33



「世界が始まった日の、神話の話だよ。ムインという神さまがいた」
 そしてムインは世界を生み出し、その後、ブーニベルゼという新たな神を生み出した。
「このブーニベルゼというのが、まあ、ちょっと難儀なやつでね」
「おい」
「あだっ、わかってるわよ、ご主人さまの悪口言わなきゃ良いんでしょ……」
 バルトアンデルスに腹を杖で殴打されつつ、ルカは続ける。
「この世界に生まれるものが、瞬く間に消え去っていくのを見るにつけ、とても不快に思ったらしいの。それで、万物の流転を、母なる神ムインのしわざであると考え、ムインを弑して消えゆく定めを破壊することを考えた。ブーニベルゼはとても力の強い神だったから、ムインはブーニベルゼに勝つことができず、慌てて不可視の世界……死後の世界であり、心の中の世界でもある別の位相にある世界へ逃げ出したの」
 ブーニベルゼはムインを追いかけようとしたけど、不可視の世界へは物質的な神であるブーニベルゼは立ち入れなかった。けれどムインがいなくなっても、万物が生まれては消えていく定めは変わらないのだから、ブーニベルゼはますます躍起になってムインを追いかけようとした。
 そのために、自分の手先を生み出すことにした……。
「そうして生まれたのが、シ=ファルシであるパルス、リンゼ、それから……エトロだった。パルスとリンゼはわかるよね? 全能のパルス、守護のリンゼ……二柱はそれはもう有能だったんだろうね。でもエトロは」
 末の娘である、エトロは、なんの力も持っていなかった。
「母は……エトロはムインにそっくりだったらしい。だから、ブーニベルゼはエトロを見た瞬間に怒り狂って、なんの力も与えなかったの。エトロは父に殺されそうになって、慌ててムインを追うように不可視世界に逃げ込むしかなかった」
 ムインと同じように逃げていく娘を見たブーニベルゼは、何を思ったか。きっと、ムインのことを思い出しただろうね。
「ブーニベルゼはパルスとリンゼに命じた。ムイン、エトロ、憎い女神のいる不可視世界への扉を開けと。それで、二柱は今日も必死に、そのための活動に勤しんでいる……というわけ」
「……その神話が、僕たちに関係あるんですか?」
「ンー……? どうだろう。ないかもね。今のところは。まあでもいいでしょ、別に時間は余ってるんだしさ」
 それで、ええと、どこまで話したっけね。
「エトロは愚かで弱い神さまなの。彼女はとても弱くて……不可視の世界へ逃げ込む寸前にね、その弱さゆえに自傷をした。エトロはたぶん、死んでしまいたかったんだと思う。けれどその血が流れるや、その血から、ゆっくりと、新たな種類の生命が生まれたの。それが人間だった」
 一滴目が流れると、銀色の髪の、とても美しい人間が、血の中から生を受けた……。
 けれどもその一滴目はとても脆く、また儚く、ほんの瞬きの間に死んでしまった。一滴目の彼女は最も神の血が濃いので、何度でも生まれ変われる魂を持っていたけれど、代わりにとても脆かった。
「だから二滴目には、エトロは死を許さなかったのね。生まれるやいなや、混沌を取り上げた。混沌を取り上げられ、二滴目は……私は、死ぬことが出来ないからだになった」
「……は」
「いや、正確には死んでるんだけどね。そのまま死に続けることができないんだ。そう間を置かずに戻ってきてしまう。思い出してみてよ。私は君たちに付き合って、果たして何回死んだだろうか?」
「……お前……じゃあ、死んでたってのか。毎回、毎回……!?」
 サッズが信じられないという顔をしている。最初の死はビルジの湖に落ちたときか。いや、ヤーグに殴り殺されたときだろうか。おそらくは後者。その後もルカは死に続けた。
「ハングドエッジへ落ちて……ああ、こいつにルイン食らって死んだこともあったかな。その後はレインズに殺され、パルスではダハーカに殺され……こっちに戻ってきて、飛空艇ごと落下して死んで。この一週間ぐらいで七回死んでるのね。そりゃ記憶も戻るわね」
「もっと早く戻ると思っていたがな。お前はあんがいしぶとかった」
「もっと死んでるはずだったって? くそくらえゴミ野郎」
 ルカが罵倒を吐くも、バルトアンデルスは笑うばかりだ。気にもしない。
「一体どうして……どうして、ファルシたちはこんなことをしているんだ」
「さっき言ったでしょう? ファルシはブーニベルゼに不可視世界への扉を開くよう命じられている。いづれも、そのために活動しているの。地中を掘り進んだり、空を探したり。そしてリンゼのファルシ……バルトアンデルスは、解答を見つけた。不可視の世界は心の中にある混沌が通じる、人間にもファルシにも知覚しづらい場所。けれど、人間にとっては死後の世界でもある。つまり人間が死ねば、門は僅かに開く。必要十分にしか開かないその門を、ファルシでも探し出せるほどに大きく開く方法は……」
「待ってください、それってまさか……!」
「人がたくさん死なないと、門は大きく開かない。そうだよホープ。よく気づいたね」
「……パージは、そのために……?」
 ヴァニラが口元を押さえてよろめく。青ざめた顔。自分たちが何に協力させられていたのかに気づいて、愕然としているようだ。
「……私はもともと……君たちと一緒にいたんだよ、ヴァニラ、ファング。君たちが黙示戦争のあと、戻ってきて、アニマの神殿にたどり着いたとき……君たちがクリスタルになるのを見守って、それから、コクーンに来る時も一緒だったんだよ」
 知るはずもなかったろうヴァニラたちは面食らって顔を見合わせた。ライトニングが、首を僅かにかしげる。
「じゃあ……お前はそのときから、すでに、ファルシの仲間だったということだな」
「そうね。そういうことになるかな」
「なんで……!? お前は人間なんだろ!? じゃあどうしてファルシなんかに協力を!?」
 ファングの叫びを、ルカは静かに聞いていた。彼女の疑問は、よくよくわかっている……。
「あの日のこと、よく覚えてるよ。きみは隣の少女をとても気遣って、必死に強がっていたね」
「なっ……」
「仮にも幼いときからの成長を見ていた娘たちを、死地に送るのはいやだった。本当にいやだった……でも、私は……」
 ヴァニラとファングがルシになるだろうということは、初めて見たときにわかっていた。バルトアンデルスとの協力体制はその頃にはもう完全なものになっていて、明確な目標とそれに掛かる年数もはっきりしていたから、きっとこの娘たちが前線に立つのだろうなと思っていた。ルカは二人をよく哀れんだ。
 それでも方向を違えることなく、この瞬間までやってきた。
 だって、私は……。
 ルカは……私は……。
「とても、とても、疲れてしまったから」
 声は淡白に、白けて落ちた。ライトニングたちの目が、不可解だと言わんばかりに丸くなって、その縁が揺れるのを見る。
「そんな……そんな理由で!? なんだよ、疲れたって、一体どうしてそんなことのためにこんなことができるんだ!?」
「本当に……君には想像力ってものがないよね、スノウくん。私は、本当に疲れてしまったの。本当に……本当に……疲れて疲れて、おかしくなって、ファルシに頼んで閉じ込めてもらって、何度も何度も自殺しながら生きてきたの。何千年もそうしてきたの」
 血の一滴目が死んで、何度も生まれ変わって。二滴目は永遠に生きるようになって。三滴目からは、もうエトロも諦めていた。そのうちに、一人として同じもののいない、刹那の生を慈しむようになって……一滴目と二滴目の命がどうなったって、それはもう済んだことだった。
 エトロにとっては。神にとって、神に近い性質を持った人間がいたところで、別に大したことじゃない。
「わかる? 私は死ねないの。死んでも、エトロの門をくぐった先から、肉体に引き戻されてしまう。蘇るより早く肉体を千々に裂いても、焼き尽くしても、なんらかのめぐり合わせが必ず私をもとに戻してしまうの。風が灰を運んで、元の身体にしてしまうの。そんな私が、死ぬためには、エトロより強い神の力が必要だった」
「……じゃあ、お前は……」
 ライトニングが、信じられないものを見るような目で、ルカを見つめている。引き絞られる瞳孔。
「死ぬために、この茶番に協力したっていうのか……?」
 生きるために戦っていた彼ら。死ぬために戦ったルカ。一時の連れ合いとなったのは、本当に趣味の悪い演出だったと今は思う。
「私は死んでも、不可視世界から任意に戻ってくることができる。……他に行くあてもないから、結局は戻ってくるしかない。エトロと顔つき合わせてるなんて耐えられないしね。つまり、私は不可視世界の門番でもあるということ。いつでも門をくぐれるから、門を向こう側から閉じることができる」
「じゃあ……ファルシの目的を妨害できるってことか」
「そう。私はファルシの邪魔ができる唯一の人間なの。奇しくも、ね。だからバルトアンデルスは私を確実に味方にする必要があった」
 ルカは両手を広げてみせる。ここに、この瞬間に至ること。すべて、バルトアンデルスの計画の上。
「うまくやったよね、ほんとにさ。まさかここまで完璧に成立するとは思わなかったもん」
「当然だ。そのためにすべての策を講じた。こうなるのは自然なこと」
「うんうん、丁寧な仕事ぶりだったと思うよ」
 くっくっくっくっく。バルトアンデルスとルカは目を合わせて笑う。悪友同士の悪巧み。そんな感じの雰囲気。ルシたちは身構えている。
「本当に手が込んでたよね。あの二人のクリスタルごと異跡を持ち上げるとき、わざと振り回したでしょ。クリスタルが破損したら人間に戻った時死んじゃうかもしれないから、私大変だったんだからね。クリスタルを庇って何度死んだか思い出せないくらいよ」
「それで運良くお前が記憶を失くしたからな。ついでに将来的に手足にする予定の者共の中に放り込んでみたのだ。想定よりずっとうまく運んだので、愉快だったな」
「だろうねえ。わざわざ人間と友達付き合いさせてさ、わざと裏切らせて、私が万が一にも心変わりしないようにしたかったんでしょ?」
「お前は人間だから、いつ意思が変わるかわからないからなあ。念のための保険だよ」
「そうだろうねえ。人間の心の弱さを思い知らせておけば、私が土壇場で裏切ることはないだろうと思ったんだよね」
 そうだろうね。それが、お前の理屈なんだろう。
 ファルシに心はわからないから。ルカは歌うように言った。
 ファルシに心は、わからないんだもんね。言いながらライトニングを、ファングを見る。二人ははっとした顔をした。
 それで、直後。ルカは刃を振るう。
 突然の、全体重を載せての斬撃。身構えることもなかったファルシ=バルトアンデルスは、首を跳ね飛ばされ、数秒佇んだ後、ゆっくりと傾いて後方へ倒れ、玉座に大量の血をぶちまけて仰臥した。
「わからないんだろうね。そんなことさえしなければ私はお前を裏切りはしなかったのに、こうなってもわからないんだろうね」
 顔面に浴びた大量の血。いや、血を模しただけの、熱くて赤い液体だ。ルカは構いもせず続ける。
「お前たちのような神気取りの出来損ないどもにはわからなかったんだろう。心がそれを凌駕してしまうことなんて。どんな恨みも苦しみも超越して、これからまた数千年苦しむだろうとわかっていても、それでも、死んでほしくない人ができるってこと」
 理解できないんだろう。いつまで経ったって。だからルカがこんなことをした理由も、わかるまい。
「ルカ……」
「ごめんね、黙ってて。べつに何かを計画してたわけじゃないの。ただ、うまく運ぶ方法がわからなかったの。ごめんね」
 言い訳のひとつも思いつかない。だってそれは嘘だから。ルカは、嘘が、下手だから……。
「でもあとは嘘なんてないんだ。恨んでいいよ」
「……恨んでないよ」
 ヴァニラが言う。ルカの傍で、バルトアンデルスの身体が溶けるように消えていく。代わりにその奥、光を集めて、バルトアンデルスの本来の姿が現れる。
 巨大な顔のような本体と、その左右に浮かぶ二つずつの顔、計五つ。バルトアンデルスの多層ある性格を現した本性であると思う。咆哮めいた唸りが響いてくる。ルシたちは、ルカの隣へ並び立つ。
「ルカのことも、巫女さまのことも、恨んでない……本当だよ、私は恨んでなんかないんだよ」
「……ごめんね」
 誰かを巻き込みたいと思ったことはない。でも、巻き込まれて皆死ぬだろうと思っていた。自分が何をしたってどうせ先送りになるだけ、ファルシとの終わりの見えない根比べが始まるだけだとわかっていたから、無駄な戦いに挑もうとは思わなかった。バルトアンデルスの提案を一も二もなく受け入れて、ヲルバの子供たちをルシにするのを手伝った。結果、ファングとヴァニラはたくさんの人間を殺す戦いに加担させられ、今でも囚われて戦わせられている。
 ライトニングたちもだ。今回のことが失敗したとして……バルトアンデルスを殺すことができなければ、ここまで鍛えたルシだからと、ファングと同じようなルシにされるんだろう。もう誰も逃げられはしない。
「……まあ、お前が悪くないとは思わないが」
「うん?」
「でも、お前が……お前が、自分だけ苦しむのが嫌になったんだろうということは、わかるからな」
 ライトニングが言う。ルカはきょとんとして彼女を見た。あれ? そうだっけ? そうなのか? 自分はただ、一人だけ苦しむのが嫌だっただけか。たしかにそうかもしれない。己はただ、孤独に苦しむのが嫌だっただけなのかもしれない……。
「許してやろうとは思わねえが、俺も人の親だからなあ。ドッジが何千年って苦しむぐらいなら、世界中全部不幸にしたって、その苦しみから脱してほしいと思うのが親心だからよ」
「サッズ……でも私の親は私がどんなに苦しんだってなんとも思ってないけどね!」
「ああ、神さんだったか」
 なるほど、親の理屈は通じねえや。サッズの言う通り、女神にルールを課すことはできないので。
「……ホープくんは? お母さんのこと……私がバルトアンデルスの提案を数百年でもはねつけていたら、彼女はあんなことを理由に死ななかったかもしれないよ」
「それは、思います。だから……ルカさんのこと、許せはしないです。でも、いろんなことがあって……ああなりました。あの日ボーダムに行かなければ……父がもっと家族と話をしていれば……軍があんな凶行に及ばなければ、彼らにもっとまともな倫理があれば、……僕にもっと勇気があれば。たったひとつでも違ってたら、結果も違っただろうって、何度も考えてるんです」
「うん……」
 そのいくつかに、ルカは関わっている。やはりルカは、彼に対して重い罪がある。
「でも、僕は、もうそれを恨むのはやめたんです。そういうことのひとつひとつを、恨むのはやめました。知りませんでしたか?」
「……知ってたよ」
 君が強い子であることを知っていた。スノウとの間にあった軋轢を乗り越えていったことも、ルカは傍で見ていた。
「責任を取らせろってルカさんは言ってくれましたが……誰にも責任なんて取れないでしょう? 僕の……母さんは……そんなふうに、片付けられる人じゃなかったんです。もう、誰にも償えはしないんです。あなたにも、僕にも……」
「うん……」
 その通りだった。誰にも、もう、何一つ償えない。誰ひとりとして、すでに無実ではないのだ。罪の重さをぶつけあっても、もう無駄だから。
 でも。
「ファングは許してくれないんだろうね?」
「たりめーだ性悪」
「あっはっは、シンプルな罵倒だこと。まあ恨まれていても構わないんだけどね」
「そういうところが性悪なんだ、てめーは」
「おっしゃるとおりですよ」
「なんで俺にだけ聞かねえんだ!?」
「スノウくんは大体のこと許してくれるから」
「そうだけどよ!」
 ルカは笑って、武器を構える。バルトアンデルスはルイン魔法を五月雨のように降らしながら吠える。それを皆々、躱しながら近づく。ほんの数日でも、共に死線をくぐり抜けてきたので、もう何も言わなくても誰が何をするかがわかった。ホープとサッズのかけた魔法が攻撃を重く、しかし速くさせ、身体の外に薄膜が張ったようにルイン魔法を吸収してくれる。ヴァニラとファングが弱体魔法をかけ、バルトアンデルスの幾重にも重なった防壁魔法を剥がしていく。ライトニングとスノウの黒魔法も、それを後押ししているかのようだ。
 ルカは走る。剣しかないから。死なないだけで、ただの人間であるルカには剣しかない。振りかぶって、歯を食いしばり、目算をたてた装甲の継ぎ目めがけて突き立てる刃。
 バルトアンデルスは咆哮する。何度も、何度も。それでもルカは深々差し込んだ刃の柄から手を離さず、強く押し込めてはバルトアンデルスの内側を攻撃し続けたし、四方から襲い来るルシたちの猛攻も止まらない。
「お……おまえが……おまエさエ裏切らなけレば……」
 バルトアンデルスの声が言う。その口に噛みつかれ、ルカの片足が噛みちぎられる。ルカは喉が破けるほどの悲鳴を上げたが、やはり剣からは手を離さなかった。離してはならないと思った。償えないのだとしても、今からでもできることはすべてしたかったから。
 こいつが死なない限り、ルカの大切な人たちはずっと脅威にさらされてしまうからだ……。
「ぐ……ガ……あと……もう少し、だったのに……」
 バルトアンデルスは、ルカの血でぐっしょり濡れた唇を震わせ、呟いた。そして、一度だけ瞬きをすると、次の瞬きではもう目を開けなかった。高く生えた両の手もだらりと落ち、完全に弛緩して……ルカは、虫の息になりながら、ようやっと剣を引き抜いた。落ちる身体。スノウがとっさに受け止めてくれ、ライトニングとホープがすかさずケアルをかけて足を治療してくれる。
 痛みは全身に反響するようにじわじわと残ったが、それでも足は元通りになった。
 さあ、次はオーファンだ。どこにいるんだ? そう思いながら視線をさまよわせた、その直後……中空を鳥が駆ける。コクーンにはいないはずの梟が……バルトアンデルスの傍にいた、あの梟が。
 そして、羽を広げ、バルトアンデルスの死骸に降り立ち、寄り添うようにして溶け込み……それから……。
 それから、衝撃が襲った。




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