贖えないから死線を去って






誰が見ても、プラウド・クラッドはもうお終いだった。だって横倒しになって動かない。もう正常にハッチが開くことも、暴走し始めた動力が勝手に鎮まることもないのだろう。
そしてそれが解っていて、立ち止まれる私ではなかった。

「ヤーグ!!」

誰かが自分を止めようとしたことには気づいていたけれど、気づかない振りをした。ここで彼を救えないなら何のためにコクーンへ戻ってきたというのか。
ルカ・カサブランカの決意は重い。私はその決意によって生かされているに過ぎないのだ。だから止まれない。

「くっ……!」

剣をハッチの蓋の下に差し込み、てこの原理で無理やりに開こうとする。一度では開かなくとも、何度も繰り返すうちに容易になりそのうちにようやく指も入る隙間ができる。私は剣を転送装置に突っ込むと、手を使って無理やりハッチをこじ開けにかかった。

「ヤーグ、ヤーグ返事して……!!」

かなり重く、簡単ではなかったものの、なんとか開くことができた。開いた先の、暗い操縦席にはヤーグがぐったりと身を投げ出している。手を伸ばして彼の頭を上向けると、意識はあるようだった。

「急いで、抜け出さないと!ほら手を貸して……!」

徐ろに伸ばされた腕を掴み、引っ張り上げようとする。が重すぎて難しい。どうしたらいい、私一人じゃヤーグを持ちあげられない!

「……逃げろ、爆発するぞ」

「だからあんたを掴んでんでしょーが!!」

「私はいいから早く……」

「ふざっけんな!」

手を振り払われて、怒りが脳を沸騰させた。そんなことあってたまるか。あんたが死んで、私が生き延びるなんてそんなことあってはならないの。何のために、ここまで来たかわからなくなるじゃないか。
追いすがって彼の手を掴んだ、時だった。

「ロッシュ!」

横からスノウくんが手を伸ばし、私の手ごとヤーグの腕を掴み、一息に引き揚げる。ずるりと全身を外へ投げ出したヤーグに彼は肩を貸し、私に目配せして飛空艇から距離を取った。
ほとんど同時に、バチリと甲高い音が跳ねた。飛空艇の動力を繋ぐたくさんのコードに亀裂が走ったのだ。空気中に放電されたのを肌で感じ、私はスノウくんを急がせるように背中を押した。放電が始まったなら、次は爆発しかねない。

しばらく離れたところで、ヤーグがうめいて足を縺れさせた。スノウくんが支えようとするもかなわず、ヤーグは膝をつく。私は反射的にヤーグの下に滑りこむようにして緩衝材になり、そのまま背中に手を回して抱きとめた。
ヤーグの激しい鼓動が胸を打つ。

「ヤーグ……よかった、間に合ってよかった……」

感極まって、というか。ヤーグが生きていることが嬉しくて、強く抱きしめる。頭に怪我をしているけれど、見るかぎり大きな怪我でもなさそうだった。

「う……」

「もう、本当にもう……!わけわかんない無茶するからだよバカ!体当たりなんて……飛空艇でやったら完全に自殺行為でしょうよ!?」

「……覚悟しきれなかったんだ」

ヤーグが手で痛むらしい額を覆いながらそう呟いた。顔は手と袖に隠されて、表情はあまり窺えない。

「お前を殺す覚悟が決まらなかった。……私にお前は、殺せない」

「ヤーグ……」

そんなこと、きっとわかっていた。
何度もヤーグに殺されかけた。どの時でも確実に私を殺せたはずだったのに、彼が無意識にか加えた微かな手心によって私は生き延びた。ヤーグは私を殺そうとしていたと思う。けれどその一方で、必死に生かそうとしていたのかもしれなかった。
私はまたヤーグに抱きついた。泣いてしまいそうだったからだ。肩口に額を押し付けて彼の無事を必死に確かめる。

「……なんつーか、レインズよりよっぽど恋人っぽくねえか」

「それ俺も思った」

そんな私の後ろで好き勝手言うファングとスノウくんに適当な嫌味を飛ばそうと振り向いた瞬間だった。腕に熱い血が一気に染み込んでぎょっとする。

「ってわああヤーグ!?出血増してる!出血増してますよ!!?なんで顔赤、えええなぜに怒り心頭!?ちょっほらファング、スノウくん謝って!あとホープくんケアルをお願いぃぃぃ!」

「あ、はい、そうですよね」

ホープくんが近付いて膝を着き、ケアル魔法をかける。緑色の魔法がヤーグを包み、傷がふさがっていくのを私は真剣に見ていた。ヤーグのことだから、ともすれば「敵の施しは受けん!」とか言い出す可能性も無きにしもあらずと思ったので。
けれど、彼はおとなしく治療を受けていた。

「……ルカ。あれは、私の部下たちだったのか?」

「……、うん。シ骸にされたんだよ」

「そうか……」

ヤーグは悔いるように目を閉じた。それが苦しげでつい、ヤーグの肩を抱きしめた。彼が部下を大切にしていたことはよく知っている。彼らにとって間違いなく、良い上司だったと知っている。
と、視界の端でサッズが苦しそうな顔で口を開いた。

「おまえさん、なんだってここまで……」

「私はファルシの指示に従い、多くの犠牲を強いた。それが下界を恐れる、民衆の望みだったからだ。ファルシに頼りきった市民の生活を――希望を奪うことはできなかった。それが偽りであったとしても」

「……何もかも全部わかってるつもりで、そういうふうに自己完結すんの、ヤーグの一番悪い癖」

「お前に言われたくない。お前だって何もかも自己完結させて私には何も言わな、……」

ヤーグは不意に口を噤む。微かに滲むその気安さは、仲間内でしか許されないものだからか。そして私とはもう袂を分かった後だからか。私は目を細めた。

「ずっと、一緒に居たからね。私たちはみんなよく似てる……考え方も何もかも。全員自分の望む結果のためだけに動いて、全員同じように失敗したのよ。私もジルも先輩も。ヤーグもね」

「まだ終わってない……、ごほっ」

ヤーグが言いかけて咳き込んだので、私はそのままヤーグの背に手を回してさすった。

「……市民の保護と、下界への護送を騎兵隊に頼んである。もう動き出してる筈。今は多分PSICOMと騎兵隊に協力関係はないから、騎兵隊だけだと思うけど……」

「……ああ。わかった」

言いたいことは全て察したとヤーグは深く頷いた。言い辛い頼みだった。ヤーグが今武器を私に向けないのは戦う気が削がれたとかそういう理由で、決して私たちに賛同したからではないと思う。そんなのはヤーグの矜持が許すまい。
それなのに、PSICOMを動かしてくれというのは、つまりヤーグを利用させてくれということだから。

ヤーグは躊躇いなく無線を手にとった。指揮官用の、全軍に伝播させるためのものだ。

「……私だ。PSICOM管理官のロッシュだ。全軍に告ぐ。ルシ討伐は中止。繰り返す、ルシ討伐は中止。……以降は市民の避難を最優先に行動してほしい。騎兵隊が動き出している、協力体制で動いてくれ」

私は胸にほっと、安堵が広がるのを感じた。これでほぼ確実に戦争は回避されたと言えるからだ。

「ただしこれは命令ではない。私個人の……希望だ」

最後に付け足されたそれは、ヤーグらしい言葉だった。
命令ではない、か……。命令だろうとそうでなかろうと、ヤーグの言葉は必ず人を動かすだろう。言葉は常に掛け値なしで、真実だから。

「ねえ、ちょっとみんな先に行っててくんない?すぐ追いつくから。ちょっとヤーグと話があんの」

顔を上げて言うと、ライトが少しだけ意地悪そうに笑った。

「こっちもそのつもりだったさ。邪魔はしない」

「やめようよその意味ありげな目……別に大した話じゃないよ、ねえ」

「じゃーごゆっくりー」

愉しげなファングの声にはさすがに閉口し、議事堂の中へ踏み込むのを見送った。なんていうか、完全にヤーグが面白がられている。主にライトとファングに。あれだな、下界で話したことが良くなかったんだろうなあ……後で先輩に変な話流布されたらどうしよ。まああの人そんなこと気にしないか。それにもうどうでもいいんだった。

「何かまだ言わなきゃいけないことがあるのか?」

「んー……まあそれもあるし、それに……待ってんの」

ヤーグの正面に膝を着いた私がそう呟いた、時だった。
酷い音と異臭。あの目が開く感覚。後ろで不可視領域が口を開けるのがわかった。転送装置に手を遣り、ハイペリオンの柄を握る。左手の指先を擦れば魔法は発動できた。
いつもならホープくんとサッズがいるから、自分に魔法は掛けないんだけど……一人で戦わなきゃいけないとなれば例外もある。ブレイブ・ギア、ヘイスト・ギアを重ねがけそた。攻撃力強化と速度強化……一気に体が軽くなるのを感じて笑った。今なら不可視の支援を受けて、人間に過ぎない私でも魔力を持てる。自発的に魔法を放つことはできないにせよ、不可視の混沌を通じて流れこむ魔力が心の内で渦巻くのを感じた。

「おハロー、ベヒーモスちゃぁん。悪いけどお前のご飯は用意してやれないんだ」

降り注ぐつま先を凪いで潰し、続けざま最大出力のファイガ魔法を放つ。それは見たこともないくらいに大きな火炎球となって、ベヒーモスを包みそのまま小爆発を巻き起こした。炎はベヒーモスと共に後ろの塀を崩し落ちていった。

「お前……」

「これでまた未来が変わる。確定ー!」

イエーイ、大成功。
私はハイペリオンを転送装置に差し込んだ。かちん、と小さな金属音とともに転送装置が閉じる。振り返った先で、ヤーグが明らかに困惑していた。さっきヤーグに放ったブリザガも含めて、ルシでないただの女一人に放てる魔法じゃないと言いたげだ。
でもまあ、もうすぐ全て終わるのにネタばらしなんてしてもねえ。それもヤーグ相手に。知られたくない、彼相手に。

「ジルがまだレース場近辺にいると思うの。合流して……コクーンから逃げて欲しい。正直、コクーンは守れないと思う。多分落ちてしまう」

「だが……ルシたちは守ると言ったぞ」

「最善を尽くすけど、無理だよ。未来は予言されてるんだもん。いくらルシでも、どうしようもないことはある。……騎兵隊と協力して、PSICOMは外界に先に降りて市民の不安解消と安全確保に努めてほしいの。ただの戦闘なら騎兵隊よりPSICOMのが得意じゃない?下界との戦争のためにある組織が、率先して下界のモンスターと戦わなかったら嘘でしょ」

そう言うと苦虫を噛み潰したような顔でヤーグは黙り込んだ。下界のモンスターが雪崩れ込む中でルシ狩りに終始していたPSICOMもといヤーグをあげつらったように感じたのかもしれない。いやあ、そんなことはないんですけどね。まあ確かに騎兵隊含め軍人がこの有事にクーデターかルシ排除のためだけに駆けずり回ってるってのはちょっとふざけんなよという話ですけどね。仕事を何だと思っておる。……でもそれって、外から見てるからこそ判断できることでしょう。内側の人間だって必死だよ、当たり前でしょう。
だから、ヤーグを責める気はなかった。別にヤーグが間違ってるわけじゃない。

「お前も、彼らと行くのか?その先に何があるのか、私は知らないが……」

「あっはっは、知ったら無関係じゃいられなくなっちゃうから知ろうとしちゃだめだぞー」

そんなの冗談じゃありません。そんなの私が許しません。私はゆっくりと、ヤーグから離れだした。

「ねえ、ヤーグ……生きてね」

「遺言めいた言い方をするな」

「あっは、そうね遺言っぽい。じゃあこうしよっか……ジルと、ヤーグと、先輩が生きてない世界なら、私帰ってこないから。みんながいてくれない世界ではもう生きたくない。……どうだ、責任重大でしょ?」

「どうしてそんなことを俺に言うんだ……必死に生き延びはするし、ジルのこともなんとか守ろうとは思うが、あの男のことは知らんぞ」

「先輩よりヤーグのが信用できるもん。だから、生きてね」

豆鉄砲くらった鳩みたいな……いやそこまでかわいらしくないけどそんな感じの顔で目を瞬かせるヤーグに私は笑みを返した。
そして視線を議事堂に戻し、ルシたちを追うために走りだす。空気に混ざったクリスタルが、一歩踏み出すごとに濃くなる気がした。もう振り返らない。


本当はね。

最初は彼にも、忘れてくれと言うつもりだった。彼と彼女にそう言ったように。もう戻らないと、本当のことを君にも伝えるつもりだった。
でも君は強くて、とても強くて、なのにどうしようもなく弱いから、きっとそんなことを言ったら生きようとしてくれないだろうなと思ったのだ。

それに、私を忘れたりなんて、君だけは絶対にしないだろう。私の存在を乗り越えて先へ進むことなんか、どうせできないだろう。優しいから。私には量れないほど、君は優しいから。
だから最後は希望だけの笑顔で別れを告げる。それがどんなに鈍重に視界を歪めたとしても構わなかった。

「さーて、身辺整理が片付いちゃった自殺志願者は強いぞー?」

御座で待ってろファルシども。人間の反逆が、やっと始まる。








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