戦略運用管理室が二年前に肝煎りで作成したのが対戦闘機特化重攻撃機械兵器Mana-5vins、通称マナスヴィンである。
 名の通り、下界よりいずれ飛来するであろう敵の戦闘機に対抗するべく作成されたものであり、粒子を内部構造内で圧縮し加速、射出口を開くことで発射される波動砲は、PSICOMでも最も高性能な戦闘機さえ撃ち落とすことができる。ただ一方で大きな、それはそれは大きな弱点も抱えている。弾丸が実弾ではなく、次弾装填に三十秒以上の時間がかかるため、高速度を保つ戦闘機の群に対しては有効打になり得ないのである。つまり全く無用の長物、完成と同時にPSICOMでも扱いに困る兵器になった。それを聞いたとき、「どうして立案の段階で止まらなかったんだろう」とルカは思ったが、こんな嘘のような本当のことが割合よくよくまかり通るのが軍であるので。
 さて、つまりは対人には火力が高すぎ、対戦闘機には速度と弾数の問題で弱点を晒す、それがマナスヴィンだ。これが高いパフォーマンスを維持できる環境は限られてくる。敵が歩兵では対応しきれない高火力あるいは高防御力の歩兵であるか、戦闘機一機のみである場合だ。

「つまり今だ、ああもう!」
「突然なんだ!」
「相性が最悪だっ、クソ!」

 波動砲を撃たれれば、ただの人間であるこちらに耐える術はないはずだ。ライトニングに叫び声で答えながら、ルカはわずかに震える手で小銃を握り直した。
 どうする。管轄違いの兵器では緊急停止コードも思い出せない。焦るけれど、そんなルカをスノウが庇う。
 かと思ったら。

「うぉらッ!!」

 スノウがその長い脚で一歩深く踏み込み、勢いよく右フックを叩き込んだのだ。そんなのだめだ、意味などあるわけがない、どれだけ分厚い装甲だと思っているのだとルカが止めようと手を伸ばすが、その視線の先で、マナスヴィンがわずかに浮き上がった。ドゴッ、という鈍い音と共に体を浮かせたマナスヴィンは突き飛ばされ、地面を引っかきながら後退する。装甲が歪んでいるのが屈折でわかった。

「俺が、全部守る!!」

 ぶわ、と、青いオーラが彼を包むのが見えた。幻覚かと思わず目を何度も瞬かせたが、それはまだそこにあった。
 これが魔力なのだ。ルカは理解した。ルシの魔力なのだ。ルシに与えられる魔力が、彼から剛力を引き出した。

 マナスヴィンもやられっぱなしでいるわけがない。すぐさま反撃の命令信号が発される。彼が続けざまに放つ左の拳に、鋭い前腕をカウンターでぶち当てる。立ち尽くすばかりのルカの口の中で悲鳴が上がったが、またも信じられないことは起きた。スノウの拳を起点として、まるで盾のような半透明の光が円盤状に開き、マナスヴィンの前腕が弾かれたのである。
 そんな馬鹿な、戸惑うルカの横を滑るようにライトニングが、続けてヴァニラが駆けていく。ライトニングが飛び上がってマナスヴィンに斬りかかり、ほぼ同時にヴァニラの放った炎球が機体のヘッド部分にある認識デバイスを破壊した。周囲を確認するための目を奪われ、マナスヴィンはバグを起こして動きを止めてしまう。ライトニングは止まらない、むしろ好機と何度も切りつけ、首を胴体から切り落とそうとしているようだ。

 だが、マナスヴィンは今度こそ、一度限りであっても反撃すべしと、その体を縮こませるようにして固まった。波動砲の射出口のある腹部を抱えるようにして。
 まずい、始まった。ルカは叫ぶ。「攻撃をやめて!! 危ない!!」波動砲を放とうとしているのなら、その内部にある循環器の中を粒子が圧縮され高速で回りだしたと、そういうことだ。もし不用意にその循環器に穴でも開けてしまったら、マナスヴィンは波動砲の威力を持つ爆発を起こすことになる。「爆発するよ!!」
 ルカの声が届いたようで、ヴァニラとライトニングが退く。

「爆発だと!? どうしたらいい!」
「わっかんないよ、ともかく退くしか」
「でも追ってくるでしょ!?」
「ああ、くそ、発射される……! バラけて! せめて被害を最小限に……!」

 ルカが叫ぶ声を聞いてライトニングもヴァニラも、背後にいたホープやサッズも従った。ただし唯一、スノウだけが動かなかった。

「俺を見ろ……俺を狙え! 俺はここだぞ!!」
「何してんのスノウくん……! 早く、早く逃げて!」

 目は潰しても、耳はいくつもある。索敵のため、様々な方向へ向けた集音装置がついているのだ。誰がどこに立っているかぐらい、目がなくてもマナスヴィンは正確に把握できている。

「言ったろ、俺が、全部守るんだ!!」

 射出口から鈍い金属音に近い音がする。ルカが目を見開く、その正面で、波動砲が発射される。息を呑む間すらないその一瞬、ルカはただ単純に確定の死を覚悟した。目を瞑る暇すらなかった。
 けれど、気がついたときには、つまりその一瞬が終わったときには、まだ生きていると知った。

「え……?」

 呆然とするその目の前。スノウが顔の前で構えた両腕に、波動砲が弾かれる。波動砲は勢いを僅かに失いながら、斜め上方向へ逸れて突き進み、遠くの天井、つまりはハングドエッジの床に当たる部分を撃ち抜いた。がらがらと瓦礫が遠くで降る。
 まだ戸惑い棒立ちになっているルカの目の前で、ライトニングが閃光の如く駆けた。

「はああああッ!!」

 重傷を受けた身で波動砲を撃ったマナスヴィンは、熱暴走でも起こしているのか避けることもできない。ライトニングの鋭い一撃が、装甲が歪んでできた隙間に突き刺さる。青い電磁波がビリビリと空気に溶けた。
 マナスヴィンはジジジジ、という音と共に動かなくなる。

「……はは、こりゃ」

 ルカは乾いた笑い声を立てる。ほんの数分前、ルカを恐怖させた兵器は、その数分であっさり沈黙させられてしまった。

「PSICOM最強の名が、引きつけ起こして泣くわ……」

 対人戦ならば一日の長もあるだろうが、兵器相手ではこんなものか。まさかルシが、波動砲を防ぐほどに強固な魔法を使えるようになるとは。

「大丈夫か、ルカ」
「……こういう兵器を作るのに、予算の大部分が割かれていて、いつも私達は不満に思ってた。いつ来るかもわからないのに、過剰戦力を抱える意味がわからなくて。でも、過剰じゃなかったんだな。ルシ相手だと、これでも勝負にならないとはね」
「……早く、行くぞ」

 ライトニングが、ブレイズエッジを鞘へと収め立ち去ろうとする。だが、当然ながらスノウが割り込むようにして立ち塞がった。

「待ってくれ! まだ、セラが……!」
「気持ちはわかるがよ。この調子じゃ、何時間掛かっても掘り出せねえぞ? 軍隊も来るだろうし、今は逃げてようや」
「嫁さん残して、一人だけで生き延びたって……」

 吐き捨てるようにスノウが悔しげに呟き、ライトニングがその顔をちらと見る。

「使命はどうした」

 避けるようにスノウの横を通り過ぎたライトニングが、小さく、でも鋭い声で問うた。

「“俺たちは世界を守るルシだから、使命を果たす”。自分で言って忘れたのか。もう投げ出して、ここで死ぬのか。おまえは……口先だけなんだ」

 ライトニングの意趣返しは端的だった。ルカが言い募った言葉より短く、そして、怒りを孕んでいる。
 この二人は立場が全く同じだ。セラを助けるためだけにパージを逃れ、異跡へと入り込み、ファルシにまで打ち克った。すでに、これまでの人生をすべて犠牲にしている。戦わなくてもパージで殺されていた可能性が高いことを思えば、それも大したことではないような気がしてくるが、違う。特にライトニングは、軍人だった。軍人は、警備軍であってもパージの免除対象になるはずだった。これまでと同じ軍人としての人生は、選ぼうと思えば選べたはずだ。

 歩き去ろうとするライトニングの背中に向けて、ひとつの咆哮が上がる。

「俺はッ!! ……絶対に、あきらめない。使命も果たすし、セラも守る。……約束する」

 その言葉に、ライトニングは一瞬だけとはいえ足を止め、一言、「守ってみせろ」と言った。そして僅かに早足で、もう止まることもなく先へ向かう。

 ふむ。ルカは嘆息した。自分たちを分断するべきじゃないとルカは思う。六人居れば耐えられることも、一人ではどうにもならないだろうからだ。それでも、子供が二人もいる以上、彼が残るのならばルカは彼を負いていくしかない。内心でそう諦めを決めながらも、これじゃ年下の青年を虐めただけじゃないかと呆れる心もあった。
 それは嫌だな。なんとなく思った。この青年が、誰かを彷彿とさせるからかもしれないし、そうでないかもしれない。

 ともかく、ルカはセラ採掘をひとり再開する彼に向き直った。相変わらず、廃材でなんとかしようとしているようだ。

「クリスタルは石英。硬度は7。金属じゃ壊せないよ」
「硬度? ……悪ぃ、俺バカだからそういうのわかんねーんだ」
「残念ながら、否定はできないな」

 ルカは苦笑交じりにため息吐いて、彼に銃を差し出した。

「え?」
「銃なら削れるでしょう。危ないけど、その方が早い」
「でも、銃が無かったらアンタは……」
「大丈夫よ、ライトニングたちがいるし。兵士くらいなら丸腰でもやれるし」

 ルカはそう言って踵を返した。そして、んじゃね、と手を振り彼の傍を離れる。サンキュ、という声が後ろから聞こえた。彼は生き延びる、そんな気がする。だから大丈夫だ。きっと。
 そう自分に言い聞かせながら、眼下に広がるクリスタルの中へ、ルカはライトニングたちを追った。



 高い天井の先に、ゲートが見える。その先には遺跡群も少し。あそこを通れば、ハングドエッジから出られるだろうか。出たところで、さてどこまで逃げることができるかはわからないが。
 たどり着いた軍の補給地。ここで飛空艇を探し、脱出する。それが、道すがら立てた、精一杯の計画だった。

「はあー、お姉さん運動不足……歩き疲れたなー、足痛ーい」
「さっきあれほど暴れまわっていた人間の台詞かよ。補給地はもうすぐなんだろ?」
「ああ、もうじき見える」

 溜め息をつくサッズだけでなくライトも呆れたような様子を見せていたが、エデンにいる政府高官や軍高官の多忙っぷりと、それに伴う運動不足を舐めてはいけない。可能な限り、いつでも戦えるようジム通いのようなことはそれでも多少はしていたが、ルームランナーを走るのとでこぼこした岩場を歩くのでは話が違うだろ。
 と、一足先を警戒心もなく歩いていたヴァニラが、わっと小さな歓声を上げた。

「すごーい! ねえねえ、良い眺めだよー!」

 あまりにも嬉しそうに言うので、なんだか毒気が抜かれたような気になりながら、ルカも彼女に続いて、切り立った崖の淵で下を眺める。崖を少しずつ降りれば、軍の補給基地より先の、異跡へ入る道に繋がっているようだ。基地はビルジ湖の探索のための詰め所になっているだろうから、偵察もなしに突入するのは避けたいので、助かる。遠くを見れば、赤と橙色を混ぜたような色の推奨も見える。あれは、炎だろうか? 異跡の篝火かなにかだろうか。
 炎という物質的な質量を持たない現象でさえ、水晶へと変えてしまったファルシの術に感心しながら、視線をすっと異跡の内部へと逸らしたときだった。おそらくは元は異跡の中でも入り口の大ホールだったろう、遠目にはよくわからないものの細かい意匠の入った柱や壁が特徴的な、なにがしかの権威を主張するかのようなその広い空間の真ん中、小高い砂の上に。
 黒いなにかが、突き刺さっていた。

「あ……ッ」

 己の声が口の中でぼんやり飽和するのを聞いた。どうした、と後ろでライトニングが問う。さっと振り返ったが、うまくその顔に焦点をあわせることができないまま、説明もできずに、「ごめんちょっと先行くわ、」それだけ言って崖を降りる道を飛び降りた。
 崖は側面こそ切り立っていたものの、少しずつ低くなっており、一メートルないしは二メートル程度の大きな段差がいくつも重なってできていた。登ることは大変に思えるが、降りるのは容易だ。

 あれは、まさか、そんな。引き結んだ口の中で、苛立ちの混ぜ込まれた疑問が、焦燥が翻る。
 下まで降りて、その小高い山に向けて走った。近づくにつれて、どうか、それがルカの見間違いに過ぎず、全く関係のない適当な木の棒が刺さっているだけでありますように。そういうことを期待したが、するだけ無駄だった。近づけば近づくほど、それは確信に近づいた。

 あと数メートル、というところで速度を緩める。ふらふらと近付きながら、息を整えた。
 黒い刀身、鈍い光、沿う銃身。紛れもなくその銃剣は、ルカのものであった。手を伸ばして、柄に触れると、革で覆われたグリップの、その奥の冷たい金属の温度がぞわりと背筋を凍えさせた気がした。

 これは間違いなく、ルカの武器だ。ルカが創らせ、手入れをしていた、いつか下界と戦争になる日が来たら命を預けるのだろうと思っていた武器だった。PSICOMでは将校は、皆そうする。自分の戦いやすい武器を用意し、必ず身に帯びている。それは戦争に向けた覚悟の証として受け入れられていた。
 でも、それがどうして、ここにあるのか。

「……墓の、つもりか?」

 小高い砂の山は、近くに来ると案外、硬さのある砂岩になっているようだった。これを墓と見立てるのは、なんとなくわかる大きさで、ルカが埋まっていると言われても納得できるくらいに盛り上がっている。 異跡にある墓。異跡に放り出したルカの、墓。

――「ろ、ロッシュ……中佐が、代わりに。大佐は事情があって退役したと……そう聞いて」

 第二連隊を率いて来たのが彼で。ここはその、基地の真裏で。ルカの最重要といってもいいような私物をこんなところに持ってこられるのは当然、その一人に限られる。

 口端がひくりと引きつって、ルカは戸惑った。泣いてはいけないとだけ思った。でも笑う方法がわからない。
 呆れと痛みが吐息になって、唇から漏れ出たときだ。前方で、何かが大きく羽を広げた。

「大佐!避けろ!!」

 ライトニングがそう叫んだ。ルカはぐっと、柄をきつく握りしめる。その心地いい手に馴染む固さが、ルカを現実へと引き戻した。

「私は、死んだのか」

 もう死んだ人間として、カテゴライズされてしまった。それは、実際に死ぬことと比べ、どうしてこんなにも重たいことか。
 それなら殺してくれればよかったじゃないかと思った。後生大事に、関係性なんてものを抱えたまま、死んでいったほうがどんなにか。

 絶望しているのだろうか。ルカは自問した。

「かもね。……ああ、重たいなぁ」

 終わってしまう。もういないものとして扱われる。その恐ろしさを的確に表現する言葉など思いつかなかった。
 足が震える。存在そのものが覚束ない感覚があった。自分が正しく二本の足で立っているのか確証が持てない。怖かった。今、隣にいてくれたらどんなにいいか。

 お前に言っているんだぞ。なあ。

「でも、いないから。もう誰もいないから……」

 私かお前たちか、いなくなったのはいったいどちらなんだ。
 少し寒い。ジャケットの裾がはためいていた。強い風が吹き付けている。
 ルカは銃剣を引き抜いた。黒い刀身に、光が反射してまぶしい。

 銃剣を構え、まっすぐ前を、敵を見詰める。敵はすでに、ルカを殺すべく腕を振り上げていた。ルカはその腕を見切り、即座にその兵器、爆撃機カルラの羽の根元に銃剣を突き刺す。ここは手を抜いては駄目だとそのまま上へと切り上げ、カルラの重量も利用して羽を断ち切る。片翼でも落ちれば浮遊できないカルラが地面に落ちた。ルカはそこを、強襲する。
 引き延ばせば、この兵器は電磁波を利用したバリアなど、近接攻撃を封じる手を打てるはずだ。それは許さない。

「オラッ、死ねオラ!」

 落ちたカルラのメインコンピューターのありそうな辺りを蹴りつけ、何度も切りつけ、あっさり破壊した。爆撃機なので、この兵器は直截の戦闘は得意ではない。遊撃手であることこそ、この兵器の利点なのだ。であれば、装甲は薄い。

「……はー、ったく、人がしんみりしてるところにさあ。お前らには情緒ってもんがないのか」

 青い電磁波をびりびり発生させながら、靴の下で壊れているカルラを見下ろして言う。自分でも何を言っているんだかという感じだが、怒り自体は真実だった。
 銃剣を腰のベルトにぶら下げた転送装置のひとつにつなげ、収納する。少なくともこれで、ルカは戦闘手段を得た。なけなしの墓標のことは考えず、前向きでいなければ。武器を手に入れた、その一側面だけを見れば、決して悪いことじゃない。
 何も悪いことは起きていない、はずだ。

 そう己に言い聞かせる間に、ライトニングたちが追いついた。見れば、彼女は眉根を寄せて少し怒っているような表情で、後ろに続く面々も心配そうな顔をしていた。

「いきなり飛び降りるな……!」
「ごめんね、武器を見つけて、つい」
「あれは、銃剣か?姉ちゃんのと似てるな」

 サッズの指摘を受け、ルカはうなずく。

「武器は開発段階で、私とか、武闘派の将校が試すんだよ。どういう敵に有効か、とかね。それで、有用と認めた武器は、改良したり廉価版にしたりしながら、戦闘スタイルが合致してて、かつ能力の高い下士官に優先的に支給してるわけね。ブレイズエッジもそのうちのひとつ。これは大本の第一モデルで、私はそれを気に入ってずっと使ってるの」
「だが、どうしてそれがこんなところに? 一般支給されているのか?」
「まっさかー、今や私専用装備ですから。誰かが、置きに来たみたいで」

 ルカの嘲るような言い方に、ライトニングはなにかに気付いたように顔を上げた。

「それは……」
「ま、この先どうせ会うことになるだろうから、そのときにこれでぶん殴ってやるし」

 やってやるし後ろの髪切り落としてやるしそんで笑ってやるし。踏みつけて笑ってやるし。そう言いながらルカが得意げに笑うと、サッズがまた溜め息をついた。

「全然ショックでもなんでもねーってか」
「そんな場合じゃないからねえ」

 泣いて叫べば解決するならそうするけれど、そうではないから、嘆くのはすべて後回しにする。まずは目の前の異跡に潜伏することを提案した。まだルシの存在は認識されていないだろうから、パージを逃れた人間がいたとして異跡に隠れているとは考えないのではないか、という期待込みの予想もあってだ。

「とりあえず補給基地の様子を観察してみないと、襲うにしてもね、失敗するわけにいかないし」

 異跡に入り、階段を登る。天井が崩れていて、空が見えていた。ハングドエッジの下層部分から出たのだろうか。

「だから、ここに隠れて……、」

 ルカはそれを見つけたせいで、ぽかんと口を開け、硬直してしまった。
 そこには、見慣れた軍用艇があった。「なん……で」PSICOMの市街パトロール用にも使用されている艇は、ぽつりと一艇だけ出口の方を向いて、そこに停まっていた。さっと視線を巡らせる、兵士の姿はない。ここに艇がある以上、そう遠くへ離れるはずがないのにだ。

「わあ……!これで逃げられる、よね?」

 ヴァニラがルカの隣を通り過ぎ、喜んで言った。ルカは戸惑い、曖昧に首を傾げた。
 飛空艇が一艇だけ置き去りにされているなんてことは、ありえないことだったからだ。

「壊れてるかもしれないだろ」
「大丈夫だよ、きっと!」
「壊れてないならおかしいんだけどねえー」

 サッズとヴァニラが軽口を叩き合うのを見ながらルカはそれに近付き、外郭をさっと見遣った。特に瑕疵は見当たらない。損傷のために捨てたということはないようだ。動力部も見てみないとはっきりしたことはわからないが、なにか異常がある機体なら正常に着陸できるわけがないので、それならやはり傷がないのはおかしい、そういう判断に基づいた推測である。
 軍では、飛空艇は陣形を組んで飛ぶ。最低でも二艇でのロッテだ。では、もう一機の相棒が壊れたから放置したとか?

「……いや、あり得ない。この厳戒態勢に、飛ばせる機体を飛ばさない理由はないし、異跡に置く理由はもっとない」
「あー、まあ気持ちはわかるが、進まなかったら死ぬしか無いんだろ。とりあえず中見てくっからよ。これでもパイロットのはしくれだ」
「私も見る。罠かもしれないし……いやでもこんな罠を仕掛ける理由もない……うぬん?」

 ルカはうなりながら、サッズに続いて艇の中を調べた。やはりというべきか、特に異常らしきものは見当たらなかった。それどころか。

「こっ……これ新品です……」
「マジかよ」
「一ヶ月前に導入した新機体です……こんなところに放置したら経理にボコボコのボコにされるはずなんだけどな?」
「よっしゃ、それじゃ動かしてみっか。これが動きゃあ、かなり長距離の移動ができんだろ」

 実際のところ、これは蜘蛛の糸にも等しい唯一の逃げ場だ。ハングドエッジに軍が全面展開していたというなら、二重包囲を形成していることは間違いないし、作戦開始から数時間、そろそろ“目処が立つ頃”だ。包囲作戦は狭窄段階に入り、内側の敵を殲滅する。ボーダム市民に知識と経験があれば、戦力を集約させ一点突破できるかもしれないが、期待薄だ。ならばそろそろ、同じ作戦を、ビルジ湖でも展開するのではないか。ルカが殺した部隊にはルカの存在を報告する暇はなかったが、それでも定期報告がなければ軍は動き始める。結局は、逃げるか殺し合うかの結末しか待っていない……。

「陸路で逃げる道はない。ならば、乗るしかないだろう」
「……そうだね。軍用艇だから、チャフもデコイも積んでるしな。運転は任せていいんだよねサッズ?」
「おう、軍用艇なんざ初めてだが、まあ勝手は同じだろ」
「どこに向かうんですか……?」

 ずっと静かにしていたホープくんがおずおずと、後部座席に座りながら問う。ルカはライトニング、サッズと顔を見合わせたが、特に決まっていなかった。

「こっちに軍が展開してるわけだから、コクーンの反対側は手薄なんじゃないかな。これからのことを落ち着いて考えるためにも、一旦ちゃんと隠れられるところがいいよね」
「反対側というとエデンなんだが」
「……。やっぱナシで。そうだノーチラス、ノーチラス行こ、楽しいよ」
「頭沸いてんのか?」

 コクーン唯一の巨大遊興施設を有す歓楽街の名前を出すと、サッズが真顔で聞いてくるのでルカはぐうッと唸って胸を押さえた。早くも理性を疑われている。

「違うって、まさかこの流れでノーチラス行くとはやつらも思わないよ、いや思うかもしれないけど、このストレスから逃れたいの私は! ジェットなコースターですべてを刹那的に忘れたいの!」
「頭沸いてんじゃねえか」
「無視しろ、いいからさっさと行くぞ」

 呆れ返った大人二人の視線は刺さる、しくしく。ルカは唇を窄めてむくれながら座席を選んで座った。ほどなくして、エンジンに点火した音がした。



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