「やりきれねえなあ。ガキを巻き込んじまうなんてよ」

 サッズが疲れた様子でそう呟く。視線の先には、少年とツインテールの少女。でも彼らはまだ幸運なほうだ、捉え方によっては。ルカはそう思う。問答無用で殺された子供も、大量にいたはずなのだから。
 抵抗する間があることは、希望を抱く時間があることは、果たして幸運なのか不運なのか。そこまではわからないが。

「でもま、パージからはなんとか逃れられた。どこまで逃げれるかわからないけど、少しでも長く逃さなければ」
「ガキどもは俺が守るよ」
「俺から見りゃ、お前らもガキさ」

 大男が笑顔で胸を張るが、サッズに肩を叩かれ不服そうな顔をした。そういうところが子供なのだ。ファロンが呆れた様子で、ちらとこちらを見遣り、すたすたと歩いて行った。彼女も同じことを考えていたのかもしれない。

「下界のファルシに手え出したのが、ケチのつき始めだな。聖府に任しときゃ良かったか」
「いやいや、あいつらにファルシをなんとかできるわけないじゃないですか。下界に落とすことすら満足にできてないんだよ? だからパージなんて反対なんだっつうのに」
「ま、生まれた時からファルシに頼りっきりだったしな……」

 サッズが深いため息を吐く。いざ内側から見上げてみれば、聖府は全く頼りなく思えた。

「それでも、あんたは戦った。あるんだろ? 守りたいものが」
「……“あった”、かもな」
「もう無いの?」

 ルカがつい問うと、サッズは一瞬ぽかんと口を開き、それから鋭い目をして「いいや」と首を横に振った。

「そう、それはよかった」

 因果なものだ。
 サッズのことは、ひと目見て、名を聞いたときにわかっていた。ルカはPSICOMの将校なのだ。聖府のルシが見つかったことについて知らないわけがない。他に方法がないと彼が思ったのなら、聖府に拘束された聖府のルシの代わりに使命を果たそうとしたとて、違和感はなかった。シ骸よりクリスタルのほうがましだと思ったのも、実際両方を目にした以上理解できる。

 ただ、立場の違う人間が少数集った現状のアンバランスさを嘆いているだけだ。聖府のルシの保護者、下界のルシの恋人と姉、PSICOM将校の自分、そして出身の怪しい一人の……。
 そしてそれらが、ルカを除いて全員ルシだと言うのなら。

「……ふむ」

 コクーンを守るだの、壊すだの、ルカには関係も興味もないことであるが、少なくとも成り行き上、同じ谷底へ向かう船に乗り合わせた彼らを分散させることは避けるべきだ。己に対しても彼らそれぞれに対しても、批難や疑惑が集中することは望ましくなかった。生き延びるためには全員が協力するべきだ。
 最後尾を歩き、ルカは口を引き結んで小さく唸った。前方から、ツインテールの少女が急かす声を上げて手をふる。そちらに向かいながら、ルカはもう一度ため息をついて唇をすぼめた。

 こういうの似合わないんだけどなあ。ルカに頭を使うのは似合わない。ルカの代わりに考えてくれる人間なんてたくさんいたから。思考の似合わない軍将校とは、いやしかし無能将校であることこそ今の己のアイデンティティのおよそ半分を占めるからして。
 一方、自分で考えることを放棄して生きていた己が彼らにとって捨て去りたいほど憎たらしい存在だったのではないかなどとは、ルカは考えなかった。そうではないことだけはわかっているからだ。ルカのことを疎ましく思っていたわけではない、それだけは確信している。だからこそ折に触れて考え込んでしまうのだ。

 まあでも、どのみち、戻れないんだろうな。もはや感情の起伏もなく、ただ単純にそう思い、ルカはそれを受け止めた。学生時代の延長のような緩慢さを微量ながら孕んだ日常は、ぞんざいに投げ捨てられどこかへいってしまった。
 追いついた大人たちの一人、大男がふいに、全員に届くよう声を上げた。

「なあみんな!こうして会ったのも何かの縁だろ、自己紹介しねーか? 俺はスノウ、スノウ・ヴィリアース。お前は?」
「……ホープ・エストハイム」

 声をかけられた少年は一瞬戸惑いと嫌悪を顔に浮かべたものの、不承不承名乗る。この状況下で名を名乗りもせず、お前達と共存する気はないぞと言わんばかりの主義主張をかますことなど、する意味もなければする度胸もないのだろう。
 と思ったら、ヴァニラと名乗った少女が問うたファロンはあっさり質問を黙殺していた。意味はなさそうだが、度胸はありそうである。代わりに、この中では一番彼女とつながりのありそうな大男改めスノウが回答する。

「ボーダム治安連隊所属、通称ライトニング! 名前は知らねえ」
「つ……通称……だと……!? 噂のコードネームってやつだな! ウッワいいなあカッコイー」
「……」

 ルカが口を覆いながら、ファロン改めライトニングを見遣ると、彼女は目を細めて舌打ちをかました。軍内部の階級意識は一旦捨て去ろうと提案したのはルカであるが、順応の早い娘である。

「だって、PSICOMにはそういうのないんだもん。まず無線で名前呼ばれることがないからなあ、書類にサインが載るくらい」
「いや、呼び名を聞いたことがあるぞ」
「鉄血とか雌犬ってのはコードネームじゃなくて罵倒って言うんだよ。陰口用の隠語ばっか豊富」
「それを上官に知られていた兵たちはさぞ居心地が悪かったろうな」
「えっ、や、やってないよ。悪口叩いてるとこにまーぜてっなんて言って入ってったりしてないよ」
「……」
「白い目で見ないでください」

 言いながら見つめ合う軍人二人を見て、スノウが戸惑いを隠せず「PSICOMのダメな話ばっか聞いてんな……」と零した。PSICOMのダメなところを大いに担うルカがいるのだからしかたねーだろ。

「さて、私はルカ・カサブランカ。ルカって呼んでね」
「俺はサッズ。サッズ・カッツロイだ」

 一通り自己紹介を終えたところで、不意にライトニングが立ち止まった。ライトニングは呆然とした様子で正面を見て、「セラ」と呟いた。

「セラ!!」

 大声で名を叫んだスノウが駆け出す。彼の視線の先には、セラのクリスタルがあった。ビルジ湖の結晶化に巻き込まれたのか、彼女の体を取り巻くようにしてクリスタルが彼女を地面に縛り付けている。彼女を動かすことができないと知るや否や、彼は廃材を拾い上げ、留め金になってしまっている周辺の水晶を叩き、削り取ろうとし始めた。
 ヴァニラが、私も手伝う、そう言って駆け寄り、サッズもまたそれに続く。水晶の硬度が高いことを知っているルカは、どうせ不可能なその作業に参加すべきか一瞬悩む。と、背後から呟くような声が聞こえ、振り返ったときにはライトニングはもう背を向けていた。さよならだ。彼女はたしかにそう言った。

「ライトニング……?」
「……ねえさん!? セラを置いていくのかよ!!」

 同じく彼女の離脱に気付いたスノウは弾かれたように振り返って、ライトニングに問いかけた。彼女は背中を向けたまま、淡々と告げる。

「PSICOMが狩りに来る。見つかれば全員くたばる。それで、セラが喜ぶのか。お前に、セラの気持ちがわかるか」

 言葉尻には、お前なんかに、という侮蔑が込められている。それは部外者のルカでさえ感じ取れる、彼女が彼に嫌悪を向けていることは明らかであった。ここへ至るまでの道筋でも、すでにさんざん理解させられたことではあったけれど。
 しかし、スノウもスノウで、今回ばかりは言われてばかりとはいかなかった。

「置いていったら、わからないままだ」

 ライトニングの肩がわずかにぴくりと跳ね、ルカは目を細めた。置いていきたいわけではないだろう。ライトニングは彼女のために、異跡へ現れファルシに挑みかかったのだから。それでも彼女は今、さまざまな恐怖と憎悪と怒りを燃やしながらも、離別を選んだのだ。先へ進むために。本当なら同じように跪いて、妹を救いたいだろうに、その心を自ら捻じ伏せた。
 だからこそ、スノウの言葉は、翻って突き刺さる。

「大丈夫だ。敵が来たら、俺がみんなを守る。誰も死なせない。この世界を守って――セラも守る」
「……」

 狙いすましているかのようだと、蚊帳の外のルカは思った。ライトニングの心の弱いところを、おそらくは彼女がその強靭さでもって押さえつけているその箇所を、狙いすまして撃ち抜くかのような所業だ。
 鬼気迫る形相で振り返るライトニングから怒気が茹だって湧き上がるような錯覚を覚える。彼女はスノウに向かって拳を振り上げ、思い切り振り抜いた。アッパーカット一撃で一瞬宙に浮いたスノウの巨体が地面に落ちる。
 なおも攻撃を続けようとするライトニングを、ルカはついとっさに止める。

「止めるな!! こいつは……こいつはッ!!」
「落ち着け、わかってる、わかってるから!」

 スノウの言葉にだけ抱く怒りではない。少女一人を狩り立てたPSICOMにも、それを止められないルカにも彼女は怒っているのだろう。それはただの怒りなんてものではなくて、相手の生命すべて食らい付くしても収まることのない、皮膚の内側が沸騰して突き破り燃えたぎる激しい憎悪だ。
 スノウも同じだ。きっと、感じている心そのものは同じだ。ただこの二人、おそらく強がる方向性が真逆なのだろう。潰されないように必死だからこそ、それを否定する相手を否定しようと躍起になっている。

「義姉さん、大丈夫だ。俺が全部守る!」
「……ちょっと。スノウくんももう黙りなさい」
「アンタも、無理だって決めつけるのか!? 俺は諦めない、セラは俺の、俺の……ッ!!」
「うるさい。君とセラちゃんの関係なんてどうでもいい」

 突き放したように言うと、ずっと我関せずと黙っていたホープはこちらを見て、ヴァニラはクリスタルを掘る手を止めた。果たして、ここで己は何を言うべきか。
 部外者であるからこそ、“言いたいこと”を言う権利はない。置いていかれた側のルカの心なんて、最初からどうでもいいと知ってる。

「スノウくん、あなたね、守る守るって言うけど。それが簡単じゃないことくらいはわかってるよね?」
「……だからって、俺にはセラを見捨てることはできない」

 静かに吠えるように彼はそう言った。その言葉に、ルカの背後のライトニングがわずかに震え、たじろいだのを感じた。スノウにその気があるのかはわからないが、今のその言葉はライトニングへの糾弾に等しい。

 大事な人を、大事に思ったまま別れることは、思っている以上に胸を引き裂かれるような痛みを伴う。それを捨てるなんて言葉で責められたら、誰だって傷付く。脳内を友人の影がちらついて、ルカは内心で舌打ちをした。

 全く同じ状況になったとして、己はどうするだろうかと自問する。すぐそこで凍りついているのがセラではなく、彼女なら、彼なら、あの人ならば、と。それを置いて逃げるなんてできるだろうか? あるいは掘り出して、助けようとするだろうか? そもそもクリスタルになってしまった時点で、おそらく絶望し、共に死を選ぼうとするだろうと思った。この子らよりずっとひどい。守るなんて言うことさえできず、終わりだけを重ねて無理やり満足するんだろうと、思う。少なくとも死ぬときは一緒だったと、だからそれだけで満足しなければならないのだと。

「ろくな道具もなく、掘り出すのには数時間かかる。さっき見た地図から考えて、その間にここに到達する兵は分隊が四……人数にしておよそ三十人かな。君は最低でもそれらを皆殺しにしなければならない。全員に家族があり、友人があり、おそらく恋人もいるだろう。将来を誓い合った誰かが。君は、それらを皆殺しにしなければならない」
「んなこと、俺はッ……!!」
「私はそれをためらわないが、果たして、君はどうだ? その間、本当に君は他を守りきれるかな? 兵は当然、弱者に見える者から狙うだろう。君は一番最後だよ。騒ぎになれば真っ向から戦う相手のみとは限らない、長距離射撃も行われる。人間の体を文字通り分断するような大口径の銃弾が降り注いだら、君はどうやって、人を守るの?」
「……っ」
「ここに残ることを誰かに要請するとすれば、それは、心中の要請にも等しいんじゃないかな? そもそも……ここに来るまで、聞く限り相当な惨劇があったようじゃないか。君はそのすべてを防げたか? 君の目の前で死んでいった者は、一人もいなかったのか? ……保証がないなら、君の言葉は、こうも言い換えられてしまう」

 自分が満足して死ぬために、先に死んでくれ。
 とね。

 彼は口を開いたが、何も言葉にはならなかった。この上なく具体的な惨状の説明を前に具体的な対応策を述べられるなら、彼はとっくにそうしているはずなのだ。絶対に反論できないことを若者に言い募る己は大人としてどうなのか内心歯噛みしながら、ルカは彼を鋭い目で見た。
 彼らの背負うものが少しでも軽くなるよう、ルカは戦わなければならなかった。スノウを言い負かして、彼に“意地悪くも言い負かされた”という言い訳を与えてでも、連れて行くべきだと思った。

「ライトニングはそういう意味で、ここにはいられないと言っているのよ。そもそも掘り出せたとして、どうやって運び出す? その過程で、やはり同じことになるだろ。考えれば考えるほど、結果は同じだ。君は、これが敗走であることを認識すべき。私たちは、徹底的に、敗北してるんだよ。もうほぼ死体なんだ」

 ルカが目を細めて言う言葉を聞いて、彼は苦しげに顔を歪めた。パージを止められなかったのなら、迫りくる軍隊とも戦えない。不正解も正解もない。何を選んだって結局死ぬかもしれない状況で道を選ばねばならないが、少なくともスノウの選ぶ道は、限りなく不正解に近いはずだった。

「ッ俺は!!俺は……ッ」

 負の感情を綯い交ぜにしたような顔で、彼が叫ぼうとしたときだ。ルカは気付いた。遠くから、突如光が差したことに。
 サーチライトだ。ルカはとっさにスノウを突き飛ばして転がった。ルカがそれまでいた場所に、何かが降ってくる。その重たさは揺れる地面で知れた。甲殻類か、あるいは甲虫を連想させる巨大な兵器は、前足を持ち上げルカを突き殺さんと迫った。ルカは続けて背後へ跳び、後退する。

「マナスヴィンか……ッ!!」

 重攻撃騎マナスヴィンは対物攻撃機能を持つ無人兵器である。索敵もその機能の一つではあるが、真価を発揮するのはやはり対兵器での戦闘だ。粒子を加速させて圧縮、撃ち出すことによって、十枚に重ねたチタン合金版でさえ撃ち抜くことができる。それだけの射出に耐えうる耐久性も兼ね備えており、ルカの持つ小銃ではへこみを作るのがせいぜいであろう。関節部ならばあるいはと思ったが、動きの速さを見ると自信がなくなった。ばらつきの多い、対人鎮圧が主となる小銃では相性が悪すぎる。
 それでも、逃げ切ることもできはしないだろう。甲虫と似た動きをするこの兵器の最高速度は時速四十キロメートル以上あったはずだ。
 ルカが諦め混じりに銃を構え、間合いを確保しながら戦闘態勢に入ったとき、しかしルカの前に大きな影が立ちはだかった。

「全部……守るんだ……!」

 その後姿は誰かによく似ていて、……ルカが大切に守ってきた記憶の一つであったので、唇を震わせてルカはたじろいだ。

 ……ああもう。
 くそったれ。

 ルカは小さく舌打ちをした。見たくもない現実に吐き気がしていた。



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