謀りを纏いて君は飛ぶ






冷たいアスファルトとたくさんの人の声、それが最初の記憶。

「あの日、エデンの路地裏で私は目を覚ました」

空は“変わらず”青く、酸素は“変わらず”肺を満たして命をつなぐ。
だから、そこがコクーンだなんて思わなかった。

「私はコクーンもファルシも知らなかった。水が冷たいことは知っていたのに。あのときはまだ、そこに異常は見いだせなかったけれど」

記憶喪失とは、大抵二つのパターンに集約されるという。
全て忘れるもの。そして、ほんの僅かな一部分にだけ欠落が見られるもの。例えば、生活の知識は覚えているのに、知人の顔を数名ぶんだけ忘れてしまう記憶喪失がある。
けれど、ルカの場合は。

「生活の知識では最も根幹にあるファルシとコクーンのことだけを。知人の思い出はほとんど全てを。自分のことは、何もかもを。都合が良すぎるんだよ、私の記憶喪失は」

まるで、“コクーンという存在に違和感を持つ”ように調整されたようで。
まるで、“コクーンに生まれ落ちたんじゃない”じゃないかといつか疑問に思う。
まるで、“コクーンの敵を作るために”産み落とされたかのように映る私はどうすればいい。

「今回のこと。演劇か何かみたいに、話が組まれすぎに見える。さっきもジルに言ったけどね、PSICOM相手に私たちはいくらなんでも優勢すぎるんだよ。ここまで来ると、いくら私でも仕込みを疑うっつーの」

「……ほう?」

黙って聞いていたバルトアンデルスはぐにゃあと笑みを深めながら、とうとう耐え切れずにそう返答した。面白かった。目の前の女が面白くて仕方がなかった。
まさか、そこに辿り着くだなんて思っていなかった。

「どこから始まってたの。この、“色んな人を”犠牲にして成り立つ演劇は。つい十三日前に始まったものじゃないでしょ。私の存在は、この戦いのために配置されたものだ。記憶のない私をあの士官学校に放り込み、先輩たちと出会わせる。大佐にまで昇進させて周りとの不和を煽り、異跡になんとか送り込む……私をここに配置したのは、PSICOMを躱させるため?大して役に立ちやしないけど」

ずっと疑ってたんだ、本当は。
コクーンは私にとって、“馴染みが薄すぎる”。私は用意された駒だ。ファルシによって仕組まれた人間。

「そのとおりだとして――それを聞いてどうするつもりだ?」

後ろでルシたちがじっと、私とバルトアンデルスを見つめていた。突然の話に、困惑しているみたいだった。
バルトアンデルスは、思わぬ余興に身を一瞬だけ震わせる。

「簡単だよ……この茶番の始まりが十年前で、もしも私を利用してあの人たちを、私の大事な人たちを巻き込んで、あんな目に遭わせたんだったら」

ヤーグの腕の感覚を、ジルの揺れる瞳を、あなたの躊躇いを私は覚えているし絶対忘れない。
絶対に忘れない。何があっても。忘れないし、許さないと決めた。あなたたちを苦しめるもの全て許さないと、もう決めたんだ。

「何があってもお前をブチ殺す……!」

この戦いのために私が生まれたんだとして。
それでも私はあなたのために生きるの。

「……ふん、愚かしいことだ。そこまで理解しているのなら、いっそ全てが作り物だと気づいても良さそうなものを」

「え……、」

とんでもなく気になることを言われた瞬間であった。先程と同じ、無属性魔法のルインが私を目掛けて真っ直ぐに放たれる。
完全に意識が戦闘から逸れていた私はとっさの反応ができず、ハイペリオンを手に立ち尽くす。

「ルカ!!」

すんでのところで、ファングが私を思案から引きずり出すように引っ張った。辛うじて避けた魔法は軌道を歪めながら背後の扉に衝突し、重厚な扉を軋ませる。
もう出られない、後には退けなくなってしまった。それを理解して、ルシたちは武器を取ることにする。

「ルカ、来るぞ!!」

「……わかってるよ!!」

ああ、もう。ああもう。
世界はこんなに歪むのに、どうして。

バルトアンデルスはどこか、あのファルシ=アニマに似ている。あのときに似ている。
魔法が何度も放たれては弾け、その度にどこかしらに怪我を負った。ホープくんやヴァニラがすぐに治療はしてくれるものの、痛みの蓄積が精神を圧迫する。
くらくらと揺れる脳髄を無理矢理に支えるのは、多分この世界で最も尊いもの。だから彼女は立ち止まらないし、戦いからは逃げられない。

「硬い……!!ファング、ヴァニラ!!」

「はいっ」

「おうよ!!」

バルトアンデルスに攻撃がほとんど通用している気がしない。
それに気づいたライトが、まずそこを叩くべくジャマーの二人に妨害を求めた。それに呼応して、二人はデプロテとデシェルを放ち始める。そして、エンハンサーのサッズとホープが、味方の能力の底上げに入った。能力が高められる様に、ルカははっと息を吐いた。
この10年が、魔法一つに上塗りされる感覚。ルシというものが何を凌駕してしまうのか。何を超えてしまうのか。10年全てが無価値になった気がして、息が苦しい。
シドのところで補充したギア魔法を発動させ、炎をハイペリオンに巻きつけた。それでも、私が持てる最大限を。

「おまえが私の期待を裏切ったことはない」

演習でモンスターに囲まれてしまったときも。モンスターの巣を発見してヤーグと二人で死にかけたときも。そしてこの旅路でも、この剣は。

「だから、きっと今回もおまえは私を守ってくれるよね」

冷たい金属を炎の赤で彩って、私は剣先をバルトアンデルスに向ける。勝てる、大丈夫。だって私は、こんなところで止まれない。
走り出した勢いを守りながら、剣を突き刺して切り裂いた。みちみちと、自分の総量を一つの色の感情が埋め尽くすから、それを抱いたままにルカは舞った。

「殺す……!!」

全てが茶番だった。だとするなら。

ヤーグは苦しんだはずだ、あいつは私を憎んでも嫌ってもいないんだもの。

ジルはしなくていい覚悟を決めて、私を失うことを選ばざるを得なかった。

先輩は悲しんでいた。いつだってあの人は、結末が見えてしまうひとだから。

ファルシが仕組んだのだ、全て。私を異跡に落とすために。
ジルたちはそうしなければいけなかった。わずかではあれど思考を操ることくらいファルシには難しいことじゃないんだって、そんなことファルシ学を学べば誰でも知っている。
そして今度は彼らを殺そうとしている。ヤーグを、そしてジルを。次はあの人に手を伸ばすのだろう。

彼女という器の中で燃えるその感情は、ぐらぐらと煮立つように弾け続ける。許せないし許さない。大切なもの。×しい人たち。
この世で最も尊い想い。苦しめる敵。私を埋め尽くしたその感情の名を、怒りという。

「返せよ」

幸せな十年だった。
ジルがいてヤーグがいて、先輩がいて。たまにリグディとかもさ。
それが全部、奪われた。もう戻れない。理解したのは多分最初だ。異跡で目が覚めた時には私はもうわかっていた。私がまた、“彼らと共に生きる未来はない”んだって。
だから。

「返せ……返せよ!!」

意味の無い言葉だと、自分でわかっている。けれどやるしかなかった。私は、こんな現実を前に、お行儀よく座ってられるほど拝理想主義者じゃないのだから。
顔の並ぶ、化物。中央に鎮座する一つの顔、眉間、ど真ん中。ルカの渾身の一撃が、そこに向かって突き立てられた。
何度も魔法を浴びせられ、弱体化され、少しずつながら体力が削られていることを自覚していたバルトアンデルスはそれでついに限界を感じたのか、――頃合いだ、と呟いた。口角がぐにゃりと歪んで、その化物は笑う。
そして。

「あ……」

ルカはその刹那、視界がひび割れたかのような錯覚を覚えた。そして一瞬の後には、バルトアンデルスはクリスタルの粒子に身を堕とし、空気に溶けて霧散する。
消えてしまった。そのことに失望を覚えながら振り返る隣、サッズが溜息をついた。

「聖府の親玉がファルシたぁな……」

「じゃあ、聖府を操っていたのはファルシ=エデンじゃなくて――」

「言ったはずだ。私が王だと」

ホープの言葉を継いだのは、今倒したばかりの……バルトアンデルス。ダイスリーの形を取ってはいても、その老人の正体はもうとっくに知れてしまっている。

「そう簡単にファルシにゃ勝てねえってか……!!」

「勝てないのではない、勝とうとしていないのだ。お前たちは、ファルシに勝つ方法を既に知っている」

ぞわり、と。言葉が頬を撫でる感覚に寒気がした。私は、その先の言葉を知っている気がして。
得体の知れない異物感が喉の奥を這い上がっていた。

「魔獣ラグナロク」

その名さえ知らないはずの私は困惑と共にじっとうつむいた。ルシたちはなにかに気付いたような顔で表情を曇らせる。
ただ、使命を忘れてしまったファングだけが、声を上げる。痛むのか、腕の烙印を押さえながら。

「ラグナロク?なんだそれは」

「クックック……使命を忘れた愚かなルシに、教えてやろう」

ファングの言葉に笑みを深めたそいつは、ルシたちを指差しながら、

「おまえたちの使命は魔獣ラグナロクとなり、コクーンを滅ぼすことだ。お前たちの誰かがラグナロクとなり、ファルシ=オーファンを倒してコクーンを破壊する」

「ファルシ=オーファン?そんなファルシ聞いたことねぇぞ」

「ファルシ=エデンの力の源だ。オーファンの力をエデンに供給し、その力でエデンはすべてのファルシをまかない人間を養ってきたのだ。オーファンを破壊すればその力は暴走し……コクーンは崩壊する」

導体の中を力は奔流となって流れている。それを途中でぶった切ったらどうなるか。そういうことであろうか。

「つまりラグナロクになって、オーファンを壊せば……」

「使命は果たされるだろうな?」

にやりと笑うバルトアンデルスに、ファングが唸る。使命がずっとわからなくて、混乱していたけれど。それが使命ならば……もしかして……、
彼女の異変に気づかないライトニングは、いっそ侮辱であったその発言を許さない。

「ふざけるな、与えられた使命など!!」

「セラは『コクーンを守る』ことを願ってクリスタルになった。だったら、俺たちの願いも同じだ!俺たちは俺たちの願いに従って、クリスタルになってみせる!!」

違う。
そういえば最初も、そう思った。

「愚かな!!その娘の真の使命を教えてやろう!!
お前たちが集まり、娘はクリスタルになった。ならば使命は、お前たちを集めることだ。ラグナロクになりうる道具を集めるための囮に過ぎん!
……どうした?考えもしなかったか?それとも……考えまいとしていただけか?」

スノウくんの喉がヒュッと鳴ったのが聞こえた気がした。
現実を理解したくない気持ちは、誰しもにあった。
けれど時は進むから。

ふと、異音を感じ、そしてほぼ同時に艦が大きく揺れ動きだした。足元がふらつく。オペレーターももう誰も居ない、軌道は修正されない。

「真実を拒むのなら、現実を見せてやろう」

ふと、私の隣を鳥が駆け抜けた。幸運を呼ぶ鳥、一羽の梟。
それは、一瞬で姿かたちを変化させ、ルシたちの前に軍用艇として現れた。……見覚えがある、ビルジ湖から飛び立ったあの時の艇だ……!

「逃げ延びて、現実を見るがいい」

バルトアンデルスはぶわ、と空気に溶けるように、先程と同じく霧散して消えた。
一体なんだったの、そう思うと同時にまた、艦が大きく横揺れした。
……どうやら、迷う余地は無いみたいだ。ライトが舌打ちするのが聞こえる。

「行くぞ!」

あの時と同じく、結局その艇に体を滑り込ませた。あの時とは違って、見たくもない道しるべだけはあったけれど。








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