掴めないと、理解した手さえ






ぐ、と伸びをする。トレーニング室で交戦したファングには負けこそしなかったが、こっちの獲物の都合上本気でやれなかった。まさか殺すわけにはいかないし。向こうは割と平然と槍を突き出してきたけれど。ああいつかマジでやりたいなあ、なんて思いながら、倒れこんでベッドに横になる。シーツの替えがあってよかった。

「ねー、先輩?寝ないのー?」

「君が特攻するんだぞ?できるだけ安全な方法を考えないとね」

「だぁいじょーぶだよ、死なないよべつに。先輩が仕事してたら寝れないんだからそっちのが問題だって」

私がそう不満を漏らすと、彼は「呑気だな」と笑った。いつものこと。そしてこちらへ歩み寄り、ベッドに腰掛ける。先輩に抱きつくと安心する。このまま寝てしまいたくなる。

「せーんぱい……」

「わかった、わかったから。ちょっと待ってなさい」

彼は苦笑していったん机に戻ったが、宣言通りすぐにベッドにやってきてくれる。そして甘える私を喉で笑って抱きとめてくれた。優しい腕。いつも徹底的に私を甘やかす温度。私が甘えるのが先か、彼のこの体温が先か。鶏も卵も、食べて美味いなら両方ほしい。箱のサイズは考えたくない。欲張りなのは変わらない。

……だから二人は私を、頑なに捨てようとしたっていうのに。
そんなことをぐるぐるぐると考えながら、私はそっと眠りに落ちた。




暗い部屋。強化ガラスを透過するファルシ・フェニックスの薄明かりの中、彼女は彼女を縛る腕から抜け出した。そっと身を起こし、投げ出された彼の右手に両手を重ねる。そしてそのまま掬い上げ、手の甲に口付ける。

「……、」

それは緩慢な、そして丁寧な、確かな×情が窺える動作だった。彼女の目からするりと雫が零れ落ちる。涙は彼女の膝に落ち、なんら意味も持たず薄暗闇に消えた。夜明け前のこと、誰も気付かないし誰も知らない、夢の中の出来事。





「んー……、」

昼に近い時間帯。ルカはようやく強い眠気を振り払って目を覚ました。
……しばらく気を張っていたからか、安眠できるとなると体がすごい勢いで休みやがる。時計を見て、12時間弱寝ていたことに気付き、ルカは苦笑した。まだ十分間に合う時間だ。さっさと着替えて、準備運動やらをしておかなくては。

ふああ、とあくびをしながら起き上がる。寝巻き代わりにしていたシドのシャツを脱いで洗濯籠に放り、乾燥機に入れっぱなしだった自分の服を手に取る。きちんと乾いていたそれらを着て、ハイペリオンやもろもろの重火器を登録しておいた転移装置を腰に取り付けた。顔を洗うと、鏡の中の女の顔色は幾分調子が良さそうに見えた。

さてはて、とりあえずなんか食べないとなー。まずここ出て先輩に会って、そんで……、

「……あらん?」

ルカは執務室へ繋がるドアを開けようとする。ノブを回す、が回り切らない。

「え」

当然ドアは開かず、予想していた動きができずドアに軽く衝突してしまう。ああ、鍵がかかっているのか……ルカは鍵を開けて今度こそ扉を開こうとするが、またも開かない。驚いてノブを握りなおしてがちゃがちゃと揺すると、わずかにだが遊びがあるのがわかった。この感覚は……つっかえ棒か何かだ。外から、開かないように固定されているのだ。

ちょっと待ってよ、でも誰が、一体何のために……、

「……先輩?」

あなたなの?嘘でしょう?有り得ない。私が行っちゃいけないなら、そもそも最初からルシ一味に選ばれなかったはずだ。なんでここで足止めされる。誰の意思だ。……先輩の?嘘、嘘でしょう?なんで?行くなって意味なの?本気で?私に、本気で、死ぬなと?

「うそだ……」

ルカはそれを有り得ないんと知っている。そんな甘い幻想は10年の間に打ち砕かれている。いや、抱いたことさえ、なかったのに。
なんで今?なんで今、それを侵す?なんで今じゃなきゃならない。命がかかっているから?そんなの理由になるものか。わからない、わからない、わからない……。

頭の中にはジルが居る。来るって言ったじゃないって、苦い顔をする。ヤーグが唸る。結局お前はそうなのか、あの男を最優先にするのかと。多分本当は、ルシ一味やシドのことを考えなきゃいけないのだろうに。こういうとき真っ先に思い出すのはなぜだかいつでもあの二人だ。

ルカはぼふんとベッドに倒れこむ。慣れきった彼の匂いがした。命令よね、と呟いた。選択肢は見つからなかった。







「おいどういうことだよ、ルカが来ないって……!」

「言った通りだ。ルカは行けない。ここに残ってもらう」

レインズは少し険しい顔でそう言い切った。と、黙っていられないのがこのファングという女の性格らしく、彼女は怒りに任せて怒鳴り散らし始める。

「いくらなんでも、そりゃ卑怯ってモンじゃねーのか!?そりゃあここで一人、うちらが使命を果たすなりしてルシの呪いを解くのを待つってことだろう!自分は動かずにうまいとこだけ持ってこうなんてよくもまあ言えたもんだなあ!?」

「おいファング落ち着け、」

「これが落ち着いてられっか!いいかこいつはなあ……ッ」

ライトニングが止めに入るも、ファングはついに自分にも掴みかかってきた。……全く。スノウによく似てる。スノウよりも、自制という言葉を知らない分厄介だが。ライトニングはファングを取り押さえつつ、口を開いた。

「じゃあファング、お前ならどうする。ヴァニラと今家に居て、これから敵を倒すために戦いに出るのだとしたら?可能なら引き止めて、他の人間に任せたいだろう?」

「だからなんだってんだ、あたしは約束が違ぇって言ってんだ。ルシを救い出せたらそのときは、ルシ全員連れてヴァニラの救出に向かうって話だった。それを今、自分のためだけにレインズは変えようとしてるんだぞ?それが罷り通るなら、たとえば何でまだガキのホープを連れて行く?それも親と引き離してまで!ルカ以上に、保護されなきゃいけないだろうが!」

ぐっと、場が静まり返った。レインズはじっとファングを見つめたまま動かない。ファングも一切引く気はないらしく、ひたすらにレインズを睨みつけている。
ライトニングはそっとため息を漏らした。両者の言い分は間違ってない。と、自分も思う。さっきファングにも言ったが、自分だったらどうするか。セラが戦いに行かなければならないとしたら。
多分、自分はレインズと同じことをする。それを責める資格は、きっと誰にも無いだろう。それがズルでも、その理由はズルくないからだ。だから自分はレインズを責める気になれない。

かといって、ファングの言葉も、多少キツいが誤りではないのだ。それこそ、ホープだって行くのだから。希望のない戦いに、たった数名で臨むのだから。ドロップアウトされることによってルカの戦力を失うのだってかなり痛い。仲間のことを考えたら、資格があるなしに関わらず責め立てたくなる気持ちはよくわかる。

さて、どうしたものか。ライトニングはそっと目を伏せる。とにかく、時間がもう来てしまう。そうなったら出撃しないわけにはいかないわけで、レインズの作戦勝ちに思われた。
だが。

ガコッと、歪な音がした。

「……え」

それは何か、金属板を叩くような音。それに最初に気付いて声を上げたのはホープだった。彼の声によって静寂は破られ、音のした上方に全員の意識は集中する。
と、その瞬間。

ガコンと低い音を立て、天井に貼られた金属板が抜けるようにレインズとルシたちの間に落ちて来る。なんだこれ、と全員の視線は地面に落ちた板に向けられる。そして誰かが驚きの声を上げる前に、彼女はその蓋らしきものの上に降ってきた。

「とぅッルカさん参上。なんかみなさん私の噂してませんでした?くしゃみを抑えるの大変だったんだけど」

ダクトもまじ埃っぽいんだけど先輩掃除してる?
とルカは軽く咳き込みながら問う。わざわざダクトを通ってここまでやってきたらしい。そんな彼女の姿に、一番驚いているのはおそらく……。

「ルカ……君は……」

「……先輩。ごめんね、ほらジルと約束しちゃったし。遅刻しても会いには行かなきゃね」

ルカはいつも通りに微笑んで、さっと一瞬レインズの首に腕を回して抱きついた。それから耳元に唇を寄せる。

「行ってきます、先輩」

「……ルカ」

ライトニングは、レインズが一瞬表情を歪めた気がした。
が、それは見間違いかと思うほどに短い時間で。すぐに穏やかな、少し心配そうな顔に変わっていた。





選択肢など、どこにもない。
だから前に進む。

「さーて、特攻するよー!」

ルカはぐっと伸びをして、窓辺に向かった。
能天気な彼女のまま、そして背中に注ぐレインズの視線には気付かないままで。







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