マリッジ・ブルーに擬態する
スノウはまだ意識が戻らない。ライトニングはスノウの傍でナイフを弄び、ファングは理解できないなりにテレビを注視していた。まだ逃亡中だってことは頭からすっぽ抜けてるようだ。別にいいけどね、と伸びをする。ああ、疲れた。
今はホープくんがシャワーを使っている。これからライトとファングが入って、そこから更に時間があれば私という順でお借りするつもりだ。年長者だからね。
と、バルトロメイ氏が、じっと私を見ていることに気付いた。苦い色の視線で。
「……君が、ルシ一味とは。皮肉なものだな」
「そうですか?壮大な茶番の香りは確かにしますけど」
コーヒーをもう少し頂いても?と聞くと、彼は手で自分で注いで構わないという旨を表した。ありがとうございます。
いい豆は美味しいなー、コーヒーに凝るほど家に居なかったからなあ私。お手伝いさんのが確実に長く家に居たもの。週の半分は仮眠室だったもの。哀しいかな社畜ならぬ軍畜ですよ。
「君は、ご友人の中佐に嵌められたと言ったが。それはもしかして、私にも原因があったりするのだろうか……」
「!」
あ、さっきぽろっと言っちゃったからか。気にしてるなんてやだ良い人。良識を持った人間が周りににあんま居ないからこういうのすごい新鮮だわ。
「いいえ?あー、そりゃ関係ないとは言えませんけど。でも別に氏が気にすることじゃーありません。私は拝ファルシ主義じゃないから、それが直接の原因」
「?それならなぜ、あんなことを……」
「……ルカ。申し訳ないが、何の話をしているのか説明してもらってもいいか。さっきから不穏当な言葉が多くて、気になる」
ライトニングがナイフから視線を上げて私を見る。
……そうね。別に、知られて困る類のことではないし。
「あー、バルトロメイ氏はね、経済学の上ではそりゃもうご有名なのよ。それで、多分一月前……くらいかな。ファルシの動向と市民の経済活動の関連性の論文を、発表なさったのね。で、それを発表すんのやめてもらおうと思って、まあつまり……媚びへつらって袖の下渡したらやめてくれっかなってね?」
「……それはつまり、ルカが手を回して情報を操作しようとした、と?」
そうそう、そういうこと。
「でもこの方は潔癖で有名な方で。返り討ちにあっちゃった……。それで、私はPSICOM内でちょっと窓際?みたいな?まあでもいつものこと?みたいな?」
「あれは確かにPSICOMにとってはあまり良い結果ではなかっただろう。だが、君が拝ファルシ主義じゃないのなら、あの行為はどういう意図だったんだ?」
「あれが公になって困るのは、PSICOMじゃないんですよ。って言うのも半分くらい建前なんだけど、ね。上司以上に従う相手が居たっていいでしょ」
そう、あれがバレて困るのは反ファルシ派だった。まだ根回しが足りない段階で真相へ至るカードを先に切られてしまったら困る。
だから、まだとっておきたかった。手駒の一つ、だったから。
「でもまさかダイスリーの爺ちゃんに上申されるとは思わなかった。そこは私の読み違いです。そこまでの潔癖だとは思ってなかったんで」
「……金銭でプライドは買えんさ」
「そう、そうなんですよ。あなたは高潔な人だった。あれは侮辱行為でしたね、お詫び申し上げます」
私が深く頭を下げると、彼は戸惑ったように身じろぎした。私が逆ギレくらいはすると思っていたらしい。……えっしないよそんなこと。素直に私が悪かったよ。
はあ、と左手で頭を押さえる。眉間がずきずきする。多分原因は疲労。でもそれに気づいたら体が休眠しようとするだろうから、とりあえずは見ない振り。
と、ちょうどホープくんがシャワーから戻ってきた。そして、同時に私を見て大声を上げる。
「ルカさん、それ……!結婚してたんですか!?」
「はあああ!?」
ファングがホープの言葉を聞いて飛んでくる。気がついたらしいライトニングが私の左手を取り、バルトロメイ氏も驚いて私を見ていた。ただファングだけは、何で左手を見れば結婚しているかわかるのかわからないという顔をしていたが。
「いやあの、違うので、婚約してるだけなので、そんなに驚かんでよ」
「婚約、って……、お前ちゃんと連絡したんだろうな!」
「そうだぜ、心配してるんじゃねえか?」
ライトとファングが詰め寄る。いやうん大丈夫だよ。その点は問題ないよ。
「大丈夫大丈夫、私は簡単には死なないので」
「いやそういう問題ではないだろう……。婚約ということは、結婚するはずだったんだろう?」
「この騒動がなければ、半年後には苗字が変わっていたでしょうね。まーいいです、別に結婚したかったわけじゃないので」
指輪を右手でくるくると回す。プラチナのリングは少し焦げ付いた痕があった。結婚したかったわけじゃないのだ。あいにくと。
ただあの人が、珍しく気を使ってくれただけ。
「この指輪が役にたったのは、ヴァニラがコクーンの人間じゃないと分かったくらい。戦いにも邪魔なだけですよ」
「……?どういうこと、ですか?」
ああ、そういや説明してなかった。
「最初、ビルジ湖に落ちた時。ヴァニラが私の火傷を治してくれたでしょう。その時彼女、これを『可愛い指輪だね』って言ったの。ああいう場面だったら、指輪が可愛いかどうかとかより、ふつー私が既婚者かどうかを気にする。今のライトニングみたいにね」
「……へえ、それコクーンじゃ既婚者のサインなわけか。なるほど、下界じゃ流行らねーわ」
「そういうこと。だからヴァニラが下界の人間で、今回の騒動の根幹の問題だってことには最初っからなんとなく気づいてた。彼女の様子からそれは故意ではないと思ったから、不和を煽ることは避けて言わなかったんだけどね」
「ルカ、お前……」
「意外と……」
私が語らずに居たことを吐き出すと、彼らは驚いたように口元を押え視線をさまよわせた。そして各々異口同音に「意外と賢かった」「思ったより思慮深かった」なんてくそむかつくことを言う。なんだそりゃ。
「ちょっとー、これでもコクーン上層のテクノクラートなんですけどぉ……高学歴の高職歴だぞ、こんにゃろ」
「……なあ、相手に連絡は、していないのだろう?それなら今すぐにでもするべきだ。こんな状況で、いつ何があるかわからない。次の連絡が君の訃報だったら、相手の方も……」
バルトロメイ氏がぐっと眉間に皺を寄せる。奥様の訃報を聞いた直後ということもあろうが、私の態度は琴線に触れたらしい。
んんん、でもなあ。どうせすぐ会えるだろうしなあ……。
「あとで、なんとかしてみます。とにかくライトかファングはシャワー行ってきなさい、時間無いんだから」
私がバルトロメイ氏からの追求を逃れるため、二人にそう言った時だった。スノウが、うう、と半開きの口から声を漏らしたのだ。すぐにライトニングとホープが駆け寄る。和解した瞬間お前ら……なんかからかいたくなる……うずうず……。
「う、う……義姉さん、ここは……」
「いいから寝てろ」
体を起こそうとするスノウくんに起きるなと命令して、彼女は先程まで座っていたスノウの近くの椅子に腰掛ける。そして、スノウくんが起きたことで、おそらくノラさんのことだろう、話をするためにホープくんとバルトロメイ氏は隣室へ消えた。
「義姉さん、まさかここは……」
「ああ、ホープの家だ」
ライトが頷くと、スノウくんが険しい表情で考え込む。そして、自力で起き上がり、そのまま立ち上がろうとする。ライトが止めるも、「ホープの親父さんに、話さなきゃいけないことがあるんだ……」と言って聞かない。
「ちょっと、とりあえず今は寝てなっての」
「でも!!」
「あの、」
スノウくんが必死にライトの制止を振り切ろうとする中で、後ろから声がかかった。
そこには、さっきドアの向こうへ行ったばかりのホープくんが居て。
「父さんが、話したいって……」
渋い顔をするライトに、これはスノウくんに軍配が上がったということなのかしらとどうでもいいことを考えた。ホントどうでもいいな。
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