ファロンがセラを抱き上げる。姉妹かと聞いたら頷いた。なるほど、ルカは理解した。見ればたしかに、姉妹でなかったら驚くくらいに顔や髪色がよく似ていた。
 ここを出よう、軍の攻撃がこちらに向く前に。ファロンの言葉に従って、ルカは彼女の背を追うべく二、三歩足を動かした。
 しかし、そのファロンの前に、サッズが立ちふさがる。思いつめたような暗い表情だ。ルカは目を細め、そっとファロンを追い抜く。

「何だ」
「ルシなんだろ、その子は」
「……そう言ったはずだ」
「下界のルシは……コクーンの、敵だ」
「やめなよ」

 ホルスターに伸びる手を、ルカは止めた。強い力ではないが、それでもサッズは手を止めた。

「止めるなよ、あんただってコクーンのために……」
「市民の警護は、全てに優先される軍人の義務なのよ」
「市民? ルシだろうが! あんただってわかってんだろう、異跡の奥で何の怪我もない……あの子が、ルシだって……!」
「もしそうだとしても、民間人が人間に銃を向けるのは違法だ。だから、私には今、あんたを止める義務があるんだ」

 市民の私刑という形で治安が守られるのなら、軍人はいらない。でもそうではないから、ファロンもルカも仕事をしてきたのだ。
 サッズはじっと押し黙り、銃を掴む手から力を抜いた。この場に、自分と同じ考えの人間が一人もいないということに気付いたのだろう。
 一瞬、場が完全に静まり返る。沈黙を破ったのは、鈴の転がるような可憐で小さい少女の声だった。

「お姉ちゃん……」
「!」

 ファロンの腕の中でぐったりしていたセラが目を開き、ファロンを呼んだのだ。ファロンは慌てて、しかし労るような仕草で彼女を床に下ろした。
 それとほとんど同時だ。

「セラ!!」

 階段下に誰かが現れ、彼女の名を呼んだ。階段を駆け上ってくる金髪の大男と、それにツインテールの少女と小柄な少年が続く。男はかなり上背があり、二十代前半くらいに見えるが、あとの二人の子供は比喩でなく本当に子供だった。ハイスクールもまだ、といったくらいの年齢に見える。こんな場所にはあまりに不釣り合いだ。
 大男もまたセラの縁者なのだろう、焦ったような表情にセラ以外の誰かを映す余地はないようで、彼は素早く駆けつけるとセラの横に片膝をつき彼女の手を取った。セラはそれを弱々しくも微笑んで見つめ、「ヒーロー参上?」と呟くように尋ねた。

 大男は目をぐっと細め、わずかに泣きそうな顔をして、一緒に帰ろうな、と返した。
 だが、ファロンが彼を睨みつける。

「放せ! 私が連れて帰る!」
「ねえさん……」
「誰がねえさんだ!お前のせいで! お前がセラを守れなかったから……!!」
「まもれるよ……」

 唸るファロンを押し止めるように、セラが弱々しい声で言う。

「守れるよ、だから守って……」
「セラ、何を……」
「コクーンを、守って……」
「……使命か!?それがお前の使命なのか!!」
「わかった! 任せろ、俺が守る! セラもコクーンもみーんな、俺が守る!!」

 大男のその言葉に一瞬ファロンは苦虫を噛み潰したような顔をしたが、次の瞬間にはセラを安心させようとしてか、驚くほど優しげな顔で微笑んだ。

「そうだ、私がなんとかする」
「安心したろ?」

 二人が笑顔を作りそう言うと、セラは力なく笑って一言、「ごめんね」と言った。

 その瞬間だった。
 彼女の左腕にあった烙印を中心に、青い光が溢れ出す。セラの体は浮き上がり、そして、指先から全く違う物質へと変質していくのが見て取れた。青く透き通った、水晶へと。

「セラ……!」

 ファロンが焦ったように彼女を呼ぶ。が、その声は彼女にはもう聞こえていないだろう。そのときにはすでに全身が、透き通るクリスタルへと変貌していたから。名残のように、大男の手にこぼれ落ちた涙さえもが。

「クリスタル……」
「使命を……果たした?」

 誰かがそう呟いた。ルシの伝説だ。ファルシが使命という役割を与えた人間はルシとなり、使命を果たしたらクリスタルへとその身を変える。失敗したならそのときは、シ骸となって永遠にさまよう亡者になる。つまりは、ルシになった時点でお先真っ暗だと、ルシとは死そのものだと、そういう話なのだそうだ。クリスタルやシ骸へと転化することを死と同一視するべきなのかルカにはわからないが、ファロンがそう捉えているのは、彼女の表情で知れた。

「よく……がんばったな」

 大男はしかし、跪いて俯きそう言った。「……がんばった? がんばった、だと……!?」それがファロンにとって聞き捨てならない発言であったことは疑いようもなく、彼女は怒りに任せて男の胸ぐらを掴み上げる。

「ふざけるな!! セラは……、セラはっ……!!」

 彼女の中で、怒りが燃え上がろうとしているのが見えるようだった。けれどその怒気は、形を持って吐き出されることはなく、結局彼女は突き飛ばすように男を放し、うなだれた。
 大男は一瞬もためらう様子なく、彼女の言葉を継ぐ。

「生きてる!! ……伝説だ、ルシの伝説だよ! “使命を果たしたルシはクリスタルになって、永遠を手に入れる”。セラもそうなんだ! “永遠”ってことは、死ぬわけねぇだろ!」

 実際のところ、皮膚も骨も内臓の別もなく髪の毛一本に至るまで水晶に成り果てた少女を指して生きているなんて、ルカにはとても思えなかった。それでも大男の目や顔つきに迷いは見えず、本気で言っているのだろうと思われた。

「セラは未来の嫁さんだ。ずっと一緒って、約束した!俺、何年でも待って、未来の――」

 彼の言葉が終わるのを待たずに、ファロンはもう我慢できないという様子で大男を殴り飛ばす。重い拳は嫌な音を立てて彼の体を一瞬とはいえ宙に浮かせた。容赦のない一撃にルカは目を瞠る。

「何が未来だ!!現実見ないで、逃げてるだけだッ!!」

 腹の底がねじれたみたいに悲痛な声でファロンが叫んだ、次の瞬間であった。
 頭上で響く破裂音、ほぼ同時に足元を震わせる轟音、次いで瓦礫の落ちる音。果ての見えないほど高い天井が割れ、壁に長い亀裂が走り、太いワイヤーが異跡内へと飛び込んでくる。
 ルカは身を低くし、状況が悪化したことに舌打ちした。

「なんなの!?」
「軍の総攻撃が始まったみたい。異跡を破壊して下界に落とすんじゃないかな」
「なにそれ……っ!? 下界に帰すんじゃないの!? だってパージって、そういう意味でしょ!?」

 揺らぐ足元に恐慌し、ツインテールの少女が取り乱して叫ぶ。ルカは床に手をつき揺れに耐えながら、その問いに答えを返した。
 そしてルカと同じように耐える姿勢を取っていたサッズが怒鳴るように、

「聖府の狙いは下界の奴らをコクーンから消すことだ! “運ぶ”も“殺す”もッ、変わりやしねえ!!」

 そう叫んだ。少女は言葉を失い、愕然とした様子で青ざめる。
 ああ、やっぱりキッツいな。
 ルカは深く息を吐き出しながら、少女から目をそらす。全身鳥肌が立っているような、底冷えするような。怖気立つという言葉がぴったりの感覚に全身が支配されていた。

 突きつけられるたび、本当は死にたくなる。二人は、これから爆撃する場所へルカを送り込んだのだと。お前なんて死んでも構わないのだと、投げやりな殺意をもって。
 十年の月日が短いとは思わない。でも、築いたはずのものが本当は存在しなくて、そこに確かに何かが在ると信じていたのがルカだけなら、必死に生きる意味なんてもうどこにもないんじゃないかって。
 そういう感情が顔を出すたび、本当は、繰り返し繰り返し、死にたくなるのだ。

「早く逃げなきゃ……っ死んじゃうよ!!」

 唇を噛み締めたルカの視界の端で、少年が少女に縋りつく。ルカはそれを見て、もう一度深々肺の中の腐った空気を吐き出した。
 考えている場合ではない。“積極的に死ぬ”ことはある意味、いつでもどこでもできる。これと決めたら、前だけ見て走るべきときもある……。

 耐える間に、不意に振動が止まり、足元が安定する。恐る恐る体勢を戻して、ルカは周囲に視線をやった。怪我をしている人間はいなさそうに見える。
 攻撃が止んだのだろうか。異跡はまだ破壊されたようには思えないから、これで終わりではないだろう。次の攻撃が始まる前に、少しでも安全な場所へ移動する必要がある。

「……あ」

 ルカは目を見開き、声を漏らした。ルカたちのいた場所の奥、不必要に大きな扉が、軋む音を立てて左右に開いていく。その中は暗く、まるで中が窺えない。落ち着かない感覚は更に増し、肌にぴりぴりとかすかな痛みが走るような気配すらあった。

 あの中に、ファルシがいるのだ。ファロンたちは、突然中腹で目を覚ましたルカとは違い、正しいルートかはわからないが、異跡へ侵入し順当に奥へと向かった。そんな彼女たちがたどり着いたここが最終地点であるならば、ルカの嫌な予感などなくても、ファルシの御座は確実にそこにある。
 セラ・ファロンをルシにしたファルシが、きっと。

 ルカが目を細めて睨む視界の端で、大男がクリスタルと化したままのセラに何事かを話しかけ、その扉の方へと歩き出した。何を呟いたかはわからないが、そちらへ行くべきではない、ルカは名も知らぬ彼を止めたくなった。けれどルカが口を開くより早く、サッズが彼を見咎めた。

「おい、兄ちゃん!何する気だ?」
「ファルシに会ってくる。セラを、助けてもらうんだ」
「ファルシにお願いするってか?そんなに甘いわけあるか!向こうは人間を道具としか思っちゃいねぇんだ!」
「俺は未来を待つだけじゃない!」

 ファロンの言葉への反論も含むのだろう、強い決意をにじませる言葉だった。

「……ルシにされるかもしれないよ?どうするの」
「それは……それでもだ。セラのためにできることは全部する。そのために、ここにきた」

 キッツいなー。
 ルカはもう一度思った。片や恋人を助けるために死地に飛び込む男。片や、友人を殺すために死地へとついでに送り込む二人。対比で風邪引いたらどうしてくれんの。
 目を伏せ、ため息を吐いて、しかしすぐに顔を上げる。私も行こう、そう心を決めた。
 見ればファロンもまた顔を上げ、ファルシのほうへと視線をやると、彼女は凛とした顔で大男を追い抜き、ファルシのほうへと向かっていく。

「ねえさん……」

 大男もまた、彼女の背を追った。ルカは手を握りしめ、ほんの一つの、しかも有限の武器を確かめる。
 武器を手に入れることができないのなら、このチップにインストールされた魔法が尽きるときが、命運の尽きるときだろう。
 サッズがルカに慌てて言う。「なあ、おい、逃げようぜ……!」ルカは肩をすくめた。

「残念ながら……爆撃はまだ続く。来た道を戻っても、出たところを潰される。石造りの異跡で、しかも見る限り多少脆いようだし……逃げても生き延びられるとは思えない」
「はあ!?じゃあどうすんだ!ックソ、万事休すってことかよ……!」
「……さて。二人が入っていったあの部屋は、他より造りがしっかりしていそうに見える。今逃げ込めるのは、あそこだけだ」

 ルカが言うと、サッズは顔を歪め、くそったれ、そう呟いた。ルカは二人の子供を振り返る。

「生きる意思があるなら、ついておいで。必ず守ると約束はできないが」
「……約束もできない人を、どうして信じろっていうの」

 少年が、険しい顔で聞く。こんな混乱の極致のような場所で、しっかりとした受け答えを、しかも“守ってくれるかもしれない相手”に対してするのだから、ルカは少し驚いたが、すぐに笑った。

「さあ、どうだろう。約束したところで守れるかわからないから、私は約束しないわけでね。信じる……。あるいはどちらに賭けるかを決めるだけなんじゃないかなあ。どちらもアタリとは限らないけどねえ」
「あんた、無責任だ」
「そりゃそうよ。この、パージという出来事について、私なんかに責任が取れる事柄はもう、何一つとして存在しないんだから。……だからこそ、君たちは生きなければ。怒ってるんなら生きて、誰かに責任を取らせろ」

 ルカの言葉が彼を動かしたかはわからない。ともかく彼は決意を決めるようにじっと俯き、ルカの隣を過ぎて扉の方へと向かう。それをツインテールの少女もまた追う。
 サッズも諦めたように頭をかき、それに続いた。

「……」

 ルカは壁の亀裂を睨み、すぐさま彼らとともにファルシの許へ向かった。
 ここで終わるわけにはいかない。たとえどんなに死にたくなっても、それでも、今は生きなければ。




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