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 ヴァニラが悲鳴を上げ、スノウが咆哮し、ホープが顔を覆って震え、サッズが目をそらした。ライトニングが唇を震わせて息を呑み、ファングが舌打ちをした。
 ルカの背に生えたシドの腕を見て。
 そして、駆け寄ろうとした。けれど、あのルカが、誰を殺しても誰に裏切られても飄々としていたルカが泣きながら謝っているのを見て、近寄れなくなってしまった。どんな理由があってもこれを邪魔してはならないと思わせられてしまった。
 けれど、それでも駆け寄るべきだったと、一瞬後には後悔していた。

 シドは己がルカをどのような状態に追い込んだかを知ると同時、恐れ慄くように目を閉じた。そして彼の膝からは力が抜け、崩れ落ちる。ルカも当然、一緒に落ちた。彼はルカを支えるように抱きしめていたが、直後だ。短いうめき声と共に、その体がみるみるうちに、クリスタルへと変貌していく。
 それを見たのは、皆二度目だ。ファング以外は。だから、わかっていた。
 使命を果たせばクリスタルへ。果たさなければシ骸へ。ルシの運命のとおりになったのだと。

 ……でもこの場合、使命とは?
 それは誰にもわからない。ファルシの決めたことなど、彼らには。

 そして直後、クリスタルとなった体は、そよ風に砕かれたように細かく割れ、空気に巻き上げられて飛んでいってしまう。まるでそこにいたのがそもそも誤りだったかのようだった。いなくなってみれば、シドの痕跡はひとつもなく、ただ支えを失って落ち、地面に倒れ伏した血まみれの女が一人いるばかりだ。

「ルカ!!」

 ライトニングが叫んで駆け寄り、彼女を寝かせる。ライトニングがすぐに回復魔法を唱え始めると、駆けつけたヴァニラとホープも続く。腹に穴が空いているのだ、皆懸命だ。
 スノウたちも近くで見守るが、ヒーラーとしての適正のなかった彼らにできることはほとんどない。ただルカの青い顔と、彼らの治癒魔法の緑の光をじっと見ているだけだ。

 ライトニングにはわかっていた。流れた血の量は、失血死に至る量を明らかに超えている。明らかすぎるほどの致命傷だ。回復魔法は傷を塞ぐし、多少造血の効果もある。実際ルカの脇腹を貫通した傷は生々しく腸を見せながらもふさがり始めていたけれど、それでもルカが生き延びる根拠はなにもなかった。

 だからヒーラー全員で、傷が塞がってもなお魔法を掛け続ける。造血が間に合えば、可能性はあるからだ。
 十分以上はそんな緊迫感が続いただろうか。ルカの顔色が僅かに白く戻り始めたので、慌てて測ると脈は少し早いものの安定しているようだった。これならなんとかなるかもしれない、そう思ってライトニングは安堵する。

「これも奇跡……ですね。もう絶対に無理だと……僕は」
「そうだな。まさか助かるとは……」

 絶対に無理だと思っていた。この数日で一生分の人の死を見てきたルシたちはみな、ルカが助かったことに驚き、また感謝を覚えるばかりだ。 
 傷口は綺麗とは言い難い。引き攣ったように縮まり、新しい皮膚がピンク色に盛り上がっているが、ケアル魔法をどれだけかけても消える兆しがないため、これ以上は治癒されないのかもしれない。

「すごい血だね……」

 青ざめた顔のヴァニラが言う。ホープも今更震えてきたらしく頷いた。ルカは地面に横たわったまま、か細い呼吸を繰り返している。
 その彼女を見下ろしながら、スノウが呟いた。

「レインズはレインズなりに、コクーンを救おうとしたんだな……それでルカは、それを助けようとしてたんだ」
「俺はいまいちよくわかってねえが、どうも事情があったらしいな。ルカの秘密主義はそのためかよ」
「たぶん、そういうことだったんだと思う」

 ライトニングはルカの体を支え、スノウを呼ぶ。「お前なら背負って走れるだろ」「おう。任せろ」ルカを彼の背に負わせてから、ずっと黙りこくっているファングを見る。彼女は苛立ちを隠さない顔で唇を噛み、俯いていた。
 その怒りの理由はいくらでもある。レインズは結局味方じゃなかったし、ルカは秘密を全部隠していたし、バルトアンデルスに言われたことは全く意味さえわかっていない。彼女が翻弄されるのを嫌うタイプであることくらい短い付き合いでもわかっているし、それはライトニングも同じだから、少し心配にはなる。

「ファング?平気か?」
「……ああ」
「急ごう」
「……、う……?」

 不意にスノウの背中でルカが目を開き、短く呻いた。彼女の名を呼んで皆駆け寄るが、ルカは青い顔で薄く目を開いたまま、ただ一言、「先輩は?」と聞いた。それがシドを指していることはわかっていたので、ライトニングが「もういない。消えてしまった」と答えると、何度か瞼を瞬かせ、そう、と呟いてまた動かなくなる。

「ルカ!?」
「気を失ったみたい……ううん、血が足りなくて意識が保てないんだね。でも一応意識が戻ったし、しばらく休めば大丈夫そうだね」
「とりあえず命の危険がなければ安心です……」

 ライトニングはルカの銃剣を拾い上げ、ルカの腰の転送装置の一つを選んでねじ込んだ。ルカの血が垂れてべったり汚れたままだったが、道具がなければ拭うこともできやしない。
 とにかく早くここを抜けて、ルカを安静にさせねばならない。焦りを感じながらも、ライトニングはファングの様子がおかしいことに気付いていた。






<Error Code 0001/1001>

 死んだ赤子の死体を埋め、思ったことは、とどのつまりもう限界だということだった。
 発狂と正気を繰り返しながら生きていた“私”は、時折やってくる正気のはざまで、そう思った。

 “私”は限界だ。もう耐えられない。これ以上繰り返したら、こうして正気に戻る日もきっとなくなる。それはどんな死に方を繰り返すより、ずっと恐ろしく、またおぞましいことのように思われた。

 だから“私”はファルシに救いを求め、異跡の奥へ入り込み、外界との接触を全て断つことにした。直接の解決にはならない。やはり正気と狂気を繰り返した。
 それでも、あれだけ憎んだ時間が少しずつでも“私”を癒やしたことは認めなければなるまい。正気の時間は年々延びていった。どんな恐怖だって、時間が癒やしてくれることはある。

 そして、気が遠くなるほどの……ただただ長い月日が流れた。

 唐突に転機は訪れた。

<Discovered Yuel/Etro and your recollection........Could not connect.>






 ぐったりとしたままか細い息を吐くばかりのルカをスノウが背負い、ルシ達は歩いた。歩いて歩いて歩き続けて、一時間近く経った頃だろうか。湧いて出てくる敵を下し、なぎ倒しながら進み、たどり着いた果ては断崖絶壁であった。
 道が繋がっていない。崖の下を見下ろせば、魔物が大量に徘徊しているのがわかる。

「こんなところ降りたら……」

 激戦になるだろう。ホープが下を覗き込んで顔を顰める。誰もが一瞬、口をつぐんだ。
 しかしファングは舌打ちをして、

「留まればここでシ骸になんだぞ」

 忌々しげにそう言った。
 希望も絶望も関係なく全てを塗りつぶすような恐怖、強い呪い。それがあるから一瞬だって足を止められない。その一歩を躊躇う合間にも寿命が縮まると知っているから。ルシたちは黙り込んで俯いた。
 けれども、誰もが俯いたわけでもなかった。

「大丈夫だ。シ骸になるとしても、そんなのは、いまさら諦める理由にはならない」

 ライトニングが噛みしめるように呟いた。それを聞いたホープもぎゅっと両手を強く握ったし、サッズは口角を釣り上げたし、ヴァニラは胸元を押さえた。

「使命なんて関係ねえよな。使命のために生きてるんじゃない……例えシ骸になったっていい。俺には使命より、セラの願いの方がずっと大事だ。何があっても俺は、コクーンを守る」

 よいせ、とルカを背負い直してスノウはひたすら前を見ていた。懐にはセラの涙のクリスタルがある。スノウは言う。セラの涙は絶望して溢れたものだと思っていたのだと。でもそれは違った。きっと違った。セラの姉がいて、自分がいて……きっと自分たちなら何をおいても自分の願いを叶えてくれると思ったからの涙だったのだ。スノウは微笑んだまま、そう語った。

「だから俺はコクーンを守りぬく。そんで絶対、セラと結婚する!」

 スノウは笑った。底抜けの笑顔だった。シ骸になることなんて怖くないと、本気で思っているのだと誰にでもわかる笑顔。
 ヴァニラもそれに賛同し、嬉しそうに微笑んだ。久方ぶりの、彼女らしい笑顔だった。それが、思えばコクーンで目覚めてから初めて見る、懐かしい笑顔だったので。

 笑顔だったので。

「認めねーよ」

 気に入らねーよふざけんなよ。セラなんて知らねえよ。コクーンなんてどうなったっていい。コクーンなんてどうなったっていい。コクーンなんてどうなったっていい。コクーンなんて、コクーンなんて、コクーンなんて。

「使命を果たさなきゃ、シ骸になる……」
「ファング、でもそれはっ……」

 ふらふらと後退するファングを止めようとヴァニラが手を伸ばす。けれどもファングは更に一歩引いてそれを逃れ、背中に背負った三叉槍を繰り出した。

 震えながらも眼光は鋭く、ヴァニラの後ろのスノウをライトニングを見つめている。そして、スノウの抱えるルカの微かに覗く頭頂部も。

 誰も彼もが憎いと、その一瞬だけファングは思った。もしかしたらヴァニラさえも。使命なんて関係ない? そんなことより大事なものがある? それがどうした。そんなの、もうずっと昔からファングは知っている。使命なんかより、ファルシの意向なんかより、ヴァニラとヲルバの郷が大切だと思ったから……だから自分は自らルシになるため身を捧げたのだ。それを全部なおざりに、いまさらわかりきったことを口にして満足する誰も彼もが憎くて憎くてたまらない。

 ルシのしるしが白く焦げていることに気づいたとき、最初に芽生えたのは恐怖だった。ヴァニラにも秘密の、恐れ。使命がわからないということ。ヴァニラを守る方法がわからないということ。使命が果たせなかったら置き去りにされるということ。否……使命を果たしたって、置き去りにされるということ。

 それはずっと郷で育ってきたファングにとっては凄まじいまでの恐ろしさだった。壊れたルシの自分はどうなってしまうのか。人として寿命を持つのか。それとも使命を果たせばクリスタルにはなれるのか。そんな伝承は聞いたこともないから、当然結末もわからない。迎えるまでわからない。

 それでも一縷の望みに賭けたのだ。ヴァニラが生きる希望に。自分がどうなるにせよ、ヴァニラをシ骸になどさせず命を繋がせる、それが本当はたったひとつの希望だった。今まで結局はっきりと口に出してはいなかったけれど、ファングの行動の裏にはいつもその一本通った信念があった。

 でも、スノウが、お前らが、それを否定するんなら。

「コクーンなんてどうなったっていい」

 コクーンの民なんて、ルシを憎んでる連中だ。いっそ全員死んじまえ。

「仲間がシ骸になるより、その方がマシだ」

 だけど仲間のはずのお前らが、それを否定するんなら。

「お前らができねーっていうんなら、私だけでもやってやる。先へ進んで、力をつけて、コクーンをぶっ壊してやる!!」
「ファング!?」

 ヴァニラの咎めるような声がした瞬間だった。右肩の烙印に、激痛が走った。なんだこれは……理解する間もなくあまりの痛みに息が切れて、ファングはめまいを感じ膝をついた。

 同時に頭が膨れ上がるような頭痛がして、蹲って痛みに耐えたい欲求が止めどなく溢れてくる。けれど、そうするわけにはいかなかった。
 彼女には、時間がないのだ。ヴァニラをシ骸にさせるわけにいかないファングには、余分な時間など、もう。

「シ骸になったら……おしまいなんだよ……! 私が、私が……私が助けたいのは――っ!!」

 烙印から、現れてはいけない光がこぼれたのを感じた。それは空気を冷やし、伝播して、一瞬だけ視界を白く染めた。
 そして地面に見たこともない魔法陣が円を描き、広がって……目の前から、悪魔が飛び出してきた気がした。

 そこにいたのは、黒い肉体を持った召喚獣であった。かつて出会ったことがあったかさえファングは思い出せないけれど、その巨大な体と、溢れんばかりの魔力の奔流から、モンスターたちなど及びもつかない化け物であることはよくわかる。
 だが、これは悪魔だ。ファングは思う。すべてを終わらせるためにやってきた災厄の悪魔。けれども伝承では、こいつらが狙うのは本物のルシではなかったかとファングは内心首をもたげたが、そんなことは今はどうでもいいとすぐに思い直した。

「何しに出てきた? 私は壊れたルシなのに……私を哀れもうってのか!!」
「助けてくれるんじゃねえの!?」

 何も知らないスノウが近くで声を荒げた。ファングは嘲るように思う。召喚獣はルシを殺して、楽にしてやる存在で、グラン=パルスでは常識であると。

 ファングは怒りと恐怖でガチガチになりながら、三叉槍を構え、召喚獣を睨みつける。立ち向かわなければならない。自分の力で倒さなければ。
 けれどそう思ったとき、己の隣にヴァニラが、そしてライトニングが立っていることに気がついた。

 ライトニングは同じく召喚獣を睨み、言う。

「私は救いにすがる気はない。さりとて、ファルシの思惑に乗る気もない。けれど、使命とは最後まで戦いたい……だからファング、」

 助けてくれないか。私たちを、助けてくれないか。

 ライトニングはファングを振り返らなかった。だからそれに対する答えも、一瞬ファングはためらった。
 けれど、ヴァニラが自分の手をぎゅっと握ったのを感じた。

「一緒に戦おうファング。……私ね、まだ諦めてないよ!」

 ヴァニラが見せたのは、強い覚悟の滲む笑みだった。ヲルバの郷を出るまでは一度だってこんな顔をしたことはなかったのに。
 けれどもそれが好ましい変化であることは言うまでもなく、否定することはできなかった。ヴァニラは間違いなく強くなっている、それを肌で感じられる。

「……今更言うんじゃねーよ、そんなこと!」

 ともすれば反意に聞こえるはずの言葉でも、きちんと伝わった。ファングは槍を振りかざす。ヴァニラが諦めないのなら、自分だって諦められない。
 使命についてはまだまだ思うところはあるけれど、それでも、生き延びたい気持ちは何も変わらない。だから誰もが武器をとった。







 目を覚まして、霞がかった視界の奥に竜のようなものが見え、まだ夢を見ているのだろうかと考えたりした。けれど、その竜と戦っている後ろ姿がどうにも見慣れたものばかりなので、現実であると判断する。
 ルシたちは一体なにと戦っているのか。

 起き上がろうとすると、激しい頭痛が脳をがくがく揺らす。挙げ句こめかみのあたりに心臓がもう一つ生えたんじゃないかというくらいの勢いでドクドク脈打ち始める。視界の端はまだうすらぼやけていてピントがあわない。
 自分に何が起きているのか確証はないけれど、おそらくは貧血が起きている。それも、相当にひどい貧血。なんせ腹に穴が空いたのだ。まだ脇腹を中心に体が割れそうな痛みが走っている。どんなにひどい怪我だってここまでじゃなかったよな、と思い返して呆れた。全く、それなりに怪我の多い人生をおくってきたというのに。

 ファングが跳ね、竜の額を槍で貫くのが見えた。その一撃が決定打となったのか、竜がふっとかき消え、ファングの周囲にルシの魔力が満ちるのがわかった。アレが何で、一体何が起きていたのかさえルカには全くわからない話ではあるが、大した問題ではなさそうだ。
 ルカはようやっと、起き上がる決心がついた。体に無造作に掛けられた上着を纏い直し、床に手をついてゆっくり体を起こす。壁伝いに立ち上がり、乱れた呼吸を吐き出す。絡まった髪が顔にかかって、うざったい。

 いまだに涙の痕が頬に貼り付き、皮膚を引き攣らせているというのに、なんだかまた泣いてしまいそうだ。足が震えている。
 いまのわたしにはなにもない。なにひとつ。

「ルカ」

 ライトニングが声をかける。ブレイズエッジ、讃えよ我が名、その剣先がルカを向いている。

「目覚めたばかりで悪いが、聞かせてくれ。お前は結局、誰の味方なんだ。レインズも、PSICOMのロッシュも、どちらも私達にとっては敵なんだ」
「……私は、それでも構わないの。敵として彼らと相対することになっても、彼らを生かして、この戦いを乗り切れるなら」
「そういうことを聞いているんじゃない! お前の目的を聞いているんだ!」
「他にはないんだよ。彼らを救う以外、望みなんてない。私には最初から目的なんてないんだよ」

 何度も言っているでしょ。
 ルカが言うと、ライトニングは顔を歪ませた。

「だが、レインズはもういない。お前はもう、聖府と戦う理由がないんじゃないのか」
「ああ……うん、はは、そうか。そう思うよな。うん、それは理解できる」

 寒くて体が震えている。頭がくらくらする。思考が纏まらない。
 だから、煙に巻くようなことは言えそうになかった。

「先輩はただ恋人だったわけじゃない。私の指針だった。別に彼の理想に心酔してたわけじゃないさ、でもね、わたしは……」

 ルカはそこで一度言葉を切り、深く息を吐く。
 好きだったよ。でもそれだけじゃなかったの。

「わたしは、あの人の理想とする世界を叶えたいと思ったの。だから何年も戦ってきたし、これからも勝利するまでそれは続くの。あの人がもうどこにもいなくったって」

 意思とは無関係に溢れた涙が頬を伝って地面に落ちた。いい年こいて泣いてられないと思うから、それが腹立たしい。泣きたいわけじゃない。すがりたいわけじゃない。だって、そうしたい相手はもうここにいないのだから。

「だから私は、先輩の味方だし、それでも同時にジルとヤーグを守る」
「矛盾している」
「私からしたらルシの使命に従いながらコクーンを守るなんて言ってるお前たちのほうがひどく矛盾してるよ。でもそれを叶える奇跡を願ってるんでしょ。私だってそうだよ」

 痛いところを疲れたライトニングの表情が僅かに翳る。ルカは壁に凭れてようやく立っているくせに、喉を鳴らして笑った。

「私はコクーンがどうなったっていいの。でも、破壊したい理由もない。お前たちに、ジルとヤーグを殺す理由が無い限りは、味方になると言ったでしょう」
「それじゃあ、どうしようもないときは?」

 ホープが聞く。表情に戸惑いが浮かんでいる。「殺さないと先に進めないときは、どうしたらいいんですか」ルカは目を閉じる。

 そうなったときは。もし、本当に、どちらかが死ななければならないときが来てしまったら。
 シドにしか言わなかったことだ。言えなかったはずのことだった。

「そのときは私が殺すよ」
「……ルカ」
「私が殺す。私が、殺して、私も死のう」

 スノウが目許を険しくさせ、首をかすかに横に振った。そんなことはさせたくないと顔が雄弁に語っている。
 ルシは、みんなして、わかりやすいのだ。育ちがよくて、親切で、正しいものを正しいと信じている。大衆的で愚かだとも言えるかもしれない。それでも、ルカはその優しさに救われていた。
 きみはわるくない。意識を失う寸前のシドの言葉が耳に残っている。

 そうだねわたしは悪くない。でもそれは、わたしが分不相応を望まなかった世界の話でしょう。
 でもわたしは、わたしには手が届かない世界だとしても、取り戻すためになんだってする。

「どうしようもないときは、私がちゃんと殺す。その上で私も死ぬ。君たちに迷惑はかけない」
「そんなことを言わせたいわけじゃあ……ッ!」
「わかんないよ! 家族とか恋人が敵になってないなら! サッズだって同じ状況でしょう! サッズはどうなの? わからない? 誰かがドッジくんを殺さなきゃいけない状況になったらせめて自分でやるだろう!!」
「そんなこと言うなよ!! 俺はッ、俺は……そう、なるくらいなら」
「それくらいなら仲間だって殺すだろ。そうでなくとも、“仲間に先に殺されておきたい”だろう。仲間が息子を殺すような光景を見るくらいなら。私だってそうだよ!!」

 ルカは絶叫した。ファルシたちは言葉を失っていた。

「ときには次善で手を打たなけりゃならねえときもあるんだよ! 最善じゃなくても! 全員は、救えなくても……救えないなら……先輩を救えなかった私が、救われた側に入るなんてことは、できないよ。どのみち。もう決まったようなことだ。この旅路がどう進もうが……どんな結末を迎えようが」
「死ぬために俺たちと行こうってのか……?」
「ああ。そうだ。不思議だね……なんだかすごく、すっきりした気分だ」

 スノウが屈んで問う。アイスブルーの瞳を見つめ返すと、不思議なくらい気持ちが落ち着いた。
 ルカはおそらく、ルシの中でこの青年を一番信用していた。人として歪んだところがなく、他の誰よりまっとうで、優しい人間だからだった。その目を見たから、はっきり認めることができた。

「私は、ただしく死ぬために、君たちと一緒に行こう」

 私は先輩を助けられなかった。おめおめと生き延びている。次の希望は、あの人の理想を何が何でも叶えて、ジルとヤーグを守り抜き、最後にはあの人を追うことだ。
 そう思ったら、これまでずっとぐるぐる考え込んでいたのが馬鹿らしいくらいに、心のモヤは晴れ渡っていた。何を怖れることがあるだろう?

 みんなして、そんなルカを痛ましいものを見るような目で見ていた。まったくもって、揃いも揃ってお人好しで笑ってしまうね。
 大事なものを奪われていない人間なんて、ここにはもうとっくにいないのに。

 そう思ったのとほとんど同時だった。目を刺すみたいに強い白光が遠くから伸びた。とっさにぎゅうと目を瞑ってから、恐る恐る目を開くと、すぐそばには飛空艇が一艇停まっている。何度も乗った、最新鋭の飛空艇を模したファルシの飛空艇だ。次いで、壁が轟音とともに崩れて大穴が開く。飛空艇ぐらいするりと抜け出せてしまいそうな大穴だ。快晴が覗き、こんなときでなければルカも目を細めたんだろうが。
 ルカは壁を離れながら、溜息を吐いた。

「唯一仕組まれていないと信じられるのは、心だけだね」
「どういうことだよ?」
「ファングがヴァニラを大事に思ってることをファルシは知ってるけど、その想いがどういう形や色、においをしているかは知らないでしょう? 私たちが次にどうするか全部読まれてるのは仕方ないけど、でも、奴らにこの気持ちを知ることなんてできない」

 ファングは一瞬虚を衝かれたというように固まってから、しかししっかりと頷いた。
 確かなものなど心しかなかった。

 それでも、ちゃんと胸の内にあってくれた。

「行こう。下界へ向かえと言っているのだろう」
「うん、私たちが案内するよ!」
「ちょっと怖いですけど。大丈夫ですよね」
「何を怖がっても、全部今更だ。ルシの呪いも、下界に行ってみりゃ案外簡単に解けちまうかもな?」
「はい。……たとえ解けなくても、行ってみる価値はある。コクーンを害する羽目になる危険は減るし、……たとえ戻ってこられなくなったとしても、もう踊らされるのはうんざりですよ。自分の目で見て、選びたいから」

 本当にホープは強くなった。ビルジ湖で、何も知りたくない見たくない僕悪くないと頭を抱えてギャン泣きしかけていた頃とは別人である。ルカはつい彼を撫でた。「わっ!? 何するんですか……」「この歳になると若人の成長が眩しいわ可愛いわで心が浮き立つ」「浮き立ってる顔じゃないんですよねえ……」「ハハ。本当に強くなって。いい子いい子」「ウウ……」などの会話を交わしつつ、飛空艇へ向かう。

 この先に何が待つかなどルカは知らない。希望があるかもわからない。それでも、貧血の体でも、一人で立って歩くことができた。

 凍えるような怒りと燃えるような後悔に心底揺さぶられながらも、そのことにルカは随分安堵していた。自分は大丈夫。大丈夫だ。まだ折れずに生きている。生きている限りは次がある。もう限界だって思うときだって、生きている限りは次に挑まなければならない。

 飛空艇が、青空へとまっすぐ飛び立った。もうじき夕暮れが来る、静かな午後のことだった。



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