今際、横顔、手を握る






私たちに、子供はできなかった。
結婚を急かす彼に、子供ができたら、と言ったのは私だった。結婚する意味なんて私たちにとってはそれくらいしかないのだから、ある意味ではとても合理的な提案。
私にとっては、ジルやヤーグと地上に残ることが何より重要だったけれど、そのことはゆっくり私自身の首をも締めた。肩身が狭いとは言わないが、このまま時間だけが過ぎていくなんてことはないだろうと思っていた。

切り出すなら、別れは私からであるべきだ。
本当はもっと早く、こうするべきだったのに。









溢れだした魔力が肌を刺してぴりぴりと痛み、彼の姿が変わっていくのをただ、見ていた。
青ざめる顔色は人間のものとは思えず、それでも面影は消えないのがこんなにも苦しい。いっそわからないくらいに変わってしまえばこんな痛みはなかっただろうか。いや……きっと、そうなったらそうなったで寄す処を失って泣くんだろう。

「……ばけもの、か」

ああ、本当にもう……泣きそうだ。
どうして私じゃないんだろう。どうして私じゃ代わりになれないんだろう。どうして、あなたがルシにならなきゃいけなかったんだろう。さだめは忍び寄る毒みたいに、誰しもを屠る。

「私は運命に抗うよ」

「私も、そうだよ。抗うためにあなたを止めるの……!」

「一度も勝ったことがないくせに」

「そうだね。勝とうと思ったことも、ないから」

勝ちたいと思ったことが、そもそも一度としてない。

あなたにはずっと負け続けて、それでいいと思ってた。よく言うでしょ、×れた方の負けってさ。まぁそれはちょっと、違うかもしんないけど。
だって勝ったら、この茶番は終わっちゃうんだよ。茶番だけどさあ。茶番だったけど、さあ。


間合いを保持したまま、ルカはゆっくりと歩を進める。反対側に立つシドに向けたハイペリオンの切っ先は揺らがないままで。
いつ切り込めばいいか、全くわからない。隙なんて見えやしない、いつ踏み込んでくるかも想像できない。ああこれがヤーグならこんなことはないのに、無理に切り込んでそれでようやっと隙を作り出しても戦闘として成立する。けれど相手がこの人では、そんな手は通用しないだろう。一撃で叩き落とされて終わる。幾度かの交戦で知っている、彼の攻撃は酷く重いのに恐ろしく速い。一対一で真っ向から近接格闘になった時点で、はっきり言って勝ち目はない。
ないけれど。

「だから私、この武器にしたんだったね」

ガチャリと、普段は起こさない撃鉄を握り起こす。銃弾は暴発を防ぐために抜いたままだった。腰のポーチから取り出した弾丸を1つずつ込める。見なくても、今更手元は狂わない。
わかっている。本来のそれとは異なり剣主体に大きく傾いだ銃剣では、銃としての精度はどうしても落ちる。だから、ただ狙撃することはできない。そこまでの期待はできない。
だから、いずれにせよ近づかないわけにはいかない。ハイペリオンをぐるりと回し、ルカはふっと笑う。

勝てなくていいと思っていた。一生勝てなくていいと思っていた。そう言うくせに、私はこの人を殺すためだけに武器を調節しているではないか。

刀身は1メートル近く必要だった。私の身の丈には合わない、少しばかり長すぎる剣だけれど、彼の腕の間合いの端に立って尚攻撃するには最低限必要な長さだ。長さのせいで振り回すのに苦心するので、重心を斜めにいれている。
そしてただ切り裂くだけでは勝てないと解っているから、銃を付随させている。今は私もギア魔法を持ち、あのときよりきっと強くなった。

ぶわと炎が右手の指先、チップから渦巻いて、剣に確実に温度を与えていく。
あの時とは違う。勝とうとして、歯がたたなくて崩れ落ちて、あなたに縋ったそれしかなかったあの時とは。
私はじっと彼を見た。凍る瞳、こんなことしたくない。勝ちたくなんてない。私は今こそ、あなたに勝ちたくない。

重心を前へ。身体は後は勝手に動く。斜めに振り下ろした剣先は一歩で避けられ、けれども追随する。回転してそのままの勢いで斬る、また寸でのところで避けられた。長身のアドバンテージというやつで、速さに私が追いつけない。
埒が明かない。一旦引いて、それから身を守るように腕を先へ、剣を上から下に振り下ろした。金属の折れるような音がして、しかし剣は折れず、先輩の手の甲に受け止められる。彼の右手からいっそおどろおどろしい魔力が溢れている、糸のようにばらついて絡みつき剣先を弄んだ。

勢いを殺され押し返される、ついでに下から潜り込んでくる彼の拳が異常に速く、痛みの前に身体が浮いた。何そ れ

「がはっ……!」

「君は掛け値なしに強い。けれどそれだけだ」

何それ。何なの、それ。
私の身体が死体みたいに地面に転がる、けれど剣は落とさない。ずっと必死だ。
と、視線の先で、先輩の拳にきらきらっと何かが“生えた”。ブリザド系魔法の転用だと見ればわかる。ただしギア魔法のような可愛らしいものではなく、もっともっと凶悪で……あの時とは違う。
それにあの速さは。一瞬で全部吹き飛ばすような速さ。ルシは……ああそうだ、わかっていたじゃないか。
ルシは十年を簡単に凌駕する。簡単に無かったことにして、時間の流れを追い抜いていく。

それが悔しくて……どうしようもないほど悲しくて……十年の日々全て無価値だったって言われてるみたいで、苦しい。剣を支えに立ち上がる。息が遠くて自分のものかすらわからない。だけど、戦わなければ。腹部は痛いなんてものじゃない、どこか破けたみたいな感覚はあるし内臓に確実に損傷を負ったと思う。それでも止まれない。そういう生き物だから。私はそういう、生き物だから。
ためらい傷を裂いて、私に戦わせて。血管を引きちぎり肉を潰し、筋で弾く死線に立つ。

腹を押さえて、目はまっすぐ前を見る。心臓が脈を打つたび激痛が全身を叩くけれど、まだそれでも、脚は走れるし手も掴める。あなたを諦めることなんて、できるはずがないの。

まっすぐ前を見て、全てを代償に走りだす。あの時放てなかった突き込みをもう躊躇しない。噛みしめる奥歯だけで足を支え、彼の攻撃を避けることはもう考えなかった。避けられない攻撃はどうせ防ぐこともできない。この状況では、やはり防御を捨てるしかない。いつかのヤーグを思い出す。大丈夫、私だって耐えられる。
苦痛なんてどうだってよかった。だから、ハイペリオンをあなたの心臓に突き立てる……はずだった。
私は引き金を引いた。破裂音。

私は引き金を引いた。


互いの吐息が、どうしようもないほど近い。知っている距離。
痛みなんてなかった。というか、何も感じない。温度も気配も何もかも。

「ルカ……」

誰の声だかなんてわからなかった。突き刺さって留まるハイペリオンの柄を指先が滑り落ちる。握っていたかったけれど、もう力が入らない。立つことなんてとっくにできていない。あなたの拳が、その先に纏ったブリザガ魔法が……私を貫いてさえいなければ。
体の中で、何かが弾ける音がした。比喩でなく、音として私はその音を知覚した。

「君は……どうしてあの時……、」

ああ今ようやく、それがあなたの声だとわかったよ。変だね、こんなに近くに居たのにさっきは全然わからなかった。耳ももう駄目になってしまったみたい。
それでなんだっけ……どうしてあの時部屋を出たか?だから、あなたの理想をちょちょいと叶えたかったんだってば。
……それじゃ納得しない?やぁね、そんなこと今更聞きたいの?

「……×……し、て……るから、……だよ……」

口がうまく回らないのは恥ずかしいからで、死にそうだからじゃないよ。大丈夫。私は大丈夫だよ。

あなたに突き立てた刃。あなたを殺すための刃。
私に突き立てられる拳。私をいつか殺すと知っていた。
こんなふうに殺しあって、私はあなたを殺し、あなたは私を殺す。一つの世界線に二人で今立っているこれを、私は昨日まで幸せと呼んでいたの。今はもう、ちがう。

目蓋がもう一度閉じる瞬間、あなたが透き通る気がした。もう何も視えない……何も、視えなかった。












息を飲んだまま、全部が止まっていたように思う。ルカの刃がレインズに突き刺さり、代わりに彼のブリザドを纏った拳がルカの腹部に叩きこまれたその瞬間から。二言三言、言葉が聞こえた。最初はレインズの声で、次はルカのものが。それは言葉としての形を明らかにせず、ただ音として消化され認識できない何かではあったのだけれどしかし、その言葉が――つまりルカの言葉が虚空に溶けたその直後、レインズは一瞬で凍りついて……そして彼は、クリスタルへと変化していった。その現象は見たことがある。まさしく己の妹が、目の前で同じように凍りついてクリスタルになってしまったのはまだそう過去のことではない。とはいえ、色んなことが起こりすぎてどこか昔のことのような印象はあるのだが。

ともあれレインズがクリスタルになって……そして直後、ルカはぐしゃりと潰れるように崩れ落ちた。おそらくレインズがとっさに拳を引いたのだろう、皮肉にも支えるものがなくなったのだ。ルカはぐったりと動かなくなる。そこでようやく、ライトニングたちは我に返った。

「ルカ!!」

夥しいだとか、多量だとか、表現方法はなんだっていいけれどつまり凄まじい量の血が石の床に広がっていく。どうしてこんなにと思うほど、こんなにも多い赤。ヴァニラとホープ、そしてライトニングも二人には及ばないながらケアル魔法を扱えるので、示し合わせるまでもなく三人ルカに駆け寄ってすぐさまケアル魔法を唱えた。本来ならば温かな印象を与えるはずの緑の光が今は寒々しい。傷は見なくたってひどい状況だ。けれども状態をきちんと知るためか、ヴァニラが手を伸ばして服を少し裂く。ライトニングは無意識に眉間に皺が寄るのを感じた。
氷の、無数の刺が柔らかい横腹を引き裂いて、見るからに簡単にくっつく傷ではない。さらにところどころ爛れていることから、ブリザド魔法のためマイナスの温度で焼かれたのだと思われる。そこからは少しズレた場所にもレインズが一度拳を叩き込んでいたことをライトニングは思い出し、更に服をめくる。と、そこには早くも青く痣らしきものが広がり、わずかに膨れていることから……内出血を起こしているのは確実だろうと思われた。傷はひどいが、それにしても血が多すぎる。その理由はおそらくその内出血だろう。

「血が止まらないっ……!そうか、ルカはルシじゃないってさっき……!」

「ルシじゃないと治りが悪いんですか!?」

「うん、かなり違うの……、小さい傷ならともかく、いくらなんでも傷が大きすぎるよ!」

「……いや、大丈夫だ。見ろ、効いてはいる!」

ヴァニラはケアル魔法を繰り返し繰り返し掛けながらも、青ざめた顔でふるふると首を横に振った。が、ライトニングは傷が奥からゆっくりではあれど塞がりはじめているのに気付いた。決して効き目は無いわけではないのだ……ホープが問うたように、悪いだけで効き目はある。確実に。そう信じて、ライトニングは何度でも魔力を注ぎ込む。

そのすぐ傍で、奇妙なことが起きた。
スノウが静かに歩み寄った先、透き通ったクリスタル、差し出した右手にルカの血を滴らせたレインズがゆっくりと空気に“溶けていく”。そもそもルシの使命に反していたのにクリスタル化したことからしておかしい。レインズのルシ化には妙な現象が付き纏っている。

「レインズはレインズなりに、コクーンを救おうとしたんだな……必死に戦ってた。ルカもきっと、同じで……だからこんなことに……そうなんだろう?」

スノウの言葉に答える人間は、今はもういない。ライトニングは強く奥歯を噛み締めながら一瞬尽きかけた魔力を感じて頭を振る。だめだ、ルカの顔色はどんどん悪くなっている。これ以上血を流させてはいけない。そう焦りながら集中しようとするけれど、ライトニングの耳にファングの舌打ちが微かに届いた。

「……くっ……、」

なんとなく、ファングは怒っているのだろうなと思った。レインズが自分たちを騙していたこと。それゆえルカを留めようとしていたのだろうこと。そしてルカが……そのいくつか或いはほとんどに気付いていたらしいこと。理由なんてそれこそいくらでも転がっている。
ファングが怒るのは当然で、特に彼女は理不尽に翻弄されることを嫌う。彼女のことなんて何も知らないが、それは確信を持って断言できた。まだ出会って数日、過ごした時間なんて下手したら数時間で数えられる程度の仲だけれども、戦闘は互いの距離を急速に縮めている。
ただそれにしては、ファングが静かに立ち尽くしているのが気になるけれど。

「ら、ライトさん!傷が……!!」

ホープがわっと声を上げて、ライトニングは目の前のルカに引き戻される。ハッとして注視すると、傷は引き攣れたピンク色に修復を終えるところだった。無理矢理に貼り付けたようで、破れた蜘蛛の巣のようにいびつな赤い線をいくつも残し、もうこれ以上は治癒できそうにない。少しずつ薄くなるかもしれないし、一生このままかもしれない。ルカはこの傷に何を思うのだろうかと考えて、考えている場合ではないとライトニングは思い直した。治療は終えたが、ヴァニラの表情は硬く唇は引き結ばれたままだ。

「傷はふさがっても……血が流れ過ぎかも……。本当にただの人間なんだとしたら、持ちこたえられるかわかんないよ。血が足りない」

「輸血は難しいですね、道具も血も手に入りようがありません」

「…………、う……?」

ヴァニラがふるふると頭を横に振り、ホープが泣きそうな声でそれに答えたときだった。ルカの顔がぎゅっと顰められ、睫毛が震えた。
顔はまだ真っ白、指先を動かすのすら辛そうに見える。けれどもルカは確かに目を開いた。

「せんぱ……、先輩は……?」

「あっ……もう居ないの。消えちゃった……」

ヴァニラが哀しげに伝えて指差す先にはもう誰も居ない。横たわったままでルカはぱちりと一度だけしっかり瞬きをすると、また瞳をゆっくりと閉じていく。しているかわからないくらいに息は静かだった。

「ルカ!?」

「気を失っただけ……っていうか、血が足りなくて意識が保てないんだろうね。でも一応意識が戻ったから、さっきよりは安心」

「時間は掛かるかもしれませんけど、きっと回復してくれます。そしたら何か食べてもらいましょう」

とりあえず一度意識が戻ったことで、失血死の可能性は下がった。安堵してライトニングはようやく「心配させやがって」と呟いた。ああそうだ。自分は今、心配していた。……ルシなのかどうかとか、レインズの件だとか……彼女にまつわる問題は山積みだけれど、それでも一つ確かなことがある。
彼女はそれでも、運命を共にしてきた仲間なのだ。

ルカの剣はレインズの血らしきものを纏い―場にある血の量が多いので一見しただけではどちらのものかわかりようもない―、地面に転がっていた。てらてらと鈍く光るそれを、血に触れないようライトニングは持ち上げた。手入れをする必要があると同じ型の武器を操るライトニングには一種強迫観念めいて思う。錆び防止は施してあっても、放っておけば銃が動かなくなったり刃こぼれにつながる。わかっている。わかっているけれども……ライトニングはその血を拭う気にはなれなかった。レインズの血に、触れたくなかった。今動けないルカを差し置いて。
ルカが目覚めたら伝えよう。彼女もきっと、それは自分の仕事だと理解しているはずだ……ライトニングはそっと、ルカの腰に括りつけられた転移装置にハイペリオンを宛てがい、押し込めた。ルカが早く目覚めますように、と思いがけず願いながら。

スノウがルカを背負い、ライトニングたちは先に進むために武器を握った。とにかく早くここを抜け、ルカには休息が必要だ。全てはそれから。
ファングが一歩前に進み出て三叉槍をしっかりと構える。仲間想いの、というかヴァニラ想いの彼女らしい行動だ。けれどもライトニングは気付いていた。

ファングがまだ、口を閉ざし続けている。








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