14


 ヤーグが再びルシ捜索に乗り出してすぐのこと。警備軍の一般兵が、指揮官に願い出たいことがあると言って、PSICOM兵が止めるのも構わず飛び出してきた。

「この街は、我が隊の管轄です。自分らが守ってきた街なんです! だから、住民の避難を徹底させて、それから街を壊すような行動は……!」
「各部隊へ通達。武器使用制限を解除する。全兵器使用自由。総力を上げてルシを討て。……以上だ」

 ヤーグはその声は聞こえない振りで、周囲のPSICOM兵、そして無線の先の部下達に司令を出した。その内容は先程の請願のまさに逆を行く内容で、訴え出てきていた兵士は一瞬息を飲みそして、数秒でざわめき立った。

「全兵器って、街で戦争始める気ですか!」
「住民の避難も終わってないのに、どんだけ被害が出ると……!」
「――あんたら現場をわかってない!」

 その言葉に、ヤーグは一抹の怒りを覚えた。……現場をわかってない、だと。何を言っているのか。そんなもの、自分は死ぬほど理解している。何が求められているかを理解している。だから今こうしているのだ。彼らのような、自分たちに累が及ぶ段に至ってようやく騒ぎ始めるような恥知らずならば、ヤーグはとっくにすべてを投げ出している。

 でも、そうはしなかったのだ。この決断に誇りを持たずして、どうする。
 そんな己にどんな価値があるというのだ?

 気づけば、軍刀を抜いていた。彼女の剣とは違う細い刃が、銀の輝きを放った。

「君らは、現実をわかっていない。下界を恐れて、ルシの抹殺を願っているのは誰だと思っている。……聖府ではない。軍でもない。民衆だ!」

 その恫喝は、兵士達に言葉を詰まらせるには十分だったようで。何か言い返そうと口を動かしていたようだが、結局効果的な反論は見つかりじまいのようだった。ヤーグはそれを一瞬だけ見やると、軍刀を収めて、飛空戦車を飛び上がらせた。

 ……私がここで、止まるわけにはいかないのだ……。
 ぐっと奥歯を噛み締めて、軍刀の鞘を握り締めた。




 沢山の人が、列を作っている。それはここパルムポルムではまあよくある光景で、でも今は確実に異様だ。みんながみんな、パニックを押し隠す暗い表情をしているせいだ。
 ホープは、彼らを物陰から見ていた。自分があちら側でないことに安堵を覚える浅ましさが嫌だ。何も知らずに死ねたほうが良かったと思う心もあるというのに。

「聖府はファルシの言いなりだ。ああやって、みんなパージするつもりなんだ」
「……また、関係ない人を巻き込むの」
「なんでも、自分のせいにすんな」

 ぼそりと呟いた声に返答があったことに、少し驚く。……自分のせいになんかしていないのだが。この男はとことん間抜けらしい。関係ない自分たちを巻き込んで、挙句ルシにしたのはお前じゃないか。

「無責任だ」
「でもまだやれることがある。軍を引き付けるぞ」

 スノウはつまり、彼らをパージさせまいとしているらしかった。ハングドエッジの時と同じように。彼はショッピングモールに人々が避難しているのに気がつくと、小さく舌打ちをする。

「まずい……!」

 そのまま走り出すスノウに驚き、一瞬出遅れる。スノウは兵士に殴りかかると、銃を奪い取り、空に向かって乱射し、そして叫んだ。

「俺は下界のルシだ! 全員ぶっ殺してやる!!」

 一瞬で周囲は金切り声につつまれる。わけがわからず、ホープはスノウに怒鳴るように尋ねた。

「なんでこんなこと!」

 その答えは、すぐに理解できた。空に連絡を受けたらしいPSICOM飛空部隊が現れたのだ。そこにスノウが、悲痛に吐き出す。

「あいつら、人が居ようと平気で撃つ。巻き添えで何人死のうと関係ねえんだ!」

 その時だった。路地の辺りで一人、民衆とはぐれたらしい少女が泣いているのに気づく。ホープはつい反射的に駆け寄り、声をかけてしまう。

「大丈夫!?」
「ッ!! きゃあああっ!!」

 少女はルシという危険から逃れようと、身をよじり、手に持ったぬいぐるみを投げつける。柔らかいそれは、ホープに当たって音も無く地面に落ちた。自分を恐れている、それが伝わってきて、どうしようもなく痛くて、ホープは動けない。

「近寄らないで!!」

 それは路地の先から響く母親の声。彼女に鼓舞されたのか、逃げた筈の人々が廃材やパイプなどを手にして、こちらに迫ってくる。

「ルシの野郎……!」
「子供を助けるんだ!」
「軍隊はまだか」
「俺たちも戦うんだ!」
「コクーンを守るぞ!」

 その姿は、ハングドエッジで立ち上がった自分たちによく似ていた。同じことを思ったらしいスノウは一瞬戸惑ったようにのけぞった。そんなスノウの横で、ホープは呆然と民衆を見つめることしかできない。その隙に少女は立ち上がり、彼を突き飛ばす。そしてぬいぐるみはそのまま捨て置いて、彼女は母親のもとへ駆け出した。

「ママぁ!」
「よかったあ、もう大丈夫よ……」

 子供が戻ってきたことで躊躇う理由がなくなったのだろう、人々は二人ににじり寄り始める。それに気付いたスノウは舌打ちと共に烙印を掲げ、群衆との間に氷の壁を落とす。明らかに人間技じゃないそれに、彼らは驚き、一瞬で士気は削がれる。叫び声を上げながら彼らは逃げ惑い、抱き合った親子はこちらをずっと見ている。ホープは地面に落ちたぬいぐるみを拾い上げ、近くの看板に乗せた。

「ごめん」

スノウが、立ち止まったままのホープの腕を引く。

「逃げるぞ!!」
「あ……」

 すぐにそこにはPSICOM兵が現れ、銃をこちらへ向けて連射し始めた。二人は走り、隠れながらはしごを登って屋根の上に出る。
 商店街から近い住宅地のリベラ街を出て、走って走って、どれくらい走ったのかわからなくなった頃、足が思い出したように痛みホープは座り込む。それに気付いたスノウも足を止め、沈黙を埋めようと口を開いた。

「フィリックス街って、あっちだよな?……結構遠いなあ」

 スノウが話しかけてきたように思ったが、ホープは顔を上げることすら億劫だった。彼との雑談に応じたいとも、思えない。
 が、彼が不意に遠くのアドバルーンを見上げ、そこに書かれた文字を読み上げたので、つい応えてしまう。

「“家族みんなで明るい生活”……だとさ。ほんと、遠いなあ……」
「ルシなのに、家族なんか」
「そう言うなって。縁がないと、憧れるんだよ。ま、いつか手に入れるさ。セラを助けて、コクーンも守って……」

 ぞくりと背筋が粟立つような感覚を覚え、ホープは顔を上げた。いつか、家族を手に入れる。ホープの家族を壊した人間が?
 許せない。それだけは。ホープは思った。もしかしたらホープはそれまで、この男に積極的に怒りをぶつけようとは思っていなかったのかもしれない。男があの溌剌とした愚かさを失い、暗澹と己の罪を悔い苦しんでいたなら、一生苦しんでくれることを祈って捨て置こうと、他の誰でもない己のために執念を手放そうを思えたかもしれない。

「どうやって? どうやって、そんなこと叶えるの」

 けれど、スノウは全く変わっていなかった。自分ひとりの希望のために周囲の人間を不用意に煽って、死地に駆り立て、死なせ、後悔の念すらない。
 ライトニングならこんなことはしなかった。ああ、顔もろくろく知らぬセラという女は、一体どうしてこんな男に頼ったのか。ライトニングだって、こんな男を連れて来さえしなければ、セラの言葉をちゃんと聞いて信じたかもしれない。そうすれば、母が死ぬことも。己がルシになることも……。
 そこまで問うのはもはや完全なる逆恨みだと、本当は気付いていながらも、今のホープにとってスノウは諸悪の根源であった。

「あー、どうしような。俺はみんなを守りたいけど、みんなはルシを嫌ってる。それでも、傷つけたくねえし……困ったもんだ。けど、あきらめなけりゃどうにかなるさ。ルシだって、希望くらい持ったって……」

 スノウが言い終える前に、破裂音がした。そちらを見ると、軍が空の遮蔽物を嫌って撃ち落としたのか、あのアドバルーンは跡形もなく消えていた。

「ルシの希望なんて……殺されることだけなんだ」

 その絶望も、運んできたのはお前じゃないか。
 ホープの怒りは口の中で丸まって、ついぞ外には出なかった。



 また背後から何度も響き始めた爆発を避け、ホープとスノウは走り出した。軍が無差別な爆撃を始めたのだ。路地を走っていてはPSICOM兵に見つかると考え、彼らは屋根の上を走り抜け、敵のいない道を選びながらフィリックス街を目指す。
 高台に出て、少し歩いて、苛立ちが若干落ち着いてきたホープは、改めてスノウに背後から問うた。「家族に憧れてるんだよね。じゃあ、もし家族を奪われたら?」きっとまともな答えは帰ってこないだろうと知りつつも、それでも問わねばならないと思ったのだ。

「取り返す!」
「取り返しがつかなかったら。誰かのせいで、奪われたら?」
「そりゃあ許せねえよ。なんだ、突然? ……うおッ!?」

 スノウがホープの顔を覗き込んだと同時だ。不自然なほどに強い突風がビルの間をすり抜けて、二人を襲った。その風が止む前に、なにか重たい鉄の塊のようなものが降り、二人の立つ地面を揺らす。
 新たに飛来したそれは、軍の兵器であった。細身で、巨大な鎌のような前腕。ホープもスノウも軍にまるで詳しくないから、それがなんなのか全くわからなかった。
 ホープを庇おうと、スノウがまた、それが当然のことのように前に出る。ホープは苛立ち混じりにそれを思い切り押しのけた。

 お前は最低な奴なんだから、まるでそうじゃないような、己を善人だと思いこんでいるような行動はやめろ! そう言いたくて仕方がない。

 ホープががむしゃらにブーメランを投げつけたがまるで当たらないし、怒りに熱くなったホープが立て続けに風魔法を放っても、兵器は易々とそれを掻い潜ってホープに迫る。目の前に降り注がんとする鋭い前腕を見て、ホープはついぎゅっと目を瞑ってしまう。だが同時に、ホープを強い力が掴んだ。

「危ねえッ!!!」

 スノウが間一髪のところで、ホープを巻き込み倒れ込んだのだった。兵器の鎌は空振っていた。スノウが腕に刻まれたルシの烙印を空に向かって掲げると、烙印は青い光を放ち、とたん冷気が満ち一瞬で空気を冷やしていく。数秒も待たず、青い肌の長身の女性が二人、なにもない空間から現れた。
 ホープにはそれがなんだかよくわかっていなかったが、少なくとも人間でないこと、なぜかスノウに付き従うことだけはわかっていた。


「あいつをやれ!」

 二人はスノウの言葉に表情も変えずに頷くと、氷を纏いながら兵器に突撃した。いかにファルシの技術を駆使していようと、所詮機械は機械で、温度変化には弱い。片割れの手で冷気を浴びせられ凍りついたところにもう一方が物理攻撃を与えると、凍結寸前の兵器は真っ二つに折れ、配線をむき出しにして動かなくなった。

「やった!」

 それを見てやっと体勢を整えたスノウに、姉妹は口吻けを投げて去っていく。ホープは青ざめた顔でじっと地面を睨みつけるばかりだ。
 スノウに救われるのはもはや、彼にとっては屈辱でしかなかった。スノウに見捨てられて殺されてしまうほうが、まだましだ。それなら少なくともホープは、そら見ろと内心中指を立てて死んでいく。そら見ろ、この男はあんな調子の良いことを言って、何もかもが口先だけの最低野郎だ。そう言って。

 ホープが怒りに震えているのを、スノウは疲労からだと勘違いしたのだろう。近くの遊具施設を見て、休憩を提案してきた。無理矢理にでも引きずっていけばいいのに、なんて考えてしまう。さすがにそれは、甘えだ。
 彼の背をゆっくりと追い、いつものベンチに座る。スノウは気を利かせたつもりなのか、自販機でジュースを買って差し出してくる。

「ほら」
「……それ、好きじゃない」
「そうか。……俺は好きなんだけどなあ」

 スノウはなんて言えばいいか困ったみたいな顔をして、ホープから少し離れた。ホープは目を少し細め、視界に収まるすべてを、望郷の念でもって眺めた。自分は間違いなく、その故郷にいるというのにだ。

 公園はホープの家からも近く、まだ子供だった頃、学校からの帰り道に母と一緒によく通った場所だった。高所から臨む街や海はいつだって美しい。
 オレンジ色の空も含めて、見慣れた風景のはずだった。本当なら喧騒が遠くで聞こえるはずで、代わりに飛び回る戦闘用の飛空艇なんて存在しなかったはずだった。ほんの一週間前まで当たり前だった日々だ。
 そして、もう戻らない。

 この公園は、住宅街の上に張り出すように一部がテラスのような形になっている。いま、スノウがその高台に立っている。その背中を見てホープの胸が痛みに締め付けられることを、スノウは知らない。そこは、ノラ・エストハイムのお気に入りの場所だった。
 あの場所は、彼女がよく立っていた場所だ。母は幼いホープの手を引き、よくそこに立って街を見せた。学校で友達と喧嘩した日も、父に怒られた日も、母はいつもそうやってホープを慰めた。そこは母の場所だ。絶望一色に塗り込められたはずのホープの心に、再び怒りの炎が燻り、顔を出す。

 そこは母の場所だ。でももういないから、こうやって奪われていくんだ。
 お前に壊されたせいで!!

「……スノウ。あんたの希望って?」

 大きな緑の目に薄い膜を張る涙を振り払い、ホープは目の前の男を見つめる。スノウはホープの声に振り返り、それに答えた。

「さっき言ったろ。セラを助けてコクーンも守って、“家族みんなで明るい生活”だ。まあ、先は長そうだが……なんにしろ、希望があればなんとかなる。ルシだろうと関係ねえ、生きて戦える」
「戦って、人を巻き込んだら?」

 軽く言い切って缶をゴミ箱に投げ入れるスノウに、ホープは一歩踏み出した。
 こいつはやっぱり、何も考えてない。何も、わかってないのだ。

 希望があればなんとかなる?
 お前の大切な人とやらはクリスタルになっただけだからいいよな。母さんは、目の前で深い闇の中に吸い込まれていった。きっと遺体さえ、二度と目にすることはない。満足な墓さえ作れない。その程度のことすら。

「あんたが生きて戦うために、誰かの希望を壊したら? 死なせたら、その責任は? その人たちに、どうやって償うの」
「……償えるかよ。死んじまった相手に、どう償えってんだ。もう取り返しがつかねえのに、言葉で謝ってどうなる」
「最低だ、巻き込んでおいて……!」
「ああそうさ! 巻き込んで死なせた! 重すぎて、わかんねえよ。償い方も、謝り方も! 今は、前に進むしかねえ。償い方が見つかるまで、戦って生き延びるしかねえんだ!」

 自分が進むためにも殺すしか道がないのに?
 あのルカとかいう人にも言われてたじゃないか。お前がやりたいようにするなら、何十人も殺すことになるんだって。その間、お前が仲間と勝手に呼ぶルシだって殺されていくんだって。その責任は誰が取るんだ? いつか、何らかの形で報いるようなことが、本当にできると思っているのか?
 ホープには、生命の倫理について、この世界がどう言い訳しているかなどわからない。命の価値がどれほど流動的なものなのかも知らない。それでも、この怒りに、母の無念に代わる何かがこの世にあるなんてとても思えなかった。

「何が、前に進むだよ! 言い訳にして逃げてるだけだ!!」
「じゃあ責任とって死ねばいいってのか!?」
「そうしろよ!」

 ホープは、殺意と苛立ちがないまぜになって、自分の中で爆発するのを感じた。それはそのままルシに与えられた魔力へ直結し流れ込み、大きく膨らんでそして、破裂するように放出される。その圧は先程の兵器による突風など笑い飛ばすぐらいのすさまじい強風となって、スノウを吹き飛ばす。足が浮き、スノウは死物狂いで柵を掴み、崖にぶら下がった。ホープは怒りに震わせながら、そちらへ歩く。

「……ノラ・エストハイム。母さんの名前。あんたのせいで……死んだんだ!!」
「おまえが――お前だったのか!?」

 スノウの言葉の意味はわからないし、もう理解するつもりもなかった。ホープはライトニングから借りたお守り、サバイバルナイフを取り出す。崖に掴まるスノウを、母が落ちたのと同じように奈落の底へと突き落とすために、ナイフを振りかざす。陽光を反射させ、白刃がきらめいた。腹の底から、獣の唸るような声がする。ホープはスノウを殺すことしか考えていなかった。

 だから、気が付かなかったのだ。背後に彼を狙う兵器が迫っていることにも。

 発砲、空気を劈く光、続けざま、地面を揺るがす振動。振り返る暇も、事態を理解する余裕もない。ホープの軽い体はいとも簡単に爆風に煽られ、宙に浮く。

「ホープ!!」

 崖下へ落ちそうになるホープ目掛けて、しかしスノウが懸命に手を伸ばす。二人連なって落ちていく。
 お前を死なせるわけには。スノウのその声は、気を失ってしまったホープには届かなかった。



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