手をとって繋いだ







「…………う……」

全身を激痛が襲った。何より不味かったのは、下から衝撃を受けたこと。おかげで宙に舞い上がり、ろくに受け身も取れず転がってしまったのだ。

「ルカ!逃げろ!!」

ライトニングがそう叫んだのが聞こえた。けれど、全身が痺れて動けやしない。目の前には玉座、血まみれの男……バルトアンデルスが死んだ。ハイペリオンはファルシによく効くのだ……混ぜ込まれた金属に、ファルシが処理できないものがいくつか含まれている。コクーンという、隔離された土壌だからこそ生成された素材。それは記憶を取り戻さなければ知らなかったはずの知識で、過去の私は知らずに配合した。先輩に勝つために創った剣だと思っていた。でも同時に、ファルシを滅ぼすための一振りだったのだ。

やった……。次はオーファンだ。早く回復して、立ち向かわ な くて   は、

「うぷっ!?」

身体を横たえていた床が一瞬で、形状を変えた。まるで液体のように。私はそこへ沈み込む。
かと思ったら直後、強い力が私の胴を掴み宙に押し上げた。それが巨大な手だと気付いたのは、手の主がその湖面から姿を現してからだった。
その化け物は知らないやつだった。でも身を焦がすみたいな、強すぎる魔力の気配でわかる。ファルシの臭いだった。

「オーファン……!?」

『待っていたよ待っていたんだよお前たちをずっとずっと長い間!!』

甲高い、女性のような声でオーファンが歌うように言った。その声はジルのものに似ていた気がして酷い吐き気に襲われる――お前ごときが似ていていい相手じゃねんだよ!と理不尽かもしれない怒りを胸の内に抱いた。
その次の瞬間、凄まじい激痛が全身を襲う。

「っづぁあああぁああ!!?」

私を掴み上げる手の、指先が……足にめり込む。次の瞬間にはぽいと、投げ捨てられて宙を舞った。そして数瞬後、地面に叩きつけられる。味わったこともないような激痛が身を焼いていた。
残数少ないケアル・ギアを発動させ、なんとか全身に魔法を掛けた。じんわりと痛みが引いていくのを感じる。ゆっくりと身体を起こすと、ルシたちの背中が数メートル先に見え、ルシの先に投げられたのだということを理解した。
オーファン。あれが……オーファン。形も大きさも違う三つの顔のうち二つだけがこちらを向いている。三つの顔全てで目がぎょろぎょろと不規則に動き、薄気味悪さは今まで見たファルシの中でも群を抜いていた。

『滅亡だけが救いをもたらし、絶望だけが奇跡を起こす……ルシはラグナロクとなり、殺し壊す糧となる』

ルシたちはオーファンに敵意を抱きながらも、どうすればいいか当惑しているようだった。禍々しい気配がじりじりと伝わってくる反面で、オーファンには隙が見えない。
本当に、こんなやつに勝てるのだろうか?……しかし、女神の予言においてコクーンは落ちると決められている。それならルシたちがきっとオーファンを倒すはず。

そう思ったときだった。私をさっきまで掴み上げていた手が素早く空を切り、ルシたちを打つ。ヴァニラとファング以外が吹き飛ばされ、私の近くに転がった。

『ふふふ……そう、だからラグナロクとなれ!コクーンを壊して神を!神を呼び戻せ!!』

ファングたち以外は明らかに意識がない。オーファンはヴァニラを掴み上げた。宙に吊り上げられたヴァニラが必死に暴れているけれど、さっき掴まれた私だからこそわかる。あれには抗えない。
私が歯噛みした、その瞬間。魔力が一瞬膨れ上がり、ヴァニラを打った。

「きゃぁぁあああ!!」

悲鳴が耳に突き刺さる。止めなければ、止めなければヴァニラが……ラグナロクにされる!
私は動こうとした。でも足が動かない。両足が折れている……ケアル・ギアでは治せなかったようだった。

「ヴァニラ……!」

と、視界の端でファングが身体を起こした。そして直ぐ様、ファイガを放つ。

「ヴァニラに手を出すんじゃねえ!!……私が代わる」

ヴァニラはダメだ嫌だと嫌がったが、オーファンは躊躇いもせずヴァニラを床に落とすと代わりにファングを掴んだ。止めたい……止めたいけど、やはり動けない。どうしたら……。そう思う横で、ライトニングが目を覚ました。そしてほとんど同時に、他のルシたちもうめき声を上げて身を起こす。ファングが宙吊りにされていることに気づくと、彼女たちは一も二もなく駆け出した。ただ、ファングを救い出すために。
それなのに、オーファンの魔法が彼らを包むのが、私には見えた。

『裁きだ!』

それはそれは愉しげな声だった。オーファンはルシたちが望んだようにファングを解放して床に落としたけれど、止めようとしたライトニングたちをファングは振り切った。ろくに防御も出来なかった、傷だらけのルシたちは、その瞬間オーファンの魔法に無防備に曝される。バチリと、電線が切れるみたいな音がした。
そして。

シ骸が、四体。
ライトニングがスノウくんがサッズがホープくんが、……シ骸?

「いやぁぁああぁあああ!!」

ヴァニラの悲鳴が劈いた。……そんな、そんなことって。シ骸だなんて。どうして、シ骸になんて。
限界だった?ああそうだ、だって烙印はもうみんな十二段階。だからファングはあんなに焦っていたんじゃないか。自分がラグナロクになって、コクーンを破壊してでもヴァニラを救うために……。

ファングはわなわなと震えながらシ骸を見つめる。ファングにとっての唯一はヴァニラだけれど、でも、それは他のみんながどうでもいいって意味じゃないはずだった。

「これが……私の背負う罪かよ……!」

「みんな!目を覚まして!!」

足が折れていた。少しでも動こうとする度、足から全身に激痛が走り意識が飛びそうになる気がする。でもこんな光景を前に、ただ打ちひしがれていることはできなかった。
激痛にくらくらしながら、必死に前へ這った。シ骸は私なんかには目もくれない。私にできることは何もないから、ファルシにとってはもうどうでもいいんだろう。ルシたちをここへ誘うためだけにここに来たのだから……もう役目は終わっている。
でも、私はファルシの駒なんかじゃない。これまでは操られていたけれど……もう違う。

「女神……エトロ……!」

無理だとわかっていた。ルシの呪いを解くのとはわけが違う。シ骸を元に戻すなんてできるはずがない。ルシという概念が生まれて以降、一度だってそんな奇跡は起きていない。
だけど私は乞う。必死に乞う。奇跡を乞う。最後の、奇跡を。
無理だと……わかっていた。
でもエトロの祈る以外、私には何もできないの。

ファングの烙印が、白く焼け焦げて進行しないはずだった烙印が、黒々と染まっていくのが見えた。正常化して……そして光を放ち始める。そしてファングに強い光が降り注いだかと思うと、そこに居たのはもうファングではなかった。神獣、災厄の獣……それはラグナロクだった。

『滅亡だけが救いをもたらし、絶望だけが奇跡を起こす。なぁ?……新しきクリスタルの、神話が始まる……』

眼の奥が熱く燃えた気がした。ラグナロクは飛び上がり、オーファンを攻撃する。爪で裂いて、ルインを放つ。でもオーファンはわずかに身を捩っただけで、すぐにそれを振り払ってしまう。吹き飛ばされたラグナロクは、床に転がってファングに戻る。それをまた、オーファンは手を伸ばして宙に吊り上げた。

『失敗か。……何度でも繰り返せ』

オーファンは口の端を歪めると、ちらと視線を地に臥したままのヴァニラに向ける。三つの目がぎょろりと、同時に動いた。それは明らかに、ヴァニラも標的に入れたという意味。ヴァニラとファングを交互に傷つけて、二人ともラグナロクにするつもりなんだ……。そう察したのは私だけではなく、ファングは吊られたまま唸り声を上げた。

「ヴァニラ……逃げろ……!」

「……嫌!」

ファングの懇願めいた声に、ヴァニラは驚くほど鋭い声で拒否をした。

「だって、もう逃げないって誓ったんだ!逃げるぐらいなら、立ち向かうんだ!!」

ヴァニラは、ずっと逃げ続けてきたという。異跡から逃げ、ルシの使命から逃げ、ドッジくんをルシにしてしまったことからも逃げ。ファングに真実を告げることからも逃げた。そう言っていた。
でもそのヴァニラが、コクーンを救うことを最初に決めた。私は覚えてる。スノウくんの荒唐無稽な考えを、一度も否定しなかったのは彼女だけだった。

そのとき、瞳が開くのを私は確かに見た。

魔力の奔流がオーファン目掛けてどこからともなく降り注ぎ、ファングは高い場所から不意に解放される。床に向かって落ちた彼女を、スノウくんがすんでのところで抱きとめた。

「絶望が奇跡を起こす……ねえ」

サッズが呆れたように苦く笑う。

「認めてどうするんですか」

ホープくんは優しくファングの肩を叩く。

「また一人で、背負おうとして。お前は」

内容と裏腹にライトニングの声は穏やかで。

「すまねえ。一人で頑張らせて」

スノウくんが静かに詫び、ファングをそっと床に下ろす。
私は目の前の奇跡にただ目を瞠る。有り得ないことだった……一度だって有り得なかったことだった。女神の力?でも……でも、祈っといて勝手だけれど、それって本当に可能なことなの……?

「みんな、どうやって……」

驚いて目をぱちぱちさせてヴァニラが問うと、ホープが微笑みを返した。

「冷たい闇の中、ここに来るまでのことをずっと思い返していたんです。そしたら……」

「その先が見えてきたんだ。そこでは、セラも……姉さんも。みんなも一緒に笑ってたんだ」

「……新しいヴィジョンってか。こっちは死にそうなのに、気楽なもんだぜ」

ファングは悪態をついたけれど、顔は安堵と後悔に満ちていた。結局ラグナロクになってしまった。失敗したけれど、あれは危うかった。
と、動けずにいる私に、緑色の光が降り注ぐ。顔を上げると、目の前にはホープが。彼が膝をつき、私の足にケアル魔法を掛ける。その穏やかで濃い緑の光はもう見慣れたもの。
彼は口角を上げて、にっと笑った。

「ルカさんも、そこにいましたよ。幸せそうでした」

「……ごめんね。全部、ずっと最初から嘘だった。覚えてなかったけど、私は君たちと同じ場所に立っていい人間じゃなかったんだ」

「そんなことないさ。お前はずっと最初っから、大事なものを守ることしか考えてねぇ。そのために必死に駆けずり回った。それだけでお前は、もう俺達と何も変わらない」

「ああ。ルシじゃないぶん、奇跡にも近いかもな?」

スノウの言葉にライトニングが笑って賛同した。そしてライトニングが手を差し出して、それを握って私は立ち上がる。足は、なんだか変な感じはするものの、きちんと治っているようだった。ルシってやっぱりすごいなぁ……。私は落ちていたハイペリオンを拾い上げた。

顔を上げる。オーファンは無表情で、私たちを睥睨していた。

「ここからハッピーエンドなんて、超一級の奇跡よね」

「奇跡はうちらの得意技だろ?」

『……できるものか』

私とファングの軽口に苛立って、オーファンの声が一段低くなる。そこに、ライトニングが一歩前へ踏み出した。

「ああ、お前にはできないさ」

『なんだと?』

「最初っから破壊だけを願って、それしか救いはないって決めつけてる。疑うことも信じることもしないで、繭にこもってすべてを呪い、滅びを待って……お前は死んで逃げたいだけだ」

ライトニングの剣が、ブレイズエッジが、銃口を真っ直ぐオーファンに向ける。その光に眩んで目を細めるオーファンは、私たちのことさえよく見えていないのだろうと思った。見えていれば気付いたはずだ。必死に足掻く、ただそれだけで……地べたを這いずりまわる小さな逃亡者から、救世の英雄にだってなれてしまうんだって。奇跡は起こる。女神は、私を通して世界を視ている。頭のなかをがりがりと削られるような感覚に苦笑した。さあ、もう少しだけ頑張って。

「お望み通りに一人で逃げろ。でも私達は違うんだ。世界に希望がないのなら、見つけ出すまで一緒に探す。救いのない繭だって、守って、みんなで生きていく!それが、私達の――人間の使命だ!!」

凄まじい轟音が耳だけでなく肌をも打った。それがオーファンの絶叫であると、気づくのに少し時間がかかった――もはや声ではなかったから。
それは怒りだった。リンゼファルシ――可哀想な子。アニマと同じ。どうしようもなく哀れな子。私はついつい苦笑した。君を楽にしてあげよう……私が楽になるために。

「……んもうライトニング!精神病患者に現実突きつけるなんて一番やっちゃだめなことなんだぞー?」

「悪いが医療には詳しくないんでね。我が家の教育方針は、“クソガキは殴れ”なんだよ」

「俺クソガキかよ!?」

「ああー、確かにスノウはクソガキですよねーばかだし」

「ホープぅ、言うようになったじゃねーか。さてはライトの悪影響だなぁ?」

「いやいやファングのせいかもよ?」

「そりゃちげえねえなあ!」

これから世界最悪の、最強のファルシと戦うというのに、なんと緊張感のない……でも幸せだった。
もう他は全部どうだっていい。今、彼らの隣に立っていること。同じ心で立ち向かえること。ただそれだけを、私は何より誇りに思うよ。

ヴァニラとファングが、ほとんど同時にオーファンにジャミング魔法を放ち始める。オーファンは不快そうに一番大きな顔を顰めたが、かといって自分に掛けられた魔法を消し去ることはできないのだろう。
代わり、と言わんばかりに。
魔法ではなかった。少なくとも、ルシに扱えるものではない。おどろおどろしい、黒い魔力が、オーファンの大きな手の中で一つの球を形作った。かと思うと破裂して霧散し、雨となって私たちに降り注ぐ。雨だから防げない。そしてその雨を受けた瞬間、激痛が全身を焼いた。

「っぐぅぅううう……!」

「これは……!バイオ魔法……!?」

心臓が早鐘を打ち、凄まじい吐き気が胃を収縮させる。ただの怪我とは違う、内側から破壊される感覚は耐えようがない。バイオ、つまり毒魔法。使ったことはあるし対人格闘訓練で耐える訓練だって受けてきた、でもこれはあまりに規格外だ……!
と、ホープくんが己も苦しみながらもエスナ魔法を振りまいた。その瞬間、すっと冷えるみたいに痛みが引いていくのが分かってほっと息を吐く。

「大丈夫です。僕が回復します!」

「私も回復に回るよ!ファング、ライト、ルカ、あいつを黙らせちゃえ!」

「防御は俺が引き受ける!」

一番前に一歩で進み出たスノウくんの白いコートがはためいた。あの時――逃亡が始まったばかりの頃ビルジ湖でも思ったけれど、やっぱり少し似ている気がする。私は場にそぐわないくらい優しい気持ちで微笑んだ。
懐古したそれは二度と訪れない。微かな痛みを覚える反面、最高の結末だとやっぱり思う。

スノウくんは魔法を駆使し、オーファンの注意を引き付ける。私はライトと目で会話して、二手に別れた。中央から突っ込むのはファングに任せ、私たちは両側から迫る。

「サッズ!!」

「あいよ!」

ライトニングの声に応えたサッズの魔法が私たちを包み、ブレイブ魔法によって剣が軽くなるのを感じる。自分で掛けるのとはやはり違う……こうでなくちゃな、と思ってまた笑った。
タイミングは、合わせなくても勝手に重なる。

掛け声さえ重なって、同時にオーファンの脇腹に剣先が突きこまれる。同時に引き金を引けば、爆発音にオーファンの悲鳴が被さった。続け様、私は剣を上向きにして切り上げる。こちらを向いたオーファンの、紫色をした一番醜悪な顔を裂く。と、大きな目が潰れて嫌な音がした。
効いている。見ればファングが穂先をオーファンの中央の顔の眉間に突き刺していた。おおお、容赦ねえ……。
ファングがそのまま横に一回転し、両目を切り裂くのを横目に見つつ、さーてまだまだ攻撃は止まないぞ、と意気込み直した時だった。

ぶつん、と。
耳の奥で嫌な音がした。正確には、耳の奥なんかではない……目の前のオーファンの腕の筋がひとつ、ちぎれた音だった。不可能なところまで持ち上げられた片腕、その拳は強く強く握られ……。

『心無い裁きに身を焦がせぇぇええぇえぇえッ!!』

声は反響し、もはや一人のものではなかった。低い低い声と、子供の声と、女性の声が混ざっている。背筋が悪寒にブルリと震えた。
そして。








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