。ただ触れたかった。一度もできなかったやり方で、彼女に触れてみたかった。

その一心で手が再度、意図を持って頬に触れる。だが、その瞬間に、彼女の瞳は開かれた。一瞬、吸い込まれるかと思った。

「……ヤーグ」

「あ……これ、は、」

誤魔化さないと。とっさにそう考えた。寝起きのとろんとした目がまっすぐこちらを見上げる。
徐々に覚醒しつつあるその目に、だめだ誤魔化しようがないだろうこれはと思い直す。ああもういっそ言ってしまおうか。十年の月日、ここに在り続けた想い全部。

「これは……これは……」

抱える言葉を、吐き出してしまおうか。逡巡を抱えながら、それでも必死に言葉を繋ぐ。そして、意図をある程度固め、あいつに告げようとした瞬間だった。

「駄目」

「……は?」

「“駄目”だよヤーグ。“駄目”」

あいつの桜色の唇がそう、囁くように言った。頭を後ろから殴られたような心地がして……それでようやくヤーグは思い至ったのだ。
あいつはずっと気付いていた。もともと馬鹿な女じゃない。十年にもかけて薄めようと友情らしきもので覆おうと、結局中味には気付いていた。そう、気付いていてずっと、“気付いていること”を決して悟らせず、こうしてヤーグが口を開くことも許さない。友情以上の何かを持ち出すことをヤーグはここで禁じられた。

あの時も、外ではいつの間にか雨が降っていた。鋭い雷鳴が空を裂いて、それでもあいつは、ふっと苦く微笑んで……。



「……っと、ちょっとヤーグ?どうしたのよ?」

「あ?ああ……いや、何でもない」

気がつけば、服を絞り終え着直したジルがこちらを覗きこんでいた。それなりの間、己は呆けていたらしい。
やっとヤーグが返答したことで、ジルは怪訝そうな眼を隠すこともなく軽く悪態をついた。なにやらさっきから機嫌が悪い気がする。あいつと違ってこいつの機微に敏くないので、なんとなくしかわからないが。

「っああ、全くもう……!」

「何だ、どうしたんだ?」

「この髪よ!!」

ジルが不快だという表情を隠すことなく髪を引っ張った。
平素ならば見事なブロンドだったはずだが、雨と汗と風にぐちゃぐちゃにされ、見る影もなくなっている。

「ひどい絡まり方だわ……解けるかしら」

「……なんで、そんなに長く伸ばしているんだ?」

「えっ?」

ジルが驚いた表情でこちらを見る。聞かれると思っていなかったらしい。

「昔は、もう少し短かっただろう?邪魔だろうに、なぜ伸ばし続けているのかと思ってな」

「そ……れは……」

いつもなら一切の躊躇いもなく毒を吐く彼女には珍しく言いよどみ、視線を彷徨わせた。言いたくない事情でもあるのか。ならば無理強いなどするつもりはないのだけれど。

「あの子が……」

「ん?」

「だから、あの子が。……伸ばしたほうがいいと思うって、言ったから……」

「……それは…………」

お前それは。常々思ってはいたが、どこまであいつのことが好きなんだお前は。
そう言うつもりはなかったのだけれど、どうやら表情に出てしまっていたらしい。彼女は一気に顔を真っ赤にすると、いつものヒステリーを起こして怒り始めた。

「丁度伸ばしてもいいかなって思ってたからよ!それだけが理由なわけじゃないんだから!別に、別にこんなの、いつだって切れるのよ!?そうよ髪なんていつだって切れるから、しばらく伸ばしておこうと思っただけじゃない!それに、あんただってその髪は願掛けみたいなもんでしょうが!」

「……ああ、そうだな」

ヤーグが諦めたように肯定すると、ジルのヒスは一気に収まって、自分もまたヤーグの痛いところを突いたらしいと悟って黙り込む。
その様子に、ヤーグはつい噴出してしまった。全く、揃いも揃って我々は。

「どれだけあいつが、世界の中心だったんだろうな……」

「十年間ずっと。……認めたくないけれど、救いだったわね」

わかっている。自分たちの欠点など。
ジルは他人に気を許さないし、いざ許してもヒステリーを起こして関係を結べない人間だ。あいつはそんなところまで彼女を認めた。
ヤーグは他人に優柔不断で判断力がなく、蓋を開ければ甘えに満ちていると我ながら思う。あいつはその甘えまで笑って包んだ。

それに、あの男だって。
結局全ては理想論でひたすらあいつを振り回し、あいつがPSICOM内で嘲笑の的となることを傍観し、そこまでして広げた大風呂敷の理想だって最後の最後で諦めかけた。
あいつは、その理想の果てにすら、許しを置いて去っていった。あいつの存在は自分たちだけでなく、あの男にとっても救いだったはずだった。

いつだって自分たちは彼女に許されていた。最後に会った彼女は、謝る己にそう言った。ヤーグのことなら全部許してるよ。ジルのことも、先輩のことも――……。

「……もう、いいわ」

「ん?」

「もういいの。コレ。もういいわ」

ジルは髪を一束に握り締めていたのだが、突然にそんなことを言ったかと思うと、腰のバックルに差し込んでいたナイフを取り出し、首の後ろに宛がった。
……っておいおいちょっと待て!ヤーグは慌てて手を伸ばす。

「ま、待てジル早まるな!」

「何よ。別に死のうとしてんじゃないわよ」

「いやそれは確かにそうだが、ちょっと待て。そんな適当に切ったら絶対後悔するぞ、整えられる人間がいるわけでもないのに」

「そんなこともうどうだっていいわ。……こんな独りよがりだから、だからあの子を追い詰めようとしたのよ私。それなのにこんなもの、後生大事にぶら下げてらんないわよもう!」

「わかったわかったわかったから、一過性の考えでそれはやめろ!」

なんとかナイフを取り上げてようやく、ジルは静かになる。ナイフを握るヤーグの手をじっと見つめた彼女は、「じゃあ」と口を開いた。

「あんたが切ってちょうだい。はい」

彼女はそう言い放ってこちらに背中を向ける。一瞬何を言われたのかわからず硬直するが、すぐ我に帰る。

「本気か!?」

「私はいついかなるときだって本気でしょうよ。……別に、いまさら多少不恰好になったって気にしないわ」

だから、早く。今これを断ち切れるのは、あんたしか居ないんだから。

彼女のその言葉に、一瞬ヤーグは目を見開いた。まったくその通りだ。十年来の苦しみも悲しみも憎しみも、そして共に生きた喜びも知らない人間に、この髪は断ち切れない。この想いには触れることさえできない。

ヤーグは、ジルの首の後ろで彼女の髪を掴み、その上にナイフを首側からあてがい……丁寧にされどすばやく、刃を手前に引いた。
ザシュ、という空を切る音と共に、ジルの髪が見たこともないくらいに短く舞った。切れ味の鋭いナイフはきちんと一度でほぼ全ての髪を切り落としたらしい。肩上でざんばらになってしまった髪の不恰好さに、ジルは毛先を弄くって苦笑した。
それから、幾分すっきりした様子で振り返る。

「どうよ。私だって、決別くらいするのよ」

「……ああ、そうだな」

彼女のまっすぐな笑顔は久しぶりな気がして苦笑する。なんともうらやましくなる、そんな表情だったから。
たぶんその感情は顔に出ていて、ナイフを彼女に返すと同時に彼女はじっとヤーグの顔を見つめた。

「……あんたもなのね」

「……何がだ」

「あんたも、切りたいのね」

見透かしたような目で彼女は言った。
肯定するつもりなどなく、でも否定できるはずもなく。
結局、数拍躊躇ったのちに、自分も彼女に背を向けた。自分でやるよりは、彼女のほうが髪を切るのは上手かろうと。
また似たような音で、自分の髪も断ち切られる。なるほど確かに決別だ――学生時代から、変わらなかったのは自分たちだったのだ。


再度洞穴の外を見やる。その視線の遠く先には、クリスタルの柱に包まれた、かつて守ろうとしたコクーンがあった。ペン先ほどの大きさもなく、なんなのかわかっていなければ灰色の雨の中にそれを見つけることもできなかっただろう。
数瞬の沈黙の後、ジルが「くだらない話をしても、いいかしら」と口を開く。それに「ああ」と返すと、彼女は少しだけ振り返った。

「もしも……もしも今回の件を……たとえば、あの子の視点から……そうね、小説にでもしてみたら。私たちは、どういう風に描かれているのかしらね……」

「それは……」

彼女が前置いた通り、本当にくだらない話だった。オブラートに包めば、たわいのない、とも形容できる類の。たとえばの嫌いなジルの言葉とは思えない。
でも、それもこの際気にしないとして、この話を進めるとするならば。少し考えてみることにした。……そうだな、あいつは直情的だから。

「私に殴られたところから話は始まるのか?」

「もしくは目覚めたところからね。異跡の中で、たった一人で」

「きっと私たちに少し悪態をついて、すぐに動き出すんだろうな。准将の命令に従うためにも、パージは止めたかっただろうし」

「シ骸なんてものともせずに走り回って、ルシ一味と合流して……その後、一旦別れたようだったから、旅は最初、一人きりだったのね」

「私が自己満足に利用したハイペリオンを持って、パルムポルムまでやってきたんだったな」

「それで、ホープ・エストハイムの家に一時避難したんだったわね。あの時は第二次パージで忙しくて、私はそれどころじゃなかったけれど」

「そうしてルシを捕えに行って……ああそうだ、スノウ・ヴィリアースという青年と話をしたんだ。そしたら突然、あいつが出てきて」

「映像は見ていたわ。ふざけきっていたわね、いつも通りに……。そして、あんたと戦う展開になった」

「ああ。……何百と続いた試合の終わりかと思うには、私にも決意がなかった。あいつにも、あそこで決着をつける気なんてなかったんだろうな」

「それはそうね。まあ……ヤーグが撃たれたあとの反応は演技じゃなかったでしょうから、あの展開はあの子も予想してなかったでしょう。あれはあの男の独断専行だと思うわ」

「……そう信じたいよ」

零れた笑みは、思ったよりもずっと苦かった。
それを見て、ジルはふんと鼻を鳴らす。

「その後、私に電話がきたわ。私たちが翻弄されるさまを見て、向こうで嘲笑っていたのかしらね」

「いや、流石にそこまで性格歪んでないだろう。お前との約束をあえて破るなんて、あいつにもそれなりに決意が要っただろうさ。……とにかく嘘の情報を流して、潜入を有利にして……」

「……そして、私を庇ったのよ」

ジルの表情にすっと、深い憂いが差す。ヤーグはそのとき、直前のエストハイム邸襲撃の際の怪我で集中治療室を出たばかりだったため、詳しいことは知らない。
けれど、あいつが。身を挺してジルを庇ったということだけ、聞いている。

「思えば、せめてあそこで止まっておけば良かったわねー……あれは抉られたわ、心臓。あの子が私の上に覆いかぶさって、震えてるのよ?私の代わりに魔法を受けて」

「……それは」

「それで、言うに事欠いて“逃げろ”ですって。糾弾することも説明することも釈明をすることもなく、私の心配をしたのよあの子は。……人をばかにして」

怒りを孕んだ声音なのに、泣きそうな顔をしていた。あわや泣くかと、ヤーグは思う。泣かれたら困る。自分がそういうときに気の利いた言葉が出てくる類の人間じゃないことはもう知っているからだ。
けれど、ジルは泣かなかった。……あいつも、こいつも、ヤーグの周りに居る女はみんな強い女ばっかりだ。人前で泣かない、どころじゃない。ヤーグの前でさえ泣いたことがない。泣いても何も解決しないと、いつもヤーグより先に気づいている。どんな失敗をしても、すぐに取り戻す方法を全力で考え決行する。そういうときは、大抵ヤーグは彼女たちの行動力にただ舌を巻いているだけになるのだ。

「その直後に、私はエデンから飛空艇を飛ばしたんだったな」

「ああ、プラウド・クラッドね。ストーカーよろしく瀕死のくせにあの子を追い回して、でも逃げられたのよね?」

「言い方なんとかならないか?」

「ならない」

本当にお前はいい性格してる。ヤーグは短く悪態をついた。

「突然逃げられたんだ。あれはきっとファルシのしわざだったんだろうな」

「ナメくさってるわよねファルシ共。今度会ったら一センチ四方に刻んでやるわ」

「お、おお……。まあともかく、その後はしばらく音沙汰なくなったな。代わりにあの男が聖府代表になったが」

「ああっムカつく!!あいつルシだったって聞いたわよリグディに!」

「はあ!?なん、何だそれは!知らないぞ!?」

「私だって詳しくは知らないわよ。でもなんか、あの子が……魔法だかなんだかでルシの呪いを解いてやったらしいわ。今はただの人間なんだそうよ」

「……何だそれ、可能なのか」

「さあ?レインズなんてどうでもいいわ」

「……お前はそういうやつだよ…………」

そろそろ少しくらい打ち解けてくれないものか。あいつはのらりくらりとかわしていたが、もう十年も経つのに出会った頃と二人の間柄は何も変わらない気がする。
と、ジルが上着のポケットから金のエンブレムを取り出した。

「……あの子、私にこれを渡してきたわ」

「襟章?」

「捨てておいてくれですって。……無理に決まってるのにね。すぐ戻るって言ってたのよ。それならこんな、形見分けみたいなことしないでほしいわ」

「ああ……私と、お前と、レインズさえ生きてれば戻ってくると言っていた」

「でも嫌な予感がするのよね……」

ジルはため息をつき、襟章を握りしめた。

「……自分のことを忘れろ、って言ってたの。忘れてねって。そのせいで……嫌な予感が消えないのよ……」

「考えすぎじゃないか?戻ってくると言ったんだ。あいつは約束は守る。私たちに嘘は吐かない」

「私には吐いた」

「それは自業自得で、おいやめろ爪で刺すのはやめろおい」

遠く、長雨の向こうに霞むコクーンを見る。あんなに必死に戦ったのに、コクーンを救ったのは結局ルシとあいつだった。兵士たちは市民のために武器を取ったのに、今となっては逆賊である。本当に、道理が通らない。きっとこれから、そういう風潮に市民はまた翻弄されるのだろう。あの男は嬉々としてそれを扇動するに違いない。PSICOMという存在は、今となっては邪魔である。下界で不安なく市民が生きていくには、PSICOMの言葉は全て嘘だと、そういうふうにしてしまうしかもう道がない。

考えても詮無きことだとわかっている。もう休もうと提案し、ヤーグは洞穴の壁に背を預けた。でこぼことして背中は痛むが、地面もどっこいなので仕方がない。それに全身を疲労が包んでいる。ジルも反対側の壁に身体を委ね、俯いて休息を始めた。そのうちに泥のような眠気が忍び寄り、数分のうちには眠りに落ちていた。
身体が重い。








「……まあ、理由は聞かなくとも予測がつくがね、何も言わずに消えるというのはあまりに礼を失していると思わないのか君たちは」

「そんなことあんたに言われたくないわね」

「とうとう敬語の体も辞めたな……いいだろう、もう後輩としてではなく逃亡者として扱おうじゃないか」

ヤーグは知った声を聞いて目を覚ました。既にかなり陽が昇った後のようだ。
洞穴の外からこちらを覗きこむのは知った男。後ろにはヤーグ自身よく知る補佐官を伴っている。白いコートを今日は纏っていない。どうでもいいが。
……って、何故居る。

「准将……何を、」

「もう准将でもない。聖府は解体が決定したからな。つまり君たちも中佐じゃない」

「そんなことはどうでもいいわよ。あの子は?居ないの?」

ジルが、シド・レインズにそう問うたときだった。ぴしりと、空気が硬直したのを感じた。レインズは明らかに言葉に詰まり、後ろに居たリグディもまた黙りこくり視線を地面に投げかけている。
嫌な予感がするのよ。ジルは昨日、そう言っていた。でもそんなはずはない。だってヤーグもジルも、シド・レインズも生きている。
戻ってくると言っていた。
……本当に?

「ルカに……君たちを頼まれた。迎えに来たんだ、乗りなさい。君たちのことは、守るから」

「……あいつは、准将のことは信用できないから自分の身は自分で守れと言っていました」

「まあ……否定はしない」

「は、話を逸らさないで……あの子は?……ルカはどこよ!?」

「……ルカが居たなら、君たちを迎えになど来なかったよ」

そう忌々しげに、シド・レインズは呟いた。その声音と、後ろで暗い顔のまま黙りこんでいるリグディの姿。嫌な予感どころではなかった。嫌な予感どころではない。

「……彼女が最後に言い置いた言葉くらい叶えてやる。来なさい。ルカのために君たちを守る。……言っておくが拒否権などない。君たちの望みなど知ったことではない」

抵抗など、できるはずもなかった。しようとも思わなかった。
ルカは最後に嘘を吐いた。最後?あれが最後だったのか?戻ってくると言ったではないか。なぜ戻らない。生きているのに。レインズもジルも、私も生きているのに?

(「じゃあこうしよっか」)

嘘を吐いたのか?

(「ジルと、ヤーグと、先輩が生きてない世界なら、私帰ってこないから。みんながいてくれない世界ではもう生きたくない。……どうだ、責任重大でしょ?」)

“生きていないなら戻ってこない”と、言っていた。


……でも、“生きているなら戻ってくる”とは、言っていない……?


夜の内に雨はやみ、水のにおいが空気を満たしている。コクーンは昨日よりはっきりと見え、クリスタルの柱が光を吸収しているのが遠目にも見えた。
コクーンは保たれ、世界は守られた。市民は多くが助かったし、自分もジルも生きている。

それなのに、ルカが居ない。理解できなくて、理解したくなくて、ヤーグは頭を振った。胸が塞いで息が詰まる。

自己愛の呼吸を続けるために、私はルカの手を離した。
これでやっと息ができるのだと、あの時の私は信じきっていたのだ。







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