27





 郷の最奥に至っても、なにひとつ、発見することはできなかった。どこまで至っても生者の気配がひとつもない。
 この廃都を故郷とする二人は、あわや泣くだろうかと、ルカはそう思っていた。けれども、ヴァニラもファングも、穏やかに寄り添い、静かに悲しんでいるようだ。
 この容赦のない大地に生まれ育ち、多くのことは泣いても喚いてもどうにもならないと知っているからだろうか……知っていたら、感情は抑えられるのだろうか? ルカにはわからない。



 おそらく、もうこの郷に得るものはない。なにより、シ骸をすべて殺したかどうかもわからず、森などからモンスターの襲来がある可能性も考えれば、この郷で夜を明かすのは危険である。そんなことをぽつぽつ話しながら散策するさなか、浜からはハイウェイらしきものが見えることにルカが気がついた。建物や森林の加減でちょうど見えなかったが、郷のすぐそばにあったらしい。

「ねえ、ヴァニラ、あれって道なの?」
「ああ、うん、海の向こうの土地に続いてるんだよ。交易に使ってたらしいけど、私たちがまだ郷にいた頃には、もう廃線になってたよ」
「そっか……」

 ひとまずルシたちは、柱の中の階段を登る選択をする。夜を明かすにしても、まだ進むにしても、ハイウェイに登ってみるしか選択肢がなかった。

「寝てる間に崩れたらどうしようとか思わんのスノウくんは?」
「ははっ、ルカってけっこうマイナス思考だよな!」
「プラスかマイナスで判断できるようなことなのかな〜〜〜〜妙に納得いかねえな〜〜〜」
「ルカとスノウって相性良さそうに見えてめちゃくちゃ悪いよな」
「そゆこと本人たちを前に言うなよファングちゃん……」
「ルカさんって結構理屈っぽいですよね」
「うわ、はじめていわれた……って、ちょっとまって、あそこ崩れてる」

 まだ夜と呼ぶには早すぎる夕焼け、ハイウェイ上の探索をするが、ほんの二百メートル先で寸断されていた。測量の技術に長けるぶん、元軍人二人は気づくのも早く、ルカは唸る。

「むん……向こう岸まで十メートルはある……踏切に耐える強度もないし、ジャンプで超えるのは私でも厳しいな。AMPで全員は運べないしね」
「召喚獣を呼んでみますか? 飛べる召喚獣なら……」
「召喚獣の質量で、そもそも道を崩すかもしれない。いちかばちか、だな」
「そこまでするべきか迷うな……あの先には、また違う集落があったんだ。でも今はもう、ヲルバより廃れてると思う。うちらが郷を出る前にはかなり寂れてたはずだし」
「でも、行く価値が無いとは限らない」
「じゃあ行くしかありませんね」

 ライトニングの言葉に、そうホープが笑い返す。たしかにその通りだった。もう、立ち止まることなど許されないのだ。ルカは短くため息を吐いた。彼らには時間が残されていない。そして、その最後、ルカがどうすべきかはまったく決まっていない……。彼らがどうするにせよ、できるかぎりは付き合うつもりだ。目的として掲げたもののほとんどが今や崩れ去り、進むべき道など何も見えないルカだから。このままコクーンになど戻らず、人のいない大地で一人死んでいくのも悪くないような気がしてきている。
 そのほうが、だれにとっても、いいかもしれないから。
 海はどこまでも灰色で、赤い夕日を薄青に返し、コクーンは遠くに浮かんでいる。

「……あ」

 そうして遠くばかり見ていたので、気づかなかった。崩れた地点のすぐ直前、クリスタルの粒子が立ち上るように渦巻いている。ルカより前を歩いていたスノウとライトニングが訝しんで足を止めた、その瞬間だ。空気中に霧散していた大量の粒子が突如としてその地点に集まりだし、そして。
 そこから、ゆっくりと、人影が姿を表した。
 サンダルに包まれた足が見えたのが最初。女の体。淡桃色の髪が風に揺れる。
 それは、セラだった。

「ラグナロク、怒りの日、外界のルシ……宿命に従いて楽園を突き崩せ。死者の魂を光とし――永遠に眠る神を導く。哀れな迷い子、ラグナロク――神を導け」

 とつとつと抑揚なく語られる声もまたセラのもののようだ。一度言葉を聞いただけのルカはともかく、ライトニングとスノウがあまりにも狼狽えているので、間違いないらしい。

「セラ……どうして……?」
「待ってたんだよ? 目を覚ましてくれるのを」

 セラは微笑みながら、軽やかな足取りで狼狽するスノウに駆け寄り、躊躇いなく抱きついた。スノウの脇に彼女の白い腕がにゅっと伸びるのを、ルカはただ、見ていた。

「眠ってる間、ずっと感じてたの。一緒にコクーンを救う方法、考えたよ」

 その声はだんだんと歪み、ルカは背筋に悪寒を覚える。それはスノウも同じだったらしく、不意にセラを突き飛ばす。ライトニングもまたブレイズエッジを抜き、仲間たちを庇うように立った。
 セラはその全てを笑い飛ばした。

「わかったでしょう、奇跡を起こしてくれる救いの神なんてどこにもいない! 私達が呼ぶの。オーファンを倒して、コクーンを……世界を、救って?」
「やめろ!!」

 怒鳴ったのはライトニングだった。彼女の妹が今、知らぬ誰かに穢されているのだ。その姿を仮初に、ライトニングとスノウをただ翻弄するためだけに。そんなことを、彼女が許すはずがなかった。
 けれどもセラはライトニングを嘲笑うように口角を上げた。セラのことをよく知らないルカでさえも、セラの笑みなはずがないとわかるくらいに、邪悪な笑みだ。セラは、ライトニングが向ける剣先を嘲弄するように続ける。

「できないよ。姉さんは優しいから。……そうでしょう、エクレール姉さん」
「よせ。セラは……俺達と一緒に前だけ見てるんだ」
「その結果がこれだ」

 少女の声が突然嗄れ声に変わったかと思うと、次の瞬間にはセラの姿はダイスリーのものへと変わっていた。ルカは息を呑む。

「てめぇ!!」

 スノウがすぐさま、ダイスリーに殴りかかる。当然だった。ライトニングが最愛の妹を穢されたように、スノウもまた最愛の婚約者を穢されたのだ。激昂は必至であった。
 が、ダイスリーがそれを受け止めるはずもない。実体など存在しないみたいに、煙みたいにふわふわ消えてしまう。かと思えば数歩前に現れて、こちらを嘲笑っている。

「そうやって私達を挑発していいのかな? 私達がお前の考えを全て否定してここで仲良く死に絶えたら、きっとお前の希望も叶わないんだろうに?」

 ルカも、ライトニングに続いて剣を抜く。そんなルカを見据え、ダイスリーは短く鼻を鳴らす。

「くだらん虚勢を張る癖は抜けないな。ナバート中佐もロッシュ中佐も、誰が生かしてやってるかわかっているだろうに」

 ぞわり。
 ルカの背筋を嫌なものが駆け上がった。その名を口にするなよ。お前が――その名を、呼ぶなよ。

「……二人になんかしたら、ぶっ殺すよ……!」
「ああ、今や人質は二人だけではないのだよ」
「……何よ。どういう意味」
「私に代わり、レインズを聖府代表に据えた」
「…………え……?」

 静かに放たれた言葉が、処理できない。理解できない。
 今こいつは誰の名を呼んだ? 今、誰を……今何と……。

「レインズは生きてるのか!?」
「適当に動く、道具として蘇らせただけだ。中身などとうに壊れている。だが騎兵隊は裏切りとみなすだろうな。あの集団にとってファルシは敵。ファルシ=オーファンが黒幕だと告げれば、やつらはどうなるだろうな?」

 吹き飛ばされた思考はスノウの声に、呼び戻された。そして必死に追い付かせて、ダイスリーの言葉を頭のなかで再生し直した。
 今何と言っていた。騎兵隊? シドを餌に騎兵隊を動かして……ファルシと戦わせると?

「……リグディがバカ野郎だって話なら今は付き合わねーぞ。騎兵隊をファルシと戦わせるだって? そんなの、倒せるわけが……」

 言っている最中で気がついた。その通りだ。倒せるわけがない。勝てるはずがない。
 それじゃあ、どうして向かわせる。どうして戦わせようとする。そんなの、シ骸にされておしまいだ。リグディと騎兵隊の連中が脳裏に浮かぶ。……人質はジルやヤーグだけじゃない。ダイスリーの言葉が真実なら、シドもリグディも……ルカにとっての知己ばかりが、ダイスリーの手に握られているのだ……。

「ふざっけんな! そんなの……許さない……!」
「止められると思うのか? ああ……いや、ファルシにたどり着く前に自ら殺しあうかもしれんな? お前たちはどうする。宴を楽しむか」

 そんな言葉、最後まで聞くはずがない。
 ルカは怒りに震えながら、銃剣を片手に走り出していた。ダイスリーが見た目どおりの老人だったら、その胴が撥ね飛ばされるまで気づくことさえできなかったはずだ。だが、当然のように空振って、ダイスリーは数メートル先へ体を移していた。
 そして、けれど、それはもう、“ダイスリー”ではなかった。

「何を怒っているの? 身から出た錆でしょうに。あなたは一度だって私達を信用しなかった。レインズなんか裏切って私達の味方でいてくれたなら、私達、きっとずっと一緒に戦っていられたわ」
「……ジル……」

 嘘だ。わかっている。全てわかっている。嘘だ。こんなの嘘だ。ジルがこんなところに居るはずがない……。
 それでも、動けない。ルカは呆然と立ち尽くすのみ。だのに、それだけでは終わらなかった。煙が湧き上がるみたいにジルの姿は一瞬で切り替わる。“彼”はルカの近くへ迫り、灰色の目でルカを見下ろしている。

「お前は相手が私達でも剣を向けられる奴だった。そんなことも知らなかった俺をずっと嘲笑っていたんだろう? 十年を切り捨てたのは、お前の方だ」
「やめて……! やめてよ!!」

 ヤーグの声で、私を罵らないで。ヤーグはそんなことはしなかった。言葉をそんなふうに使う人ではなかったわ……。
 ルカの手から剣が落ちる。あっ、と声を上げて剣を追いかけて、ルカはふらりと崩折れてしまう。ひざをついて、呆然として、見上げる先には。
 ああ、嫌な予感はしていたのだ……ジル、ヤーグとくれば、最後にはその姿を取るのだろうと、なんとなくわかっていた……。

「君を信じるべきではなかった」
「あ……」

 冷涼な容貌。黒髪が揺れる。
 その青い眼。

「最初に、君を殺しておくべきだった」
「……なんでしってるの?」

 出た言葉は、そんな問いだった。「私の心が読めるの?」それならいいの。それなら、いいのよ。
「なんで、そんな……」そんなにも……「言われたくないことを……」思っていたことを……「知ってるの?」
 ジルとヤーグには隠し事をして。シドのためには役立たずで。彼らのためには、結局、ただ害にしかなれない人間だったこと。
 指摘されたくなかったこと。でも、ずっと前から思っていたこと。もう証明してしまった、ある種の事実を。
 私の心を読んでいて、一番指摘されたくないことを見つけただけなら、いい。でもそれが、ジルとヤーグとシド、彼らの本心なら?
 彼らの心を読んで言っているのだとしたら、どうしたらいいのだろう? できないとは思えない、四六時中人を操るこの化け物ならば……。
 ルカはもう、立ち上がれないような気がした。気がした、けれど。

「……怒ってるなら、生きて、誰かに責任を取らせろ」
「え……?」
「ルカさんが言ったんですよ。……母さんが……死んで……どん底のときに、僕にそう……」
「……そう……だっけ。言ったかも」

 ホープが、崩折れたルカの肩を掴んでいる。肩のうすい服を通して伝わる熱が、あまりに熱かったので、ルカは無性に正気に戻されてしまった。
 顔を上げると、ホープはもう一方の手で、前方を指差している。わずかに節のたった少年の指を見つめ、そのさきに視線をふたたび送ると、当然、そこにはまだシドの姿がある。

「責任を取らせるんです。怒ってるんでしょう?」
「……」
「ルカさんがどんな人間だったとしても、僕なんかには想像できないような嫌なところがあったとしても……僕と父さんや母さんの間になにがあったって、ある日突然、誰かの都合で次の機会を奪っていいはずがないように……ルカさんから、やり直す機会を奪っていいわけじゃないと、おもいます」
「……うん」

 その通りだ。
 誰もがそうだ。
 誰だって生きていれば、互いに対して完璧ではいられないまま、繕って、失敗して、ときどき笑って無理やり生きているのに。

 膝を立てて、体重を載せ、ゆっくり立ち上がる。落とした剣を、拾い上げて。
 これはルカの墓標。

 海はどこまでも灰色で、赤い夕日を薄青に返し、コクーンは遠くに浮かんでいる。そのかなた、光が重なって、一瞬きらめいた。
 ルシたちとともに、ルカは立っている。ほんの十三日で、なんとも遠くへ来てしまった。きっと戻ることはもうできない。だって死んでしまったんだから。
 だから、そうだ。

「みんなで責任を取らせてやる」

 ライトニングがにらみつけると、シドの顔がふんと歪み、あっというまにダイスリーの姿が戻ってくる。背の歪んだ老人の姿だ。ルカは、人知れず頬を伝った冷たい涙を、手の甲で乱雑に弾いた。
 ダイスリー、つまるところのバルトアンデルスは、これ以上ルシたちとルカを揺さぶることは不可能と判断したか、つまらなそうに意地悪く笑い、手にした杖で地面を叩く。

「ふん。頃合いか」

 不意に、白い梟がルカたちの前を横切った。それはダイスリーの後ろへ飛び降りるさなか、飛空艇へと姿を変える。
 見たことのない飛空艇だった。軍用艇でも、民間艇でもない。この世にない飛空艇は、ファルシの力そのものであるに違いなかった。

「招待状は残しておこう。救いのない彼らを救えるのは、ラグナロクだけだ。……コクーンを、痛みから解放してくれ」

 ダイスリーはそう言って微笑み、それから消えていく。数秒で影も形も見えなくなった。

「……スノウくんは大丈夫?」
「え? あ……ああ、大丈夫だ。気にしてねーよ」
「いやーショックじゃん。あんな爺さんに恋人騙られるの」
「もう忘れてえから二度と話題に出さないでくれね?」
「すごく可哀想」
「俺だって怒ったりするぞ」
「あはは。それはもう知ってるよ」

 スノウがここに至るまで、どれほど静かに怒っていたか、ルカはもうよくわかってる。彼の怒りが内に向くものであることも。ルカは何度か、彼を追い詰めるようなことを言ってしまったけど、彼は一度だってルカを責めなかった。
 ライトニングのことも、スノウのことも、サッズのことも。ホープのことも、ヴァニラのことも、ファングのことも。
 ルカはずいぶんよく知った。そして、信じられるようになった。信じてくれることも、わかるようになった。だから、ジルとヤーグのことがあっても、シドのことがあっても、ルカはまだ生きていられる。
 死ににいける。

「行こう」

 スノウが言う。覚悟は決まっている。結局、ルシの呪いを解く方法もなにひとつわからないままだ。それでも、ファルシの誘うまま、望まれるまま、進むしかない。
 この旅路の終わりにはもう希望がないことを、全員が理解しているのだと、ルカは察した。とても口には出せない、自分たちはもうじき死ぬしか無いだなんて。
 代わりに自分たちを排斥したものたちを、そんな世界でも味方でいてくれたごくわずかを、助けるために戦うんだなんて。

「(とても言えない)」

 それでも私は、ジルを、ヤーグを、もしかしたらシド・レインズを救えるかもしれないのなら、やっぱりそれだけでもいいかと思ってしまっているなんて、とても。






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