She's just like the weather.
適当なタンクトップ、ジップパーカー、ショートパンツ。元々全部ロッカーに置きっぱなしの教科書はまあ、いいとして、代わりに着替えを詰めた。ヤーグと一緒にいるなら必要になるだろう。気がついたら一緒に走り込みしていそうだし。
スニーカーに足を突っ込んで、ルカは家を出た。まだ早朝で学生も外をうろついちゃいない時間だが、今日はそれより前に待ち合わせがある。ジルの家で朝食を食べて、その後ヤーグの車で学校に行くのである。
ルカは他の学生と違って車を持っていないので、普段は徒歩で学校に行くのだが、ヤーグがそれを知っていて、明日からは乗せていってやると言ってくれたのだ。
そういや私のプライベートなことなんで知ってんの、もしやルカちゃんのファンだったんですかーあ?
朝食の席でそう問うたら、それはもう、かわいそうなものを見るような目で、
「チアの天辺のルカは、チアのくせに車も持ってない貧乏人、と」
「ああ?妹が三人いるんだからしゃーねーだろ」
「お前と接点のないスクールカースト下位のやつらは、叩きやすいところを叩くんだ。それも仕方ない」
「私の車使う?二つあるから」
「ジルはまた、お金持ちな家にお生まれで……」
ジルの生家は、彼女自身がお嬢様学校に通っているだけあって、父親がニューヨークでデザイン事務所を持っているのだそうだ。それじゃあもしかしたら向こうの学校に通ってたかもしれないの、とルカが聞いたら、それもありそうだったとのことだった。
「でも、私が嫌だったのよ。アッパーサイドの高校になんて通ったら、寄付金の額でイェール以下の大学に進むことになるものね」
「実力でハーバード余裕だぜってことっすね」
「ええ、その通り」
主席合格してみせるわとこともなげに言い放つジルだった。ルカでさえ成績はオールAなのだから、ジルとヤーグなんてさもありなんという話。
「それで、……あの男は?」
「先輩がなに?」
「やっぱり、そっちが先なのね」
聞きたかったのはそれだけらしく、ジルは鋭く、舌打ちをした。まあ怒るだろうなと思ってはいた。
「でも再会のシーンの描写はジルが一番長いよ。先輩の三倍くらいあるよたぶん」
「……ふんっ」
ジルは鼻を鳴らしながらも、ルカの言葉は多少の効果があったらしく、すぐにルカに向き直った。
その表情に険しさはない。
「それで、今日はどうする?」
「あー、そうねえ、じゃあ放課後迎えに行くよ」
「で、そのあとはどうするんだ?さすがに全員未成年じゃ射撃場にも入れないし」
「いつもの酒盛りもできないわねえ」
「しゃーないわ、モールに行ってなんか、動きやすい服を買うっていうのはどうだ。私普段チアのユニかスタジャンか着てれば服要らないんで、服あんまり持ってないんだよね」
「お前金あるのか?」
「あるよ、車買おうと思って貯めてた。でも先輩がいるから、必要なら手堅くて早くて手間のいらない金儲けを教えてくれるでしょ。それに車ならほら、ヤーグが持ってるし」
「だから私のを一台あげるわよ」
「まあそれでもいいけどさすがに憚られるでしょー」
これだけ付き合いが長いと、本格的にお前のものは俺のもの俺のものはお前のもの精神で、互いが何を奪っていっても気にしなくなるものだ。仲がいいなんてものではないし、一緒にいられればそれでいいし。
「ああ、そろそろ行かないと遅刻するわ。ヤーグ、車をあたためておいて」
「お前はいつまでたっても私をパシらせようとするな……ごく自然に……第一寒くないだろうまだ……」
そう言いながらも、ジルは変わらず寒いのが嫌いだと察したヤーグは、朝食を切り上げて外に出ていく。残った皿をジルが片付け、それを手伝ったルカはジルの分の荷物を持ってヤーグの車の方へ向かった。夏が終わる時期、ボストンは突然ふっと寒くなることがある。朝方は特に涼しいので、ジルにとっては寒くてもおかしくない。少し寒そうにしているジルの肩を抱いて、一緒に後部座席に乗り込む。
「じゃあまずジルの学校だー」
「そこの角を曲がって。あとはしばらくまっすぐよ」
こういう朝が次の日常になるんだろうなと、ふと思ったルカであった。
そして昼のカフェテリアにて。
「ねえー、さっきからチアの連中が代わる代わるきて大騒ぎするんだけど。何で辞めたのどうして辞めるのって」
「仕方ないだろう諦めろ」
「どうでもいいんでしょ!?ルカちゃんのことがどうでもいいって言うのね!?」
「それは、まあそうだが」
「さすがにそこは優しい嘘がほしいところだな!」
高タンパク低脂肪という呪文を唱えながら、二人で味の薄いまずい食事をつついた。公立校のカフェテリアには揚げた芋か茹でて潰した芋か味のしないブロッコリーかリンゴ、妙に湿ったパンしかないのだ。ので、学校に来る途中、コンビニで適当に見繕ってきている。
「この学校で普通においしいものが食べたかったらどうするのがいいわけぇ……?」
「ジルに言ってみろ。明日からたぶん持たされることになるから」
「ジルちゃん完全に彼女枠だなあ、可愛いああ可愛い今日も可愛かった」
テーブルに肘をついてにやにやしながら言うルカに、ヤーグは心底気持ち悪いという顔をした。
と、その時不意に、何かがルカたちの方へ飛来して……ヤーグがさっと、カフェのトレーをひっつかんで、飛んできたそれを弾いた。高い音を立てて地面に落ちたそれは、誰がどう見ても石である。それにぐしゃぐしゃと折れた紙が巻きつけてあるのであった。
「……」
ルカが立ち上がり、その石を拾い上げる。Floater Kidnap QueenBee??そう書いてあった。
意味はわかる。さすがに、この世界で十数年生きていれば。
「おい、放っておけ」
「……ヤーグぅ、そんなん私が言うこと聞くわけないって、わかってるんでしょうに?」
ルカは、優れた運動能力と成績と、無関心さに裏打ちされた公平さでスクールカーストの頂点、クイーンビーとして扱われて久しい。その上、同年代のすべての男に無興味すぎてジョック、つまりアメフト部のトップの誘いも断るので、ヴァージン・クイーンビー。誰もパシリにしないし、虐めもしないので案外下層のナードたちからもそこまで嫌われてはいないが、本人の望むと望まざるに関わらず、それは変わらない事実であった。
でもそれは、ルカにとって何ら努力の結果ではない。ルカは身近に愛する誰かがいないと努力する気が起きなかった。ヤーグみたいに、それまでしてきたことを続けることもできなかったし、ジルみたいにせめて賢くあろうともしてこなかった。運動能力を買われて、言われるがままチアに入った。それで放っておいたらこうなっただけ。
ヤーグだって、何も考えてなければアメフト部に入れられて、類稀な運動能力を使って知らぬ間にトップに立っていただろうし、ジルが公立校にいたら美人すぎて何もしなくても周りが配下だらけになっただろう。
ルカだけが、ぼんやり思考停止して生きてきたのだ。ヤーグをFloaterと罵るのは勝手だけれど、ヤーグは変わり者なんかじゃない。誰より真っ当なだけなのだ。ルカだけが知っている。
ルカは石を手にとって、振りかぶり、飛んできた方を見つめる。目があった一人が、ぎくりという顔をしたので、いつもどおりの投球フォーム。
せいやっと投げた石が、そいつの股間にきっちり当たったのを見て、思いっきりサムズダウンをかます。崩れ落ちる男と、笑い出す外野。一部始終を見ていたヤーグが俄に青ざめた顔で見ていた。
「お前、怒りっぽくなった」
「どこが?」
「前なら、そんなことはしなかっただろう」
「ティーンですからね。甘くなったのよ」
「なってないだろ」
「なりましたぁー」
笑いながら、テーブルに備え付けのベンチに座り直し、食事を再開させる。
昔は、ヤーグとジルがとても真っ当で正しい人間だってことは、周りの誰もが知っていた。でも今は違う。二人がただぼんやりと生きている有象無象ではないこと、ルカだけがよく知っている。
「私だけが知ってるっていうのも、まあそこそこ気分いいからいっかあ」
「何がだ」
「大丈夫、ここではお前が一番かわいいよ」
「だから何の話なんだ!?」
この騒動を、また知り合いが見ていたことなどつゆ知らず、ルカはベーグルを齧り、昼休みは何しようねとヤーグに聞いてみた。
腕立てでもすればいいとすげなく返され、しょげるルカだった。これが午後の話。
そうして、放課後にはジルの見立てで服を買って、ヤーグに送ってもらって家に帰って。
ああ今日はとってもいい一日だった、明日もいい日になるといーなァ、なんてにたにたしながら階段を駆け上がるルカの背中に、声がかかった。
「おい、ルカ!ちょっとこっち来い」
「あんたはまた何で妹なのにそう態度がでかいのか!」
「お前がアホだからだ!今日カフェテリアで騒いでいた件についてきっちり話してもらうぞ」
すぐ下の妹がリビングからぎゃんぎゃん呼んでいる。妹と言っても血はつながっていない。一番上の自分ともう一人はただの孤児、そしてその下の二人は姉妹で孤児だったので、一人と一人と二人、ルカたちはそういう四人姉妹である。ので、下二人はそこそこ顔も似ているのだけれど、あと二人は全く似ていない。仲もさほど良くはなかった。
それでも、家族会議に呼ばれたら行かないわけにはいかない。とはいえ、ルカたち四人を育ててくれた老夫婦は夜が早く、もう自分たちの部屋で眠る準備をしているだろうから、これは姉妹会議か。
ルカは自分の狭い部屋に買ってきた服の入った袋を投げ入れ、階段をもう一度降りていく。そうして、ルカの部屋よりは広くとも姉妹四人が入るには若干狭っ苦しいリビングに顔を出して、……のけぞった。
「……何で」
何で今まで、気づかなかったんだ?ルカは己の目を見開き、背後の壁に体重を預けた。
そこにはライトニングがいた。
「エクレールって……そうだよ、お前のことじゃんね」
「……あ、……ああ。ああ、たしかにそうだ。お前、ルカ、そうだったな」
得心がいった、そういう顔だった。
すぐ下の妹、エクレール。そしてその下の妹、セラ。セラもまた、気がついたらしく、「えっ、あっ、そっか!ルカ姉って、ルカさんだ!えっ、あっ、そうだった!ごめんなさいあんまり関わりないからよく知りませんが!」と、自分の混乱を落ち着けようとするみたいにいろいろ喋りながら椅子を蹴倒した。
その背後から、音もなく、すっと少女が現れる。たぶん、この四人姉妹で一番綺麗な顔をした少女だ。これが、一応一番年上ということになっているのはなんだか変な話というくらいの発育不全っぷりなのだが。
「そんで、ユールかよ……」
「何だこの四姉妹!?何だこの四姉妹!?」
「よしライト、チーム主人公と呼ぼう」
「ルカ、あなたはちょっと、違うから。立場を弁えなさい」
「はいはいすいませんね!?いやそれを言ったらユールのほうが遠いじゃん!?」
「えっと、あれ?よくわからない……お姉ちゃんルカさんとユールも知り合いなの?」
「この話すると長いから、えー、あれだな。ちょっと現状把握から始めよう」
ルカは椅子を引いてそこに腰掛けながら、改めて己の姉妹たちを見る。
保護司を引退した老夫婦が、ユールとルカを同一の孤児院から引き取ったのが生後一年程度の頃だった。ので、もう十五年以上も前のことだ。出生証明書もなかった捨て子のルカとユールはどちらが姉かわからず、当時はまだ発育のよかったユールが姉ということになった。
まあそれも今となっては先走ったなといった話で、どちらが年上かわからないとよく言われる二人である。つまり、どう見てもルカの方が年上に見えるのだ。それなのにユールが毎度姉ぶるので、この四人の姉妹喧嘩はたいがいそれが原因だったりする。
そしてルカとユールが引き取られて数年後、老夫婦の遠縁で親を亡くしたエクレール・セラ姉妹。老夫婦がこの二人を引き取ったことで、およそ十年前、全く似てない四姉妹が完成した。
「……アッ」
「何、セラちゃん」
「いや……あの……」
「どうせ。こっそり付き合っていた彼氏が、知り合いだったとか。そういうことでしょう」
「ユール姉何でそういうこと言っちゃうの何で!!」
「スノウゥゥゥァァアアまた貴様かァァァ!!」
ユールがあの小さな口でぽそぽそ言うと、大正解だったらしくセラは顔を真っ赤にして怒った。が、それ以上にエクレール、つまりライトニングが激昂した。
「今回まだお前は十四歳だろうがああああ!許されるかぁああああ!!」
「まあいいんじゃん、一時期一緒に住んでたって噂を聞いたぜセラちゃん」
「何でそういうこと言っちゃうのルカ姉までええええ!!」
「スノウゥゥゥゥゥァァァアァァァァアアアアアア!!!!」
マジギレのライトニングであった。額に血管が浮き出るのを見て、さすがにこれはあかんなとルカは鎮めに入ることにした。せっかく再会したライトニングの血管が切れすぎて死んだりしたらさすがにかわいそうだし、ルシ一味からの報復を受ける気がしてならない。
「まあまあ。学生らしい清いお付き合いってやつでしょう?ちゅーが精一杯なんでしょう?」
「え、ええと……」
「許さん!!許さんからなァァァ!?ちゅーだとこの、駄目だ、絶対に許さないからなぁぁぁ」
想定外に過保護だったので無意味だった。これはもう何を言っても無駄だと判断したルカは、深くため息をつき、ユールにバトンタッチする。
「ひとしきり騒いだらエクレール寝かしつけといてね。ばあちゃん起きるよ」
「あなたはどこかいくの?」
「ま、私も私で彼氏に会いに行くんだよ」
「そう。なら私も」
「お前はお前でもうノエル見つけてんの!?」
「今気付いたけれど、そうだった。あちゃー、ルカのほうが先に気づくなんて。ノエルが妬くかもしれない」
「その真顔であちゃーとか言うのやめてくれる?怖いんだよ。っていうか寝かしつけてよあの二人を」
ルカが指差す先で、顔を真っ赤にしたライトニングはまだ怒り狂っている。それをなんとかなだめようとするセラも、スノウの悪口を連発されてちょっとずつ苛立ちを押さえきれなくなってきている。
この二人が喧嘩すると長いんだよなぁとルカは独り言ちた。やはり本当の姉妹ということもあって仲はとてもいいのだけれど、ライトニングはすぐにセラを叱るしセラもまた頑固な性質である。
「嫌。ノエルが迎えに来たから、もういくの」
「何でそんなすぐ!?ってああ、そうか隣の、あの茶髪のガキがノエルか!だとしてもなんでこんなすぐ!?連絡してなかったろ!?」
「これが愛の差というやつ。念ずれば届く」
にやりと口角を上げてユールが笑う。その言いざまが、お前らはまだそこまで行ってないだろ?ん?とでも言いたげで腹が立ったので、ルカはかちんときて鼻をならした。
「……あいつライトと同学年じゃなかった?そんな顔して年下キラーとは恐れ入るねえ」
「うるさいチア追い出されたくせに」
「自分からやめたんですぅー彼氏と友達との人生考えなきゃいけないからやめたんですぅー」
「頭からっぽ。プ」
「じゃかあしいわ!」
ルカが歯ぎしりをかましたところで、玄関のドアが開いた。寒い寒いと言いながら入ってくるノエルの視線はされど、ユールの低い頭を飛び越えてセラを見つけた。
「あっ、……えっ?セラ?あれ?そうだセラだ!!」
「……」
「これはいいざまぁ」
先にセラに向かってあのきらきらとした少年らしい目を向けたノエルに、ユールは青ざめた顔でぷるぷる震えだした。その背後に、がーんっというオトマトペが浮かんでいるのを横目に見ながら、ルカはパーカー一枚羽織って家を出るのだった。
真っ暗な、街灯もない静かな住宅街をルカはランニングがてら走る。やっぱり体力がだいぶん減っていて、喩えるなら五万から三百といった感じ。レベル99から5くらいに減っている。困った、困った。
タイミング悪く、クラシックカーに乗った不良気取りが、レイプ目的だか知らないが声を掛けてきた。「乗せてってやるよおー」「あんたルカだろ?チアやめたってマジかよー」やらと、どうもルカを知っているようなことを言っている。
車に乗っているのは、声からして、三人というところか。学校で見たこともあったかもしれない。
「あの、ヤーグだっけ?何してんだか知らないけどトレーニング馬鹿の。あんなんと付き合ってどうすんだよ?どこがいいわけ?」
「セックスもトレーニングなんだろおー?」
ああ、それは想像したら笑える。ルカはつい立ち止まって笑った。
でもヤーグとはこれから一生かけて一緒にいるつもりのルカだ。だからこういう声を、きっと互いに一つずつ潰して生きていくことになるだろうと思った。あの世界では、好き勝手にしていられた。最大の有力者になるのは簡単だったし、そうなってしまえばどれだけ親しくても何を言われることもなかった。恋人でも家族でもないけれど、決して話せない互いの生命線を笑われることなど。
でもまだこの世界のルカには、「言わせておけ」と撥ねつけるだけの力がない。そのことに、ただ苛立った。ルカは足を止める。
相手が車だとさすがに真っ向からぶつかるわけにもいかないので、ルカは一瞬考えた。考えてから、ルカはためらいなく肘鉄を窓ガラスに叩き込んだ。
骨を正しく、垂直に使った打撃は、窓ガラスをあっさり粉々にする。
「うわああッ!!?」
kiss my ass, kiss my ass.
ゆっくり押していたアクセルをうっかり全力で踏み込んで、車は唐突に加速する。そしてボストンの湿った土の上を滑り、スリップして歩道に乗り上げ、ルカの眼の前をすり抜けていった。真正面から電柱に突っ込んだ車は、しゅうしゅう煙を立てて沈黙する。
ざまあみろと笑うルカの先で、少年たちは車から命からがら抜け出してくる。
「てめえ何しやがった……!」
「車がめちゃくちゃじゃねえか!!」
特に怪我もなにもないらしい少年たちは、ぺしゃんこになったクラシックカーを飛び出すと、ルカをやり込めようと近づいてきた。目が血走り、怒りに燃えている。ルカにとってはそんなの、
「ゴルゴノプスより、軽いわなぁ……」
もしも、仮に、士官候補生程度まで体力が下がっていたとしても、テクニックまで劣るわけじゃない。ルカは暗い道の真ん中でにやにやと笑った。
そして、数分後。地面には、変な方向に折れ曲がった腕の関節を抱えるようにして、少年たちが蹲っていた。
「さて、どうしようかなあ。関節は外しただけだけど、これ以上騒ぐんなら、逆向きに叩き折ることだってできるんだよ。そうしたらもとに戻らないの想像つくかな?一生利き腕が使えないってどんな気持ちだろう?ねえ、今どんな気持ちなの?」
その中心に立ち、ルカは首をかしげたが、当然のように返事はなかった。ただ短く唸る声がいくつも響いて聞こえるだけ。
「やっぱりさあ、“私たちに喧嘩を売る”っていうのが間違ってるよねえ。それで、なんだっけ……ああ、ヤーグのどこがいいか?だっけ?それはねえ……」
ルカは運転席にいたはずの少年の顔を蹴って上向ける。怯えた目と、視線がかちあった。
「例えばいま、私がお前たちを殺したとするでしょう?それで、ヤーグに電話する。ヤーグは文句言いながらも車を飛ばして来てくれて、お前たちの死体を見るや否や、それでどうする?って聞くんだよ」
ルカのうっとりとした声に、少年はありありと目を見開いて恐慌をその顔に浮かべた。まあ彼らも、高校の知り合いにちょっとした軽口を取り混ぜてナンパを仕掛けたらサイコスリラー映画の序盤みたいな目に遭うとは思っていなかったのだろう。
「それで?埋める?焼くより沈めるほうが楽か?って聞くの。“そういうところ”だよ。こんなに最高の相棒がいるかなぁ?ねえ、どう?あんたたちはどうなの?そういうふうに、互いの全部を愛していられる?認めていられる?ああ、違うの、文句がないとかそういうことじゃないんだ、いろいろ納得行かないことはあるしこなくそーって殴り合うこともあるけどさあ、でもそれもコミコミで信じて、求めて、許し合ってるのって、どう?こんなすごい話この世のどこにある?羨ましいだろ、羨ましがれよ、それでもこれは私と彼らだけの特権だけれど!」
顔を近づけて、ルカは少年に喚き散らした。少年は懸命に息をするばかりで、何も答えない。
ルカは舌打ちすると少年を再度雑に蹴ると、「ま、いいや。急ぐし」と踵を返した。
されどその途中、振り返って、肩をすくめる。
「次喧嘩を売ったら、腕を外すだけじゃ許さないからね。両手足全部使えないようにしてから海に落としてやるから」
ルカは最後、転がった一人を蹴り飛ばして、ひらひら手を振り去っていく。関節戻るまで絶対痛み引かないからね、と言い捨てることも忘れない。
さて利き腕の関節が外れた状態でどうやったら救急車が呼べるかなぁ?そもそもズボンからスマートフォンを取り出すとこまで行けるかなぁ?と笑っているのであるからヤーグとジルが関わると途端性格の悪いルカなのだった。
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