きみが滲む世界







どうして私はこんなに打ちのめされているのだろう。

「どうやら、密告というのは嘘の情報だったようだな」

「……は、確認が足りず。申し訳ありません」

ダイスリー代表のため息すらどこか遠い。いつもなら、何かミスがあれば、それを取り返して余りあるくらいに新しい手柄を立てようと思うのに、今はそれができなかった。
……嘘の、情報。嘘。嘘。嘘。わかっていたことだ、あんなの絶対に嘘だと。当然の事。言葉を覚えたばかりの幼児にだってわかる。鵜呑みにする人間がどこにいるというのか。……ここにいたわけだけど。

とにかく敵の言うことは絶対に嘘、理性が心がいやいっそ世界のすべてがそう告げているのに、一箇所、感情の小さな一部分だけが「嘘なんかじゃない」と叫んでいて、その結果。
あの子は結局私に嘘を吐いた。初めての嘘。絶対に嘘だけは吐かなかったルカが、私に嘘を。

第一制御室を兼ねるブリッジを出る。手を洗いたかった。冷たい水に触れたかった。そう思えば思うほど、手に汗が滲む。まるで誰かの手をずっと握っていたかのような気持ち悪さに辟易する。化粧室にたどり着いて、煩わしい手袋を力任せに引き抜いた。それは洗面台に転がって、水が上質な革を台無しにするけれど、今はそんなことにも構っていられない。ばしゃばしゃと水を撥ね上げながら手を洗う。冷たい水は、私の熱を奪いながら排水口に消えていった。

「…………、」

息が苦しい。喉の奥がひりひりと、錠剤を大量に飲んだかのような違和感を訴えていた。……私はどうして、こんなに打ちのめされているのだろう。自分でこの状況を招いておいて。そうだ、私が自分でこの状況を作った。ルカを追い詰めた。私に敵対するように、立ち向かってきますようにと。
ずっとこうしたかったはずだ。最悪の決別。彼女をとことん突き放して、馬鹿馬鹿しい友達ごっこはもうやめてと心で叫んだ。どうせ元には戻れない。
そうだ、私はずっとずっとこうしたかった。……こうしたかった?ええ、そう。彼女を傷つけてやりたかった。そのくせ傷つけられたら息が続かなくなるなんて、いくらなんでも身勝手が過ぎるだろうに。ヤーグはよく私に付いてきたわねえなんて内心で苦笑した。奴には奴なりの理由があるにしろ、あれも酔狂な男だ。さて、もうおしまいだ。顔を上げる。鏡の中には、見慣れた均整のとれた顔が、青白くこちらを睨みつけていた。

「……終わらせましょうね、早く」

あちこちに残るのは躊躇い傷ばかり。きっと痕は消えないのだろうけれど、それなら一気に刃を引くしか。






心に多大なるストレスと苦痛を強いる第五制御室での出来事―訴訟も辞さない―から、おおよそ30分程度は経っただろうか。警報が鳴らなくなってかなり走りやすくなった廊下を、目に付いた兵士を適当に狙撃したりなんだりしつつ駆け抜け、右翼へ降り立った。そこはおそらく自分たちの潜入経路としては最も可能性が高かったはずで、当然と言うべきか兵士も兵器も今までとは比較にならないくらいに溢れ返っていた。

「ったく、わざわざ警報まで切ってこれか!!」

「まぁまぁ、ここまでほぼ無戦闘で来れたんだから、さっ!」

上に跳ねると集中砲火を喰らう。だから前回り気味に、地面に避ける時でも丁寧に。ついでに何人かの足を壊せたら上出来だ。

「無理な注文でも、恨んじゃやーよ」

男女平等はPSICOMでは当たり前なので、敵方には女の子も居る。見たことの無い顔の彼女の即頭部に蹴りを叩き込んでダウンを狙いつつ、ルカは走り出した。風が強い。躊躇いは命取りだ。
銃弾が足を掠めるも止まらない。気にしない。痛みは後でまとめて感じりゃオーケー、ホープくんにでも治してもらえばいい。目の前の、自由に空を飛び回るヴェスペ陣風に向かってジャンプ。途中で「5622、シルバー!」、敵対モード強制解除コードを叫ぶ。コミュニケーターをぶっ壊すついでにヤーグのパスで聖府の兵器リストに侵入して手に入れた最新のコードだ。従順に地面に頭を垂れようとするソイツを踏んで、さらに真っ直ぐ目の前のコンテナの上へ飛んだ。

「頭低くしといてくださいなっ!」

腰に括りつけたいくつかの転移装置。そのうちの一つのスイッチを入れると同時に、一瞬で手元に現れたのはいわゆる重機関銃。昨日先輩のところから失敬したやつ。
回転式の三脚つきのそれを構えると、ルカは引き金を引き絞りながら銃ごと“回った”。と、横一列に、重めの弾丸が行儀よく発射される。そのまま一周する頃には、空を跳ねていた兵器の半分が地に向かって逆さまに落下を始めていた。あとはちまちま減らすか。スコープを覗くほど無防備にはなれないので、そのまま適当に数体狙撃して落とす。PSICOMも馬鹿じゃないので、その頃にはルカからなるべく距離を取るようになっていた。

「でもなんというかあの、予算切り崩して作ったせっかくの兵器がこうも簡単にぶっ壊れる様はあの、感慨深いものがありますねェ……」

「どうっでもいい!さっさと降りてこい、急ぐぞ!」

「はーい……」

下から飛ぶライトの怒号にルカはため息をつくと、コンテナから飛び降りる。着地の衝撃で、先ほど銃弾の掠めた足が痛んだ。

「うぎぎ……」

「大丈夫ですか?」

少し離れたところでスノウにケアルを掛けていたホープが、声に気づいてケアルを放つ。と、それはコンテナを飛び越えてルカに届き足を治療した。それに礼を返しつつ、ルカはふむと嘆息した。確実に能力が上がってきている。これだけの距離で、結構な大きさの傷を一瞬で治療するだけの技術。

「いやー末恐ろしい……」

ライトやファングの戦闘能力も上がってきているように見える。スノウなんて、ずっと盾として前進し続けてきたのにほぼ無傷だなんて。これは早々に隠居を考えなあかんなあと苦笑いし、ルカは再度走り出す。とりあえず今はまだ現役。
ブリッジへは、艦首通路を通らなくてはいけない。これが一体なんのメリットを計算して作られたのかわからない網目状迷路になっている意味不明な道なわけだが、カードキーを持っていない以上そこへはこの右翼から壁を壊して入るくらいしか道がないという嫌がらせ設計になっている。
ヴァニラたちとどこで合流できるかはまだわからないけれど、とにかく先へ進まなくては。と思った瞬間だった。前方を走っていたファングが急に立ち止まったのだ。突然どうした、そう思ってふと気づく。頭上から“影”が落ちてきた。反射的にハイペリオンを抜き取り、視線を上に上げた。

「カラヴィンカ……!3185、ブラック!」

襲撃機カラヴィンカに向けて、敵対モード強制解除コードを放つ。も、なぜかカラヴィンカは止まらずに半歩引いたルカすれすれを通り抜けた。しかも先端の牙に電気を伴って。
解除コードが通用していない。つまり、切ったシステムが徐々に復旧しつつあるということだ。復旧があまりに早いから、予備のシステムですべて上書きしているところだろう。先ほどのヴェスペ陣風はコードが効いたということは、“少なくともカラヴィンカまではコードを変更したが、ヴェスペはまだ完了していなかった”ということである。
しかしこんなにもあっさりと、システムを乗り換えるとは。設定とか情報とかいろいろとオサラバじゃないか。後で泣くのはシステム部の人間だからいいやとでも思ってるんだろうどうせ。さすが我が友人はやることが汚いしずっこい。

「おいおいライト、こいつは何の奇跡だってんだ?」

「そうだな、倒すとヴァニラに近づける!それでどうだ!」

「燃えること言ってくれんじゃねーの、よッ!」

言うと同時にファングが高く飛び、三叉槍を槍投げの要領でカラヴィンカに投げつける。それは上手いこと関節に突き刺さり、カラヴィンカは電子音の悲鳴を上げた。

「そうだ、電気だ……」

そういえば、カラヴィンカの攻撃は電流を用いて攻撃力を底上げしているのだ。内蔵電源だけでそんなことをすれば、2、3回攻撃しただけでバッテリーは干上がってしまう。だから、電気を使って体を動かして、そしてその動きで自家発電しているはずだ。その前提で見れば、横に広がった羽根状のものはまさにそれに適した形をしている。つーかあの羽根それに使うんじゃなきゃまるで意味ないだろ空気抵抗一切受けないじゃんあんなハリガネ状の羽根。飛ぶのになんら貢献してないよ。ヤーグお前これ完全な設計ミスだよってさっきまで思ってたよ。

「ライト、ファング、羽根!羽根を狙ってみて!」

「羽根だあ?あんな羽根落としたところで意味ねーだろが!」

「ちっげーよ羽根落とせば攻撃無力化できるかもっつってんの!!」

ライトはルカのその言葉を聞くや否や、羽に向かってまっすぐファイアを叩きつけた。そうだぞ偉い人には従え。私あんまり偉くないけど。
と、カラヴィンカの左翼の配線がむき出しになったのが肉眼でもわかる。この調子だ。ルカもまた、シドのところで補充したギア魔法を用いて右翼を狙った。左翼の配線がライトによって溶かされてしまうと、つまり電気の回路が壊された状態になる。カラヴィンカは攻撃続行は困難としたらしく踵を返すと、真っ直ぐ空の彼方へ逃げ去った。あらまあ素晴らしい逃げ足だこと。

「マジかよ……」

「ルカさま従わなくてごめんなさいって言ったら許してあげなくもない」

「へいへい、すいませんでし、た……!!」

ファングがへらへらと笑ってそう謝った、その瞬間であった。パラメキアの外壁が突然爆破されたのだ。また敵襲か、と全員が反射的に武器を構え、そちらを見やった。と、そこには。

「ヴァニラ!!」

「ファング!」

中から顔を出したのは、まさに探していた仲間の姿。おお、やっと再会できた。そう思うと同時に、スノウが険しい顔を上げ叫ぶ。

「来たな!!」

「おう、待ったか?」

「敵だよ!」

サッズの後ろから飛来するニつ目のカラヴィンカ。スノウの警戒しての声を歓迎だと思ったのかおっさん馬鹿かいいからさっさと降りてこい。人差し指に取り付けられたギア魔法のチップに親指を擦り合わせ、魔法を発動させる。せっかく場所が場所なんだから、風を使ってみるのも手である。

「しっかしよー、ヤーグが作った兵器だと思うとどうも壊しにくいですなー」

「兵器は兵器だ、ロッシュ中佐じゃない」

エアロ魔法で羽根を包み込みもぎ取るだけの簡単な軽作業にちょっとネガティブな気分になるが、隣にいたスノウがそんな一言を放った。まあ、それはまさしくそのとおりだけれども。と、決死の覚悟かプログラムか、先端の牙だけでも私たちに食らわせようと落ちてくるカラヴィンカ。スノウがばっと前に出て、ガード魔法でそれを弾き返す。
白いコートがはためくのも、自分の前に立つ姿も、すべてに一瞬イラついたが、これはスノウくんだ。イライラするのは、どうしたってあの人が前に立つことを止められないからだ。スノウのせいじゃない。

視界の端でファングが跳ね、翼のなくなったカラヴィンカの脳天めがけて槍の先端を突き刺す。そしてそのまま地面に落としてしまうと、もうカラヴィンカは完全にショートしてしまっていた。
それを見届けると、突き刺さった槍もそのままに、ファングは駆け寄るヴァニラを抱きしめた。おうおう、感動の再会。と、ファングが突然ヴァニラのスカートを捲り上げ、烙印の状態をチェックする。反射的にバッと男衆三人が顔を背けた。

「ちょっ……と突然女人のスカート捲んのはやめんさいよ」

「よし、まだ余裕だな」

「ファング、私本当は……」

だめだこいつら聞いてない、ていうか下界ではスカート捲りって許される範囲なの?そういう奔放さを大事にしている感じなの?ファングが再度抱きしめたヴァニラをそっと離す。

「心配させやがって。……死ぬほど説教してやる」

「……で、今後のご予定は?」

「聖府転覆!」

スノウが胸を張って活き活きと答える。いや間違ってないけどその言い方なんかやだなあ。ひっくり返してあとは放置みたいじゃん。と、ライトニングが真剣な顔で四字熟語の中身を解説する。

「上手くいけば、コクーンを人の手に取り戻せる。ファルシに毒された聖府の欺瞞を暴くんだ」

「上手くいったら、奇跡ですけどね」

はは、とホープが少しだけ心配の色を滲ませてつぶやいた。後ろからファングがそっとその背を叩く。自慢げに。そして必死に不安と戦う仲間を励ますように、力強い声で、笑った。

「大丈夫だ、奇跡はうちらの得意技だからな!!」

誰もがそれに笑った。道は続いている、奇跡が繋いでくれているのだと。




――奇跡なんて、まだ一つも起きてないけどね。









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