彼女の話・1
「……一体何があった」
ヤーグが深く唸るのを頭上で聞きながら、ルカはぐっと唇を噛み締めてうなだれた。それというのも複雑な話ではないのだ。だから非常に話しづらい。
「ヤーグさんや、何も聞かずに二晩ほど泊めておくれと頼んだはずじゃないか?」
「その頼みを了承するかどうかは話を聞いてからだと言ったはず」
「薄情者ぉー!いいから黙って私を助けてよぉぉ!!」
「ぐっ、こら、ひっつくな!」
ヤーグの腰に抱きついて懇願すれば、このおねだりに弱いヤーグは不承不承ながら受け入れてくれた。計画通りである。
荷物も一切無く来てしまったルカは、靴を脱いでソファに勝手に横になるとふぅぅと溜息をついてみせる。
「それにしても、なぜ私のところに来るんだ。ジルもリグディもいるだろうに」
「……」
「……喧嘩したな?誰とだ。ああレインズか。そうだな?」
「しーてーまーせーんんん……」
「ならなぜこのタイミングでうちにくるんだ。明日は数カ月ぶりの二人揃っての非番だと喜んでいただろうに」
「だってぇー……ただちょっと、先輩の顔見たくなくて。それでその、リグディのところ行ったらあいつきっと話も聞かずお前が全部悪いんだからとりあえず土下座してこいよとか、そんなこと言うに決まってるんだ」
「ジルは」
「……ジルの顔も、今はちょっと見たくないの。ねぇおねがいー……」
さきほど冷蔵庫から奪ったばかりのビールの缶の口を齧りながら、ヤーグを見つめる。彼はしばらくの逡巡の末、深いため息をついた。それは大抵、了承のサインだ。ほっとして、ソファに身体を投げ出す。ヤーグもまた隣に深く座ると同じくビールの缶のプルタブを開けた。パシュ、といい音がして、ルカは目を細める。
成り行きはどうにも不都合が多かったけれど、結局旧友とこうして酒を飲んでいるのはそう悪くない。なにより落ち着くから。
「で。何があった」
「……ヤーグぅ……」
「話せ。私に話せないなら、誰にも話せないだろうが」
「……ごもっともです」
ヤーグが珍しく的を射たことを言うので、ルカは唇を尖らせ膝を抱えた。ビールの缶の中で、酒が妙な揺れ方をした。
「昨日からさぁ、新人を私が担当することになったんだ」
「ああ、知ってる」
「で、昨日入団テスト済ませて、まぁ筋は悪くないかなって思って……で、問題は今日、なんだけど。どこで聞きつけてきたのか、その……先輩とジルがどうのって、あの……」
「どうの?どうのって何だ」
「だからその……付き合ってるんじゃないかって……」
「……はぁ!!?」
ルカが蚊の鳴くような声でそう言えば、ヤーグは常ならばありえないほど素っ頓狂な声を上げて驚いた。それもそのはずで、仲間内なら誰もがあの二人がどれだけ水に油かわかっているのだ。今でこそ二人一緒に置いておいても喧嘩に発展こそしないが、特にジルが目に見えて不機嫌になる。シドについても、おそらく悟らせまいとしているだけで、ルカから見ればじゅうぶん不機嫌だ。
だからルカがそんなことを言い出したのがおかしくて仕方ないらしく、ヤーグは口をぱくぱくと動かしながらまだうろたえている。
「なんっでお前がそんなわけのわからないことを言い出すんだ……!?その新人が何か言ったのはまだ理解できるがな、なんでお前が信じる!?」
「いや信じてるわけじゃないの!それはさすがにっ、でも……そいつ、あの二人は異様にお似合いだって言うんだ。で、私……確かに二人が並んでるところを考えたらね、そりゃあ似合うよねって……」
「おま、……ああ、そういうことか……」
「ジルじゃなければ、こんなふうに落ち込むこともないのにねぇ」
「そんなものか」
「これだけ長く生きてきて、あの人に釣り合うレベルの女がいるとすれば、それはジルだけだから。私も釣り合わないとしても、釣り合わない女には負けない」
「妙に似合わない口ぶりだな」
「これでも数百年女をやってんの、いくら適性がなくったって学ぶんだよ。戦争は一人でもできる。でも……ああうまく言えない。これは、味わってみないと理解できないし、更に言うなら男の子にはわからないかもね」
知らないで済むなら、知りたくない感情だった。そうできなかったから、これは恋愛なのだ。
先走る感情をいくら言葉で押しとどめても無駄だった。だから間違うこともあって、傷つくこともある。加害者なんていないのに、被害者になるしかないことも。ルカは過去を思い出すようにぼーっと視線を窓の外に滑らせ、またビールの缶の口をかじった。
「それにね、軍にいたころは……私にも価値があったと思うんだ。先輩の言うとおりに動くこともできたし……でも今は、何もできてない。この間だって一人で深追いしすぎて二人を怒らせてるし……」
「リグディさえ怒っていたのに気付かなかったか?……つまりルカは、自分にあの男に対して有効な価値が今ないから不安だということか」
「まぁまとめるとなんともありがちでくっだらない話ですねぇ……。でもまぁ、そんなところかなぁ」
ふむ、とヤーグはひとつ息をついて、ビールを思い切り呷った。喉が鳴って、口を離してもう一度息をつくと、彼はじっとルカを見る。
「まず、そういう問題は得てしてどのような関係であっても生まれるものだ。私とお前の間にも、多少なりともあるはずだ。だがそれが疑われないのは、ここにあるのは友情であって唯一無二の感情ではないからだ」
「う、うむ……そう言われるといやだけど……」
「そして逆接的に問うが、そこに実際役割があったらお前は納得できるのか?私の記憶では軍部時代のほうがどうせ利用価値だけだって顔をして歩いていたように思うが、違ったか。今の方が自然に付き合っているように見えたが、気のせいだったか?」
「いや、それは確かに」
「だろう。ならば結局、悩みからは解放されないということだ。諦めて向き合え。それからその妙な妄想については絶対に私以外には言うな、耳に入ったらどちらに殺されるかさえ選ばせてももらえんぞ」
それはそうだ。気がついてルカの顔がさっと青ざめた。あ、そういえば今日ここにいることの言い訳どうしよう。考えながら酒を飲もうと思っていたのにもう思いつかないし、言い訳でトチってバレたら本気で殺される。ルカは震えだした。それを見て、ヤーグが薄く笑う。
「まぁ、大丈夫だろう。お前だからな。あの二人は何も変わらない」
「えー……?保証がナイヨー……」
「あるように見える。外側からは」
「そうか……うん、まぁでも、ありがとうね。嬉しい」
普段あまり喋ることを好まないヤーグがここまで長台詞を吐いてくれるのは、いつだってルカのためだ。ルカは知っている。
だからありがたい。額をヤーグの肩に押し付ける。と、妙に強い眠気がルカを襲った。
今日ずっと気を張っていたから疲れたのかもしれない。気を抜くとすぐ親友と恋人のツーショットがまぶたの裏に浮かぶという有り様だったので。そこに眠気と、ヤーグのおかげで安堵が混じり、もう身体に力が入らない。
「……おい、なんだ。離れろ」
「んー」
「おい、おい寝るな、なんで寝ようとしてる」
「ねむ……」
ぐらりと傾く身体、ヤーグが受け止めてくれることはわかっていた。ビールは取り上げられ、それと同時に彼の腕の中へ飛び込むようにして眠りに入る。ものすごく浅いところに浮かぶかのような、半ば意識のない夢の様な感覚が続く。
「……全く、私じゃなかったらどうなっていると……」
ヤーグが何事かぶつくさと呟いているのが頭上で聞こえる。一度だけ、ぎゅっと抱きしめられるような感覚があった。ヤーグがそうして親愛の情を示してくれることは本当に稀で、ルカはまどろみの中で喜んだ。
もうシドがいなくても、ルカは眠れる。それでも一緒にいる理由があるなら、きっと彼をもっと信じるべきなのだ。彼にだって同じ理由があるはずなのだから。
ぱち、と目を覚まして、ルカは身体を起こす。周囲にはもう誰もいない。よく片付けられた、そう広くもない部屋は閑散としていて、ルカはベッドから身体を起こした。ソファで寝た記憶があるのだが、ヤーグが運んでくれたのか。まぁそういう奴だ。リグディならソファどころか床に転がしておくだろうが、ヤーグはそういうところがとてもやさしい。
「あー……うわ、あいつは何、聖母か」
あげくリビングには朝食らしきものが用意されていた。スクランブルエッグとトースト。朝食はちゃんととれ、なんてぶっきらぼうに書いてあるメモに感謝して席に就き、食事をとることにした。時計を見れば、昼になる直前。最近忙しかったこともあり、あまり睡眠をとれていなかったのが災いした。相当長く眠っていたらしい。
「シャワー借りよう……もうここまできたら何しても同じだわ」
ヤーグは当然、今日も仕事である。ルカからすれば、そこに自警団の唯一の不満があった。ルカたち五人が主要のメンバーである以上、全員が示し合わせて休むことなど到底あってはならないのである。せいぜい二人がいいところであった。だから、今日シドと己が非番なら、ヤーグが仕事なのは当然である。
シャワーを浴びてさっぱりしたところで、ふと思い返してコミュニケーターを手に取る。着信がすさまじい量になっていた。
「ぐ、ぐぬ……これはもうどう転んでも殺されるのでは……」
そういえば昨日、今日は出かけるんで夕飯はいらない、とだけインスタントメッセージを送っただけなのを忘れていた。これは殺される。もう内実なんてどうでもよく、殺される。
はぁぁぁぁと溜息をつきながら、ヤーグ手製の遅い朝食を食べきって、皿を洗って向き直る。
「夜までここにいるってのもありだけども、……うーむ。さすがに迷惑だろーしねぇ」
ヤーグは怒らないだろうが、大事な友人ほど迷惑をかけるのは憚られるものだ。昨日は動点していて気が使えなかったけれど、今はもう大丈夫だ。ヤーグがいてくれたから。
「帰りづらいにしても、ホテルとかに場所変えるか。お金はあるしね……」
帰りがけ、思いつきで唇に口紅をべったり塗って、ヤーグのメモにキスマークを残して部屋を出ることにした。嫌がらせ全開である。あれを見た時のしっぶい顔が見られないのが残念だが、それくらいは勘弁してやろう。
剣を佩いて、当然のように持っている合鍵を使って鍵をかける。この街では路地裏に突然モンスターが湧くから、剣は基本的に必須だ。逃げの一手しかできない人間ならばともかく。
とりあえず暇つぶしに旧市街あたりへ行こうかなんて考えながら、ルカは一人街中に飛び出した。シドは今でも家にいるだろうか、それともどこかにでかけているだろうか。
考えると少しだけ寂しいような、不思議な気がした。
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