世界の真ん中に、私と君でふたりだけ。





「我らの生の最後の三十ページぐらいにさしかかりましたね!」

「これが物語であるなら、確かに」

私は静かに、口角を上げたままで背後のバルトアンデルスに問うた。バルトアンデルスが了解するなら、全てを明らかにするくらいの時間は与えられていると考えていいだろう。
今こそ語りたい。そして、彼らに聞いてほしい。本当なら関わりあいになるはずのなかった人たち。未来を切り開く女神の寵児。彼らに、全てを知ってほしい。女神のことも、私のことも、世界のことも何もかもを。
じゃなきゃ可哀想だと思うから。可×想、とも言うだろうか?

「君たちが知るべき、されど知らされない話を教えてあげる」

まずは何を話そうか。……やっぱりエトロについてだろう。

「女神について君たちがどの程度理解しているかはわからないのだけど……女神エトロというのはね、死を司る女なの。そしてパルス神とリンゼ神はエトロを探してる。だからこの二柱はファルシを作り、女神を探させる。パルス神のファルシは地面を掘り返してエトロを探し、リンゼ神のファルシは人の心の内を引き裂いてエトロを探す。バルトアンデルスはリンゼファルシね。卑屈っぽいのはリンゼのせい」

「……ルカ、お前」

明らかにバルトアンデルスと同じ側に立つ私に、ファングがわなわなと唇を震わせる。だめだよ、まだ舞台は終わらない。

「ファング。大丈夫だから、とりあえず聞いてて。……そんで、バルトアンデルスが目論んでいたのはつまりその、女神を見つけることなんだけど。女神は死の世界……不可視世界ってところで絶賛引きこもりしてっからさぁ。で、ファルシはその不可視世界に入れないんだわ。エトロの恩恵の無い存在は、不可視の門をくぐれないの」

だからバルトアンデルスはこんなに周りくどい手段を取った。

「ファルシが、不可視世界に潜む女神を見つける方法はひとつ。門を大きく開かせること。この門は、人が死んだときその魂を取り込むために微かに開く……だから、多くの人間を一度に殺せば、門はそのときだけは大きく開くの。バルトアンデルスの狙いはそれだった」

「そんなことはどうでもいい!お前は……ルカは、なにもんなんだよ……?」

「……いや結構皆さん予想ついてると思いますよ?あからさまだったもん全部。大体、ファルシとあんなに接触しまくってルシになんないって辺りからもう予測つくでしょうよ」

「そんな、まさか……」

ホープくんが足元を少しだけふらつかせて、前に進み出た。

「ルカさんも、ファルシだって言うんじゃ……」

「そうそうファルシ、ってんなわけねーだろ!え、待ってやめてお願いこいつらと一緒にしないでちょっと傷つく、人間です人間です!」

まるでわかってもらえてなかった。これが人望か、人徳なのか……。精神にクリティカルヒットした痛みに泣きそうになりながら、私はうなだれる。

「いや……ただの人間、というには確かに語弊があるのかも。私は女神側の人間だから。私は女神の瞳。エトロが世界を視るための一種のファクター。そのために不可視の門をくぐれない……。エトロが隠れ続けるために、ひたすら生きることになる。エトロの門をくぐれない存在にとって、時間は概念としてしか意味を持たない」

「ファルシが老衰で眠ることがないようにな。出会った時から、お前は何も変わらぬ」

「あんたはお祖父ちゃんになったよね」

そう言って嘲笑うと、バルトアンデルスは不興そうに口の端を歪めた。だってどんな姿でも取れるのにあえてそんな形にならなくってもいいじゃない。二十代のイケメンでもいいじゃない。誰も面白くないし見栄えもしないわボケが。

「エトロの瞳には、二種類ある。生命を削る者と、一時的に眠る者。適性によってそれは分かれるんだけどまぁそれはいいとして、……私は眠るんだ。私にある、眠る前の最後の記憶は、コクーンができてしばらくたった頃。およそ六百年前。黙示戦争の記憶」

あの時私は、ファルシ=アニマのすぐ傍にいた。彼のすぐ裏に立って、ルシを生み出しコクーンを落とすように指示を出していた。
覚えている。あれは、バルトアンデルスと己のとある共通項が理由だった。

「私は、バルトアンデルスと共謀した」

エトロを引きずり出すためだった。コクーンも人間もどうでもよかった。ただの瞳でしかない自分が呪わしくて、道具として扱われることに嫌気がさしたからだった。
そのために、エトロに出会うことを使命として本能に刷り込まれているバルトアンデルスに協力したのだ。けれど、黙示戦争の時は“足りなかった”。殺した数が、ではない。門を開くために必要なだけの人間が、世界に存在しなかった。
だから次のチャンスを探した。

「私が協力して目を閉じていれば、女神は外を視られないから門が開くことを止めようとも思わないはず。そして女神が見つかれば、隠れるための私の存在は要らなくなるかもしれない。それで、バルトアンデルスと協力して、女神を探し出すことにしたんだ。そのために私はコクーンで眠らされ、今から十年とちょっと前に目覚めた」

「ああ。ルシを見張り、誘導する役目を期待してな。実際はまるで役に立たなかったが。……そもそも、いずれかの異跡で女神の目の模様を見れば何もかも思い出すはずだったのだ。それがこんなに延びたのだから笑わせる」

「あんたの計画がクズなんでしょうが……最初の異跡は暗すぎて壁の模様なんかちゃんと見てないし、テージンタワーの模様は削り取られてたぞ。さすがファルシ詰めが甘いヘボいクズい使えない」

「優しさから記憶を封じ、人間としての生活を楽しませてやったというのにその言い草か。つくづく恩というものを知らぬな」

「いやお優しいことで涙が出てくるわマジで……そういうありがた迷惑的なさ、いや結果的にはありがたかったけどさぁ……」

結果的には。
ジルと、ヤーグと、先輩と出会えた。それだけでバルトアンデルスには感謝している。本当に感謝しているのだ。本当に。バルトアンデルスのおかげで、私は幸せを手にした……。

でも、それだけでもない。
私は振り返り、バルトアンデルスを見下ろした。

「バルトアンデルス。ジルたちとのことについて……聞きたいことがあるんだぁ……」

「……ふむ。あの程度の者達に拘泥するとは思わなんだ」

「あの“程度”ねぇ……ブチ殺されたいの?拘っているとわかっててそんな言い方、本当に卑屈よねあんたって。……ジルとヤーグが、私を厭うように仕向けたのはあんたでしょう?」

それは、いろいろなことの積み重ねであり。更に、きっと“何か”したはずだ。

彼らと意見が食い違うように先輩から命じさせる。
ジルへの特命を、私を通して下す。
異跡へ潜る探査隊を送る時期に私を会議で孤立させる。
ヤーグを撃つように先輩に命じる。

一つ一つは決してそれに結びつかないのに、この道筋に落ちた理由の根幹にいつもバルトアンデルスが居る。
そして最後、バルトアンデルスはきっと背中を押したはずだ。誰の背中だったのか、それはもう私にはわからない。

「パラメキアで言ったこと、撤回しないよ」

―この茶番の始まりが十年前で、もしも私を利用してあの人たちを、私の大事な人たちを巻き込んで、あんな目に遭わせたんだったら。

あの時も誓った。
どうやって生まれたかは関係無い。

「どうあっても、お前をぶっ殺す」

うっすら微笑んだ私を、バルトアンデルスは睨めつけた。

「それで?今更人間側に鞍替えするのか?人間を殺すためのコクーン創造を容認したのに、ちょっと気に入った人間がいるからと?そんなお前を誰が受け入れるというのだ」

「話が先走ってない?誰が鞍替えするっつったよ。……どのみちコクーンは落ちるんだよ。多少なりとも、門が開くのはもう仕方ない。止めようもないんだから止めないさ」

「くく……現実は理解しているようだな。そう、門は開き女神は降臨する。私はその瞬間に居合わせる……!」

……。
くくくくく。
ああ、本当にもう……ファルシという生き物は。

ドストライクに、素直で鈍感で純粋で純真で、愚図なんだから。

「すんませんアレは嘘でしたーごっめんなさーい」

二度目の人間大規模虐殺を計画したときに、バルトアンデルスは私に一つだけ問うた。
門が開けば、ファルシにも女神を視認できるか否か。
私は是と答えた。間違いではない。門を通ることは出来ずとも、その奥を視ることはできる。私にも視えるし、事実不可視世界だけなら視たこともある。女神は視たこと無いけど、間違いなく視ることはできるはず。

でも。

「リンゼ神はその時が来たらブーニベルゼのニート寝太郎を叩き起こす。そしたら、“女神を探すため”だけに生まれたファルシは必要ない。我らが至高神ブーニベルゼは完璧を求めるあまり娘を殺すような神様だ。エトロさえ見つかったら、用無しのファルシなんてすぐさま消去されるに決まってんだろばぁぁぁぁか」

ぴしり、と。空気が硬直する音が聞こえたかと思った。
バルトアンデルスは目を見開いて、動かない。

「本能だって、言ってたよね?そう、そういうふうに“設定”されてんのあんたたちは。そしてそのゴールが見えてきた瞬間、神さまは結果だけ横取りする。実存的な方々ってのは本当に、生まれながらに悲劇だよねえー……」

「……貴様」

バルトアンデルスの声には覇気が無かった。視線だけがぎょろりと私に注がれているけれど、それだけ。

信じたくないのだろう。そもそも信じる理由があるわけでもない。信じる必要なんてない。
でも神という存在が皆どれほど身勝手か、想像つくだろう。

「ファルシは嫌い。バカばっかりなんだもん」

自分たちが高い知能を有するが故。
いいえ、自分たちが高い知能を有する“と思っている”が故。

騙されるなんて思わない。不可能なことに気づかない。人間相手に王者として振る舞うことに慣れすぎて、自分たちが机の塵を払い落とすみたいに屠られる可能性に気づかないのだ。
本当に、バカばっかり。

私は600年前、エトロの見せたヴィジョンの予言を書き記した後、長すぎる眠りについた。ファルシ=アニマと共に。アニマは哀れな子である。滅ぶ定めを、異なる系譜のリンゼファルシに設定されたパルスファルシ。
あの子の異跡の中に居れば、バルトアンデルスの手によってコクーンの中に入り込めるとわかっていたから。コクーンの中で目覚めるために、私はアニマに助けてもらったのだ。
私の手によって討たれたあの子が嘆いていたこと、私は死ぬまで忘れない。

「定められた目的に殉ず、その神経だけは尊敬するよ。意味などなく、神の御んために死ぬ。誰にでもできることじゃない」

「謀ったな……!?なぜ言わなかった!!?知っていれば、それを知っていれば……こんな……」

「こんなことしなかったって?そういうわけにいかないでしょうよ。だってリンゼ神怒るよ、ファルシが仕事しなかったら。だからこうなるのは必然だった」

私は転送装置に触れた。手の中に繰り出されてくるハイペリオンの柄を掴む。
こうなるのは、きっと必然だったのだ。エデンの路地裏、冷たい地面の上で目を覚ましたあの日から。私はコクーンの中で人としての生を得、人としての命を手に入れた。不可視の混沌が力になることを、私は理解したのだ。

「ちょっと小難しい話をすればね。本質を定めるのは、同一性ではなく連続性なんだよ。私は“ルカ・カサブランカ”として生きた……先輩たちと生きてきたから、私はもうルカ・カサブランカなの」

「やはり鞍替えするつもりなのではないか……!」

「そうやって一か百かでしか考えられないからおめーはダメなんだよこの全体主義者がぁぁ。先輩のしたこともまるで理解できなかったでしょこの鶏頭が賢者気取りとは片腹痛いわ」

今までずっと一本道だったなあと思う。そしてファルシは常にそうなんだろうな。明確にゴールがあって、そこに向かう以外に生きる理由を持たないから。

「私にも私の理想とか、目的とか、今はそういうのがあるの」

抜き出したハイペリオンの黒い刃が、微かな光を受けて煌めいた。これはいつかの過去、誰かの決死の刃だった。何度か見ただけのものを真似て作った……不可視の混沌を象徴するかのような剣。

「一つは、私の大切な人たちがみんな生き残ること。もう一つは……出来る限り、多くのファルシを殺すこと」

例えば。
アニマの使命が、ルシを作り出すことだったとしよう。
ルシたちの使命が、コクーンを破壊することだとしよう。
先輩の使命が、ルシたちを終末へ導くことだったとしよう。
バルトアンデルスの使命が、女神を見つけることだとしよう。

それなら私の使命は、ファルシを殺すことだ。勘違いして思い上がって人間を駒扱いする腐ったファルシ共を殺すことだ。
ファイガ・ギアを手の中に生み出し、剣の上に滑らせた。

「手始めにあんた、次にオーファンを……ぶっ殺す!!」

黒に赤を纏った剣先を、ひっくり返して玉座に叩きつける。バルトアンデルスは避けなかった。代わりに杖で受け止められる。

「あんたさえ……あんたさえいなければ……!」

ファルシを牛耳る、こいつが醜悪だから。最低だから。人間はこんなに苦しめられた。ずっと下界で生きていたなら、こんな危機に曝されずに済んだのに。
安全に見せかけた場所で囲い込み、危険から遠ざけ、処理能力を削り取る。彼らがまた下界に順応するのは決して簡単なことじゃないだろう。
でもこいつさえいなければ、またみんな生きていけるの。

「あぁぁああぁああああぁあっ!!」

足で杖を跳ね飛ばす。振りかぶり、剣を振るう目の前でバルトアンデルスの手の中にルイン魔法が渦を巻き始めた。

ハイペリオンの切先は真っ直ぐに空を切り……引き金を引きながらの一閃。
弾丸が放たれ、バルトアンデルスそしてダイスリーの喉が切り裂かれる。

血が噴き出し、視界を赤く染め上げた。

そしてほぼ同時、暴発したルインが炸裂し私を吹き飛ばした。








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