目を開ける力が戻るより先に、水の跳ねる音を聞いて意識が覚醒した。肌が濡れてきそうなほど湿度の高い、寒々とした空気に満たされている。ぶるりと体が震え、次いで目が開いた。青く透き通った水晶がいたるところに突き出した地面に、ルカはかろうじてそれらに突き刺さることのないように倒れていた。
 視線をさっと水平に動かして周囲を窺い見る。地面はいくらか土や石が残っているが、それでも大部分が水晶であるようだ。青、黒、白、それだけの色素がところどころ混ざり合いながら構成するその場所は見たこともないほどに美しい。

「……どこだ?ここは……」

 ルカにはそこがどこだかわからなかった。いくら辺境が警備軍の管轄であるといったって、さして広くもないコクーンだ、PSICOM高官として着任して早数年、各地の情報は頭に入っているはずだった。

「位置を普通に考えれば……ビルジの湖かね?」

 ハングドエッジはビルジ湖の上に築かれた古い居住区画だった。そのハングドエッジにあった異跡が落下したのなら、ビルジ湖に落ちるのは自然なことだ。だが水晶の突端が剣山よろしく上向いているその場所は、あのビルジ湖とは似ても似つかない。ビルジ湖なんて写真でしか見たことないけど。
 ルカは体を起こしながら、鋭く周囲を観察しようとしたが、全身各所に痛みが走るのでそう簡単にもいかなかった。体がまともに動かせるようになるまで、無意味にジタバタなどしてみる。ほぼ間違いなく打ち身である以上、動かしていいことなど何一つないし単純に治りが遅くなるだけなのは理解している。それでもルカは無理やり体を叩き起こした。

「くっそ、いてえな畜生……」

 四つん這いに近い体勢で、ルカは視線をさっと上へやった。ハングドエッジがあることを確認しようとしたのだが、暗いし遠くが霞んでよく見えなかった。つまりはそれだけ遠くから落下したというわけで、落ちた不運を嘆くべきかそれでも生きている幸運に歓喜すべきか悩ましい。そろそろ死んでもおかしくない不運に見舞われすぎていることだし。なんで生きてんの私? もしやサイボーグだったか?
 体を起こしたところで、目の前にコミュニケーターが落ちているのに気付き、肝が冷えた。慌てて拾い、カチカチいじってみる。特に問題なく反応を返すのでほっと胸をなでおろした。それから、死に瀕するほどのトラブルの直後にコミュニケーターの故障を心配している自分がおかしくて、呆れて笑った。
 でも仕方ない、買って二ヶ月で壊しただなんて知ったら、“あの人”は渋い顔をする。さすがにこの状況で、そんなことで嫌味言われていられない。

「よし、動ける……立てる……」

 少しずつ、落ちる前のことを思い出してくる。
 ついさっきまで、誰かと話していたような気がする。誰か、よく知っている相手と。夢か現か幻か、いずれにしても思い出すべきだと思うのに、それについて考えるとひどい頭痛が頭を重たくした。

 そうだ、彼らは……。
 一緒にいたはずのファロンや大男、サッズたちが無事かどうか確かめようと、立ち上がったルカは周囲を調べる。大きな岩の向こうを覗き込むと、地べたに大男が倒れているのが見えた。まだ少しふらつく体でゆっくり近づくと、視界が開けて、他の人間も全員が近くに倒れているのがわかる。ルカは一人だけ離れたところに倒れていたらしかった。ひとまず、少年と少女の脈から確かめる。呼吸、脈拍ともに正常であり、服の上からざっと見る限り外傷はなさそうだ。
 次にサッズを、それから大男を調べる。やはり、大きな怪我も異常もなさそうだ。それに安堵しつつ、最後にファロンに近づいたところで、背後で人が動く気配がした。

「……セラ!!」
「ひっ! ……ああ、起きたのか。大丈夫? 怪我はない?」
「お、おう……、って、なんだよこれ……」

 突然背後で上がった声に驚いて飛び上がってしまった。なかなか恥ずかしい。ふと見れば、その声が原因か、倒れていた他の面々も目を醒ましたようで、うめき声がいくつか続いて聞こえてくる。ルカの足元に倒れていたファロンも同じく目を開け、ルカが覗き込んでいることに気付くと体を起こし、周囲に鋭く視線をやった。ルカも改めて彼女の視線の先を見遣ると、遠くに何度か見たような設備がいろいろと埋まりかけているのが見えた。あれはPSICOMのものだ、崩落に巻き込まれたのはルカたちだけではなかったのだろう。

「ここはビルジ湖……だよなあ?あそこから落ちてきて……湖ごと結晶だと!?」

 サッズが信じられないというような声で言う。ルカもそれに頷きを返しながら、「驚いたねえ」なんて呑気な口ぶりで続けてみせる。そういえば、あの娘、セラはルカたちの目の前で結晶化したが、ファルシにはルシのみならず物質をクリスタルにする力もあるのか。
 物質を水晶にする力ねえ……。金儲けの匂いがする……。いや考えてる場合か。

「まあ、ハングドエッジはもともと、ビルジ湖の上に築かれた古い居住区画だった。地理的にも重要性ゼロで黙示戦争の後は放棄されて、誰も手を入れたりはしてなかったろうから、異跡なんてものを受け止める耐久性がなかったとしても不思議はないし、落ちてきたのは納得だよねん」

 ルカが言うと、サッズはなおさら信じられないと声を荒げた。

「いや、何がどうなってんだ、俺たちゃ、いったいどうやってここに……!」
「私が知るか」
「だからさっき自分で言ってたじゃーん、落ちてきたんだろ」
「落ちてきた、そりゃそうでもよ! 生きてるなんておかしいだろうが! 見たとこ、誰も大した怪我もしてねえし……!」
「ンー、そこはほら、ファルシがフンフフンフフーンって感じにうまいことやったんでしょ。不思議な出来事、不可解な事件ときたら、裏にファルシがいるモンだしさ。っていうか、それって論じても解決しなくない?」

 ファロンのつっけんどんな、そしてルカの至極適当な物言いに、サッズは更に苛立ちどう主張したものか戸惑ったようであったが、その彼を遮る声があった。

「セラだ……」

 ずっとセラセラ言ってる大男である。よほど仲の良いバカップルだったんだろうなとルカは若干遠い目をした。バのつくカップルかどうかは知らないが、世の仲良しアベックはもれなく全員バカップルであるとルカは結論付けている。八割方は妬みである。一度くらいそういう経験してみたかった。こういうことになる前に。

「あんなに上から落ちたのに、助かるなんて奇跡だろ? セラが助けてくれたんだ!」

 そうに違いない。なんて言い聞かせるように言ってくる。本気でそう信じているのかなんてルカにはわからないが、少なくともそう思いたい気持ちはわかる。セラが助けてくれた、裏を返せば、彼女はまだ他者への干渉力を失っていないという主張。セラは生きてる、そう言いたいのだろうと思う。だがファロンは、それを鬱陶しそうに一刀両断した。

「ふざけるな! それならファルシのせいだという方がよっぽど理解できる。いいか、セラはお前のせいで……ッ!」

 激昂し言葉を詰まらせた彼女の背後に、不意に影が湯気のようにゆらりと立った。シ骸だ、ルカは理解するより先にチップのついた手をそちらへ伸ばす。と、激痛が走り関節がピキンと引きつった。
 やべっ、間に合わない!

「ねえさん!」

 ルカの一瞬の焦燥感など蚊帳の外で、大男が飛び出しファロンを庇った。そして驚くべきことに、彼は迫るシ骸を弾き返した。ほぼ同時、彼の左腕が青く光を放った。目を瞠るルカの目前で、そのまま彼は左腕を後ろに引き、シ骸に氷らしきものを纏ったアッパーカットを食らわせる。シ骸は凍りつきながら宙を舞い、落ちると同時に崩れ去った。明らかに、人間の力ではない。

「なんだよ、今の……!?」

 大男が呆然としつつ腕を見遣る。そこには、普段目にすることはまずない紋章が入れ墨のように刻まれていた。あれは、とルカは目を見開いた。
 腕に纏った冷気は魔法だ。チップを持っているはずもない民間人の彼が、そんなものを使える理由は。ルカより先に、怯えた様子の少年が叫ぶように言う。

「魔法だよ! ルシの力だ……ファルシに呪われたんだ! ルシにされたんだよ!!」

 騒ぎに気がついたのか、奥からぞくぞくとシ骸が現れる。異跡が落ちて、中に留まっていたシ骸も外に出てしまったらしかった。
 彼らへの有効打を持たないためまごつくルカの前にファロンが出て、武器を構える。大男とファロンの隣に飛び出したのは、ツインテールの少女だった。ルカは動かない指に舌打ちをして、後ろに退いた。最悪の場合は手がどうのと言っていられないが、彼らがルシだというのなら、任せていいのかもしれない。

 ルカの手のひらはひどく爛れていた。全身の痛みが過ぎ去り緊張状態が一度解かれたことで思い出したように痛みだし、先程のファロンの危機にとっさに魔法を放とうとしたときに激痛になって主張を始めたのだ。皮膚が過剰なやけどや電撃を繰り返し受けたせいで腫れ上がって硬直し、神経を圧迫している。
 特殊繊維のグローブか、魔法耐性の効果のシェル魔法を使わないで魔法を使えば、こうなる。普通ならここまで酷くはならないものだが、ルカは魔法に適正があるのか、ルカの使用するギア魔法はどんなに控えめの設定にしても、他者の最大出力での威力を軽々上回ってしまうのだ。そのせいで、士官候補生の頃から特注のグローブか、シェル魔法で抵抗力を高めてからでないと攻撃魔法を撃てなかった。
 グローブは普段こそ腰にぶら下げた転送装置の一つに収納してあるのだが、その転送装置ごと消えているのでどうにもならない。せめてケアル魔法を所持していればよかったのだが。

 仕方がない、私は応援係ということで。心の中だけで応援旗を振りつつ、ルカは彼らの戦いを見守った。ファロンの鋭い斬撃が敵を屠り、漏れた数匹を大男が勢いよく殴り、少女が唱えた魔法によって炎が残りを飲み込んでゆく。連携というにはまだまだだが、中々に鮮やかだ。
 ファロンは強い。警備軍の人間であるにも関わらずルカが名前を覚えているほどだ、有望であった。そんな彼女にこんな仕打ち……。そう思えば釈然としないような、哀れなような気もしたが、まあでもそんなこと関係ないよなと思い直す。誰であれ、そう、ルカであれ、大した理由もなく死地に送っていいわけがない。正されねばならぬと翳す正義感も持たぬルカだが、それを持っているはずの誰かへの失望がわずかに募るのは止められなかった。

 戦いが終わり、光を放っていた大男の左腕は通常の肌の色に戻った。大男はファロンを振り返り、呆然とした様子で、「ほんとにルシなんだなー……」などと言う。
 ファロンは呆れきった表情で顔を背けるが、皆々自分がルシとなったことにショックを受けているようで、互いに刻まれた紋章を確認している。
 それは、表向きには知られていないルシの印。烙印とも、単にシルシとも呼ぶものだ。ルカが知っているのはPSICOMの将校だからである。

「……ねえねえ、ファロン? シルシができた、って感覚、どんなんだった……?」
「どんなって……ファルシに焼かれたような感覚だ。覚えていないのか?」

 覚えていないもなにも。
 ルカの体には何の異変も起きていなかった。もちろん全裸になって調べたわけでもないから、もしかしたらどこかに烙印があるのかもしれない。けれど彼らは、ルシ達は、ためらうことも体を調べることもなく烙印の場所を探し当てている。ならば何か、それとわかる感覚があるのは間違いなかった。
 であれば、それがないルカは、おそらく何も起きていないのだ。魔法が使えるような感覚もない。

「そういえば、お腹にあったような?あのときくらくらしちゃってさ、あんまり覚えてないんだよねー」

 さっと下腹を押さえ、へらへら笑って誤魔化した。とっさの判断だが、悪くなかった。正直に話せば、一人だけ無事なPSICOMの将校なんて、悪く思うなと言う方が無理だ。
 万が一彼らが暴徒と化せば今のルカには対応できない。そして、対応する権利もない。簡単には確認できない位置にシルシがあると言えば、他の全員がルシである現状、見せろとは言われないだろう。

「じゃあ、全員ルシか」
「なんで……僕が」

 ファロンが呟くように言うと、怯えからか震えていた少年が視界の端で崩れ落ちた。セラより更に若く幼い。どう見てもミドルスクール程度の年齢の少年だ。こんな子供まで巻き込まれてしまう現実に、ルカは少し気分が悪くなった。
 いや、まだ甘い考えだ。子供どころではない、パージの確定したときボーダムにいたほぼ全員がパージされ、軍人以外に例外はなかった。であれば、妊婦も赤子も老人も、別なく平等に処分されたことだろう。想像すると、更に気分が悪くなる。家族もなく、子供を持つ予定など更にないルカであるが、赤子の死を想像することは何より心を重たくさせた。

「僕は……関係ないのに! あんたらがファルシなんかに手を出すから!! 僕を巻き込むなよ!!」

 その怒りは、おそらく自ら飛び込んできただろうファロンや大男とは異なり最も正当で、反論のしようもないので、きまりが悪そうに目をそらす者もいた。周囲を睨んでいた少年はじっと大男を睨めつけ、下を向いた。

「あんたのせいで、……僕の……僕の……ッ!!」

 彼がそのあと、何を言おうとしたのかはわからない。だがそこに続けた言葉は、まるで挑発にも近い糾弾であった。

「あんたもセラも! 迷惑なんだよ!!」

 その言葉には流石に贖罪の意識が持てなかったらしい大男は、何か言葉になっていない怒号を小さく吐き出した。それに過剰なまでに少年は反応し、尻餅をついて後ずさる。
 だが、後ずさった先は、残念なことにファロンで。足にぶつかった彼に、冷たい一瞥をくれると、少年は頭をかかえてうずくまってしまう。

「あーもう。止めなさいよ大人気ない!」
「……悪い」

 ルカがため息交じりに言うと、大男は素直に謝った。ルカは彼の名前も知らないが、ここに来るまでの間に、少なくとも善良であることや勇猛であることはわかっている。ついでにファロンと揉めていることとセラとバカップルであったことがわかっているが、それはまあいいとして。
 ギスギスしたままの大人たちをよそに、ツインテールの少女が少年を励ましたことで、妙な空気はなんとか払拭された。彼女は少年を立ち上がらせ、歩き出す。ここにいても危険なだけだと判断したのだろう。賢明だ。
 私達も行こう、そうファロンに目配せし、ルカは彼女たちを追った。軍人の性か、瞬時につけた優先順位は少年と少女が同率一位だ。彼女たちに追いついてから、ルカは他の大人がきちんとついてきていることを確認し、緊急の話題を俎上に載せた。

「それで、これからどうするよ? できるかは一旦脇に置くとしても、まずはここから脱出して、潜伏しなきゃでしょ。それからどうするの?」
「……使命……とか、か?」

 サッズがこわごわと周囲のルシを見渡しながら、ルカに答える。それに対しファロンは目に見えて機嫌が悪くなった。

「果たすも何も……使命が分からなければ、果たしようもない」
「……もう、“視た”と思う」
「……視た?」

 ツインテールの少女が俯きながら言う。と、周りのみんなも、何かを思い出すかのような反応をしてみせた。
 ルカは、当然だが何も見ていないし覚えていない。黙っていた方がいいだろうと息を潜めた。

「ルシの使命っつうのは、ああしろ、こうしろって――言葉ではっきり説明されるわけじゃねえんだ。ぼんやり視えるだけなんだとよ。ま、伝説だけど、な!」

 話し始めたサッズは、周囲の視線を集めたことに気付き、慌てて誤魔化すような仕草をした。ふむ、ルカは嘆息する。やはり詳しいな。

「大佐は、ファルシについて、詳しくなかったか」
「あー……ああ。そうね、まあ部署柄、専門ではあるかな」

 ルカの仕事はいくつかあるが、特に担当しているのは“下界並び異物調査室”である。ファルシによって異界からもたらされる異物の調査をしたり、必要分市場に流したりと、まあ下界の異物に限っていろいろやっているのだ。よく知っているなと思ったが、考えれば当然か。軍に入って一番最初に覚えるのは、目立った上官の特徴だ。ルカの特徴といえば、即応師団第二連隊長であることと、何よりも第七作戦室の室長であることである。

「下界の異物を調べる限り、使命は見るものに過ぎず、読み解くことができなければシ骸になる、って。でも、下界のルシはコクーンへの攻撃がどうしても主軸になるみたいだからね。攻め込むための兵器を作れだったり、コクーンのファルシが異物を略取しようとするのを妨害せよだったり、だいたいはわかりやすい形で現れるみたいよ。下界の民はそういうのを理解する素養もあるんじゃないかなあ。そうなると、君らは不利だね」
「なんで他人事なんだ」
「えー、あー、そりゃ、私はルシであることより重要なことがありますからね?」

 しまった。ルカはつい滑った口を誤魔化して笑う。まあ、誤魔化しも嘘ではないのだが。たとえルシになっていたとしても、使命とやらに従ったかはわからない。

「ま、そういうわけだから、黙示戦争の頃ならともかく、現代的な解釈は私にもできないよ。学者ってわけじゃないしね、学者を部下にしてただけ」
「なるほどなあ……そういえば、俺がこの話を読んだのも、発表は第七作戦室、って書いてあった気がするぜ。下界の調査専門の軍人がルシとは……なあ」

 皮肉なもんだな、と言わんばかりの顔でサッズがルカを見た。ルカは肩を竦めるばかりだ。
 なにせ、第七作戦室がこの調査結果を発表したのは一年以上前、機関誌に載せた一回きりである。機関誌、つまり軍内部に向けての成果報告の一環に過ぎないものを目にするには、それなりに条件を踏む必要がある。一般人でもできないこたないが、それなりにめんどくさい。彼はそれをわざわざ読んだということだ。
 ま、それくらいはするのかな。そう嘆息した。子供のいないルカにはわからないが、親ってのはそういうものか。

 とりあえずルカは、手のひらの痛みを堪えつつコミュニケーターのマナーモードをサイレントモードに変更し、電池使用を控えるように切り替える。これで連絡が来ても妨げになるようなことはあるまい。すでに来ている着信やメールをざっと見てコミュニケーターを閉じたとき、すぐ近くから素っ頓狂な声が上がった。

「ねね、それ。手、大丈夫?」
「へ? ああ、これか」

 ツインテールの少女が、丸い目を大きく見開いて、こちらを見つめていた。特に手を注視している。そしてルカの手を取り、「ケアル」と小声で唱えた。すると、暖かい緑の光が零れ、ルカの手を包み込むや否や、次の瞬間には赤く爛れていた傷が消え去っていた。それに、歩くたび響いていた頭痛も収まっているようだった。

「よしよし。ちゃんと治ったかなー?」

 少女はルカの両手を掴み、指の間までじっくり検分した。そこに異常がないことを確かめ、うんうんと頷く。

「ああ……痛みが、取れた。ありがとう」
「どういたしまして。この指輪、かわいいね」

 ルカの指を指し、そういって彼女は朗らかに笑う。その笑みに、ルカは言葉を失った。
 不思議な子だ。とても、“不可思議な子”。世間ずれなんていうレベルではない。指輪がかわいい? この指輪が? そんなことは、誰にも言われなかった。ルカは彼女に疑念を懐きつつ、己がルシでないこと、サッズが事情を話さないこととともに、一旦は沈黙することにした。今詰問などすれば彼女はおおいに困るだろうし、それに敵には見えなかったからだ。ルカは深々息を吐き、後ろを歩く数名を振り返った。

「つまり、具体性は求めても無駄、と。広義で取って解釈していくしかないってことか……。何か、覚えてるか?」

 ファロンが未だ浮かない表情をしている少年に話しかけた。気を使っているのだろうか。先程の件もある。
 素直に謝れない分、無意識にでもフォローしてしまうのだろう。それにあれは、ファロンとしては、謝るわけにはいかないだろうと思った。少年は曲りなりにもセラを責めたのだから、謝罪すればファロンはそれを受け入れたことになってしまう。

「あの、……ええと。はっきりとはしないんですけど。大きな、すごく大きな――……」
「まさか、お前らも見たのか!?」

 サッズが驚愕に目を見開き聞き返す。話に入れないルカは、無言で彼らを見た。
 一体、何を見たって言うんだ。

「ラグナロク――……」

 ルカの心中の問いに答えを返すかのように、大男とファロンがほぼ同じタイミングで一つの名を言う。
 ラグナロクといえば、黙示戦争の伝説の怪物だ。決して暗黒剣のことでも聖剣のことでも、というか剣のことではないし、ましてや真っ赤な飛空艇のことでもない。

「全員同じものを視た――のね?」

 ルカが口に出して問えば、少女が頷いた。

「ふむ」

 ラグナロク。それが一体何であるかなどルカにはわからないが、怪物が使命とはどういう意味であろう。怪物を作り出すにはどうしたらいいのだろうか。人体錬成のノリでいけるもんだとも思えないし。

「でも、あんなの視せられても、何をすればいいのか……」
「そういうもの、なんだよ。俺たち下界のルシは、コクーンの敵だ。となりゃあ、使命は……コクーンを……」
「守るんだ」

 大男がはっきりとした口調で続ける。おそらくサッズの続けようとしていた言葉とは全く、正反対の言葉だ。

「この世界を守るのが、俺たちの使命。決まってる」
「うんうん。どうしてかな?」

 順当に考えて、下界のファルシが望むことなど、コクーンの破壊に決まっている。先程ルカが述べた通りだ。
 周囲の誰もが視線に呆れやいらだちを滲ませ彼を見つめる中、ツインテールの少女だけは優しげに彼に聞き返した。それぞれ立場が違うためか、ふとした瞬間に殺伐としかける雰囲気を的確に和らげている。

「セラが言ったろ?守って、って! だからそれが使命に決まってる、一緒にやろう! 力を合わせて戦うんだ。セラを探すぞ! きっとこの近くだ!」
「わ、私も探すよ! 待って!」

 自己完結を終え、走り出した大男を追って、少女が走り出す。落ち着きのない野郎だ、と言ってサッズも後を追い、少年もこちらをちらと気遣うように見てからそれに続いた。
 彼らの背中を見ながら、しかしファロンが、悩ましげに頭を振ってルカに視線をやる。

「……どう、思いますか」
「どう、って……そうねー、敬語は使わない方向で行こう。軍人ってことはとりあえず忘れてたいし」

 ほら、仲良くなるところから始めないと。そういうつもりで言ったのだが、彼女は瞳に呆れの色を浮かべた。

「そういうことじゃなく……! ……いや、いい。すみません」

 彼女は、ルカに聞いても答えは出ないと思ったのだろう。まあ実際ルシでもないルカと話してわかることなど少ない。
 ルカはそれならばと、静かに口を開いた。

「使命ねえ。でも本当のことを話しているのは誰だろうね?」
「は……」
「ほらー置いてかれるよ。早く行こうぜー」

 いくつかの嘘と、いくつかの本当と。見破ったって、そうすることが正解とも限らないなら、どうすれば良いのやら。
 ルカにはわからない。せめても最善に運ぶだけだ。
 ルカだって、嘘を吐いてないなんて、一言も言っていないのだから。



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