Graveyard.


 アークと呼ばれた古代の武器庫がもともと何を目的として作られたものかルカには全く見当がつかなかったが、ファングいわく、ルシのための修練場であるらしかった。たしかにそうでなければ繰り返し魔物が襲ってくることはなかっただろうし、そもそもルシという存在の性質上、武器の上等下等はほとんど関係ないだろう。魔法も使えるし、戦闘センスも一気に向上するみたいだし。そう思って聞いたら、やはり肯定の返事をファングは返した。

「アークはルシを鍛える場所なんだ。ルシのちからを、叩いて叩いて、強くする……」
「また一歩化け物に近付くってか」

 サッズが苦く笑ったが、ホープが首を横に振った。

「戦うための力を得るんだって、考えましょう! 力があればできることが増えるんだって。きっと何か、解決策が」
「ホープくん強くなったねえ。ライトニング姉さんのご指導の賜物?」
「違うさ。あいつはもともと、私より強いんだ」
「ちょっ、ライトさん……」

 肩をすくめてライトニングが笑ったので、ホープは僅かに赤面して黙りこくった。
 美しい光景だなあとルカは思った。こんな状況下で、でも人間だから、すぐ融和を成し遂げる。


 問題は奥に進んでから起きた。
 複雑に入り組んだ廊下を抜けて、広い空間に出た瞬間、その男の姿を認め、スノウが「あっ」と声を上げた。

 そこに立っていたのが、ルシ一味への協力者、シド・レインズだったからだ。

「レインズ? どうしてここに、」
「ストップストップ、スノウくん。そこでとまれ」

 そして、駆け寄ろうとするスノウを、後ろから腕を掴んでルカが止める。「全員動かないで。私より前には絶対に出るなっていうか動くな」理由のわからない指示を出す。
 一歩踏み出し、二歩目で振り返って立てた人差し指を唇に当てて微笑み、くるりとターンしながらシドのほうへ。
 ルカは進む。

「来んのおっせーっすよ。もう二度と会わずに死ぬのかなってちょっと考えちゃったじゃん」
「……わかっているようだな。そうだろうな、君はこういうときばかり聡い」
「お褒め頂き恐縮デッス。いや褒めてたか? いや、褒めてたとしてもやっぱり愚弄に近いわなあ。手の甲なんてわかりやすいところについた烙印を見逃すわけがねーだろが、聖府のもうひとりのルシであるレインズ准将閣下」

 背後のルシ達がどよめく。聖府のルシとして公式に発表されたのはたった一人。ドッジ・カッツロイ、その子だけだったはずだと。
 でも変な話だろう。最初から思わなかった? ファルシがなぜ、“ただそこにいただけの男の子”をルシにしなければならなかったのか? 他に適任がこれだけいるのに。ルカ・カサブランカ、ジル・ナバート、ヤーグ・ロッシュ……シド・レインズ。彼がいるのに。
 ファルシはちゃんと、計算してルシを作っていた。サッズを巻き込むためだけに息子をルシにしたのなら、他の誰に対しても同じ手を使える。
 シドをルシにすればルカを巻き込める。ルカが巻き込まれるなら、ジルもヤーグも芋づる式に巻き込まれる。それだけの価値はあった。そうだろう? くそったれめ。

「おい、ルカそれは……!」
「ごめんねえ、黙っててさ。でもこの人が何考えてんだかいまいちわかってなかったし。少なくとも進むためにはこの人の助力が絶対いるし。それで黙ってたんだけど、うん、ずっと前から知ってたんだよね。もう二週間くらいになりますか。だからドッジくんが見つかる前だね。もう知ってた」

 ライトニングを振り返ることなく、ルカはそう言ってけらけら笑った。笑ってないと狂ってしまいそうだと思うのは、おかしい?
 なにがおかしい。この男か? 私か? ジルか、ヤーグか、コクーンか? 誰が一番おかしい? 果たして一人でもマトモなヤツはいるのか?
 ともあれ。

「きっと、いつかどこかで立ちはだかるんだろうと思ってたよ。そのとき戦うべきは、やっぱり私なんでしょう」

 ルカは二週間前、休暇でリンドブルムを訪い、そしてシドの烙印に気がついた。そのときはシドの様子がおかしいと思ったぐらいで状況を把握していなかったが、直後に異跡のルシの騒動が起き、それで思い至った。何かが起きているのだとわかったから、すぐに動いた。
 自分が室長を努めるうちのひとつ、下界並び異物調査室の文献を片っ端から漁り、何日もろくに眠らずルシについて調べ漁った。下界並び異物調査室が過去出した論文からルシというワードが一つでも含まれるものを探し総当りした。その異様な覇気に、いつも気安い部下たちが何も言えなくなっていた。
 けれど見つからなかった。ルシをもとに戻したというような記録は。だから方法もわからなかった。そもそもルシという存在自体、黙示戦争以降確認されていないのだから、当然といえば当然なのだけれど、それでも一縷の望みに懸けてルカは探し、そして見つけることができなかった。

 それならば下界へ行くしかない、その発想は当然の帰結だった。だが方法がない。どうやってそんなことをする? ファルシが許さない。ルカは悩んだ。……ファルシなど、殺してしまうか? やってもいい。シドをこんな形で死なせないためならば。

 そんな懊悩のさなかのことだ。聖府のルシ、ドッジが見つかったのは。それからの全ては立て続けに起きた。ドッジの保護、下界ルシの捜索、発見、パージの決定。波濤の中にいるみたいに、ルカは一つも抗えなかった。
 だから、パージの案が出た時、天啓だとさえ思ったものだ。下界への移送。それに同乗すればルカは下界へいける。一縷の望みだ。もうそれしかない。そう考えたからこそパージにも強硬に抗い、移送で済ませるべきだと言い張った。
 けれどそれもやはり敵わなかった。

 そして、仮眠室で、ヤーグに殴打され。
 異跡で目覚め。ルシたちと出会う。

 それが唯一、潰える寸前だったルカの希望を繋いだ。すれすれのところで、繋がった奇跡だった。

「ファルシの目的は、コクーンを壊すこと?」
「より具体的に言えば、コクーンを破壊し、同時に多くの人間の命を奪うことだ」
「……それで全部繋がるな。あなたの目的は、ことここに至り、ルシを皆殺しにして一旦全てのファルシの計画を無に返すこと」
「ああ。そうだ」
「そうすれば少なくとも、いまコクーンにいる三億人は守られる。また数百年後、人間という種がパージやルシのことを忘れ、ライトニングたちのような……ルシとして実用に耐える人間が一堂に会すタイミングが訪れるまで、ファルシは頓挫した計画を再開させないから……」
「そのとおりだよ。もう遅い。もう、とっくに手遅れだ」
「……うん。もうこれしかないと、思ったんだけどな」

 ため息をつくルカにシドが怪訝な顔をする。話していないものね、わからないよね。

 ルシたちは人間に戻る道を探している。ならば彼らと共に行けばその方法もわかるかもしれない。ライトニングとホープが一番前向きで行動力がありそうだから同行した。下界のルシらしきヴァニラに聴取すべきかは迷うところだったが、その場合ヴァニラに認めさせることができるか怪しかったこと、彼女の周囲への態度から方法を知っているなら何かヒントくらい告げるだろう、つまりは言わないのなら知らないだろうと判断した。

 だから、先へ進むしかないのだと。

 まだ先へ。もっと先へ。そのきっかけを掴むためならば。

 全ては、シド・レインズを元に戻すため。

 そして、それが不可能だったときには。

 ルカは。
 ……わたしは。

「なんで私が、ここにいると思ってんの」

 わたしは、そう、えらぶしかない。
 ずっと誰にも言えなかった。
 こうするしかない。

「まあそうね、私嘘つかないから。あなたと違って、できるだけ嘘はつかないようにしてるから。そうね、卑怯者だからさ。全部本当だよ。パージを止められなかった責のため。いずれ来る革命の朝に下界を恐れさせない要因を一つでも作るため。ジルとヤーグを殺させないため。そのためなら死んだってよかったよ。全部本当に、私の考えだ。でもね」

 えらぶしか。えらぶしか。あなたいがいを。

「でも一番大事だったのは、先輩を一人で、ルシのまま死なせないことだったよ!! あなたが一番望まない形で!! ルシたちを妨害してその果てに、し、しぬ、なんてことだけはッ、させないことなんだよ!! 何度も死にたくなったけど、それでも、生き延びたらわたしは、あなたを……ッ」

 ほかのことなど、おもいいたらなかった。異跡で目覚めた瞬間までは。
 ジルをヤーグを追い求めた。誰が一番大事かなんて考えたこともない。あの二人だって死なせるわけにはいかないが、それはシドだって同じだ。

 それなのに。
 どうして?

 シドの目を見る。凪いだ目だ。全てを受け入れた目だ。

「私を使って……ファルシに勝って……なんとか、しようよ。こんなのおかしいでしょ……わたしたち、まだやれるでしょ。信じてよ。なんとかなるよ……」

 方法なんてかけらも思いつきやしない。できることなど何にもない。ただの人間に過ぎないルカでは。
 それでもわたしは、あなたのするどいやいば。
 そうであろうと決めている。決めていた。えらんでいた。はずだった。

「どうして諦めちゃうの……どうして」

 ルカの放った声が遠くまで響くのを聞いた。それが収まる前に、シドが口を開いた。

「これが、使命だからだ」
 頭がかっと赤く燃える気がする。
「使命使命使命!! お前らはいつもそうだ! ルシは、くそったれ、みんなそれだ。ああ、まったくファルシのくそったれが!! もう本当、あのカミサマ気取りの“出来損ない”どもッ皆殺しにしてやらないと気が済まない!」

 叫んでも、何も解決はしない。シドは人間には戻れないし、ルカは元の場所にもどれはしない。荒い息を吐き出して、足を進める。
 転送装置に手を突っ込んで、銃剣を引きずり出す。手が震える。それでも銃剣をしっかり握る。剣先を、シドに、愛、する、人に、向ける。
 背後からホープが叫ぶ。

「ルカさんッ、戦う気なんですか!?」
「この人はそのつもりなの。だったらやっぱり、死に水を取るのは私しかいないだろ……!」

 リグディがいれば一緒にやるところかもしれないけどな。でもあいつ、陸じゃ役立たずだからどうかな。
 ルカは震えながら笑って言う。

「どきなさい。君と戦うために来たのではない」
「私はそうだよ。聞いてんじゃん、なんで私がここにいると思ってんのかって。わたしはあなたの理想を叶えるためにいるの。わたしがあなたの代わりにファルシから支配権を取り戻す。そのために、ルシたちには指一本、触れさせるわけにはいかない。あなたはそんなことを望んでいないから。あなたの使命は私が潰す」

 もしもそれで、あなたがシ骸になるのなら、その前に私が殺してみせる。

「あなたを生かせないのなら、せめてあなたが掲げた理想は、死なせない」

 死んでほしくない。でも死なせてやらなければ。死んでほしくないよ。それでも終わらせてやるのが役目。
 ルカはそのためにシドのものになったのだから。

「……ならば、伝えておこう。ファルシの理想は、神をこの世に降ろすこと。人間はそのための供犠となる」
「そう。ならその前にあいつらを皆殺しにしてやらないとね。まあまかせて? 絶対殺してやるから」
「ああ。期待している」

 シドはいつもみたいに、少しばかり苦く笑う。
 そうやって笑うのを、やめろ!!!
 ルカは死ぬほど叫びたかった。いっそ怖がって運命を嘆いてくれよ! ずっとそればっかり考えていてもう気が狂いそうなんだ本当は!
 本当は何度も逃げ出したくなって。それでも、逃げなかった。何度も死んで終わりにしたいと思って、それでも死なずにここまで生きてきた。

 致し方なしに覚悟は決まった。さあ殺そう。殺されたっていい。全力は尽くしたって言えるさ。ハハ、なにバカなこと言ってやがる。命を使ってでも絶対に殺せ。ルシと、交戦させるな。全ては彼を守るため。

 ルカはPSICOMでも屈指の武闘派で通っている。警備軍と合同で行っている武闘系の大会やらなにやらでは常に優勝か、それに準じたところで名を轟かせてきた。だから軍の誰もが、ルカという女のことを、顔と体格に似合わず最強なのだと、そう信じていた。
 でもルカは知っている。そういう大会に一度も出たことのない男が、この男こそが、本当はルカの上を行くのだということを。

 最初はルカのほうが強かったかもしれない。もしかしたら。戦闘技術に関して言えば。
 けれどシドはルカから学ぶことをしてみせた。ルカの動き、思考を完璧に読み、癖を覚えた。ルカはすぐ彼に勝てなくなった。もともと負けず嫌いでもなんでもないルカは彼に負けるにまかせていたことを、今は少し後悔している。
 だってルカは、別に誰かに学んでこの力を手に入れたわけじゃない。ただそこに知識としてあっただけだ。なぜか体が動くだけだ。そしてシドが最初そうだったように、コクーンに師となれるような人間は存在しないのだから、これ以上に成長のしようもない。ルカは、ほとんど最初から、完全に頭打ちだった。

 ルカは、シドに勝てない。

 ルカは剣を振りかぶり、彼に斬りかかる。武闘経験の長い人間の本気の死闘は、声がない。代わりに激しい音がする。
 ルカの剣先が全力でもって叩きつけられるも、プロテス魔法のかかったシドの腕は、刃が肉に到達するのを防ぐ。シドのもう片方の手がルカを弾くのを見越して、足で身を庇う。宙を舞うも動じず、ルカはちゃんと受け身をとってすぐ攻勢に転じた。
 シドの体をルシの魔力が包んでいるのが見える。それはところどころで硬質化し、体を変異させていく。彼の目が、片目から、白く濁っていく。

 ああ。
 化け物みたいだな。

 ルカは鼻の奥をツンと刺す痛みを懸命に飲み下す。考えている場合じゃない。

 一太刀入れれば見えてくるものがある。ルカの一太刀を、ああも簡単に防ぎ、すぐさま反撃に出られる余裕がある人間は他にいなかった。
 折れるな! くそったれ! 考えている場合じゃない! ルカは己を叱咤して、再度斬りかかろうとする。だが直前で刃を引っ込めた。振りかぶる拳の影を見たからだ。
 その拳の下をすり抜けて、彼の背後へ飛び込む。振り向きざま、剣を彼の首めがけて叩きつけた。

 上級者同士が死闘を演じれば、戦いは長引くものではない。試合でしか使わない小手先の攻撃は誰もしないからだ。一撃必殺の攻撃を延々と放ち、防げなかった方の負け。ならば短期決戦となるのは自然なこと。
 このときもそうだった。もう決着が見えていた。ルカはそのまま、振り返りつつそこにあるシドの首を刎ねるはずだった。

 けれどその白く濁った目に、全てが重なって見えた。
 出会った日のこと。騙されて戦わされた日のこと。泣いて腕に縋った日のこと。愛しいのだとわかった日のこと。
 何も忘れられない。

 無理だ。
 できない。
 思考よりずっと浅いところ、同時に心のずっと深いところで理解する。

 ――わたしにこのひとは殺せない。
 ああなんて、なんてなさけない、わたしは、ほんとうに。

 あなたにえらばれる資格がなかった。

 そう思ったときだ。
 体内で奇妙な音を聞いた。弾けるような割れるような、それでいて指先まで響く音を。
 すべての筋組織が繋がりを失ったような感覚があり、力が抜け、手から剣が滑り落ちて、地面に落ちる。

 シドは、ルカが返す刀にちゃんと気付いていて、対応したのだ。彼もまた振り向きざまに鋭いアッパーカットを抉るように放っていた。
 初めてルシの力を解放したのだろう彼はおそらく気付いていなかった。でなければ彼も呆然とした顔をして硬直するはずがないから。その腕にまとったルシの力が、ただの拳での攻撃に貫通力を与えてしまうのことなど知らなかったに違いない。
 ルカ。呟く声が、名を呼ぶ声がルカの耳朶を打つ。震えた声だ。

 腕は、肋骨の下を、椎骨の隣を通り抜けて、ルカの背中に生えていた。一拍遅れてルシたちの悲鳴が響く。ルカの名を叫び、駆け寄ろうとするが、しかし彼らは足を止めた。
 見てしまったからだ。

 ルカは手を伸ばし、シドの頭を抱きしめていた。その目からは涙が溢れ、ぼろぼろとこぼれ、頬を濡らしている。

「……ぃ……ごめん……ごめんなさい……」

 逆流した血が口からドバドバとせり上がっては落ちていく。ルカはシドの顔を両手でしっかりと掴み、謝り続けていた。

 ごめんなさい。
 助けられなくてごめんなさい。
 殺せなくてごめんなさい。
 私が負うべき役目を果たせなくってごめんなさい。
 愛しているのに役に立てなくてごめんなさい。
 ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい……。

 言葉はどんどん形を失う。最初の謝罪以降、言葉になっていなかった。きっと伝わっていない。ルカの腕にも力が入らなくなってくる。血で滑る。
 彼女の血で汚れながらもシドが、短く呟いた。「きみは悪くない、なにひとつ、一度だって」それが、ルカの聞いた最後の言葉だったし、シドの最後の言葉でもあった。

 そして。
 そのまま、ルカは意識を失った。二度と目覚めることはないだろうと、思っていた。



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