15


「なあ、ライトニング。ちょっと聞きたいんだが……ヴァニラの烙印って、見たか?」

 道行く途中、不意にファングは思いついたように問うた。

「いや?なんでそんなことを聞く」
「……シ骸になるまでどれくらいか、しるしを見ればわかるんだ。ちょっと見せろ。……まだまだ大丈夫そうだな。ただし油断はすんなよ。進み具合は一定じゃないからな。おいルカ、お前も見せろ」

 やっべ。
 ルカは内心の焦りなどおくびにも出さず、腹を押さえてそっぽを向いた。

「やだよ脱ぎたくない。ライトニングのと変わんないよ」
「いいから見せろよ、お前らにはわかんねーだろ」
「いやっえっち!」
「さっき堂々と着替えてたじゃねえかよ……」

 そういえば、血まみれになったシャツを着替えたとき、見せつけはしなかったものの特に無警戒に脱いでしまっていた。ルカは自分の阿呆さにため息が出そうになりながら、すんでのところで耐える。
 クソ、この程度の嘘さえ隠し通せないとは、策謀の類はやっぱり全く向いてねえ。
 ともかく、ルカはいつもどおり、いまいち話の通じないちょっとおかしな奴という評価を得ることには成功したらしい。そんなに嫌がるのなら、とファングも追及の手を緩め、まあいいけどよ、と納得してくれた。ルカの性格は見くびられることが多いが、大概の事態を上手く運ばせているのは確かだった。

「とにかく……ヴァニラも早く助けて、下界に帰らねえと」
「下界に……。じゃあ、ヴァニラの消息に予測ってついてんの?」
「レインズ曰く、おそらく敵方に捕まったとさ。……心配だ。さっさとレインズんとこ戻って、敵地に殴り込みさ」
「そいつぁ楽しみだわ。……あれ?」

 遠く、空の端から、小型艇がフィリックス街の方へ駆けていく。巡回というよりも完全に目的の定まった飛び方だ。
 ……もしや、向こうの二人が見つかったか? そう思い当たると同時に、爆発音が響く。

「おい、ルカ……」
「……うん、ちょっとまずそうね。急ぐ?」

 ルカが振り返らずに問うと、二人が頷いた気配があった。ルカは銃剣を装置から引き抜く。

「っし……んじゃ、行くか」
「おう!」
「正面突破だな」

 現段階、間違いなくコクーン最強の三人衆の手には各々臨戦態勢の武器があり、彼女らは一切の躊躇いなく渦中へと飛び込んでいくのだった。




 落ちた先は廃材置き場。なんとかホープを背負って住宅街に進路を向ける。体中が痛くて、どこに怪我をしているのかもう自分でもわからなかったが、足は勝手に動いた。ホープの体温だけが前に進むことを支えてくれるような気がしながら、はしごを登る。どうか見つからないようにと祈りながら急ぐ途中、遠くで戦闘音が響いた。

「義姉さんたちか……?」
「……っう、」

 背中でホープがうめき声を漏らす。目を覚ましたようだ。良かった、意識が戻って。ほっと息を吐き出すスノウの後ろで、ホープは驚いたように身をよじる。どうやら、自分が彼を運んでいることに混乱しているようだった。

「なんで、僕を……」
「守ってくれって、頼まれたんだ。義姉さんと、それから……ノラさんに。俺のせいだ。俺が馬鹿で、巻き込んだ。謝るよ。償わせてくれ」
「……償えないって、言ったのに」

 目蓋の裏には今でも彼女が落ちる姿がちらついている。暗澹とした気持ちで謝罪を告げると、ホープは案外落ち着いた声で返した。それさえ辛い。
 この少年は、これまでの間、どれだけの苦痛に耐えてきたんだろう。母が死んだ原因の男を目の前にして。それを考えただけで、もう何度も胸がいっぱいになった。吐き出しても吐き出しても、肺の中に石でも詰まっているみたいに苦しい。

「謝ってどうなるとか、ひどいこと言ってごめんな。どうすれば償えるかもわかんないのに、謝ってどうなるって思ったんだ。でもお前、言ったろ。前に進むってのを言い訳にして、逃げてるだけだって。あれは、効いたわ」

 スノウはなんとか、はしごの一番上までたどり着く。
 さあ、もうすぐだ。

「なあ、ホープ。俺の責任は、俺が背負う。逃げずに背負って、絶対償う。……ほらよ、このナイフは義姉さんのだろ」

 懐に入れておいたナイフをホープに手渡すと、彼は驚いたように目を瞠った。

「どうして、わかったの」
「それ、セラが義姉さんに贈ったんだよ。お守りにってさ」

 そう教えると、ホープはナイフの刃を取り出して見つめた。そんなに大事なものだとは知らなかったようだ。教えなかったのも、彼女らしいと思った。

「義姉さんは、そういうものをお前に預けた。だったら、お前が持つのが当然だろ。……償う方法、探すから。少しだけ時間くれ。お前が納得できるように、責任とるから」

 伝わったろうか。まだ無責任だろうか。何もかも重すぎて、これ以上はどう表現したものかわからない。こういうとき、馬鹿はどうしようもないなと思う。心のうちにあるものを、ひとかけらも言語化できない。いや、こういうときに限らず大体の場面でどうしようもないのだけれど。どうしたらいいだろう。逸る不安によってか、ホープは唇を震わせた。

「……帰ってこないよ。あんたに責任、とらせても……母さんは、帰ってこないよ。最初から、わかってたんだ。わかってたけど……誰かのせいに、しないと……戦えなくて」
「誰かじゃなくて、俺のせいだろ」

 こんな子供に、こんなに、こんなに自分追い詰めさせてんのも、母親奪ったのも、全部全部、全部。
 何もかも。

「俺に、償わせればいい」

 我ながら情けない声だった。まっすぐ立っていられない。視界が霞む。血が足りないのだと理解する思考も明瞭とは言えない。壁に凭れて、ようやくホープと目を合わせる。立ち尽くす彼を見て安心した。怪我は、ないようだ。そのことにほっと息を吐いて、足がついに崩れ落ちそうになった時だった。
 ホープの後ろに迫るのは、またもPSICOMの兵器だった。

「逃げろ!!こいつは、俺が……!」

 ホープしか見ずに飛び出したのが多分いけなかった。脇腹を衝撃が襲ったことさえ気付けず、スノウはあっさりと気を失って昏倒してしまう。



 ……そんな限界ギリギリの体力で、自分なんかを必死に庇うから。ホープはもう、これまでの自分の全てをバカバカしいとさえ思った。だからきっとこれは、間違いじゃない。
 何が正しいのかはわからないけれど、これだけはわかる。間違っていないことだけは。

「無理ばっかして……本当、バカだ。あんたが……あんたが死んだら、償えないだろ!」

 なあ、ブーメランが手によく馴染むようになってきたんだ。意識しなくても、魔法が敵を襲うようにもなった。もうとっくに、僕は立派なルシなんだよ。だから、一人でも戦える。守ってもらう必要なんかないんだ。
 まして、自己犠牲までを伴ってもらう必要は。

 スノウにはもう見えやしなかったが、ホープの目の奥で、強い炎が燃えていた。そこにいま、憎悪はなかった。


 尖った爪先が、的確に自分を狙って降ってくる。必死に避けて右側に転げつつ、氷撃を放った。が、あっさりと弾かれてしまう。ブーメランを続けて投げる。これは何とか当たったが、そもそも競技用ブーメランの攻撃力などたかが知れている。悔しいが、敵の猛攻を止めることにはならなかった。

「くっ……」

 ありもしない兵器の目と視線が噛み合うような気配があった。咄嗟に立ち上がれない。が、ホープの攻撃があまりにも軽いのだろうか、重要性が低いと見たらしく標的がスノウに移ったようだ。兵器は鋭利な腕の先端をスノウに向け振りかぶる。それはダメだ、止めなければと思った瞬間、自分でも驚くほど簡単に立ち上がることができた。動ける、ならば守れる。体が軽く感じる。脳内麻薬でも出ているのだろうか?ともかくホープは走った。今までにないほど早く走れている気がした。
 ホープは滑り込むように、兵器とスノウの間に己の体を割り込ませた。明確に、死の覚悟をしていた。馬鹿が感染ったのかななんて、酷いことを考えて笑いそうになる。それならそれでいいと思えた。

 目を閉じる。最後の瞬間、恐怖に直面しないように。死を恐れて叫ぶことのないように。
 だから、その後何が起こったのか、彼は見ていなかった。

 ただ、音だけがした。ガキン、バキッ、ガッシャンという、三つ続いた破壊音だけが。驚いて目を開くと、そこには。

「ちょっライトさん何してんすかいきなり突っ込まないでくださいよ」
「お前にだけは言われたくないお前にだけは」
「二人して勢いよく飛びかかっていったろ、揃いも揃ってよお」
「ら、ライトさん……ルカさんも」

 そこにいたのは、地面に伏し、関節のあるだろう場所をたたっ切られてバラバラにされてしまった兵器に銃剣を突き刺す知った二つの顔。それから、先程ホープたちを助けてくれた青い服の女性だった。ライトニングが心配そうにホープの顔を覗き込んでくる。その目を見たら、彼はもうろくなことは言えなくなってしまった。
 ただ、己は助かったのだと、それだけがわかった。また守られたのだと。安堵に涙が出そうになる。ああ、情けない。

「……ノラ作戦、失敗です……」

 声はみっともなく震えて、嫌な響きだった。でも、それだけだ。苦しくはならない。顔をぎゅっと歪め、ライトニングがふいにホープを抱きしめる。温かい体温に包まれ、ホープは驚いて目を見開いた。

「守るから……。私が、守る」
「ライトさん……。あの、僕も、できたら僕も……ライトさんを守れたら、って……」

 ライトニングの声も震えている気がした。彼女と同じなら、まあ、いいか。今は情けなくとも。そう思えた。
 彼女のことを守りたい。それは、短い旅の中でホープに芽生えた決意だった。スノウに全てぶちまけて、彼の心をちゃんと理解して、それで芽生えた決意。
 自分の身も、彼女のことも、もしかしたら他の、仲間と呼ぶべき連れ合いたちも、守りたい。ライトニングの弱さにももうちゃんと気付いているから。そして、弱さがあったっていいのだということも、理解したから。

 ライトニングがホープの額をこつりと軽く小突いた。険しい顔ばかりだった彼女の美しい相貌に穏やかな微笑みが一瞬浮かんで、ちゃんと伝わったのだとわかった。

「おいおい、お前ら、こっちも気にしてやれよ」
「完ッ全にノびてますがなこりゃ。おーい、スノウくーん、生きてますかー? ……返事がない……ただの屍のようだ……おおゆうしゃよしんでしまうとはなさけない……」
「やめろコラ、不吉だろ」

 ファングに諌められながらもルカがスノウのデコに何発かデコピンをかまし、それから目蓋を開けて瞳孔を見て、脈も取る。彼女の楽天的な顔色からみるに、どうやら大した異常はないようだった。軽い脳震盪だろうと彼女は告げる。

「ほらな簡単にはくたばらない。無駄に頑丈だ」
「それで助かってんだから無駄ってこたないでしょー」

 ホープは頼まれて、ケアル魔法をかけた。緑の光がスノウを包み込む。いまできるだけの治療が終わると、ライトニングがスノウを助け起こす。僕の家、もうすぐそこですから、運びましょう。ホープの言葉に頷いたルカが手伝い、彼の体を僅かに引きずりながらも移動させはじめた。ホープはほっとする。本当に死なれてしまったら、どうしようかと思っていたのだ。
 ホープの胸はまだじくじくと痛んでいるが、それでも、彼の不幸を心から願っていたあの暗澹たる気持ちは消えている。母譲りの善良な心根は、誰かの不幸を願うのに向いていなかった。ホープは肩の荷が降りたような気がしてまた安堵の涙が落ちそうになるのを、耐えねばならなかった。



 そんなホープを横目に見つつ、ルカの隣を歩きながらファングが僅かに首を傾げた。

「しっかし……コクーンなんて、バカみてーに平和ボケした奴らばっかだと思ってたが、強い奴は強いんだな。ここでも。正直、コクーンのルシなんていても物の数になりゃしねえと思ってたから、ライトとお前にゃ驚いたぜ。スノウはまあ、その体格だから、使いみちは絶対あるだろうけどよ」
「そりゃーね。平和ボケしなかったやつも、ごく少数いたってことさ」
「お前もか?」
「……さあねえ」
「そういやお前の戦い方、面白いよな。ライトとかスノウとかさ、なんか妙に危なっかしいような気がするっていうか、周り全部が見えてないような気がすっけど、お前はなんつうか……」

 背中に目がついてるみてえだ。敵全員をきっちり意識して体動かしてるだろ。手慣れてんのな。
 ファングの言葉に、ルカは目をわずかに見開いた。それからくすりと笑う。

「……まっ、私はPSICOM最強の女ですからァ?」
「上等じゃねえか。そんな奴がコッチ側なら勝ったも同然だな」
「フッフッフ、悲しいかな、兵器との戦闘は負けっぱなしでしたねえ」
 PSICOMでは、武闘自慢は定期的に兵器の動作テストにも付き合わされるのだ。勝てるわけなかろうがという話。
「なんだよぬか喜びかよ。ま、でも気にすんな、勝てなかったってのはただの人間だったときだろ?ルシになりゃ、お前が百人いるようなもんだ」

 ルカは曖昧に微笑んで、返事を返さなかった。
 さて、この嘘、いつまで続ける?



13長編ページ
×
「#ファンタジー」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -