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「んぎゃあッ」
とんでもなく間抜けな声を上げて滑った。とっさに近くの木から垂れた蔦に捕まったのでうっかり転ばずに済んだが、ブーツがこそげた泥が重たく靴底にへばりついている。
「くそったれェイ……」
新しいブーツはあるが、こんな局面のために用意したものではないので、ひとまず先を進む。ブーツの滑り止めが泥を食って意味をなさなくなったのでより滑りやすくなり、注意を払って歩かねばすぐにでもまた転んでしまいそうだ。
?やはり、歩くのは無茶だったろうか。単純な距離でも十キロメートルはあるだろうに、道ならぬ道を歩いていては。そう思いはすれども、もうすでにその道も佳境だった。すでに引き返せる地点を過ぎている。
ルカは今、ガプラ樹林という生体兵器実験施設の周辺に広がる森林地帯にいる。森の中では容易に方向感覚が鈍るので、時折ファルシ=フェニックスとエデンの位置関係から方向を調整する。途中で滑ったので狂ったが、歩数から計測してそろそろガプラ樹林の横を通り過ぎるはずなのだ。
「……中に入るのは危険だしね」
外は外でモンスターはいるのだが、中のほうが調教されている分危険だ。番犬と野犬ならば、ルカには番犬のほうが危険である。つまり、野犬は、危険と思えば逃げる。
さて、次の問題はどのようにライトニングたちと合流するかということだ。
「サッズとヴァニラは、今は捨て置いてもいい……とにかく、ライトニングとホープは確保しておかないと」
独り言が増えた。疲労の証拠だと自分でも思う。一日に三度も気を失うほどの衝撃を体に受け、眠りもせずに歩き続けている。ケアルやポーションでいくら補っても、人間の体はそう単純に効率化できないものだ。
とりあえず急いでパルムポルムに近づく必要がある。ヴァイルピークスで顔を撮られているのなら、パルムポルムに入ればルカもライトニングも認証で引っかかる。そうなれば必ず騒ぎになるだろうから、互いを見つけやすい。追従すると言っているルカを拒む理由もあるまいし、ライトニングはルカが騒動を起こせば見つけるはずだ。あるいは、ライトニングのほうが早くパルムポルムに入っているかも。
足元に気を使って歩くのはどうしても速度に響く。このままだとライトニングにかなり遅れを取るかもしれない、そう焦りが生まれ始めた頃。
「……今日も警備か、ボーダムの方のパージは無事に済んだのかね?」
「無事じゃなけりゃ、連絡があるんじゃないか。支援に呼ばれても困るがなあ」
「違いねえ……」
人の声を聞いて足を止め、身を低くして木の陰に隠れた。茂みに身を隠しながら周囲を確認すると、数十メートル先に警備軍の兵を二人見つけることができる。二人はけらけら笑いながら、ガプラの外壁に停めたパトロール用のエアバイクの整備をしていた。ボーダムのパージは数名の脱走者を出し、その脱走者にPSICOMの将校も含まれているなんて軍からしたら最悪の事態だろうに、どうやら全く知らないようだ。呑気なものである。
「……チャンスだな」
ルカは転送装置に手をかけ、中から弾道ナイフとスティレットナイフを取り出す。弾道ナイフは上着の袖の格納スペースに隠し、スティレットナイフは腰のベルトに差し込んだ。それから上着の前をきちんと留め、略式ながら式典にも出られるよう軍服を整える。軍服を着崩している高官など、ルカの周りではルカくらいなものなのだ。訝しまれては困る。
そうして、彼らの方へゆっくりと歩いていく。途中、声をかける。「やあ、森林警備大隊の者だね」彼らは驚き、慌てて銃に手をかけた。ルカは笑い声を立てて、そんな必要はないことを示す。
「PSICOMの者なんだがね、パージの際モンスターに襲われてしまって、隊と逸れてしまったんだ」
そう言いながら襟章を示す。PSICOMの将校以上の役職でなければつけていない襟章を暗がりにも見つめ、彼らの間に別種の緊張が走る。
「さ、PSICOMの……しかしどうしてこんなところまで」
「ちょっと色々あったんだよ。申し訳ないが、これ以上は軍事上の機密というやつでね。ともあれ、そのエアバイクを借り受けたいのだが」
「え!? そ、それは……これから小官らも警邏がございまして……」
「そうか。では君の名と役職、直属の上司の名前を言ってみたまえ」
「えっ……あ、あの、それは……」
ルカはにっこりと笑みを作り、薄く開けた目で自分より高身長の二人を見下ろした。ルカとて将校だ。必要なら部下の折檻もするから恐怖を感じさせる言い方には慣れているし、警備軍は成果物をPSICOMに接収されることが多い。
「どうした? 言ってみたまえ。あるのだろう? 私が急ぎ聖府に戻ることより重要な任務が。それならば恥じることも恐れることもなにもない、率直にその素晴らしい任務につく己の名を告げたまえ」
「も、申し訳ありません……! 失礼いたしました、ええと、その、警邏は……本日は機械の故障のため、ち、中止になったのをすっかり……忘れておりました」
そういうわけだから、警備軍側も脅かされることに慣れている。定形の言い訳もすぐに出てくる。
ルカはそれに短く礼を言い、エアバイクのキーを受け取った。ルカは満面の笑みを浮かべながらそれを手にし、エンジンを掛けながら、
「さて、それでは、私と会ったことは口外しないように。エアバイクの貸与についても話さないのがいいだろう」
そう言った。そんな隠蔽にはさすがに慣れていない兵は首を僅かに傾げる。
「は、はあ、わかりました……?」
「わかっていないな? だが、私の言葉が理解できる日は必ず来るから、それまでは黙っているのがいい。誰にも、家族にもだ。そうでなければ、最悪の場合、銃殺刑を食らうことになるだろうからな」
「えっ……」
内心では、ナイフを抜かずに済んだことに感謝しながら、ルカはエアバイクにするりと飛び乗った。兵たちを置いてすぐさま森の中を走り出す。よかった、うまくいった! 兵たちはあっという間に見えなくなった。流石に追ってくることはあるまい。
本当ならば森の上を行くべきなのだが、空から捕捉されてはかなわない。おとなしく低速で、森の中を行くことにした。
エアバイクがあればたとえ低速でもパルムポルムまでは数十分の距離だろう。昔はこれにも乗れなかったのにな、と思ったら少し愉快な気持ちになった。思えば遠くへ来たものだ。
暗い森、ヘッドランプの灯りがあるとはいえ、バイクで森を避け進むのはかなり神経を使った。木にぶつかるわけにはいかない、止まっている時間が惜しい。そう思って数十分、時折短い休憩も挟みながら走り続けた。モンスターの唸り声も何度か聞いて、戦闘を覚悟したが、バイクの速度にはいずれも追いつけないようだ。バイクのおかげで、問題にぶつかることなく進むことができた。
と、不意に、視界が開き、慌ててバイクを停止させた。
「……うわお。陸路で来るのは初めてだな」
汗が伝う額に冷たい風を受け、ルカはほっと息を吐いた。たどり着いて、少しだけでも安心した。
ルカは高い崖の上に立っていた。眼下に開けるのが商業都市パルムポルムである。財政という一点のみに絞るなら、より人口の多いエデンに並ぶほど潤った街だ。レベルの高い教育機関も揃っており、エデンより閉塞感がないと言って好んで住む人間も多い。高層ビル群の多い地域と商業施設の多い地域、それに住宅街が分かれていて、横から見るとまるで一つの山のような形をしている。今は高い位置から陽が差込み、海と街の天辺をきらきらと輝かせている。
「海……もうボーダムも近いんだな。……そうか、海を跨いだらボーダムだもんな」
パルムポルムに遊興のための海岸はないが、港があり、ボーダムには貨物船で商品を運ぶ卸業者もいたはずだ。ボーダムまで海岸を歩いたとしても、もう数時間の距離。エアバイクならば一時間足らずでつくはずだ。
コクーンを半周してしまった。旅行じゃないんだから、とため息まじりに笑う。
買っておいたブーツに履き替える。泥を食んだ元のブーツは、若干の罪悪感とともに適当に放り捨てた。
崖を降りる術はなさそうだったので、少し遠回りしながら浜辺へ下る。木がなくなって、ルカの身を隠すものがなくなり、落ち着かない気持ちになる。
急いでパルムポルムへ近付き、街に入り込む。こちらは住宅街側なので、警備もほとんどいない。警備システムはあるはずなので、袖口のナイフの柄を掴みながら警戒心を保って歩いた。いつ敵が襲来するかわからない。
それだけ覚悟をしていたので、路地裏を抜けたときにフラッシュライトがルカを照らしたときは、乾いた笑いが出た。向こうも向こうで驚いていた、まさか本当に街中で遭遇するとは思わなかったのか。
PSICOM兵の一個小隊の半分、ほんの六人だ。虚を突いたのはルカのほうだったので、初撃を加えたのもルカであった。弾道ナイフは柄にバネを仕込んでいるナイフで、有効射程はほんの数メートルに過ぎないものの初速七十キロメートル程度で飛び出す、とびきりの消音性を誇る暗器である。まっすぐに飛んだ白刃は陽光を一瞬反射し、ほぼ同時に先頭にいた兵の首を深々掠め、勢いよく血が噴射する。
ルカはナイフを放つと同時に転送装置から取り出していた銃剣を目の前の兵に突き刺した。ルカの銃剣は銃より剣が主体で片刃の設計、斬ることに特化してはいるが、刺突も十分な威力でこなす。突き刺した銃剣を引き抜くために蹴りつけた死体をそのまま踏みつけ、ルカは跳ね、その背後にいた兵を斬りつける。「うがッああああぁああぁあ!!」何やら声を上げながら銃を振り上げ殴りかかってくる斜め後ろの兵は首を手刀で縦に突いて喉仏を潰した。
銃で殴るとか、やる気あるのかよ?
ルカは笑う。足元の兵のことを意識しているからそういう行動に出るのだというのは、よくわかっている。
「でも駄目だ駄目だ、仲間を巻き込むとか、そんな遠慮するもんじゃない。そういう遠慮はな、強者がすることだ」
手を下したのがどちらであるにせよ、死ぬのだから。
ルカは必ず帳尻を合わせるつもりだから。
戦闘不能に叩き込み、一人一人殺す。もう今となっては殺す理由もわからないけれど、怪我なんてケアル魔法で手早く治せる世界では、殺す以外戦力を削ぐ方法がない。これまではルカの生存を知られないためだったけれど、PSICOMを破壊するためには一人ずつでも丁寧に数を減らしていく必要があるのだ。
そんなことを、後ろでひっくり返って震えている最後の兵に言う。すべての兵が勇敢なわけじゃない。
「まったくもう、逃げればいいのにね、みんな。何に殉ずるつもりがあるの?」
「あ……あ、ちが……違うんです……」
「そうだな。お前は私の何者でもないもんね。殺す価値も感じてねえよ。逃げるなら逃げろ、敵前逃亡かます兵囲うほど奴らもアホじゃあないでしょ」
無様に転がった兵はじりじりと後ずさり、転びそうになりながら立ち上がって、大慌てで走り去った。まあそんなもんだよな、と笑う。死ぬよりマシだし、殺すよりマシだとルカは思った。
血に塗れたルカは着替えるべきか一瞬悩んだが、とりあえずいいかと割り切った。接敵するたび血まみれになるなら、そのたび着替えてはいられないので。ひとまず、血濡れのまま街の中央を目指すことにする。
血塗れの姿を見せればすぐ騒ぎになるだろうと思ったが、兵士も住人も見当たらない。兵士がうろうろしているぐらいだから、住人は避難済みなのか。それにしても、偵察の兵さえいないというのはどういうことだ?
路地から大通りに出ても、更に路地を経由して街の中心部に近づいても、人の気配が全く感じられない。時折足音が聞こえたりはするものの、遠くでパタパタと鳴るぐらいなもので、肝心の人の姿が見られない。
「……?」
日当たりのいいオープンテラスのカフェが目に止まり、近づいてみる。ほとんどのテーブルに、食べかけの料理が出ていた。つい数分前まで、人々が食事を楽しんでいたのだろう。
「……まさか」
街が静まり返っているのはなぜ。兵士が少ないのはなぜ。
避難したようには見えない。自主的な避難だったら、ふつう、全員が揃っていなくなることはないからだ。まごつく人間も、避難を嫌がる人間もいる。
「どうして……」
理由など思いつかない。ルカたちがここに至るまでの間に、例えばルシ逃亡の報が出てみんな家に引きこもっているとか?……いや、それなら、家々から人の声が聞こえてくるはずだ。街が静まり返っている理由にならない。
だとするならば。ルカは考える。住人がごっそり消える現象は心当たりがあるが、「いやでも、まさかな」、昨日の今日でそんなバカなことありえんだろ、「まさかまさか」パージなんてな。
「……」
ルカは足を止め、暫時沈黙した。考えうる限りの最悪は必ず起こる。最悪の出目は一回目にこそ訪れる。それが現実っていうものだ。万が一を思うなら、ルカに確かめる術はたった一つだけ。
ルカはすぐさま大通りに向けて歩を進める。新しい弾道ナイフを袖に仕込み直しながら、ルカは広い道へと飛び出した。
「クソッ……!」
通りかかる店を覗き込み、耳を澄ませ、人の気配を探す。……誰もいない。違和感は補強されるばかりだ。これは確定と見ていいだろう……。
不意に、空を飛び回る球体のドローンカメラがルカを見咎め、ふよふよ飛んで迫ってくる。ルカの顔を映そうとしているそのドローンに向けて、ルカは右手で銃の形を作り、二回、撃つ素振りを見せた。ダブルタップ、意味は“確実に仕留める”。
バタバタとやかましい足音が、揃いもせず響いた。ルカの正面と背後に展開する兵。陣形もなにもないその揃い踏みに、ルカは短いため息を吐く。
「未完の兵だな。整わない軍隊に、なんの矜持があるのかねえ……」
「ルカ・カサブランカだな! 貴様にはパージ妨害、兵の殺害容疑が掛けられている! 武器を捨て投降せよ!!」
「……」
ルカはほんの僅かな、二度か三度かの瞬きの間、一歩進み出て居丈高に告げた兵を見つめていたが、ふっと笑い、「誰に行けと言われたの?」と聞いた。
「なに……?」
「ヤーグかな、ジルかな。他の将校なのかな。一体誰が、“死地に送る”とわかっていて、私の捕縛命令なんてものを出したのかな?」
「何を言っている貴様、こちらは二個小隊で出動しているのだぞ? 一人の造反者を捕らえるくらい、造作もない……」
「別にいんだけどさー、誰が誰に利用されようとさあ。私にはホラ、関係ないし。でもねえ、決死の覚悟を決めるべきときに促さないのは不誠実だなと、そう思っているんだよ」
ルカはくすくす笑って言う。「それで、誰に死ねと言われているの?」この兵は投降を求めるなんてことを初手でやってしまっている。ルカには全く、恐るべきところのない者たちだ。勝利するつもりがあるのなら、話しかけるのではなく、ただ銃を向け撃つべきだったのだ。それならルカだって、初撃の制圧射撃で一撃は食らう羽目になったろう。
ルカは他の将校たち同様、PSICOMにて様々な役職を兼任していた。主には第七作戦室と第九作戦室の室長を務めていたが、ビルジの湖で遭遇した兵と話していたように、実戦部隊第四軍第二連隊の指揮官でもあった。戦時でもなかったので、各指揮官の最も重要な役割は、兵の能力を正確に判断し的確な配属をある程度のクオリティで保つことであった。少なくともルカはそう考えていたし、だからこそ第二連隊の戦闘力は第四まである連隊の中でも抜きん出ていたものと、そう思っている。部隊長それぞれが有能であったことは、言うまでもないことだが。
別に直接鍛えたわけではないけれど、PSICOMの歩兵部隊の実力の最大値をルカは正確に認識している。この兵たちが第二連隊の所属だろうがそうでなかろうが、二個小隊程度でルカに敵うわけがない。
ルカと戦うのなら、最低でも兵器を持ってくるべきであった。
「……とはいえ。次はそうなるんだろうがなあ」
「何を言っている……?」
「人数を数える癖はないんだが、数えるべきだったかも。撃墜王とか呼ばれたかったかもしれない。飛空艇には乗らんから撃墜王じゃないか……その場合、どうなるんだろうな?」
適当なことをぶつぶつ呟くルカに、兵は痺れを切らして近づいた。ルカを捕らえるべく手を伸ばした、その手をルカは引っ掴む。
掴んで回して引き寄せて、反対側の手で銃を奪って膝裏を撃つ。「グギャッ!!?」後ろ手に縛り上げるようにして手を掴み、首に腕を回し引きずる。
「隊長ッ!!?」
「ハッハッハッハッハァ、お前らの隊長は預かった」
ルカは笑いながら、後ずさる。この隊長の命が惜しかったら見逃すことだ、なんて言いながら。
もちろん目的はそんなところにはない。ただ、定石を踏むために必要だっただけだ。単身で挟撃されたのなら、前線を下げ、包囲網を突破する。ごく当たり前のことだ。
PSICOM兵とて、それすらわからないほど愚かなわけでもない。だから必要だったのだ、なにかしらの目くらましが。人質を取って逃亡する犯人にはどう対処すべきか、なんてことを座学でばかり叩き込まれていて、咄嗟の対応ができないことを見越した上で。
「なーんちゃって」
誰が逃げるか、馬鹿め。
包囲を出た瞬間、べろりと舌を出し、ルカは隊長の首根っこをひっつかみ、前方で銃を構えたものか迷っている兵たち目掛けてぶん投げた。戸惑いに上がる悲鳴、ルカは続けざまに転送装置から銃剣を引き抜き、駆けた。
奇襲のチャンスというものはそう長くない。だからせいぜい、有効に使う。
ぐるりと回りながらの一閃は遠心力が載って深々と放たれた。ルカの投げた隊長に驚きなんの防御姿勢も取れなかった者たちはいとも簡単に屠られる。全員の動きは常に把握できている、ルカは後ろにも目がある。どこかで積んだ経験の為せる技。
殴って、斬って、蹴って、潰した。時間にして五分もかからなかったろう。ルカが手を止めた頃、そこには大量の血溜まりと、二個小隊ぶんの死体と、無傷のルカだけがあった。少し乱れた呼吸を取り戻すべく、深く酸素を吸う。人数が多いから大変だった。雑草を抜くのとと同じ理屈でしかない。
また、あのカメラがじっと、高いところからルカを見ている。ルカはにたりと笑い、もう一度右手をそちらに向ける。ただし、今度はきちんと銃があった。兵が持っていたものを拾い上げたのだ。
「バァーン。また後でね、ヤーグ」
フルオートのため、撃ち抜いた初弾に続いていくらか放たれた銃弾が、空に消える。
なぜヤーグだと思ったかといえば、まあ、消去法である。
単純に、ルカが躊躇いなく好き放題殺人をすると想定できる者とできない者がいて、ヤーグはできない者だからだ。ジルならばそれがわかっているから、最初から兵だけで送り込んだり、投降を求めたりはしない。どうしてもルカに投降させたければ自分で来るしかないことを知っているはずだ。
ルカはジルの前で、人を殺したことがある。
「……さて。これだけ大々的に騒いでしまったからな」
せいぜい目立つとしようか。ルカは街の中央部を目指し、無人の大通りを歩き始めた。
「各部隊に通達。本作戦の指揮を執るロッシュだ。今や、コクーン全体が下界の影に怯えている。これ以上ルシの暗躍を許せば、破滅的な混乱が生じるだろう。我々聖府軍が命をかけて守ってきた、コクーンの平和と安定が崩壊するのだ。下界のルシは、人々を脅かす敵である。確実に抹殺せよ。いかなる犠牲を払っても構わん。……以上だ」
そう言い切って無線を切り、そして一言、誰にも聞こえないような声で呟いてから、ロッシュは顔を上げた。先程、ガプラ樹林にて不審者が立て続けに出て、管理していたモンスターが虐殺されたとの通報があった。間違いなく、ルシが関わっているはずだ。それならパルムポルムへ舵をきった可能性が高い。……この街は、エデンに次いで人口が高いのだ。急いで事態の収拾を図る必要があった。
市民か、友人か。己はそれを天秤にかけ、心の望まないその決議に従った。これからも従い続ける筈だった。それが早くも揺らいでいる。我ながら情けない、と溜め息を吐き出した。
その点、もう一人の同期は強い。一切迷いが無い。それは一つの強さの完成形であると、尊敬している。しているが……。
「正しかったのだろうか……」
今更も今更で、ジルどころかあいつまで怒らせそうな気がするけれども。考えてはならないと自分でも思うような愚問が頭に浮かぶのだ。
視界の端に、彼女の髪がちらついて眩暈を覚え、振り払うように眉間を押さえる。こんなことでは……。ロッシュは軍刀の柄に手をかけ、目を瞑り、迷いを振り切るように軽くかぶりを振った。次に目を開けた時には、もうその双眸に迷いは残っていなかった。
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