22



 辛うじて脱出したルシたちの背後で、管理者を失ったパラメキアが均衡を失って逆さまに落ちていく。途中、燃料タンクの異常か何かが原因なのだろう、劈くような轟音とともに爆発が起きる。当然ながらそれは複数の熱源に引火し、多くの爆発を誘発した。結果、パラメキアは弾け飛びながら地面に向かって墜落していく。

「ちゃんと逃げたか……? クソ……ッ」
「まずいぞ操縦がきかねえ!!」

 一人で落ちゆくパラメキアを睨みながら歯噛みしていると、サッズが焦った声で喚いた。操縦がきかないとなれば、待っている結果はわかりきっている。ルカは後ろ髪引かれるような気持ちで操縦盤に張り付いた。

「くっ……うわ本当だ、動かせない!」
「ハメられたか……ッ!?」

 先頭の席にいたのは当然操縦を担当するサッズと機銃を操るルカだったが、サッズの言う通り操縦がきかないのですぐさま艇内は混乱に陥る。背後からの悲鳴を聞きながらも操縦を取り戻せないか試すそんなさなか、ルカはふと、乗り込んでいる飛空艇のものとは違うエンジン音が聞こえた気がして顔を上げ、前面の窓から外を見た。
 方向を勝手に転換し揺れる艇内でも、ルカはその姿をはっきりと捉えた。背後でホープが「何か来る!」と叫ぶのが聞こえる。

「ヤーグ……ッ!?」

 プラウド・クラッドだ。ルカにはすぐにわかった。戦闘用飛空艇は、PSICOMのエースパイロットの艇のみ、乗り手が誰か身内にわかるよう各個僅かずつ違う意匠が入っている。

 お前、まだ怪我から復帰してないでしょうに。何をしているの。どうして、追ってくるの。どうしても殺したいの?

 ルカはぐっと奥歯を噛み締め、耐えた。体はがくがく震えている。ホーミングレーザー弾が渦巻いて放たれ、ルシの艇を墜落せしめんと降り注ぐ。反射的に目を瞑ったが、衝撃はいつまで経っても訪れない。それどころか、艇がぐるぐる錐揉み回転するように攻撃を回避しているのを体で感じる。まるでリグディの艇に乗っているかような、鋭くて正確無比な飛行だ。

「この艇ッ、ひとりでに動いてやがるぞ……ッ!!」

 サッズが驚愕して叫んだ。ルカも眉間に皺を寄せて唸る。自動操縦はほとんどの艇に導入されているし、結果的にほとんどの事故を防ぐことに成功している。けれどそれはあらかじめ読み込ませた順路を飛ぶ機能がメインである。目的地を告げれば、最短のルートを選んで飛行する、それだけのシステムだ。そのはずだ。だが、敵の攻撃を自動的に避けるだなんて。
 けれど、それくらいで驚いている場合ではなかった。背後に迫っていたらしい別機体からの爆撃を自動で避け、激しく揺れた直後のことだ。
 艇が、ヤーグへの反撃を始めたのだ。

「やめてぇッ!!!」

 ルカは恐慌のあまり叫んだ。この意思ある飛空艇は、前方に立ちはだかるヤーグのことを、“切り拓く”ことに決めたらしい。なんども繰り返し、機銃がレーザー砲を放つ。
 すんでのところでヤーグが避けてくれたので、緊張と安堵を繰り返したルカは一瞬で疲弊し気が遠くなる。気絶している場合ではないが、もういっそ完全に気絶してそのまま目覚めたくないくらいにはメンタルがぼろぼろだ。
 艇はヤーグが避けた間隙を縫ってプラウド・クラッドの隣をすり抜けた。一瞬これで逃げ切れるかと、甘い考えが浮かぶけれど、そんなはずはない。

「ああッ……!?」

 ヴァニラが怯え震える声を出した。ヤーグは、リグディには及ばないとしても、PSICOMでは名手の一人として数えられる優秀なパイロットなのだ。しかも、撃墜専門の。
 彼が背後から追いすがりながら放ったのだろうホーミングレーザー砲が艇を覆った。その熱が、肌を焼く痛みが、今にも自分たちを撃墜せしめるものと、ルカたちの本能に知らしめる。
 だがまたしても、艇は見たこともない機能を見せた。自動シールドの展開だ。PSICOMの持つ機体は、ホーミングレーザー砲を受けられるほどのシールドは装備していない。それなのに、艇はルカ達を完全に守りきった。艇は損傷せず、中の人間には傷ひとつない。

「この艇ッ、何なのよ! ファルシってのはこんなの隠し持ってッ……!」
「ルカ! それどころじゃねえぞ!!」

 スノウが叫ぶ。がくりと全身が揺れる。ヤーグの追撃がとうとう鬱陶しくなったと見え、機体は回転しヤーグに向き直った。ルカはぶるりと震え上がる。それが恐怖のせいなのか、足元の鈍い稼働音のせいなのか、いまいち判断しかねた。

 艇は何度も、レーザー砲を放ち、ヤーグを叩き落とそうとしている。彼は持ち前の技術で回避しているが、プラウド・クラッドはリグディの乗っていた艇と同じでスピード重視の構成をしておりシールド機能はそもそも搭載されていない。ならば、いずれ絶対に被弾する。

 やめて。
 やめて、やめてやめてやめて、やめてよ。
 ねえ。

「やめろって言ってんでしょおッ!!!!?」

 ルカは崩れ落ちた体を懸命に起こし、操作盤にかじりついて拳を叩き込む。レバーやボタンの突起が腕に食い込んだが構うものかと、ルカは何度も叫びながら操作盤を叩いた。慌てたサッズが抑えようとするが、ルカには敵わない。あっさり振り払うともう一発を叩き込んだ。

 “それ”を許せるなら、もうとっくに私は全部を諦めてる。
 殺させるわけがない。絶対に、許さない。

 ルカが血を流し始めた拳を叩きつけた瞬間だった。

「っあ、?」

 被弾した。
 ヤーグではなく、ルカたちが。
 シールドが弾き飛ばされ、後方滑走用の車輪のあたりに着弾したのを、振動で感じた。艇は激しく揺れながら、真下に望むエデン市街目掛け落ちていく。

 一瞬だけ、エデンを守る外殻に阻まれるに違いないと考え、ルカは慌てた。エデンには上空に飛来物等を防ぐための防壁があるのだ。それは様々な防御魔法を重ねて掛けるよりずっと強固で、今までただの一度も飛空艇の落下事故やモンスターの襲撃を受けたことがないくらいだ。

 だが、飛空艇は落下のさなか、その防壁をすり抜ける。シャボン玉の表面のように光を薄く反射している外殻そのものがほんの僅かなあいだ、ぐんにゃり歪むのを肌で感じる。クソッタレ、ルカはまた唸った。
けれど、またしてもそれどころではなかった。

 自由落下から己のコントロールを取り戻した飛空艇が高度を保ったかと思いきや、とたんにとんでもない速度で飛行を始めたのだ。

「うわああああああッ!!?」
「ぶつかるーッ!!!」

 背後で金切り声が上がる。当然だ。目の前に、ビル壁が迫っているのだから。ルカは悲鳴を上げる暇もなく、ただ強く目を瞑った。
 いくつもの悲鳴が重なる。重なりすぎて、どれが誰のものかもわからない。今日だけで何度目かもうわからない、死への覚悟は、何度目であっても鮮烈に脳を焼く。

 だからやっと目を開いたときには、全員肩で息をしていた。なぜ生きているのかわからない。ただ、ルカたちは飛空艇に乗ったまま、どこだかわからない暗がりに不時着しているようだった。
 全身強張っているし、生きていると認識したとたん冷や汗が額から背中から吹き出しだらだら落ちる。呼吸がうまく整わない。

「な……なにィ……? もう嫌なんだけどルカさんもう嫌なんだけども! もうやだ! いっそひとおもいに殺せやァ!!」
「そんだけ声が出りゃ大丈夫だ……ああくそ、喉が辛ぇ、年寄りを労れ……」

 一番近くにいたサッズがひいひい言いながら座席に頭を凭れさせた。ルカもあまりのことに操作盤を離れ、ふらふらと床に座り込む。少なくとも頭に血が全く残っていないような気持ち悪さが全身を気だるくさせていた。

「いやこれ、ようなって話じゃないな……みんな、たぶん頭が貧血になってるので、足を少し持ち上げて……そうそうホープくん上手……頭に血を戻すんだ、ゆっくりだぞ……ぜったいにゆっくり、じゃないとぶっ倒れる」

 おそらく自身もそうだろうが、皆真っ青に青ざめている。体躯の最も小さなホープなど可哀想なくらいに顔が白い。おそらく相当のGがかかった。さすがにリグディの艇に乗る時ほどではないにせよ、重力加速度の自由落下に高速飛行、この短時間で素人が味わっていいものではない。
 ルカも、座り込んだまま足を揉み、血を頭へ押し戻した。ルカに関してはそんな艇内で一度暴れているので皆より少しは無事なのだろう。

「ルカ、お前さんよ、一体何考えてんだ。ナバート中佐は逃がすわ、さっきは艇の邪魔するしよ」

 別にPSICOMの飛空艇なんざ落としゃよかったじゃねえか。サッズが眉間に皺を深々寄せて言う。
 そうか、と思った。ライトニングたちとは一緒にいたからその辺の相互理解は済んでいる。だがヴァニラとサッズとの間には、かけらの理解もないわけだ。

 なるほど、なるほど。ルカはゆっくり立ち上がる。

「状況を確認したら、ヴァニラとサッズに話すことがある。君たちも、情報は共有したほうがいいよ」

 ライトニングたちに視線を投げたら、めいめいに頷いたので、ルカも息を吐いて頷きを返す。

「ちなみにカッツロイ殿よ、あなたがコクーンのルシの父親であることは知っている。必ず話すべきだ」
「んなッ……ああ、いや、そうだよな。そもそも最初っから、PSICOM大佐どのが知らないほうがおかしかった。……思えば知られてるんじゃねえかと、ビビったときもあったな」
「そりゃそうだろう。セラちゃんのことも知ってたし、ヴァニラが下界から来たことにも薄々気がついてたよ」
「なッ……なんで何も言わねえ、……そうか。俺らが混乱してたからか」
「大人は理解が早いこと。そして、私は実はルシではない、とも言っておかなきゃね」
「何、……何だと!!?」

 ハッチが開いたので、ルカは外を窺い見てから飛び降りてみる。乾いた音がブーツの靴底を通して伝わった。石でできている。それも、僅かに凹凸のある感触。

「異跡っぽいな……エデンにこんな建造物はないはず」
「ルカ、一人で先走んなよ。あぶねえだろーが」
「ねえファング、ここ、どんな感じ? 懐かしさ的な感覚あったりしない?」
「あん? ……そうだな」

 ファングはルカに続いて降りてくると、周辺を窺い、すんすん空気のにおいを嗅ぎ、サンダルで地面をベチベチ蹴った。それからルカの予想通り、「こりゃパルスの建てもんだな……」と呟いた。
 後に続く他のルシたちはそれを聞いて驚き、「エデンに異跡があったってことか!」と声を荒げた。

「さっき、衝突のときさ、目ぇ瞑っちゃったんだけど。思い返せば……セイレーンの広場が左に見えてて、で、ビルに突っ込んだ……位置と周辺施設を考えれば、住所はエターニア地区A15からB17の辺りと考えていいはず」
「エデンの地図が頭に入っているのか?かなり広いだろう」
「全部きっちり知ってるわけじゃないけど、それも仕事のうちだから。ヤーグかジルなら建物の名前もほとんど当てるんだが、……このあたりでビルとなると、ネグロスビル、ティタンビル、いや……そうか、まるまる聖府所有のビルが一つあったな。ガレムソン・ビルだ。保養所だとか、倉庫になってた気がする。けど、そういえば、どこの管轄なのか……」
「きっとそれだな。聖府の奴ら、ふざけやがって……自分たちは堂々と腹ン中に異跡を抱え込んでるくせに、ボーダムではパージかよ……!」

 スノウの怒りは最もだ。だが、ルカはそれを訂正する。

「たぶん聖府職員なんかは誰も知らないと思う。ファルシが全部、隠匿してるんだ」
「なんでですか? 聖府ぐるみってこともあるんじゃ……」
「だって、少なくとも聖府職員やPSICOM兵たちは、下界に関わるものは穢れであると信じているはずだからね。そうじゃなきゃまともな神経でパージなんてできないよ。だったら、そういうものを身近に抱え込むことは、当然恐怖の対象のはず。それなら職員には知らせないでしょ」

 聖府高官だったルカの立場でしか見えないことはある。それは、一般の市民だった人間からはわからない視点だ。聖府高官だろうが、軍上層だろうが、ファルシでない限りは人間だ。人間である以上、考え方だってそうそう変わりはしない……。
 ルカはルシ達から少し離れ、異跡の内壁を見て回った。黙示戦争以前の異跡に多く見られるモチーフが、壁に彫り込んであるのを見つけた。そんなものをエデン内部に隠すのなら、それこそ最初から、このビルを建てたときにはすでに隠していないとおかしい。ファルシでも、既存のビルに異跡をねじ込むなんて真似はできないだろうから。エデンが作られた頃から、すでに仕込まれていたと考えるのが自然か。

 ファルシは人間に、全てを隠していた。ルカは歯噛みし、俯いた。もっと早く動けていれば。ルカが、何かをしていれば、どこかで止められたかもしれないのにと嘆く心があることは、否定できない。

 でも。でも、“あれ”は。“あれ”ばかりは。
 ルシになってしまったものを戻すことはできない。少なくともルカは、その方法は知らない。ならばやはり、辿り着くしかなかった場所に、辿り着いているのだ。

 人間はファルシにどこまでも踊らされる。彼の理想とは裏腹に。自由意志を奪われていることにすら至高の回らない愚民化。それがこのコクーンという繭の本質なのだろう。

「良いように転がされるにも限度があるぞ……」

 ルカは所詮、犬で手駒だ。でもそれを許したのは、シドにだけだ。手綱を握ることを許したのはあの男だけだ! 他の誰にも、それを許した覚えはない!
 なればこそ、ルカはもはや義務として、ファルシを憎むべきである。強く噛みしめた下唇から、血が出た。鉄錆のツンと刺す味を舐める。

 殺そう。あの、バルトアンデルスと名乗ったファルシを。コクーンに棲む、全てのファルシを討ち滅ぼそう。それこそが、かの理想に殉ずるという、私の理想であるがゆえに。

 ルカは一言の声も上げず、ひっそりと、一人でそう決意した。





 そして、ルカとは少し離れた場所で、衝撃的な事実を浴びせられたことを理解しはじめたスノウが項垂れていた。言われたときは返す刀で激昂したものの、時間を置いて冷静になれば、バルトアンデルスと名乗ったファルシの言葉はごく自然な道理を語っていた。
 バルトアンデルスが嘲笑った通り、セラの使命は自分たちを集めることだったのだろう。今になってようやくわかる。己の意思など関係なく足は進み、大量の兵士を殺し、人々を危険に晒している。ルシの意思など、ほんとうに、何の意味もなかった。願うだけで、戦うだけで、変えられたものなど一つもなかった。
 スノウは今まで一度もそんなことを考えたりしなかった。コクーンを守ることがセラの使命、ひいては己の使命であると信じ切っていたからこそ、必死に走り続けてきたのだとも言える。一度も絶望に膝を折らずに。

「覚悟はしてたけど、……きっついな」

 覚悟。覚悟か。
 口にしてから、スノウは思い返す。果たして己は本当に覚悟をしていたのだろうかと。
 していたのならそれの中身はなんだろう。コクーンを守るために何でもするとか、そういうこと? だが実際、スノウがしていることは全てが逆だ。何一つ、コクーンのためにできたことはなかった。では、信じた使命が間違っていても己の道を突き進むことか? あるいは真実を受け止め、使命を全うすることなのか?
 表向きだけ大層なラッピングをした覚悟は、本当に己の歩みを支えてきたのか。たとえスノウが何の意思も持たなくても、結局ここに立つことになったのではないのか。

 願えば全て叶うと信じられるほどスノウはもう子供ではなかったし、或いはそこまでのバカでもなかったから、考えなければならない。これからどう歩み、どう戦い、どう守るのかを。最後の瞬間、誰が生き残っているべきなのかを……。

「……スノウ」

 常に強気で冷静な彼女らしくないほど躊躇いがちに、ライトニングはスノウの名を呼んだ。顔を上げることが、あまつさえライトニングと視線を合わせることができなかったらしいスノウは、俯いたまま微かに首を横に振った。

「ごめん……義姉さん。俺……間違ってたみたい、だ」
「何を……バカなことを言っているんだ、お前は」

 ライトニングはため息まじりに呆れ果てて言った。その様子に、スノウは戸惑い、「だって」と子供みたいな声を出した。

「セラの使命が俺の思ってた通りじゃないなら、このままいったら……」
「ああ、そうだな。コクーンは終わり、私たちはシ骸。セラも元に戻らないかもしれない。で? それがどうした?」
「どうした、って! ……どう進んでも、いい結果にならないってことだろ……!!」
「……あのな。お前の根拠もへったくれもない展望を聞いて、それを本気で信じてここまで来たようなアホがこの中にいるとか本気で思ってるのか?」

 ライトニングは脱力して彼に問う。スノウはあまりのことに、なんなら暗に「そんなアホなこと考えていたのはお前だけだバカめ」と言われていることにも気付き、皿に呆然としてしまった。

「え?……マジで?」
「大マジだ、バカ。だからそんなことはどうだっていいんだ。希望がなければ立てないのか? お前がバカだから今直面してるだけで、皆ビルジ湖あたりでもうその恐怖とはぶつかってるんだぞ」

 後方でホープがうんうんと頷いているのも見えて、スノウはいよいよ肩を落とした。ホープが賢い子供だというのはもうみんな知っていることだが、守るべき年下にまで散々バカにされているのが今は少し堪えるのだろう。

「それでもお前はただ一人がむしゃらに信じていたな。……あれだけ盲目的にコクーンもセラも救えると信じていたお前は、どこにいったんだろうな? ファルシなんかの言葉であっさり陥落されて、お前はその程度の男だったのか。やはりそんな奴にセラはやれんな」
「そ、れは……そうなんだけどさ……」
「信じるだけで力になることもあるんだ。少なくとも、私は……救われていた」

 ぼそりとつっけんどんに付け足された言葉は、自他に厳しく、特にスノウには更に厳しい義姉のものとはとても思えず、スノウは慌てて顔を上げた。彼女はクールないつもの澄まし顔で自分を見下ろしている。

「分かったなら立てよヒーロー、腑抜けた面のヒーローなんて正視に耐えないにも程がある」
「……はは。それ、前にも言われたことある」
「そんなに日常的にダメ男になるのか。やはりお前にセラはやれないな、決定だ」
「うわわわっ、待って待って義姉さん!」

 この上なく不穏な事を言い放ったライトニングに、スノウは必死に抗議する。こんなことで結婚に反対されてはかなわない、と。
 認めてくれー、と声を上げるスノウはもうすっかり、いつもの彼に戻っていた。




 壁に手を伸ばして模様をなぞりながら何事か思案している様子のルカを見やりながら、ファングは傍らのヴァニラに声をかける。

「おい、ここってよ……アーク、だよな」
「うん……まさか実在するなんて、ね……」

 不安そうにゆらゆらと、ヴァニラの視線が揺れている。ルカは初めて聞いた単語に視線をさっと上向けた。「いま、なんて?」スノウを彼女なりの激励で励ましていたライトニングもまた、ヴァニラに問い返す。

「アーク? なんだそれは」
「この施設の名前さ。はるか昔、グラン=パルスを切り拓いたファルシたちが、更なる外界からの侵略を恐れて各地に作った武器庫……古い伝説だ」

 返事をしたのはファングで、彼女もまた物珍しそうにきょろきょろと周囲を見回している。「こんなん、ただの伝説だと思ってたんだけどな……」と嘆きの混じった息も吐きながら。

「なあ。それで、さっきの話だが」

 サッズが僅かに苛立ちを滲ませた様子でルカを睨む。

「ルシじゃないってのはどういうこった? そういやさっきのファルシとの戦いでも、なんでかギア魔法使ってたよな」
「文字通りルシじゃないんだよ。私があなたたちにくっついてきたのは、マ、いろんな理由があらぁな。打倒聖府はもうずっと長いこと私のボスの悲願でもあるし。ジルとヤーグを守るにはもうこれしか方法が思いつかないし」
「ヤーグって、ロッシュ中佐だよな」
「知ってるの?」
「ドッジと遊んでくれたことがある。ほんの一時間くらいだけどよ、ドッジもよく懐いてた」
「それは尊、可愛っ……じゃなくて。そうね、ヤーグは性根がまっすぐだからなあ、子供とかよく懐くんだよね。あれ? でも捻じくれてるジルちゃんにも懐くよな子供。可愛いからなジル。世の中顔だわ」
「二人とも、お前の知り合いなのか」
「知り合い……そうね。もう家族みたいなもんだな。士官学校の同期でね、同じ寮だったんだよ。同学年は私達だけだったからね」

 あの学生時代ほど、ルカが幸福だった頃はない。きっと未来にも、もう訪れないと思う。
 ルカの幸福はいつも、過去のなかにしかない。

「士官学校を出た後も、しばらくは軍の官舎住まいだったし、八年くらい一緒に暮らしてたことになるのか。ふたりとも家族とも仲が悪かったから、ほんと、実質家族だな。なんなら互いが緊急連絡先だし。あれ? 私の退役でどうなったんだろそのへん」
「……それに裏切られたのか」
「ま、生きてりゃいろんなことがあるさ。それに、どうもファルシにちょっと精神をいじられたみたいだしね。ファルシをブチ殺して元に戻してあげないと」
「ファルシに? じゃあ、パージなんかやってるのもファルシの影響なのかよ……ドッジを道具扱いしたのも……」
「あー……いや、あの、ヤーグはともかくジルちゃんはもともとその、……そういう子なので、パージくらいは正直“正気でもやりかねん”の範疇なんだけどさ。でもあそこまでストッパーゼロでやらかしてるのはやっぱ、多少なりともファルシの影響だろうと思うよ」
「庇ってんのかけなしてんのかどっちなんだ?」
「庇ってるに決まってるじゃないか。私の人生のメインヒロインですよ、彼女は」

 そう言ってルカが笑うと、サッズは奇妙なものを見たように面食らった顔をした。自分たちの関係性がおよそ正常とはルカも思っていないので、苦笑で誤魔化すほかない。

 周辺の確認を終えたルシ達は一度飛空艇の傍に集まり、再集結後初めて落ち着いて会話をした。
ライトニングとホープがあれからパルムポルムへたどり着いたこと。サッズとヴァニラが逸れた先、ノーチラスでジル率いるPSICOMエリート部隊に捕まってしまったこと。スノウがファングとともに騎兵隊に保護されて、首領であるレインズの助力を受けパラメキアを襲撃したこと。ちなみにルカがそもそもレインズの側の人間であること。
 それから、ファングとヴァニラが下界から来たルシであり、クリスタルになっていたものが解けてボーダムの異跡から出てきたことも。

「なんつーか。ほんの一日二日しか経ってねえっつーのに、とんでもない経験をしたもんだぜ。揃いも揃ってよ」
 サッズが地面に座り込んで言った。皆が苦笑する。
「そうだねえ。で、私は君たちに話しておきたいことがまだ一つあるんだがね」
「まだあるのか? お前、一体どれだけ秘密を隠しているんだ」
「はっはっは、まだまだあるぞよ。でもまあきっと、君たちにだいたい全てを話すことになるな。近いうちに」
「今話せ」
「話せることはね」

 にやりと笑って言うルカに、ライトニングはあからさまに顔を顰めた。ルカはつい笑ってしまって、「そう怖い顔しないでよ! 後は私の“個人的な事情”ってヤツばっかりなんだからさ!」と腹を抱えて言った。

「これを話すのは、先輩とジルとヤーグに話して以来だから、それこそ十年ぶりになるなあ。私はね、もともと、どうもコクーンの人間じゃない可能性があるんだよ」
「……はあ?」

 何言ってんだお前。
 ファングが大きく口を開き、野生的な美貌を大いに損なうような唖然とした顔をしてみせる。彼女の表情が一番あからさまではあったが、他の皆も概ね同じような顔をしていた。
 まあそうなるよな、ルカは思う。普通はそういう顔をするくらい、信じられない話だと。だからこそ、限られた情報からルカの正体に思い至った“彼”は特別だったのだと。

「ジルたちにはそこまで詳しくは話してないんだけどさ。十年と少し前のことなんだがね、私はある日、エデンの路地裏に落ちていたの。通行人が発見して、病院に運ばれて目を覚ましたら、自分の名前も知らない有様だった」
「それって……記憶喪失ってことか?」
「そう。所持品を調べて、ルカ・カサブランカという少女であることがわかった。少し前に親を亡くしたばかりの十五歳の少女だと。いやあ混乱したよね。目が覚めたら何もわかんないし、空の向こうに街は見えるし、ドア一つ開けらんないし、シャワーに悲鳴あげちゃうし。どうも記憶喪失って簡単に類するには、前例のない記憶喪失だったわけ」

 記憶は全てが脳の一箇所に纏めて入れられているわけではなくて、色々な部屋に整然と区別されて収納されている。記憶喪失はそれぞれのファイルへのアクセスが困難あるいは不可能になることを指す。
 ならば、ルカの記憶の失い方は特殊であった。コクーンでは常識とされることを知らないのに、病院の庭に咲く毒草の区別をつけたこともあった。おかげでコクーンでの生活は当初困難を極めた。

「いろいろなことが、私がコクーンの出身でない可能性を示してる。……私の戦い方ってちょっとヘンでしょ、ライトニング?」
「そうだな。一対多数に特化しているとは思っていた。見たことのない格闘技術だ。だが、PSICOMではそのような訓練もするものなのかと思っていた」
「しないねえ。そもそも訓練で学んだことじゃないんだ。訓練したりしてるうちに、不思議とできるようになった。体が覚えてるみたいな感じがするというかね。つうか格闘技術なんてPSICOM高官になるにはあんまり必要とされない技術だからねえ、学ぶ必要を見出す人間のほうが特殊だ。私以外だと、ヤーグぐらいのもんだよ。でも、ファングは特に違和感を覚えなかったんじゃない?」
「あ……ああ。別に、なんらおかしいことはないと思ってた。私らの周りにそういう技術を持ったヤツは少ないけど……パドラで戦争してた奴らとかがそういう戦い方をしてるのを見たことがある。ファルシの課した修行を、人間の身で乗り越えたようなやつらだ。そういうやつらはだいたい背中にも目があるのかってくらい機敏で、戦い方が多様だ。手数が多いっつーか……だったよなあ、ヴァニラ?」
「うん。でも、ルカほど強い人って見たことないと思うけど……」
「コクーンでは学べない技術を最初から知っている記憶喪失の人間、なんて怪しいでしょ? ファングとヴァニラを見つけるまでは下界の人間なんて存在が眉唾なとこあったから、あんまり深く考えてこなかったけど、もし私が下界から連れてこられた人間なら……」
「ファルシの意図が、絡んでる……?」
「そ、ホープくんの言う通り。さっきのバルトアンデルス? あのクソファルシもいかにも意味深〜な言い方ばっかしてたしな。だからこれから先は、私を利用することも都度考えたほうがいいよ、とご忠告」
「それを聞いて俺らはどーすりゃいいんだ……」
「敵に回ることもあるんじゃねえのか」ファングが言う。「お前を信用していいか、わからねえ」

 そのとおりだと思う。だから、そう言う。ルカが一見誠実に見えるのは嘘をつかないからだ。
 嘘をつかないだけで隠し事はするし、ミスリードは誘っている。卑怯なだけだ。常に逃げ道を残していて。

「無くはないだろうねえ。でもそれはもう説明したはずよ。ジルとヤーグさえ無事なら君らに与すると」
「本当に信じていいのか。本当に、それだけで裏切らないと」
「まさか。いついかなるときも疑って。私はなんであれファルシの置いた駒なんだからな。でもちゃんと、聖府を打ち倒すところまで連れて行ってくれ」

 バルトアンデルス、あいつは必ず私が殺す。どんな手を使っても。
 私を玩具にしたことを、骨身にしみるまで、後悔させてやる。




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