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 明らかに異常事態だった。どうしてこんなことに……原因を考えるのもばからしい事態。対処はもとより、受け入れることも難しい。己をとりまく現実なのに。
 ヤーグは静かに、壁に凭れていた。今は補佐官の報告待ちだ。

「なんなのよ……どうしてレインズが聖府代表に……」

 小声で、自分同様報告待ちの隣の友人が呟いた。全くだった。この異常に気づいたのは、それが発表された時だった。ファルシの厳命に従わないわけにいかないPSICOMは言われるがままセレモニーの準備をしている。そのことにヤーグは激しい嫌悪を感じながらも、やはり抗うことなどできはしない。
 いまさらだからだ。ここまで看過してきて、いまさら、誰が軍のトップに立とうが本当は大したことではない。……違う。わかっている。そんなことはない。ここで、あの男がその座につくのなら、いろんな事実がひっくり返る。自分たちがしてきたことの意味、パージの理由もなにもかも。
 彼は、レインズは、明確に敵だったはずだ。ルシの幇助をしていたことに疑いの余地さえなく。だのに、ダイスリー代表が不慮の事故とやらで消えた後、後釜に座ったのはレインズだった。ヤーグよりさらにずっと上の、少将や中将たちの合議で決まったことだと言うが、つまりはファルシの指名だということで。

 ……もしかしたら、すべて。本当はすべて、“間違って”いて、自分たちは“とんでもない罪”を犯してしまったのではないか。そんな疑惑が胸を突いてる。もうずっと。

「……ルカは、ルシじゃない」

 ヤーグは口を開き、“とんでもない罪”、そのうちのひとつ、隣の彼女と共有するおぞましい罪悪の一端を切り開く。
 それは推察でしかなかった。けれど、ルカ、彼女という友は、このような事態のなかにあって、唯一“いつも通り”だった。

「そうかもしれないわね。……あなたが、そう思うんなら」

 返ってきたのは、ジルの言葉とは思えないほど素直な言葉だった。驚いて目を瞠るヤーグに、彼女は苦い笑みを返す。皮肉も怒りもない、ただ苦みがあるだけの純然たる微笑み。友人としてはいっそ見慣れた、ふつうの、彼女の微笑……。

「でもそこにあなたの願望が欠片もないって、本気で言えるかしら? 私もそうよ。どうせもうこの呪いは解けないのに、あの子がルシじゃなければ戻れるかもって思ってる。くだらない幻想を抱いてる。そんな願望を忘れられないのに、どうして私たちの目に本当のことが映る?」

 彼女の流麗な言葉とともに、転がるように思考は落ち込んでいく。……そんなルカが道のりを共にするのだから、ルシたちはおそらく普通の人間と本当になにも変わりなくて……それならルシにすらなっていない数多のパージされた人々は普通の人間そのものであったはずで……自分たちが手を染めたのは、ただの大量虐殺でしかなくて……。
 ヤーグは普通の軍人だ。少なくとも、自分のことをそう思っている。責任感が強くて、融通の利かない、ただの軍人だ。軍人は命令に従うもの。無私となって公に仕えるもの。それが当然。
 だが、あれは?

「真実は鏡よ。探せば探すほど、自分の願望しか見えなくなるの……。だから、何もわからないのは当然なのよ。その中で必死に走り回るしかない」
「……そう、だな」

 彼女は綺麗だった。綺麗な目で、まっすぐ前だけを見ていた。何もかも、希望も未来も拒むみたいだった。それはヤーグのよく知っている彼女だ。そしてきっと己も、他者には似たように映るのだろう。
 自分たちはただの軍人だ。
 おそらくはとても凡庸な。いまだに、自分で行き先も決められないままの。

 ヤーグは強く目を閉じた。
 セレモニーが始まろうとしていた。





 コクーンの外殻を通れるかどうか、心配しなくていいとわかっていても不安だった。出たときは当たり前のように自動でステルス迷彩とチャフが発動され、ゲートまで取り払われていたのだから、今回だって同じに決まっているのに。つくづく、コクーンというのはファルシの支配下だな。ファルシがよしと言えば、生命線みたいな防衛設備が簡単に取り去られてしまうなんて。
 ルカはやすやすと侵入を果たす飛空艇の操作盤をいじりながら深々と息を吐き出した。コクーンの内側へ飛空艇が飛び込むと、一気に空気が変わる。
 コクーンの地表の中心部分にはエデンがあり、夜の闇を数多の光が明るく照らしている。まだずいぶん離れたここまでさまざまな色の光が届き、ルカは目を細めた。

「なにかやってるねえ。聖府がやる式典に雰囲気が似てるけど」
「そうだな。これだけの広範囲が光っているとなると、聖府の行事だろう。だが、なんの?」
「わかんない……定例の行事には心当たりがないし、そもそもそんなのやってる場合じゃないよね。なんだろう」

 なんであれ、式典があるなら厳戒態勢だろうし、一方で市民が溢れているだろう。どちらもルシたちにとってはのぞましくない。平時であってくれたほうが楽だったが、いまとなってはもはや野となれ山となれ、という状態。いずれにせよ止まれやしない。
 進めるところまでダイスを転がせ。ほとんどギャンブルの心持ち。

 飛空艇はルカが預かり、ルシたちは召喚獣と共にエデンを強襲する、そういう計画だった。バルトアンデルスを斃し、コクーンに平和を。そのために、エデン中央部、都市の中核奥深くへ入り込む必要がある。

「ま、……逆に言えば本丸はからっぽってことだ。敵陣深くに素早く入り込んで、親玉を討つ。これっきゃねえな!」

 サッズが明るく言う。たしかにその通り。
 さて、最後の作戦会議をする。

「私は騎兵隊を止める方法を探してみる。その間、みんなは……」
「撹乱、揺動だな。式典中ならいっそ、都合がいいかもしれない。聖府のことだしなにか見世物をしているだろうから、軍の多いところへ飛び込んで、できるだけ引き付ける。そうすればそれだけ人々をエデン中央から離せるし、ルカの道も拓けるだろう」
「そうですね、うまくすれば、集まってきた軍の裏をかいて聖府に突入できるかもしれません」

 作戦と呼ぶにはたぶん、お粗末すぎる。索敵なんてできやしないから、場当たり的で運任せ。それでも一つ一つの難所を超えて、たどり着かなければ、何も成せないまま死ぬことになる。
 不思議と怖くはなかった。もうどうなっても構わないとルカは思った。みんな全力だ。だったら、結末なんてあるいは、どうだっていいものなのかもしれないと……。
 けれども。

 ルカが転移装置とギアチップの調子を確かめておこうと、ふと手を伸ばした時だった。機体の外から空気を震わせて微弱な、しかしほのかに甘い気配が鼓膜を揺らし、反射的に背筋を伸ばす。

『…………自らの手で切り拓いてほしい。消え行くものの意志を継ぎ、未来を……』

 微かに聞こえたそれは彼の声のような、気がした。
 そんなまさか。体が震えている。また涙が出そうで、潤む瞳を懸命にこする。そんなルカの背中を誰かの手が不意に支え、レバーを握る手が上から包まれた。寄り添っているのはヴァニラだった。

「ルカの気持ちは、ファルシにはわかんない」
「うん……」
「でも、私にはわかるよ。大丈夫。ちゃんと伝わるよ。だから、シドさんにも伝わる」

 うん。そうだね。きっとそうだと、信じたい。
 コクーンを出るときに、ファングに言った言葉を思い出した。この気持ちがどういう形や色、においをしているか、ファルシは知らない。
 確かなものなど、自分の心しかないと。

 ふと、ファングが考え込むように顎に手を当てて、ヴァニラの反対から顔を出した。

「……レインズを蘇らせたっての、私と同じなんじゃねーのかな。あいつも一回クリスタルになってっだろ? クリスタルになったルシは目覚められる」
「だったら……」
「壊れた、っていうのはたぶん、使命を果たさずにクリスタルになったから。確実なことは言えねーけど、……私も壊れたルシだから、わかるんだ」

 言葉を選び選び、ゆっくりとファングが告げる。その耳良さにルカは目を細めた。彼女らしくないこまやかな気遣いだ。

「ありがと、ファング」

 ファングと同じ状態なら、シドには自由意志があり、ちゃんとまだ“生きてる”ってことだ。それなら希望はある……希望はあった。まだ、ルカには希望があったのだ。
 エデン上空で飛ぶのをやめ、滞空する。飛空艇の仕様上、そう長時間はとどまっていられないので、ライトニングがすぐに後ろのハッチを開けた。

「じゃあ、……行ってくる。後で必ず、合流するぞ」
「おうよ! 怪我すんなよ」

 笑うルカを一人残し、ルシたちは次々に飛空艇を飛び出していった。そして眼下で召喚獣を喚び出して、色も鮮やかに彼らは落ちていく。さながら神獣。いつか神話に語られそうな、神秘的な光景だった。
 そんなのって、ひどい皮肉だな。一人で笑う。

「……私も行かないとね」

 まずは着陸せねばならない。これがなかなか、難易度が高い。高度を落としながら、手薄そうな地点を探す。多少の爆撃は已む無しといったところか。騒ぎになってしまうと、ルシたちの揺動の効果が薄れるのでできれば避けたいが……。
 ルカがそう思いながら、高度を六千フィート付近にまで下げた頃だった。
 それは突然だった。

『認証システムがエラーを検出しました%$#! 至急コード変更を行い最適ピッチの割当をリロードしてくだs%&$”!!!!!』
「はっ!?」

 全ての電灯が赤く点滅するので、機内が赤く染まり、操作盤が言うことをきかなくなる。ゆっくり下げていた高度はコントロールを失い、急激な落下を始める。

「ちょっとまっ、まって、なんで、嘘でしょ!!」
『……ガッ、保全のための動作キー異常検知のため、自動迷彩の解除を実行し』
「だめだって!! なんでっ!?」

 並行を保っていられず、先端を上向けて落下する機体の操作盤にかじりつくが、一切のボタンが反応せず。
 ルカは慌てふためき、叫んだが、もう後の祭りだった。

 自動迷彩がなければ、聖府軍の並外れたレーダーの網にかかり、すぐさま砲弾が打ち込まれてしまう。
 発射の音と着弾の音が、ほぼ同時に聞こえた。

 砲弾がルカに直撃しなかったのは果たして幸か不幸か。
 砲弾によって損壊した強化ガラスの前窓からルカが放り出されたのは、幸か不幸か?

 ルカは、強化ガラスを突き破り、全身に強い衝撃を受け、地上千五百メートルから落下しながらも、まだ生きていた。
 生きていた。
 逆さまに落ちていく体。痛みを認識するだけの時間はなかった。体を丸めることも、広がることもないまま、なんの防衛の姿勢も取ることなく、空の彼方を一直線に落ちていく。

 ルカは落ちながら、空の果てを見ていた。
 暗い。黒い。
 それはいつかの、絶望しながら歩いた、あの黒い砂浜に似て。

 それで。

 一瞬と一瞬と一瞬ののち。

 水気の多い果物の、潰れるような音を聞いた。
 それが最後だった。




 気泡が弾ける。



 息をする。



 すべてはあの黒い海の底。








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