癒えぬ傷を爪で穿つ


 パルムポルムの遥か上空、リンドブルム。その先端部にある一室にて、電波をジャックしてルシをGPS機能で追う。
 スノウがリグディの手元のモニター画面をのぞき込むと、パルムポルムの航空写真のようなものの上を赤い点がひとつ点滅しながらゆっくりと移動しているのがわかる。
 軍は面白えもん持ってんなあ、とスノウが言うと、リグディは口角を上げて笑った。
 その笑みに、多分これは馬鹿にされているんだろうなあ、とファングは思ったが、スノウがそう受け取っていないようなので突っ込まないでおく。まだ会って1日も経っていないが、こいつがどういう奴なのかは大分わかってきた。懐は深いが、馬鹿だ。器がでかい、とも言うかもしれないが、馬鹿であることに変わりはない。

「なあ、その点って敵には知られないのか?」
「GPSな。これは私用のコミュニケーターなんだ。コミュニケーターのGPSってのは、識別番号を事前にバックアップしてないと特定できねえ。逆に言いや、識別番号さえ知ってりゃ、電源を切ってても定期的に探知できる。このGPSの持ち主は馬鹿だから知らねえけど。ともかく……軍の支給コミュニケーターはPSICOMも識別番号くらい記録してるだろうが、私用の方はそうはいかない。で、このコミュニケーターの識別番号を知ってるのは俺らだけ。PSICOMには追えねえんだよ」
「意味わからん」
「だろうな」

 リグディがまたにやりと笑った。ファングは少しだけ苛ついた。

「もういい、ほら行くぞ。その……何だ、赤い点の場所は無線で言えよ」
「だからGPSな。無線っていうか……まあいいか、無線で。カタがついたら連絡しろ、拾いに行ってやるからよ」
「おう!レインズはサービスいいなあ、まさかルシ全員きっちり助けてくれるとまでは期待してなかったぜ」

 スノウのその言葉に、ファングは俄かに目を見開いた。馬鹿は馬鹿でも、脳には一応同じものが詰まっているらしい。自分も、レインズがヴァニラを助ける手助けをしてくれると知った時はおおいに疑った。
 リグディは微かにバツが悪そうに後頭部を掻いた。自分たちが疑わしいことはよくよくわかっているのだろう。

「あー、それにはまた別の理由があんだよ。お前らのためだけじゃねえ」
「理由って、クーデターがしたいっていうだけじゃなくてかよ」
「その軽い言い方ちょっとやめてくれるか? ていうかクーデターがしたいんじゃなくてだな……いや、まあいいけど。ま、そういうこった。危険を侵すにはそれなりの理由があるんだよ」

 ファングが聞くと、リグディは呆れたような顔で溜め息を吐いた。そんな彼にファングはふーんとどうでも良さそうな返答をし、振り返ってレインズの居るであろう動力部を見た。彼はそこに執務室を構えている。一度か二度入ったことはあるが、妙に片付きすぎていて気持ちが悪かった。あの男の頭の中もそうなのだろうと思っている。片付いていて、捨てるものがはっきりしている。そういう人間は、信用できない。

「食わせ者だよなあ。スノウと私だけでも殴り込みなら十分だってのに、わざわざ……何考えてんだか。助かるけどよ」
「食わせ者、ってお前。閣下が聞いたら苦笑いするわ」
「実際食わせ者だろうが。あれは女とは長く続かねーだろうな、すぐボロが出そうだ」

 初めて会った時のことを思い出してファングは一人頷く。あの、むしょうに馬鹿にされている感じ。会って数秒で“合わない”と思ったのは初めてだった。取り繕うのも巧いのだろうが、猫を被らない彼は有り体に言って“鼻持ちならない”。うんうんと頷いているファングに、リグディはまたも溜め息を吐いた。

「……あの人、恋人居るぞ。一応」
「マジで!!?」
「おう、たしかもう十年近く付き合ってんじゃねーかな……って、そんな驚くなよ」

 スノウまでもが目を見開いて驚いたのを見て、「あ言わなきゃ良かった」とリグディは呟いた。
 そんな言葉で止まるはずもなく、ファングはスノウと二人でリグディに迫る。

「おいおいそりゃどんな物好きだ!?どんな女だ!!」
「ちょっと見てみてえなあ……レインズ並みに肝の据わった奴なんだろーなあ」
「まー肝は据わってるな。不必要なまでに。変わり者だしなあ……ってそんなことはいいんだよ。そろそろ行かないと見失うぞGPS」
「っと、そうだよな……あとでレインズ本人に聞いても大丈夫かな」
「あーもう聞けよ答えてくれるよ多分。いいからさっさと行け」

 リグディがもう面倒くさいといった様子でそう言い放ち、ファングに手をぺっぺっと振ってゴーサインを出す。それにファングは口を尖らせたが、あまりここで無駄話をしているわけにもいかない。GPSとやらを見失ったら意味がない。

「そういや、これは誰の居場所を示してるんだ?」

 スノウが最後の質問、とばかりにリグディに問う。GPSの仕組みをよく知らないファングは説明を聞いてもよくわからなかったが、GPSはコミュニケーターの場所を示すのだ。であればこの赤い点は、ルシ一味の誰かのコミュニケーターの電波をジャックしているということになる。その疑問にリグディは数秒考え込むような仕草をしたが、ふいに口角を上げ、「行ってからのお楽しみ、ってことでどうだ」と笑った。こういう言い方をするってことは、つまり教える気がないんだろう。ケチくせえ。はん、とファングは小馬鹿にしたようにリグディに笑い返し、ハッチを開けて横付けされた小型戦闘機に片足をかけた。

「おい、待てって!」
「置いてくぞ。さっさとあいつらを助けてーんだろ、話はもう後にしようぜ」

 慌ててスノウがファングの前の席に乗り込み、リグディが上から足で入口を締める。そして彼が装置盤のレバーを引くと、戦闘機を母艦につなぎとめていたチェーンが外れ、戦闘機は一瞬で加速した。ファングはその速さに舌を巻く。コクーンのこういう技術だけはすげーよな。気に食わねえけど。
 ファングは手の中の槍を握りこんだ。さあ早く、戦局を動かしに行こう。


 音も立てずにすっ飛んでいく戦闘機にリグディは軽く手を振り、ハッチを閉める。これで、自分の仕事は半分は終わったようなもんだ。あとは回収するだけ。まあそれが面倒くせえんだけどな……しっかり伸びをして、寝不足の体を叩き起しながらモニター画面の前に立つ。赤い点は点滅しながら街の中心部に向かって移動していた。まあまあ、行動的なことで。
 一体何を考えているんだか。考えてもわからないことだ。というか今まで一度もわからなかったのだから、つまりは考えても無駄なのだが……でも、考えてしまう。あの、愚かなのだか賢しいのだか全くわからない小娘は、今何を考えている。どうして兵を虐殺して回っている? シドが好きにさせているのだから意味のあることなのだろうが。

 それにしても。

「見てみてえ、って。今からそいつに会いに行くんだけどなぁ……」

 行ってみてのお楽しみ、とは言ったが。
 面白そうだから帰ってくるまでは黙っておこう、とリグディは一人でにやにや笑んだ。






 その頃、ガプラ樹林を経てパルムポルム地下道へ入っていたライトニングとホープは、エレベーターで地上へと至っていた。
 そしてほぼ同時、ルカもまたパルムポルム中心街へたどり着くところであった。
 無人の街に警戒心は高まるばかりで、ルカはもう銃剣を隠しもせず右手に携えて歩いている。動くものがあれば銃を向けていたし、近づくものがあれば切ろうと決めていた。だからエレベーターが動くのを見て、銃を向けていた。姿を現せば確認次第射殺する、そういうつもりであった。
 だが、実際のところ、エレベーターから出てきたのは知らない相手ではなかったので、ルカはほっと息を吐いて、彼女の名前を呼んだ。

「ファロン……じゃなかった、ライトニング。合流、できたね」
「ルカ、お前、血まみれじゃないか」
「いろいろあってねえ。無事だよ。ホープくんは……無事みたいだね」

 ライトニングの後ろから出てきた少年にもルカは笑顔でからりと手を振る。彼は血まみれの女が笑って手をふる光景にあからさまにたじろぎ、曖昧に愛想笑いをした。ルカは十代の少年に愛想笑いをさせる女であることを内心恥じた。

 と、そのときだった。背後で、バチンだかバツンだか、電力の流れる音がして振り返る。そこには巨大なビルがあり、壁面一つまるまるテレビ画面になっているようで、さっきまではいなかった見慣れたアナウンサーの姿が映っている。

「テレビ……なんで」

 街頭に人間がいないのだから映す意味もないはずなのに。そう思う間に、アナウンサーは緊張した面持ちで何度も手元の原稿に目をやりながら、慌てた声で口火を切った。

『さきほど、聖府は緊急会見を開き、逃走を続けるルシの潜伏先を特定したと発表しました。繰り返します、聖府は……』
「……速報か。緊急速報だから、勝手にテレビが起動したのね」
「あ、そうですね……たしかにここのテレビは、緊急時には勝手につくようになってるって、聞いたことが」

 ホープが頷いて言う、その姿が、唐突に画面に映った。ルカは目を剥く。
 顔を上げると、ドローンカメラが宙に浮いており、レンズがくるりと回ってルカを向いた。それと同時、ルカの顔が引き伸ばされてテレビに映る。続いてライトニングと、背後のホープを映し出す。ルカは舌打ちしながら、やはりカメラを撃ち落とした。その軌道上、空に飛空戦車が浮かんでいるのに気がつく。飛空戦車は、飛空艇とは異なり、狭い区画を制圧指揮するためのもので、戦闘用というより司令のためのもの。基本的には指揮官の身が守られず剥き出しになった、少々安全性に難のある兵器だ。

 そこに、人影が見えた。逆光に浮かぶシルエットだけでも、ルカはそれが誰かを判別した。体から力が抜け、呆然と見上げてしまう。バタバタと周囲を兵士が取り囲むのが見えていても、ホープの喉が恐怖にヒュッと鳴っても、そちらに割くリソースが脳に無い。

「相手はルシだ。確実に仕留めろ。“三人”と思うな、“三匹”と思え!」

 そんな声が、周囲に響く。酷薄そうな響きを持っている。絶対に聞きたくなかった声だ。
 ホープと背中を合わせたライトニングが彼に向き直り、睨みつけた。

 ――ああ、ああ。
 ついに、出会ってしまった。

「ヤーグ……!」

 呟くように吐き出した声が想像以上に震えていたので、ルカは遣る方無く銃剣の柄を握りしめた。体の中を、怒りなのか恐れなのか、正体のわからない感情が渦になって駆け回っているようであった。叫びながら斬りかかりたいような、泣きながら後悔をせがみたいような。いずれにしても、事態を好転させることはないだろう欲求が、全身を支配している。
 空を見上げて動かないルカに、ライトニングが体を少し寄せて耳打ちした。

「ルカ。……ホープを、頼んでいいか」
「どういう意味? 何考えてる」

 その声に混じった焦燥の色に、ルカは困惑して問うた。ライトニングはルカには答えず曖昧な視線を一つくれただけで、隣のホープに向けて「逃げろ」と言った。

「私が突っ込む。ここからはルカが守ってくれる筈だ、死ぬ気で逃げろ」
「でも……!」

 ホープが青い顔ライトニングを止めようとする。ライトニングの言っている言葉に、希望はない。自分の代わりに、という意図が見え隠れしているからだ。
 二人きりの短い旅路に何があったかルカは一つも知らないけれど、そこに覚悟が見えている。ライトニングはホープを守る覚悟をしたのだろうし、ホープもまたライトニングを守る覚悟をしたのかもしれない。

「生きてくれ」

 ライトニングがそう言ったとき、ルカの目蓋の裏がかっと熱くなった。
 どうして。どうしてそんなことを、この二人が決めなければならない。

 ねえ、ヤーグ。お前たちが選ぶ戦いは、果たして、お前たちの基準に則っても正しいことなのか?こんな恐ろしい話があるか。
 まだ若い女と、幼い子供が、生きるの死ぬのって覚悟をしているんだぞ。

 はっきりした。ルカはそう思った。私の中にあるのは、たしかに怒りだ。世界が斯く在ることへの。そしてその間違いの深き根の近くに、ヤーグは立っている。
 ジルと、共に。

「おいおいふざけんなお嬢ちゃん。こういう時は年寄りから死ぬって慣習法で決まってんだよ」
「ルカ……!?」
「それに、相手が“あれ”なら、私がやるしかないだろーに」

 深く息を吐いたら、落ち着いた気がした。不自然に心臓は高鳴り、全身が総毛立っている。それでも、彼らの覚悟を前にして、黙っていることなどできるわけがなかった。
 治らない傷の真ん中に爪を立てて、中を引っ掻き回してでも、埋まった弾薬を引きずり出す。これは、そういう作業なのだ。

「だが、お前、あいつらは元仲間なんだろう? それならお前はホープを連れて……」
「なぁに、逃がしてくれんの? 辛そうだから? ありがとうね、その気持ちはとっても嬉しいよ」

 どうして彼らがしてくれなかったことを、行きずりのお前がしてくれる。ルカはうっすら笑んで思う。
 それでも、目の前の善意より、優しさより、過去の温もりを選ばざるを得ないのがルカだ。

「でもね、これはね、私がやらないと駄目だから」

 他の誰にも任せられない。ならば己が、死に水を取る。
 ルカがそう呟いて転送装置に手をかけた、その時だった。不意に遠くから新たなエンジン音が聞こえた。こちらを威嚇するように迫る飛空戦車よりずっと軽いその音が何なのか、ルカにはなんとなくわかった。エアバイクのそれに似ているのだ。だが、エアバイクにしては音が大きすぎるような。
 はっと顔を上げると、上からは大型二輪のバイクが落ちてくる。バイクという構造にはあり得ないほどの安定性を持って落下するそのバイクに、ルカは見覚えのある顔を見た。

「えッ、あれ……!!」

 ビルジの湖で別れたばかりのスノウであった。スノウがバイクを踊らせ、着地の寸前凄まじい威力の魔法を放ち周囲を氷漬けにするのを、唖然として見守るしかない。しかし、そこにいたのはスノウだけでなかった。バイクの後部に座った青い服の女が銃を乱射し、ヤーグらを僅かに後退させる。「やっ、やめッ……!!」ルカは青ざめてそちらについ手を伸ばし立ちはだかろうとしたが、ライトニングが慌ててルカの腕を引いて留める。「馬鹿ッ死ぬ気か!?」「でもッ、ヤーグが!!」「あんなやつ……ッいや、そもそもあんなの当たるわけないだろう!冷静になれ!!」ライトニングの言う通りだ。下方からの射撃、それも対象を明確に狙っているわけではない、ただの威嚇射撃だ。軍人のくせに当たるほうがどうかしている。それでも、ルカはヤーグに銃口が向けば、恐れずにはいられなかった。

 ヤーグを遠目で見る。特に、負傷している様子はなさそうで、ほっと息を吐く。地面へとスノウが降り立つと、バイクは分解されなにやら二人の長身の女性に分かたれ、スノウにキスを投げて宙へと溶けるように消えていった。何が何やらわからない絶賛混乱中のルカであったが、徐々に正気を取り戻す脳内で、「婚約者があんなことになって早々、女二人を乗り回すとはやりおる……」と、おそらくは全く見当違いのことを考えていた。つまりは、落ち着いたのだ。

「義姉さん! ルカ!」
「スノウくん、丁度いい、あんな移動手段があるならホープくんを……、」
「ひるむな、上昇しろ!」

 ルカが慌ててスノウに詰め寄ったときだった。上からヤーグの声がする。見上げると、彼はもうこちらを見てすらいなかった。ルカはそれを睨みつける。

「なんで逃げんのよ!! なんでッ、せめて殺すことからは逃げないでよ!」

 言ってしまってからぞっとした。そうだ、せめて、殺したいなら、ヤーグ自身が殺してくれたらよかったと思った。ルカを想う心など一つも、もしかしたら最初から存在しなかったみたいに、誰かに適当に殺させようとするのだけは明らかに間違っている。
 ルカが剣を振りかざすのを見て、兵士たちが息巻く。

「中佐を煩わせるまでもない!!」
「裏切り者だ、殺せ!!」
「相手はたかが犬だ!」
「得と見れば誰にでも尻尾を振りやがって!!」

 ルカの唇が、震えた。
 問題は吐かれた暴言の意味ではない。ルカは何を言われたって気にしていなかった。彼らはルカにとって、取るに足らない人間たちだからだ。
 それでもルカは今、泣きそうに辛かった。昔から、どんな暴言に晒されても無傷でいられたのは、必ず彼らが顔を顰め、怒ってくれていたから。

「おいおいヤーグ、私がこんなことを言われても平気だって言うわけ!? 私がッ……私、が……」

 ルカは頭上に吠える。失意の咆哮が彼に聞こえたかどうかは、わからない。届いてくれなくてもよかった。ただそこで、心を痛めてくれていたなら。
 ルカの両腕は、ぐったりと垂れ、うなだれているように見えた。ルシたちは戸惑い、彼女に手を伸ばすべきか逡巡し、互いに視線をやる。

「……っく、く」

 ルカの肩が幾度か跳ねた。それは嗚咽に似ていた。だからライトニングがついに彼女を庇おうとした。溢れかえる兵と戦える状態じゃない。
 兵たちはルカが鈍重になったとみて、勢いづいて銃を向けルシたちに迫り始めた。
 ルシたちは、交戦やむなしと、応じるように武器をとった。

「っくくく、あは、あひゅ、あーっはっはっはっは!!」

 その声はしかし、場の緊迫を切り裂いた。そして、彼女が振りぬく刃は空に鮮血を巻き上げる。ルカはルシたちの間を抜け、兵の合間を縫って、一気に四人の体を引き裂いた。

「犬は犬でも、私は一級品の猟犬だぞ! 舐めた口叩いてる暇があんならケツ振って逃げやがれ!!」
「散開しろッ!! 留まらず、カバーしあえ!!」
「機銃を使うぞ!! 有効射程内に入るな!」
「そんなこと口頭でバラしてんじゃないよ、全く無能な兵士たちだな」

 お前らみたいなのを指揮する側の苦労が窺えるわ。ルカは彼らの怒声を笑い飛ばし、機銃を組み立てた兵を横から急襲する。それどころか機銃を奪い、不安定に外れた足場を広場の段差に突っかけて無理やり安定させ、機銃で弾幕を張り巡らせた。
 ライトニングたちも、近づく兵を各個撃破しているが、ルカが兵を殺す速度は尋常ではなかった。ほんの一薙ぎ、一陣の斬撃が、彼女を取り囲む兵を数人屠り、後退させる。明らかに彼らは気圧されていた。ルカの気迫は異常であった。

 ルカは犬である。
 彼女自身、それを否定するつもりはない。犬でも懐刀でも最終兵器でもなんでもいい、要は人間らしくないと言いたいのだろう。よくわかっている。
 ただ、犬には犬の、武器には武器の矜持がある。兵のくせに兵の矜持もないのなら、灰燼となって消えてゆけ。
 ルカは風のように駆けた。殺せば殺すだけヤーグに近づく。もうすぐそこにいるのだ。ほんの百メートルもない距離に、彼はいる。ならばルカは全速力で、文字通り切り拓くのみ。

「くそったれ、逃さない、私を殺したいんならお前がやれ!! お前がッ、何度もしてきたように、私に武器を向けてよ!!」

 本人が言ったように、有象無象の兵士などルカの敵ではなくて、彼女は視線を宙に固定したまま兵士たちを攻め滅ぼしていった。殺す、切り裂くという表現では追いつかない速度で、入り交じる血は空気に霧散し凄まじい異臭を放った。それは蹂躙と呼ぶにふさわしい事態で、ルシたちですらそちらへは介入を戸惑う。が、その中で最初に動いた影があった。

「おいおいッ、お前はなんて化物だ!?」

 スノウと共に現れた青衣の女が、後ろからルカの腰を抱き込み掴まえた。ルカは反射的に徒手の左手で反撃を試みるも、青衣の彼女はあっさりとその手を掴みいなした。

「ッ……!?」
「落ち着けっての!? ここには頭すっからかんのバカしかいねぇのかよ!? もう敵もほとんど死んでんだよ! おら、スノウ、お前はさっさと行け!!」

 彼女は背後に向けて叫び、ルカは視界の端でホープを連れ走り去るスノウの姿を辛うじて認識する。と同時、ライトニングが駆け込んでルカの隣をすり抜け、ルカが討ち損ねた兵士を的確に潰す。
 ほぼ同時、キュルキュルキュル、と砲台を動かす金属音がして、ルカはさっと視線を上空へやり飛空戦車を指差した。

「撃たれる!!」
「ああ畜生!! 届くか……ッ!!?」

 ルカを抱え込んでいた彼女はルカを取り落とすかのように離すと、飛空戦車の方へ向けて何やら唱え、魔力の砲弾を放たんとする。しかしそれが飛空戦車なんて強力な兵器を破壊しうるものでないことはルカにもわかった。一方で、“乗員には甚大なダメージを与えうるものである”ということも。
 だから、ルカは方針を変える。魔法が発動する直前、伸ばされた青衣の女の腕をひっつかみ、あの大画面の街頭テレビに向けさせた。それは、飛空戦車が滞空する少し手前に依然として聳え立っている。

「おいテメェッ……!」

 青衣の彼女の手中から、真っ白な魔法が放たれる。まるで花火のようにどこか緩やかな軌跡を描いて、その光は辛うじて街頭テレビの液晶に届く。瞬間、白い爆発が空を埋め、爆音が少しだけ遅れてやってきた。ガラスが割れるような音とともに、飛空戦車は落ちてくる破片を避けて即座に退避行動を取った。
 それを見送って、ルカは荒れた息を整える。そして振り返ると、青衣の彼女は睥睨するような目に怒りを湛え、ルカを睨んでいた。

「何考えてやがんだ、このバカ女」
「そっくりそのまま返す。あんなところで戦車落として、民間にどれだけ被害がいくと思ってる? そもそも届くとでも?」

 ルカは思いつくままにそう返しながら、視線を逸らす。そんなことルカだって一瞬たりとも考慮していない。
 ルカが考えたのは、ヤーグのことだけであった。それでもルカの言い分は痛いところを突いたらしく、彼女は押し黙り後頭部をがしがしと掻いた。

「……それで。お前は誰だ」

 兵士が生き残っていないことを確かめて戻ってきたライトニングが、青衣の女に問う。彼女は浅く息をつき腕を組むと、ルカとライトニングを見据えた。

「ファングってんだ。グラン=パルスのルシ。ヴァニラには会ったんだろ? あいつの、まあ姉貴分みたいなもんさ」
「ああ……あの子。んで、その姉貴分さんもルシと。それで、なんでここにいるのかわからないんですけど」
「あと、スノウと一緒に居たのは何でだ」

 事情が一切飲み込めず、ルカは苛立ち混じりに疑問をぶつけた。ライトニングが問うた通り、スノウと共に現れた理由もわからない。率直な二人に、ファングは飛空戦車が去った後の、硝煙のせいでまだ濁る空を指差して笑った。

「おいおい、私らはまたあのバカとガキと合流しなきゃいけないんだぜ?道は長いんだ、ここで全部話してたらその後が終始無言になっちまうよ」

 その言い方は気にかかったが、確かにここにとどまり続けるわけにもいかない。ルカは内心歯噛みしながら、彼女についていく道を選んだ。
 ヤーグを載せた飛空戦車は天高く高度を上げながらも、確実にこちらを監視している。これから先の道にも、大量の兵士を用意する手筈を今、整えているはずだ。

 ルカは手の中の銃剣を握り直す。ライトニングが地下に潜るのを見送り、己もそこへ降りようとする。直前、一度だけ後ろを振り返り、見上げた。
 当然、ヤーグの顔など見えるはずもなかった。



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