「パイロットがいてくれて助かったよ、飛空艇の運転得意じゃないからさ」
「そもそもできるのかよ?」
「PSICOMで昇進するにはライセンス取らなきゃ駄目なんだなー、将校クラスは基本乗れるよ。研究員として士官してるとかじゃない限りね。パイロットが名乗れるような腕のあるやつは、まあ特殊だけど」
「さっすが、エリート様だ」

 サッズが皮肉げに言うので、ルカはごまかすように肩を竦め、「器用貧乏だがね」と謙遜してみた。実際、専門として戦う下士官より上手いわけではない。

「よし、出発するぞーシートベルトしたかー?」
「いいからさっさと出せ」
「うおッ、はいはいわかったって……」

 陽気な声を出すサッズに苛立ってか、ライトニングが操縦席を後ろから蹴り飛ばしたので、サッズがアクセルレバーを引く。艇は素早く浮き上がり、上方に頭を傾けたが、その瞬間だった。

「うぐッ!?」

 突然艇ががくんと揺れ、体が前のめりになった。艇は突如として加速し、轟音とともに一直線に上昇していく。前に滑った体が逆向きに引き寄せられ、ルカは既のところで先程まで座っていたシートを掴んで後尾に叩きつけられずに済んだ。

「おいおいおいッ!! どういうことだ、何だこのスピードはああッ!!」
「だあああアクセルを全力で! 引くんじゃ! ないいいい!」

 初速とはいえ、軍用飛空艇が全速力で飛べば慣れていない人間には命取りのGがかかる。速度はゆっくり緩んでいったが、視界の端でホープがおそらく頭痛で目を強く閉じ身を固くするのを見つける。まずい、そう思ってヴァニラに回復魔法を頼んだ。ヴァニラもかなり辛いようであったが、自身とホープに何度もケアルを重ねがけし、ホープはそれで一息つけたようだった。

 ルカも久々の飛空艇酔いを感じて少しくらくらしていたが、この中でもおそらくサッズの次くらいには乗りなれているのですぐに復活すると、よろよろ副操縦席に向かってそこに座った。

「やっぱり私も手伝うですぅ……」
「ったく、あんなに違うんなら最初っから手伝ってくれよ」
「いやあ、実際私がやるよりは操縦は上手だよ。私は同乗者を漏れなく吐かせるからね。それにまさかそこまで旅客艇と違うと思わなかったんだって……旅客艇はアクセル全開にするんだ」
「飛び立つ瞬間だけな。それでも大した速度にはならねえが、いやはや、とんでもねえじゃじゃ馬だ」

 ハングドエッジ上空へ飛び出した艇の飛行が安定すると、ルカは副操縦席から手を伸ばし、天井の突起に捕まりながら手早くいくつかのボタンやレバーを弄った。
 ハングドエッジ周辺は特に警戒されているとみて、チャフを展開するためだ。チャフの持続時間はおそらく数十分に過ぎないが、数十分でも西に向かって飛べば、この艇ならば十分レーダーの索敵範囲を出るだろう。

「空路を押さえる可能性は低かっただろうから、陸を行くよりずっと安心だろうけど、念の為隠れよう。レーダーは使わないでおくよ、探知されるかもしれないからね」
「デコイもあるのか」
「ここのボタン押してこっち押すと出る」
「機銃は?」
「ここのレバー引くとダダダダッ、てなる」

 後ろから顔を出したライトニングとサッズに説明していると、不意にエンジン音に異音が混じった。別のエンジン音がいくつも重なっているように聞こえる。

「おい、何か聞こえる……ッ囲まれてるぞ!!」

 ライトニングの焦ったその声にハッとしてルカは前方の窓を見る。外は大分暗かったが、だからこそ同等のスピードで流れる光が上方の空によく見えた。上から砲撃されている!ルカは一瞬目を閉じてその音を聞き必死に数えた。

「見つけんの早すぎ……! 五、いや六機はいる!! チャフ無意味かッ!?」
「こん畜生ッ!!」

 サッズが振り払おうとハンドルを切るが、やはりまだ慣れていないのか横揺れが大きい。ヴァニラが悲鳴を上げるのが聞こえる。ルカは咄嗟にデコイを放ち、撹乱を試みる。いくつかのエンジンが遠ざかったような気がしたが、それでも追尾は続いている。

「よこせッ」

 その間にライトニングが後ろから操縦席に腕を伸ばし、機銃の引き金を引いた。足元から断続的な振動が伝わる。おそらく飛空艇を打ち落としたのだろう、後方から破裂音が響いた。

「やっつけた!?」
「たったの一機だ……!」
「まだ来るよっ!」

 ホープが窓枠に掴まりながら叫んだが、大きく機体が揺れたために、椅子から飛び落ちそうになる。ライトニングがついでとばかりに操縦も握った結果、揺れが更にひどくなっているのだ。

「ああっもう見てらんねえッ!」

 サッズがライトニングから操縦を奪い返し、二、三度横に大きく揺れた後、なんとか機体は安定する。そのまま機体は大きく旋回し、岩陰に突っ込んでいく。岩壁すれすれを通り抜けようとするが、後ろのエンジン音は小さくはなっても鳴り止みはしない。まだついてきている、ルカはそう短く叫んだ。

「どう逃げるんですかッ!?」
「知らねえよ!」
「なら代われ!」
「余計危ねえ!!」
「サッズに賛成!! サッズ、もう一回全速力で飛んで、後ろの岩を撃って崩す!」
「俺らも危険だろうが!?」
「このままじゃどのみち危ないでしょうが! 早くして!!」

 ルカが叫ぶと、彼もなるようになれと叫びながら、アクセルレバーを強く引いた。ルカは機銃を左右に向け、視界を過ぎ去る岩壁に銃撃を浴びせる。岩の崩れる轟音がいくつも鳴り響いて、どうやらうまいこといったようだ。轟音の中、背後のエンジン音は止んでいるようだった。

「やったあ!」
「撒いたかッ!?」
「うん、後ろはもう諦めたみたい!」

 諦めたっていうか、死んだんだろうけどな。ルカはほっと短い息を吐いた。艇は少しでも狂うと命取りだ、速度を保つために薄く設えられた装甲は命を預けるには頼りなさすぎる。

「……おいおい……ッやっぱり奴さんだけじゃ済まねえみてえだぞ……ッ!!」

 え、と返す前に、軍用艇はもう一度速度を上げた。岩の崩れる音が上から後ろから迫ってくる。岩が降ってきている!

「このままじゃあ生き埋めだあああああー!!」
「そんなッ……!!」
「急げ、早く!!」

 圧力で再度副操縦席に押さえつけられながらも、ルカはなんとか立ち上がる。骨の軋む音にぞっとした。そのまま一瞬で最後尾に叩きつけられるが、受身を取り、重力と圧力で逆に体勢を保った。そして目の前にあるレバーを掴み、引きずり降ろす。その瞬間、何かしらが機体に激突したようで、ぐらりと揺らめいたが、ほぼ同時に速度が増し、転げるのを防いでくれる。

「サッズ、スピード増した!?」
「おおッ、なんだこれ!?なんかしたのか!?」
「後ろの安全装置切った!」
「うお、なんだこりゃ……ッ」
「ぶつけるなよ、前だけ見てろ!」

 後ろを振り返ろうとしたサッズをライトニングが押さえつける。ただでさえ高Gの軍用艇の速度を限界まで上げるなんてのは諸刃の剣で、パイロットの腕如何によっては間違いなく全員が死ぬ。
 お願いだから、ちゃんと前見といてくれ。ルカはとうとう自分にも訪れた頭痛に吐き気を覚えながらそう願った。骨がぎしぎし言っている。内臓が圧迫されていた。

「け、渓谷を抜けるぞおおぉぉぉ……ッ!!」

 突如光が差し、ルカは目を開いて前を見た。朝焼けにも似たそれは刺さるようにルカたちを照らす。崩れた岩間を抜けたことで速度が緩む。めまいと吐き気が、平たく潰れた内臓がもとに戻るのと同時にやってきた。
 ほとんどGのかからないところまで速度が戻り、震える足が崩れ、床に落ちた。力の抜けた膝を奮い立たせ、ふらふら歩いて副操縦席に倒れ込む。埋まるような疲労感。ほんの数分の出来事で。

「つっかれたあー……」
「俺が一番疲れたよ……」
「全く……二度とごめんだぞ……」
「まあでも、なんとか助かったし!」
「そうですね、これでとりあえずは逃げられますし……」

 ヴァニラがポジティブに言うので、皆少し表情が緩む。彼女がいなければどこかで心が折れていたかもなと思うくらい、周囲に気を配る明るい良い子だ。ルカはほっと息を吐いた。

「さて、じゃあ教えてくれ大佐どの、他のボタンは何に使うんだ?」
「階級で呼ぶのやめてくださいってば。ええと、これが無線だから絶対触らないでね、周辺の艇に聞こえてしまうから」
「まじかよ気をつけねえと……」
「これは近隣カメラとの同期、これはラジオで、こっちはテレビだよ。聖府の公共放送しか入らないけどね」
「PSICOM兵はパトロール中にテレビ見てるのか」
「そんな顔しないでくださいよライトニングちゃん、彼ら暇なんですエデンは治安がいいので」
「次ちゃんづけしたら殴る」
「こわっ、スノウくんすら浮かすパンチはこわい」

『――続いて、パージに関する情報です……』

 サッズがテレビのスイッチを押すと、各座席についたモニターが開き、見慣れたキャスターが手元の原稿を読み上げる姿が映し出された。

「速報だね」

『聖府の発表によりますと、先ほどパージが完了し、コクーンを旅立った市民は全て、無事に下界へ到着したとのことです』

「……大嘘ですね」
「うーん、ここまではっきりした嘘吐くのは稀だねえ、……でもどうするんだろうね?」
「何がですか?」
「ボーダムにいた人間は出身問わずパージするなんてさ。あのときボーダムにいなかった市民や、家族が旅行中で巻き込まれたって人は、黙らないでしょ? 家族を返せー、って抗議しそうなものじゃない?もしそうなったらどうする気なんだろ……」

 確かに、と皆黙り込む。今回の件に納得がいかないのは直截の被害者たちだけではないだろう。

「……そういう人たちも殺す、なんてことになったら、どんどん人口も減るだろうし。繰り返せば、理論上はいずれコクーンの全人口を滅ぼすんじゃないの? いったい何を考えてんだか……」

 もっと根本の話をするなら、パージの目的がわからないのだ。そもそも、下界のものに触れ、悪影響を受けた者たちを下界へ移住させる、というのが、理屈が通らない。ならばコクーンのファルシが定期的に下界から資材にするべく異跡やら何やら運び込んでいるのは何なのだ? 今回の騒動の発端の異跡もまた、そうしてやってきたものだ。悪影響を受けるというなら、なぜそのようなものをコクーンに招き入れる。

「こういうのなんて言うんだっけ……。あ、代表」

 サッズがチャンネルを変えたらしく、画面に一人の老人が映った。彼は沈痛な面持ちで、インタビューする記者に頷いている。

『……ええ、おっしゃる通りです。パージ政策は、大きな痛みを伴うことは否定できません。しかし、数千万のコクーン市民を守るためには、止むを得ない状況でした』
「うわあ、見たこと無い顔して嘘喋ってる。善人ぶってる」
「嫌な奴、なんですか?」
「嫌な奴っていうか……ファルシ=エデンの命令を翻訳するだけの爺さん。何かを喜んだり、悲しんだり、怒ったりとかがない。いつもすげー淡々としてる」
「不気味だな」

 ホープはパージの行く末に興味があるのか、先程からルカの独り言めいた発言に疑問をぶつけてくる。ルカもそれにいちいち答えながら、彼のことを少し考えた。この年齢の少年なら、家族がいるはずだ。いないとしても施設の職員か、誰か保護者がいるはずだ。利発そうで順応力も高い、友人だってきっと多い。
 でも彼は一度も、誰かを心配するようなことを言っていない。それはつまり、その必要がないということだ。ルカは内心唸り、ダイスリーの顔に引き金の形にした人差し指を向けた。心から死を願う程度では、彼らの痛みに足るはずもないが。

「さっきから聞いてりゃ、聖府に都合の悪い話は、全部隠してやがるな」
「……あのさ。誰、これ?」

 ずっと黙っていたヴァニラが問い、その言葉にサッズが深い溜息を吐き出した。ルカはそれに反応を返さない。ルカの理解の通りならば、彼女がダイスリーを知らないのは当然のことだ。

「最近のガキときたら……。ガレンス・ダイスリー。聖府の代表、人殺しの親玉だ」
「こいつも、ファルシの道具だな」
「そうだね、代表はファルシに右倣えだよ。まあでも聖府なんてほぼ全員そうだけど……」
「あなたも、そうなんですか?」

 切り込んでくるな。
 ホープはとうとう、ルカに問うた。ルカは振り返らぬまま、少し考えた。

「私は、ファルシが嫌いだからなあ……」
「それは、……どうして?」
「ううん、色々とね。昔から嫌いなの。ま、気にしないで」

 ルカがそう言って笑ったときだ。突如、機内に大きく警報が響く。何かが接近しているらしい。明らかに敵機だ。

「暇な奴らだ!」
「遮蔽物が雲しかない、撒ける!?」

 ルカがサッズに叫ぶようにそう問うた時、前方に白く白く発光する巨大なそれを見つけた。ファルシ=フェニックス。こんな間近で見ることがあるとは思わなかったため、ルカでさえそちらに視線を取られてしまう。それはコクーン全土を照らすほどの光源であり、間近で見ると目が眩む。これ以上近づくと失明の危険すらある、ルカは口早に警告する。と同時、被弾の揺れと轟音がルカたちを襲った。飛び上がるほどのひどい揺れでシートベルトに締め上げられ、苦しさに一瞬呼吸が止まる。

「全速力出して!」
「……ッ!! ファルシだ! あいつを利用しろ!!」

 機銃に手をかけ叫ぶルカの背後でライトニングが言い、サッズが操縦レバーを思いっきり引いた。ファルシ=フェニックスは発光し熱を持つ球体を半分に切ったような体の周囲に、同じように熱を持つ薄いヴェールが何枚もゆったりと巻き付いているような外見をしている。そのヴェールは水の中に垂らしたインクのようにうねうねと揺蕩っており、地上から見ると光が幻想的にゆらゆら揺れる理由になっていた。見るだけならば美しいが、先述の通りヴェール一枚一枚が高温を放っており、近づくだけで危険だ。実際、早くも機内の温度が上がってきているようだし、エンジンがオーバーヒートしかねない。
 サッズの腕がいいのでうまいこと避けてはいるが、背後で爆発音が響いている。敵機が巻き込まれたようだ。

「ファルシ様々だ!」
「いや巻き込まれたら即死だからね!? 全力で避けて、多めに避けてぇ!」
「まだいる!」

 爆発音が止んだ後も、敵機のエンジン音はまだ聞こえている。ヴァニラがそれに気付いて叫ぶ。その瞬間、機体はこれまで以上に大きく揺れた。もはや揺れというレベルではない。機体はおそらく敵機の体当たりを受けていた。
 ルカは己の体が滑り、シートベルトから抜けるのを感じた。とっさにできたのは体を丸めることだけだ。
 鼓膜を突き破るような轟音、それがルカが気絶する前に聞いた最後のものだった。



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