18


 それから警備軍の小型飛空戦車が一機降りてきて、リグディに連れられルシ達はそれに乗り込み母艦へと向かうことになった。速度は出ないが安定的な飛行を保つ飛空戦車の中は、飛空艇と異なり座席が無く、ルシたちは全員後部にある貨物運搬用のスペースに座り込んでいる。手錠をされ、リグディについでとばかりに一発頭をはたかれたルカは、座り込んでからもずっと不満だった。周囲のルシはルシで、ルカと隣に座ったリグディがメンチを切り合っているのに困惑しているようだったが、それに気を使うのも変な話だろう。リグディとルカはいつもこうだった。

「何だよ手錠って。なにこれ私物? 私物かな? なんですぐ手錠出てくんのおかしいよ」
「犯罪者の確保も警備軍の仕事だから常備してんだよ」
「ええ? いやなおさら変だよねお前空から降りてこないじゃん、休暇もリンドブルムで過ごす筋金入りじゃん、いつ犯罪者とニアミスすんだよ?」
「だああ、うるせーな」
「ははあん? なるほどね?リグディって空から降りてこねえしヒゲだしムカつくしヒゲなのになんでこんな女切れねーのうちのヤーグのが絶対カワイイのにって思ってたけど」
「俺とロッシュのどっちに喧嘩売りてえんだお前」
「でも謎が解けましたわ、こういう奇特な趣味をお持ちだったんですねえ。なるほど女がマゾなら地上に何ヶ月放置されてもプレイの一環だと……へええ、ほお、ふうん」
「やめろ何が趣味だ! てめえと一緒にすんな俺は仕事をしてるだけだっつうんだよ!」
「誰が趣味かァ! ジルに謝れコラ! 後でおめーの元カノ全員にメールでアンケートすっかんな元カレはベッドではサドでしたかってェ!」
「マジで殺すぞゴルァ!!!」

 至近距離で怒鳴り合い、メンチを切り合う。お前ら何なんだ、どういう関係だと聞くファングだったが、ルカは「腐れ縁」と、リグディは「厄介事の種」という回答しかしなかった。お互いそれ以外に相手をうまく表現する方法を知らないのだ。業務上も学生時代も特に関わる必要は一度もなかったというのになぜか、大声で喧嘩してストレスを解消したり、時折酒を呑むような関係が続いている。気が合うのかもしれないが、ルカにそれを認める気はないし、リグディもそうだろうと思っている。

「でもそうだな、リグディの元カノってみんな雰囲気一緒なんだよな、髪はだいたいストレートワンカールでアイシャドウはピンクブラウンでスカート履いてる華奢なタイプ? 言われてみりゃあ全員マゾっぽいわ。チッ、身近に変態がいたぜ」
「独り言で盛り上がってんじゃねえよいい加減黙らねえと口枷も追加だぞてめえ……!!」
「それも私物なんでしょ? ……っておいふざけんなマジで出してくんな絞め殺すぞコラ!!」
「やれるもんならやってみやがれバーカ!!」
「何をォ! まだ足が空いている!!」
「簀巻きにしたらァ!!」
「止めろ先輩が怖くないのか!? 私はクソ怖くてもう一生会いたくないのに!!」
「……ここの会話無線で筒抜けだぞ」
「えっ嘘……嘘だと言ってよバーニィ……?」

 二人の喧嘩は突然始まり突然終わった。ルカが顔を青くして黙り込んだのでリグディも取り出した口枷を戻す。さすがに本気で口を封じる気はなかっただろう。

「お前ら、知り合いだったんだな。そんな感じの会話、さっきもしてたけど」
「士官学校で、こいつが一つ下にいたんだよ。で、閣下は俺の二つ上でな」
「エデン中央士官学校か。エリートコースだな」
「閣下やこいつはそうだけど、俺は違ぇよ。なんなら合わなくて落ちこぼれてたしな」
「そういえば、ルカがそんなことを言っていた」
「お前俺のいないとこで何人の悪口言ってんだ」
「事実は悪口って言いません〜〜〜ブッブ〜〜〜」白目を剥いて渾身のムカつく顔をするルカ。
「ムカつく顔だなお前」当然のことを言うリグディにチョップを食らった。痛い。

 そんな様を見せているので、ルシたちはやはり困惑していたが、スノウが「ルカがエリートコースなんて、なんか想像つかないな。やっぱり叩き上げって感じがするよ。強いし」なんて肩を竦めて笑って、ホープもそれに頷いた。ふざけきっていた分、水を向けられたルカは居心地悪く身じろぎする。

「別に好きでそんなもんになったんじゃないし。士官候補生になるってことは、聖府に人生を管理されるってことだもん」
「それでもお前は逃げなかったな。閣下も、ナバートも、ロッシュもだ」
「先輩が逃げないから。先輩が戦うから、ジルは敵愾心バッチバチだし、ヤーグも乗っかるし、私は……私は、間に立つしかないしね」
「別にお前だけ逃げてもよかったんじゃねえのか。こんなことになる前に」

 リグディがそんなことを言うので、ルカは一瞬きょとんとしてから、舌打ち混じりに顔を逸らし、金属で覆われた壁に頭を凭れた。リグディに言われるとは思っていなかったのだ。

「ま、ともかくお前がいつだって全面的に悪いんだから謝っとけよ」
「そんなことないもん。先輩が全部悪いことだって一度か二度はあったし」
「ほー、そりゃ驚きだ」
「信じてないな」
「善か悪か、全部終わってみるまでわからないこともあるだろ。終わってもわからねえことも」
「……そうかもね」

 挙げ句慰めるようなことを言われ、ルカは俯いてしまい、それきりろくに喋らなかった。一方でリグディはよく喋り、一通り話が済んだら食事とシャワー、可能な限りの仮眠ができるよう用意すると請け負った。エストハイム邸でシャワーを浴びられたのはホープとファングのみで、ほかは血や汗でどろどろだし空腹だ。ずっと必死で走り続けてきて、なんとか保っていたけれど、いったん安心していいという担保を得ると途端に疲労が出てくるものだ。ルカも、やはり疲れていた。

 飛空戦車はリンドブルムに格納されたときだけ、よく揺れた。「あうちっ」「ドジ」頭を打ったルカをリグディが立たせると、ルカはため息を一つ吐いて、リグディの一歩先を歩いて格納庫を進みリンドブルム内へと入っていく。勝手知ったる旗艦である。

「なあおい、ルカの手錠もう外してもいいだろ」
「……まだだな」
「なんでだよ」

 ファングが小声で諌めるように言うのが背後で聞こえたが、リグディは首を縦に振らなかったようだ。理由については答えず、結局ルカが無言のままエレベーターを操作して乗り込んだので、会話も途切れてしまう。別に構わなかった。彼の意図はわかっているし、今ルカが何を言おうともこの枷を外す気はないだろう。
 中枢エレベーターはそのまま司令室へと繋がり、ルカはすたすた歩いて中へと入っていった。入り口にいた兵がルカを止めようとしたが、奥にいた黒髪の男が一言、「いい」と言って彼を止めた。
 ルカはそこでようやく立ち止まり、ルシたちも続いて中に入る。司令室は狭い窓と様々な操作盤で満ちているが、ルシ全員ともともとそこにいた数名を含めてもまだスペースが余るほどに広かった。ここへ入ることはそう多くはない。

「お久しぶりです。先輩」
「……ああ。よく戻った」

 低い声が心地よく、ルカの耳朶を打った。ルカは一瞬微笑んで、俯くように視線を逸らした。深々と息を吐いて、本当に深く、何もかもを吐き出すような仕草を見せて、それからゆっくりと顔を上げる。

 その冷めきった表情にはまるで、発火寸前の火薬のような、氷山の先端のような、とにかく鋭い怒りがあった。

「よくも」

 ルカの唇から地を這うような声が出て、背後にいたルシたちもたじろいだようだった。これまでにないほど、ルカは殺気を放っている。

「よくも、撃たせたな……!」

 部屋の入り口にいた兵がとっさに腰のホルスターに手を伸ばしたが、リグディが手を伸ばしてそれを制止した。それくらい、ルカの威圧は他人を落ち着かなくさせているようだった。もしや、自分たちのボスを、殺すのではないかと。

「よくも、よくも、ヤーグを撃たせたな!!? 殺してやろうか、この外道が!!」

 だが、ルカが叫べども、その怒りの向く先に立っている黒髪の長身の男は表情一つ動かさず泰然と微笑んでいた。その余裕がまた、ルカを苛立たせた。

「撃てと命じた記憶はないな。君の勘違いだ」
「同じことでしょう!! あんたが狙撃の許可を出さなきゃあんたの忠実な部下は撃ったりなんか絶対にしないッ今更私を騙せると思ってんですか!? あんたが世界を騙せる詐欺師野郎だってことは知ってるが私だけは絶対に騙されないって、わかってるくせに!!」
「君がロッシュを説得する可能性はあると思っていた」

 想定外のことを言われ、ルカは一瞬言葉を失った。彼、シド・レインズ、旗艦リンドブルムの司令塔であり警備軍最大の軍隊の広域即応旅団を指揮する、実質的に警備軍内最大の権力を持つその男は、薄い笑みを一切崩すことなく続ける。

「彼はそれぐらい君に情を傾けているかもしれないと、そう思っていた。まあ、ほぼほぼ無理だろうがね。ロッシュは組織を裏切れる男ではない。多くの人間の命を友人と同様に重く考える、そうだな、あれは“いいやつ”だ。ナバートならばまだしも、ロッシュは君のようには生きられない。今にパージの重責に潰れるだろうが、それまでは己を騙し続けるだろうよ」
「……私のせいだって、言いたいんですか。“閣下”は平気で、部下に責任を負わせるんですね」

 薄い笑いが出てしまう。瞠った目に薄膜張られて視界が歪んでくる。言いながら、ルカは後悔していた。

 何言ってるんだろう。そういうことじゃないことぐらい、わかっているのに。
 結局、心を慮ってくれなかったことが悲しくて寂しくて、駄々をこねているだけだ。どうして昔から、この男の前では心ひとつ偽れない?

「そうじゃない。君は部下じゃない。君は唯一の、私のパートナーだ。もう随分、長いこと。だから、君に関しては私は賭けをする。君が考えて動くことを尊重する。部下への命令においてはしない……そういうことだ」
「……あなたが、私を止めたかったことは、わかりますが。それなら私を撃ってほしかったですね、私はヤーグの良心に期待してたんですから」
「そういうわけにいくか。選べるときは手段を選ぶ」

 ぐぬ、不利。すでに不利である。あっという間に言い負けそうである。いつもこうだ、この男に口では勝てない。というかルカが口で勝てる相手はヤーグだけである。他には常に言い負かされるかやりこまれるか怒鳴り合いになるかだ。だから、口喧嘩になった時点で本当はすでに負けていた。

「それから。いくら私がそういう感情を押し殺すことに長けているとしてもだ。仮にも婚約者が足蹴にされるのを黙って見ているわけがない。君が、私を読み間違えたんだ」

 挙げ句、そんなことを言う。それはルカによる嫌疑を認めたも同然の答えだ。だが、弱点を知らしめることで相手の心を折る、ルカがヤーグにしようとしたことと全く同じ方法で、シドはルカの心を折った。
 負けた。畜生、完敗じゃないか。

「私は……ヤーグには、最後には必ず勝ちますよ。負けたことほとんど、無いんですから」
「だが彼は成長した。剣以外も使って、君を傷つける覚悟を見せた。依存からの脱却は素晴らしいことだ。なればこそ、それに報復するのは、君がしないなら私の役目だろう」

 ルカはため息をついて、俯き一言、「次は賭けに勝たせてみせます」とだけ言って、己の手を拘束していた枷を背後のリグディにぶん投げた。

「おわっ!? お前、外してたのかよ!?」
「私が先輩を襲撃するかもと思ったんだろ?」
「む……んん……」
「要らなかったぜ。んなこた、できるわけがない」

 リグディは、ルカのことをわかっている。わかっているから、ヤーグを目の前で撃たれて黙っているわけがないことを知っている。ただ一方で、ルカがシドを殺せないことは知らないようだった。当然か、シドとルカは公然と関係性を示すタイプではない。政治的信条や他の知己、結局そういうもののために互いを裏切ることは事実有り得るだろうし、周囲からもそう見えていて不思議はない。
 思えばルカには、裏切らないと決めた相手はジルとヤーグだけだった。その二人から最初に裏切られているのだから、笑えない。

「そういえば先輩。おそらくですけど、ヤーグも、たぶんジルも、ファルシに精神干渉を受けてます」

 ルカが思い出して言えばシドは僅かに片眉を上げた。

「君の希望的観測は何割だ」
「今回に関しては、そう多くないですよ。三割くらいですかね」
「なら聞こう」
「ヤーグは私を、化け物だから殺さなきゃならないと思った、そう言いました。でもヤーグの目に私が化け物に映ったのは、今朝の明け方以降のことなんです。それまでは私を、ちょっと変な友人くらいに思ってたはずで」
「ちょっと? 君はまだ自己評価が過ぎるな」
「やかましいわ。とにかく、そんな言葉が出てくるわけがないんですよ。ファルシは人間をまるきり操作したり、考え方を真逆に変えたりはできない、そうでしたよね。でも、目的意識をちょっとすり替えるだけなら」

 それなら納得がいきます。ヤーグは私を殺したかったんじゃない、殺さねばならないという義務感を植え付けられていた。だから、まだ生きてるんですよ、私。

 言えば、シドは一瞬考え込むような仕草を見せ、「心に留めておこう」と言った。嘘つけあんたに心なんて無いだろと言ったら普通に真正面からアイアンクローを喰らい悶絶する羽目になったが、閑話休題。

 ルカはさてと振り返り、完全に内輪の揉め事を目撃し反応に困っているルシ達に「騒いで悪かったね」と謝った。ルカにとってはどうしてもせねばならない会話だったが、彼らには無関係だ。

「えーと。こちら、警備軍准将シド・レインズ閣下。私がこれまでにしてきたいろんな不可解な行動はこやつのためにしてきたことも一部含みますので悪しからず」
「一部。一部か」
「一部ですとも。全部だとでも? 思い上がんな」

 シドはルカの言葉に少し笑った。ルカはさて、と首を回し、私はシャワーでも浴びてくらいとさっさと出ていくことにする。シドがこれからルシ達に話すことはおおよそ検討がついているし、聞きたければ後で聞けばいい。彼らには話されないことも含めて。彼らには後で根掘り葉掘り聞くからなと言われたが、曖昧な苦笑いで笑って誤魔化す。

 エレベーターは使わず梯子を降り、廊下を経由して居住区画へ向かう。リンドブルムは規模だけならばパラメキアをも凌ぐ。用途が大きく異なるためだ。ファルシでもあるパラメキアは本質的に戦闘用の航空母艦だが、リンドブルムは常に空を航空する、警備艦としての役割の強い航空母艦である。コクーンの全土の警備を担当し、モンスターが突如集団で発生したりといった事案に対応するべく、燃料補給と大幅な整備以外で大地に降りることがない。そのため、隊員の生活を支えられるよう居住区画は充実している。パラメキアには仮眠用の部屋はあるが、居住のための個人部屋なんてものは存在しない。あまりパラメキアに乗ることのないルカでもそれは羨ましい話だ。
 将校以下は全員四人部屋らしいが、シドはさすがトップに立つだけあって一番広い部屋を一人で使っており、ルカもリンドブルムに泊まり込むときはそこを使う。

 中に入り、シャワー室の戸を開け、服を下着ごと洗濯機に投げ込み回す。染み付いた血のせいで肌からシャツが剥がれず、難儀した。脱ぎかけた頃でなんだか具合が悪くなり、洗面台にびしゃびしゃ胃液と若干残っていた未消化の携行食を吐いて捨て、自分が嫌になった。何を動揺している。今更だし、最初からすべて想像がついていたことじゃないか。
 どんな事態になるにせよ、方向性は決まっていた。

「……ハァ」

 ため息を吐き、シャワーコックを捻り、冷水を浴びる。徐々に湯になる水をひっかぶりながら、ルカは己の体から血が流れ落ち足元を赤茶に染めるのを見ていた。そこには、誰か兵の血と、ヤーグの血が混じっている。ルカの太腿にも赤い線が一本伸びていたがとうにふさがっていた。
 目が燃えるように熱い。泣いているのだと気付いたときには呼吸が苦しく、過呼吸に陥っていた。

「っは、はぁ、っふ、っ」

 うまく息ができず、ぼたぼたと振る湯の中に蹲る。
 己はたぶん、確かめたかったのだ。ヤーグが己を殺すことなどできないと。そのために命を使い、そしてその賭けには勝った。でも、それさえシドの掌の上で起きたことだ。ルカがうまく立ち回らなければ、彼は簡単に二人を殺すことも勘定に入れる。呼吸がうるさい。あの銃弾がヤーグの致命傷になっていたらどうする? そうしたら己はシドを許せるのか? それともやはり殺すのか? わからない。呼吸がうるさい。考えが纏まらない。呼吸がうるさい。一度安全圏に戻ったことで思考が煩雑になっている。うるさい。呼吸が。呼吸が、うるさい!

「ッ……!」

 ダンッという音が頭蓋を揺らした。ルカは己の額を鏡に叩きつけていた。鏡には罅が入った。ざまあみろと思った。

「落ち、着け、……あせ、ってる、場合じゃ、ない」

 呼吸はまだもとに戻らないが、痛みが頭を冷やし、急速に落ち着いていく。ついでにシャワーの温度も変え、冷水を被っておいた。辛いのですぐにやめた。
 髪と体を五分で洗い、シャワールームを出る。軍人のシャワーは短い。時間を取るべきなのは睡眠だけだ。ルカはショートスリーパーなのでそれさえさほど必要はない。
 自分の下着の予備の封を切り(いつも思うが急にリンドブルムに泊まりに来ることなどほぼ不可能なので三セット用意するのは全くの無駄である)、狭いクローゼットの端から自分の衣服を掛けたハンガーを取った。
 シャツと七分丈のジーンズというあまりにも職務から離れた格好だが、この際言っていられることでもない。さっさと着替え、髪を拭き、ドライヤーで乾かし、適当に結い上げて部屋を出た。すべきことはまず、シドの許可を取って武器庫へ向かうことだった。ルカがルシでない以上、これからも彼らの一味として生き残っていくためには武器が必要だ。多様な戦術を提案できる武器が。特に、遠距離攻撃ができる武器があるといいだろう。
 なんであれ、前向きに行動を取ること、今はそれしか思いつかなかった。

 シドは簡単に許可をくれた(ただし持ち出した物品の記録は正確に残すよう言われた。補給係が後でどうせ残量を数えるくせに)ので、補給係に相談し、長距離用ライフルを二丁、ショットガンを一丁、マシンガンを一丁、それぞれ弾薬つきで引き出してもらった。ライフルはひとつは対物ライフルにした。またファルシと戦うことになるなら、絶対に必要だ。ナイフとブーツはすでに購入してあったのでよしとして、防火防塵防水かつ絶縁体の手袋とギア魔法のインストールも済ませた。武器に関しては一家言あるルカなのでそれなりに時間を消費したつもりでいたが、終わってみれば三十分も経っていなかった。

 それじゃあどこにいようかと迷っていたのだが、行き交う警備軍の兵の中にいた若干の顔見知りに「汚職しすぎてパージされたって本当ですか」だの、「とうとう警備軍にスパイしてるってバレたんですか」だの失礼なことをにやにや笑いで聞かれながら、ルカは結局食堂に落ち着いた。まだ夕食時には少し早いため人は多くない。入り口に近い適当な席に腰掛けた。

 ポケットに乱雑に押し込んでいたコミュニケーターを取り出し、悩むこと数分。ようやっとメール画面を起動する。
 こうしてはっきりと警備軍の航空監査室並びに広域即応旅団がルシと並んで蜂起したことで、良いことが一つあった。

「ん〜〜むむむむ……」

 敵方にもメールを打ってよくなったことである。
 いや良くはない、良いことでは当然ない。というか悪い。バチッバチに悪である。

 ただ、まあ、メールに付与されてるんだかされてないんだかわからない位置情報やら何やらは別に知られてもいいわけで。リンドブルムと表示されてももう誰も困りもしないわけで。
 リンドブルムの位置がバレるだろうという話だが、それに関してはどうせ思いっきりバレている。この巨大な艦の居場所なんてなんなら地上から目視できるのだ。旗艦同士がぶつかりあえば確実に片方か両方が地に落ちるため、戦闘は起きていないが、火種さえあればいつ崩れるかわからないグラグラの勢力均衡状態だ。ので問題ない。いや問題はあるんだけど!

 そんなことを延々と考え、気がつけば更に三十分が経過していた。合計一時間になる。時計を見上げてそれに気付き、同時に奥の席でスノウとファングとホープが食事にありついているのにも気付いた。服を変えたのでルカがわかっていなかったらしいが、ルカと目が合うとあっと声を上げ、大声でルカを呼んだ。が、いまいち食事に混ざる気のないルカはへらりと手を振り返しただけでそちらへは行かなかった。彼のことは好ましく思いながら少し苦手だった。あまりにも屈託がなさすぎる。

 さて、問題はメールのほうだ。ろくな文面も打てないまま、時間はどんどん経過していく。傍から見る限りでは巷で問題になっているコミュニケーター依存と大差ないだろう。
 そんなルカに話しかけるものがあった。

「オウコラ不良娘、いつまでコミュニケーターと格闘してんだ。何回入り口通り過ぎてもお前同じ姿勢じゃねーか。エロ動画でもダウンロード中か」

 リグディであった。

「なんであんたはセクハラで起訴されないの? おかしくない? おかしい」
「言う相手を選んでんだよ」
「それもセクハラガイドラインに抵触すんぞ」
「もう何も言えねーわおっさんには。おっさんは口を開けねえんだわ」
「そう、そしてリグディは全ての女と会話できない人生を歩んだのだった。ウェルカムセカンド童貞。……で、何よ」

 リグディは正面の椅子に座る。話すことがあるのか、ただ一人でウンウン唸っているルカを構いにきただけか。この男は昔から、ルカがどんなに落ち込んでいようがなんの遠慮もなしにずかずか踏み込んでくる。それで悩みが解消されることも、されないこともあった。ルカにとって別段有意義でもなく、無意味でもない、そしてそれはリグディにとってもそうなのだろう。

「メシ食ってねえだろ、食え」
「無理ッスワ」
「今のうちに食っとかねえと……夜明けにはパラメキアを強襲すんだろ」
「あーね、中々ハードなスケジュールだよね」
「時間ねえだろ、何でもいいから腹に入れとけよ」
「ご心配ドウモセンキューなのですけれど、さっき胃の中身全部吐いたトコだからご新規様は受付してないのよねん」
「まじかよ。お前が?」
「うっそぴょーん☆」
「引っ叩くぞ」

 舌を出してウインクしたルカにリグディは眉を顰める。吐いたことをうっかり言って後悔した。心配してほしいわけじゃなかった。特に、リグディには。
 そういうことはシドにやらせたいが、目の前で惨殺死体になっていたってさして心配してくれない男なので(そんな状況になったらルカを殺せた人間を探すのにワクワクしちゃって心配どころじゃなさそうな男だ。なんで付き合ってんだ?)、困りどころである。きっと死ぬまで困り続けるんだろう。

「それで、コミュニケーターで何してんだ?」
「メールでもしようかと……いや、まあ、ヤーグの容態なんて教えてくれるわけないんだけどさ。わかってるけど……うん、どうせ、悪いときしか連絡は来ないんだけどさ」
「……そうかよ」
「ダメだねー、何書いても嫌味みたいだし、暴言我慢してるだけに見えてくる。こんな……こんなことが書きたいわけじゃないのにさー、んん、書きたいことなんて、無いんだけど……」

 ヤーグは元気か。傷は治りそうか。あなたは辛くないか。後悔していないか。
 戻りたくはないが、戻ってきてほしいとは思う。私はどうしたらいい。

 すべて書いても詮無きこと。ジルは、敵に回ったルカに旧友の体調を知らせるほど甘い女ではないし、状況が辛くても誰かに愚痴を言ったりしないし、しみったれた懇願には見向きもしない人間だ。だから、意味はない。もし返信があるとすれば、お前のせいでヤーグが重体だとか、あるいは死んだとか、ルカの心を粉々に砕くための言葉が返ってくるのだろう。
 だから、書きたいことなんてなかった。どれを書いても、壁にボールを投げるようなものだ。どう返ってくるかわかっているのだから。

「さっき、閣下にメンチ切ってたときはよ、コリャお前の本音だなって俺にもわかったぜ」

 リグディが少し考え込むような仕草の後で言うので、ルカは目を細めてテーブルに肘をついた。声が、なんというか、本気のトーンだったのだ。ルカに対するからかいや、嘲る響きがまるでない。そういうことは珍しい。

「ちゃんと本音書けよ。どうせ送るんなら。恨み言でも、暴言でも、嫌味でも、不安でも。そんな言葉も送らないような関係だと、その程度だと思わせてやるな。奴らはたしかにお前の心に深い傷を負わせたし、一方でロッシュのことが心配で何一つ喉を通らねえって、ちゃんと言え。本気で大事だったんだろう。……お前の言ってた精神干渉、ってのがどこまで事実かはわかんねえけど、でも今、あいつらは絶対正気じゃねえよ。そりゃ俺は別に友人ってほどの仲じゃなかったがよ、お前を見捨ててまで為したいことがパージなんて、そんなはずはねえ。よくわからんが、ファルシに操られてるってのは本当なのかもしれない。それならいずれ、正気に戻るだろう。そのときお前から、変に遠慮したメールなんか手許に残ってたら、謝罪の一つも言えやしねえ」
「……、リグディ……」
「そんな程度だと、思わせておくなよ。お前にとってはその程度じゃなかったんだ」

 シドは絶対に、ルカにそんなことは言わない。ルカがメール一本送っても、戦況に差はないからだ。興味もないし、ルカがどうしてたって気にも留めないと思う。
 でもリグディは、ルカを無意味でも慰める方法を選んだ。ため息を吐く。今日一日で何回目だろう。ため息一つで幸福の精が一匹死ぬなんて話もあるけれど、ルカはそろそろこの世にある幸福とやらを皆殺しにしたのではないだろうか。
 それなら一生幸せになんて、もうなれないかも。
 状況を思えば、それは充分に有り得そうな未来に思えた。一生というものの終わりがすぐそこに見えている。……けれど、彼らには、そうなってほしくない。

 ルカは一瞬以上黙り込み、それから、ゆっくり口を開いて彼を茶化した。

「……リグディ先輩がおモテになる理由わかるわあ。決めるときは決める男なんですねえ」
「だからそれやめろっつうの! ……はあ、もういいわ」

 音を立てて椅子を後ろにどかして立ち上がったリグディは、とにかくメシだけは落ち着いたら必ず食えよ、そんでクソしてさっさと寝ろ、などとまたもセクハラに抵触しかねんことを言って、踵を返した。その背中に向けて、「メール送る」とだけルカは言った。彼はそれにはもう答えず、ひらりと手を振って食堂を出ていく。
 彼は仕事を放り出して、ほんの数分、ルカを慰めるのに使った。彼のそれなりに過密だろうスケジュールで、この数分を捻出してくれたのは、彼なりに腐れ縁に報いてくれたと、そういうことなのだろう。

 彼の言う通り言いたいことを詰め込んだメールを打ち、送ってからリグディのセクハラを思い出して少し笑っていると、不意に気遣わしげな表情の大男が上からルカを覗き込んだ。今度はスノウである。ルカはびっくりして、ウワッと声を上げてしまう。

「な、なに」
「いやさっきから元気ねえから。どうしたのかと」
「どうした……? 理由は割とわかりやすいと思いますが、いや、いやいい、そんな心配そうな顔はしなくていい! いいったら!」

 スノウにまで気を使われてしまったらもう自分が許せない。リグディは最悪いいとして、スノウは明らかに年下だ。二十歳そこそこという純朴な顔をしている。この不躾にも見える気安さがきっと魅力なのだろうし、これはこれでモテそうである。無意識にモテそうな男むかつくな……。
 どうやら彼は、食事を終えてこちらを窺っていたらしい。ルカの近くの席に座り、眉根を寄せて問うてくる。

「よかったのかよ、リグディをあんなふうに追い払っちまって」
「マ、奴もわかってらい。伊達に付き合い長くないし」
「心配かけたくないんだな」
「そら、そうよ」

 リグディにも、君にも。
 ルカは肩を竦めた。

「あのね。先輩……レインズは便宜上、ヤーグをいいやつと言ったけど、ヤーグは実際悪人よ。君は会ったことないだろうけど、もうひとりの友人もそう。官僚や聖府要人と民間人を比較するなら、前者を守るために動く。思考回路は、違うんだけどね。ヤーグは“そうしないと聖府が破綻し、他の民間人にも累が及ぶ”と考えるだろうし、ジルは……“こっちに恩を売るべき”と判断する。でも、どっちも悪人であることに代わりないっしょ?」
「お? おお……そうだな。身分やら何やらで優遇されんのはおかしい」
「倫理の授業は長くなるからしないけどねえ、条件増やしたトロッコ問題に唸り続けるほど暇じゃあないし。はっきり言って、先輩もヤーグもジルも、そういった意味では悪人だ。でも、リグディは数少ない善人なんだな。だからっていうのは変だけど、ま、心配は……されたくないな。あれは、やっかいなことに、良いやつなんだ。友達甲斐のあるやつとも言えるかな?」
「お前も、良いやつだよ」
「君の目は節穴だな。ホープくんに師事したまえ」

 彼は侮れない。ルカはしばらく、彼の目を意識せざるを得ない。これからも一切、謀をせずにいられるかはわからないからだ。言葉一つを後から遡及され、それがまた正しいのだから言い逃れのしようがない。

「はは、そうする。……そういや婚約者がどうのって、俺知らなかったけど、レインズのことだったんだな。学生時代からの恋人なんだって?」
「オエッ」
「な、なんだよ」
「先輩とコイビトってワード、食い合わせが悪い。天ぷらとフルーツ牛乳って感じ」
「ちょっと俺には難しいなその話」
「私にも難しいのさ。まー、ちょっとは聞いたか。そうだよ、同じ学校で、同じ寮だった。詳しくは今話すと、リンドブルム内で広まっちゃって先輩が可哀想だからまた今度ね」

 ルカがちらと視線をやる左右、明らかに聞き耳を立てている者が数名居心地悪そうに身じろぎした。上官の私生活に興味津々だったり、ルシという新たな外部勢力に警戒していたりするんだろう。方や野次馬根性、方や仕事熱心、行き着く先が同じ行動なのは皮肉だ。

「……なあ、ルカならどうすんだ?」
「ん?」
「軍人とか官僚とかと、民間人なら。どっちを守るんだ」

 スノウの言葉の意味がわからず、一瞬考え込んだが、それは非常に単純な問いだった。だから回答も単純になる。

「どっちも守らないよ」
「は?」
「どっちの天秤にもジルとヤーグがいないなら、先輩の、レインズの指示を仰ぐ。それがないのなら私は天秤がどうなろうが知ったこっちゃない」

 事も無げに言い放てば、スノウは何度か目を瞬かせ、こう言った。

「なるほど、たしかにな。撤回する。お前、一番の悪人だよ」

 言いながらスノウは苦笑していた。ルカもまた、彼の正しい目算に笑い返す。
 リグディやスノウと話していたら食欲が少し湧いてきた。今回は悩みを解決してくれたなと内心だけで感謝しつつ、ルカは食事を頼みに立ち上がったのだった。



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