32





「おっ、はええな。もうちっとあれやこれやしてていいんだぜ?」
「あれやこれやって何よ。具体的に言え」
「ヴァニラとホープがいる前で言えるわけねえだろ」
「子供の前で言えないことを揶揄するなコラッ」
 ファングが言いたい放題言うのにも慣れてはきたが困ったものだ。なぜそうもヤーグとの仲を勘ぐるのか。勘ぐられるほどの接触はなかったはずだが。
「あんまり言うとヤーグに怒られるからね。怒ると怖いんだから」
「レインズとどっちが怖い?」とスノウが聞く。ルカは一瞬考えたが、
「いやそれは卑怯、ジョーカーしか持ってないやつとのポーカーぐらい無謀」と返した。
「ヤーグは話通じるし、結局命までは取られないってか、後に響く怪我を負うこともない。でも先輩の場合は、最悪殺されちゃうもん」
「お前がそれを言うと皮肉にも聞こえないな」
「あはは、だから、殺されかけてたでしょ? 私」
 ライトニングの嫌味も飲み込んで返せば、彼女は息を呑む。
「大丈夫だよ。全部わかってたし、覚悟もしてた。これから起こることも覚悟してる」
 確かなものなど心しかなかった。本当にそうだった。ルカが頼りに燃やせるものはいつも心だけ。
 だから今も、心が燃え盛っている。燃え尽きる頃には、きっとすべてが終わるだろう。

 議事堂の奥を進む。最奥には祭祀場があるはずだった。仕官して長いルカでも、ここまで奥深くには立ち入ったことがない。ルカも議席はないまでも、よく議会へ出席は命じられていた。コクーンの議会はダイスリーが持ち帰ってくるファルシの意見に従って動いていたが、実際のところダイスリーがファルシだったのだから、ただの儀礼に過ぎなかったわけだ。
 祭祀場は、これまでダイスリーだけが、ファルシの御心を伺うためという名目で入っていくだけの場所だった。だから、中に実際何があるのかは知らない。ルカはやや身構えていたのだけれど、いざ足を踏み入れてみれば、なんてことのない部屋だった。きれいに整えられた、普通の部屋。特段豪奢なところもないし、これといった家具もない。家具が一切ないところが、むしろ特殊だろうか。ただの空き部屋だ。こんなところが祭祀場だったのか。ダイスリーは毎回ここに入って、数分から数十分時間を潰して、ただ出てきていただけというわけ。ルカは呆れてため息を吐き、剣を抜いたまま周囲を見分する。
「扉がある。この奥でしょう」
「本当にここなんですか? ファルシがいるっていうのは……」
「間違いないと思うよ。だってここ以外に見当もつかないからね」
「でも、ルカさんも知らない聖府の場所があるかもしれないじゃないですか。アークがそうだったみたいに……」
 ホープの言う事も一理ある。だがルカには確信があった。
「バルトアンデルスは、下界で会った時、“オーファンを倒してコクーンを救って”、そう言ってたでしょう。オーファンのもとにたどり着かせることが、今のあれの目的ってことだよね。あいつがこれまで丁寧に君たちの行く先を案内して回っていたことを思うに、私が思いつかない場所なら十分なヒントが与えられてるはず。それがないってことは、つまり、ここなんだ」
 ルカが他の可能性を潰しながら話すと、ホープは眉を顰め、ルカの顔を見た。
「な、なに?」
「……本当にルカさんですか? ファルシが化けてるとかでなくて?」
「何を言うんだ君」
「だってルカさんならもっと脳筋っぽいこと言いそうですし……この奥にいなければ適当に暴れてればたどり着けるんじゃない? とか言いそうで」
「何てこと言うんだ君。いや嘘、私そんなバカっぽかった? でもよく考えて、バカは軍の高官にはなれないのよ」
「でも自分でもコネがどうとか言ってませんでしたっけ」
「言ったっけ!? 言ったかも! でもそこまでのバカはコネでも高官にはなれないはずなんだよたぶん!」
 実際のところは知らない。ルカはどんなバカだって、やっぱりここに至っただろうと思うからだ。ルカに能力など必要なかった。でもいまは、自分の意思でこの場所にいるのだ。
 扉を開ける。目を見開く。呼吸が裏返って止まる。中空に突如浮いたような感覚。迷走神経がぐるぐる回って吐き気がした。目に刺さるような赤だけがある。
「なにこれ……
 ヴァニラが悲鳴を上げたが、誰も答えられなかった。風景に果てがなく、どこまでも赤が深くなり、やがては人間の視認できる限界を迎えている。ただ空間と呼ぶには巨大すぎ、正確に認識できない。例えるなら巨大な水槽の中に突然落とされたような感じ。どれほどの広さがあるのか。なぜこんな場所がエデンの中にあるのか……。
 そこまで考え、慌てて振り返ると、今通ってきた扉が赤い空間を切り取ってぽつねん浮いている。どうやら、直接つながっているというわけではなく、別の場所にある空間同士を扉を介して繋げているということらしい……ファルシにそんなことができるとは思わなかった。もっと物理的な、理解の範疇にある存在だと思っていた……。
 ずっと勘違いをしていたというわけか。ルカはファルシのことをろくろく知らなかったらしい。
「気持ち悪いな……なんなの、ここ」
「ファルシってのはずいぶん趣味が悪い連中だな……」
 サッズの言う通り、本当に趣味が悪い。ここで五分でも過ごせばしばらく赤いものは見たくなくなるだろう。
 風もないのに、崩れた柱や切り出されたばかりに見える大きな岩が、赤い空気の中を過ぎ去っていく。白く無機質な質感の足場は建材そのものをむき出しに組み合わせたような造りをしており、踏み込むと僅かに沈むような心地がした。さまざまな物理法則の一切を無視して、空間は造られている。
 周囲に警戒しながら、狭い道を行く。歩いてたどり着ける場所の最後には、また扉があった。とても普通の、しかし今度は、明らかに嫌な気配のする扉だった。あまりにも普通の扉がそこにあるのが、違和感を、ひいては嫌悪感を生み出している……。
「行こう。きっとすぐそこだ」
 けれども、スノウくんがそう言って、扉に手をかける。扉は開かれ、同時、強い光が弾けるように目を撃った。強い刺激に皆目を瞑り、悲鳴さえ漏れる。
 だが直後、気がついた。慣れ始めた目が異変を伝えている……今度は、真っ白だった。白い壁、白い床、すべてが発光しているかのように目に痛い。消毒液のにおいさえしてきそうなくらいに白い部屋が、そこにはあった。これまでいた空間のような果てのなさはない。むしろ狭ささえ感じる空間だ。
「何……ここ」
「変なとこだな……」
 むせ返るような閉塞感がある。が、ある意味では危険もなさそうだ。
「なあ、ヴァニラ。お前烙印はどうだ?」
「ええーっと……」
 ヴァニラの烙印をファングがチェックするときは、烙印の場所が場所ゆえ全員すぐに顔を背けるということで不文律が一致している。今回も御多分に漏れずさっと目を逸らした。が、それでもファングの小さな舌打ちは耳に響いた。相当まずい状況なのだろうか。そう思ったときだ。
「コクーンは、新しい故郷だね」
 ヴァニラが突然そんなことを呟いた。それはヴァニラらしい、少しだけ小狡いファングへの牽制だと誰にだってわかる。ファングがそれを理解していたかはともかく、彼女は優しげに微笑んだ。
「ああ。……そうだな」
 なんだかとても噛み合わない会話だ。ヴァニラは狡いし、ファングは嘘の同意を吐いた。みんなわかっているから、何も言わなかった。ファングがコクーンをどう思っているにせよ、いい感情ではないだろうと知っていた。それぐらい、みんな不幸になりすぎた。
 結局、こうやって、行きずりの仲間と同情を交換しているだけなのだ。みんな同じだけ不幸だった。

 最後の扉を開く。暗い部屋へ下る階段を一段、一段、静かに降りた。機械の中のような……、否、生命を機械で再現しようとしている中枢へ入り込んだかのような、そんな場所だった。役割もわからない無数のコードが張り巡らされ、編み上げられ、その上にルシたちは降り立った。この場所すべてが巨大ななにかの心臓であるかのように、コードはばらばらでありながら全く一つであるようにも思われる。
 その最奥。ここが終着点。玉座にも見える椅子に、バルトアンデルスは深々腰掛け、ルシ一行を待っていた。
「ようやっと辿り着いたか。……この時をずいぶん待った……」
 そうだろうと思う。ほんとうにずいぶん、長い時間を待ったんだろう。バルトアンデルスは立てかけてあった杖をつかみ、その先端で二度床を叩いた。それにあわせて、空気の中を舞っていたクリスタルの粒子が渦を巻くようにして彼の両脇に結集し、二つの大きなクリスタルを形作る。
 ドッジと、セラの形に。
「消え去る命が、光となるのだ」
 笑みを深めたバルトアンデルスは、また床を二度叩く。その瞬間、ドッジとセラが立て続けにひび割れ、砕け散る。その瞬間……サッズとスノウ、ライトニングの肩が震え……声なき悲鳴が劈いた。あまりに悲痛なので、ルカは反射的に片目を細める。バルトアンデルスはどうやら、彼らを追い詰めるために全力で揺さぶりにかかっているらしい。
 ルシをラグナロクにするのは簡単なことではない。ラグナロクは人間ではないからだ。ルシとは段違いに、人間を超越した存在。ルシを叩いて、叩いて、折れるほどの強さで叩き続け、運良く……あるいは素養によって生き延びたルシを、徹底的に絶望させて追い詰めて、その結果できあがる産物だ。正気を失うほどにぼろぼろにしないと、ルシはそんなものに転化しない。
 バルトアンデルスはラグナロクを待っている。だが、スノウが……懐から、手のひらに収まるサイズの、涙型のクリスタルを取り出した。
「セラは……ここにいる!」
 彼がそう叫ぶので、ライトニングも顔を上げた。スノウはサッズの背を叩く。サッズも振り切るように顔を上げる。こんなことには惑わされない……ファルシがそういう搦手を使ってくるとわかっているからだ。
 ああ、でも。
 ルカはもう、耐えられない。
「ふっ……」
 ふふっ、くくく、くくくくく……。
 耐えられない。右手で口を、左手で腹を抱えながら、ルカは笑う。もう耐えられなかった。これ以上は。
 ルシたちが驚いた様子で振り返る。なぜ笑うのかわからないという様子だ。当然だ、笑うようなタイミングじゃなかった。
 でもルカには。
 ルカにとっては。
 もう、笑うしかないような状態だったので。
「……やっと、思い出したか」
「そりゃ思い出すよ。私は……死にすぎると記憶を向こうにおいてきてしまうだけなんだから。こんなに立て続けに死ねば、取り戻すよ」
「それで? そんなに愉快なのか?」
 バルトアンデルスも笑う。ルカを見て、笑う。
「笑うしかないでしょ……だって、ルシはファルシそれぞれの持ちものみたいなものなのに、あんたに何ができんのよ? ドッジ少年をルシにしたのはエウリーデのファルシだし、セラをルシにしたのはアニマだし、あんたにどうこうできるわけでもないじゃない。それを小手先の幻覚でごまかして。茶番が過ぎるわよ」
 笑いながらルカは歩く。バルトアンデルスの隣へ。背後でたじろぐルシたちの視線を感じている。振り向きざま、玉座の肘掛けに足を引っ掛けて座る。
「ルカ……おまえ……そんな……嘘だろ……?」
 スノウが青ざめた顔で手を伸ばす。ふん、鼻を鳴らしてルカは笑った。
 バルトアンデルスが右手を掲げると、その手に見慣れた仮面が現れた。目許を覆う、鋼鉄の仮面。それを受け取って、目の前にかざしてみせる。
「あ……ああ……ッ」
「巫女……!?」
 ヴァニラとファングが声を上げた。気がついたか。
「ひさしぶりね、ヲルバの孤児たち」
「お前……お前が……ッ、お前が……!!」
「私がその巫女とやらよ。……まあ、実際のところ、私は巫女でもなんでもないけれどね。お前たちがそう呼んでいたのは確か」
 ね。顔から仮面を外す。皆々青い顔で、ルカを睨んでいる。裏切られたと思っているんだろうと、思う。
 そしてそれは事実だから。ルカは、裏切り者だから。
「お前もファルシだったってことかッ!!」
 ライトニングが剣を抜き、叫びながら切りかかってくる。ルカはそれを自らの剣で受け、流し、弾いた。
「違う違う! 私はファルシじゃないよ。ちょっとまってよ、そんなにいきり立つことないじゃない。言い訳ぐらい聞いてよ」
「何を……言い訳だと!? ずっと仲間みたいな顔して、傍にいたくせに、今更!?」
「そりゃしょうがないのよ。ずっと君たちの味方でいようって、思ってたんだから。まあまあ、そこも含めて話すから、さ」
 指先を擦ってエアロ魔法を繰り出し、ライトニングを弾き飛ばす。彼女はらしくない様子で吹き飛ばされ、受け身を取る。
「さて、どこから話すかな……やっぱり最初からだよね。本当の本当に、最初っから」
 きっと長くはならないだろう。語るべきでないこともたくさんある。そういう話は、胸のうちにしまっておくつもりだし。
「最初はこの世界の成り立ちから……」
 ルカはゆっくりと、話し始めた。







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