煮え切らないハザード
「おー!すごい!すごいじゃないですか!全員で住めますよこれ!わーい!」
ルカは広間でくるりと回って歓声を上げた。天井は高くなかったが、それでも部屋はだいぶん広く見える。
シドと目があって、眼の奥でシドが笑ったのがわかって、ルカも嬉しくなった。久しぶりに、掛け値なしに感情が通じた気がしたからだった。
結局部屋を見つけたのは、翌週の半ばになってからであった。ここに至ってまでホープの手を借りたくなかったし、仕事の片手間に探すだけではなかなか丁度いい物件が見つからなかったためである。
ともあれシドが見つけてきたその部屋は、全員に個室を宛がうことのできる造りの、大きな平屋であった。食事をするのにも使えそうな大広間もあって、元々は企業のオフィスにするために作ったらしいが、様々な事情から使用されなかったのを安く借りたのだそうだ。
「っていうか、じゃあなんでシャワーとか完備されているの?ここ」
「住むつもりもあったんだろうな。居住スペースと広間が離れてる」
「もう何でもいい……ここには飛空艇が無い……」
リグディは打ちひしがれ、両腕をだらりとぶらさげて斜めになっていた。胡乱に半開きの目はどこを見ているのかわからなかった。
そこまで飛空艇が恋しいのかこいつ、とルカは呆れて口端を引き下げた。
「あのねぇ、ホープくんに迷惑掛けたくないのはあんたも同じでしょうが。飛空艇は変わらず使えるんだから諦めな」
「うう……飛空艇……飛空艇……ヒクウテイ……」
「まるで禁断症状ね……」
「仕方ない。リグディは士官学校に入学してからずっと飛空艇が近くにある生活をしてきたからな。中毒にもなるさ」
「先輩、それはふざけてるのかまじめに言ってるのかどっちですか?わかりにくいんですけど」
「そもそもレインズがいなければリグディはここにいないだろうに……」
ヤーグのその言葉に、ルカは一瞬目を逸らした。勝手な罪悪感だとそろそろ理解してはいるけれども、思い出しては自分の都合に付き合わせていると辟易するのだ。すべて、ルカの行動の結果だから。
あのときカイアスの心臓を守れていれば。シドを旅に連れ込まなければ。旅に二人を連れなければ。旅に出なければ。そして、そもそも、あのとき正しく死んでいれば……。
と、不意にジルがルカの頬を抓った。「ぁいたっ」、彼女は無言で抓るだけ抓ってぷいと顔を逸らしてしまう。おそらくは、ルカの甘ったれな考えを、察されたのだろうと思う。巻き込まれている側に心配されるだなんて、笑えないくらいに情けない。それでもルカは、過去の失敗が悔しくて仕方がない。過去に戻れたなら、もう失敗しないのに。時間軸を移動していたあの数週間、ルカは本当はもっと過去へと戻りたかった。何もなかった、学生の頃へと。そしてそこにつけ込まれて、今こうしてここにいる。
「……早く、家具とか揃えないとねぇ」
「とりあえず寝具だけはなんとかなったが、後はおいおいといったところだな。個人の給金でなんとかしろ」
「冷蔵庫とかレンジとかどうします?」
「そういうものは共同でいくらか出し合って購入するしかないか……積立?」
「社員旅行みたいだな……」
「軍に社員旅行なんてないだろ」
「今は軍人じゃないわよ」
思い思いに会話しつつ、部屋を回って確認していく。六部屋すべて確認し終えて、リビングスペースに使うつもりの広間へ戻った。
シドが片手に丸めて携えていた家の間取り図を広げ、据え置かれていた大きな長方形のテーブルに備え付けられた椅子に全員で座る。そして誰かが取り出したペンをジルが取って、部屋を回りながら目算で測った部屋の広さを間取り図に書き込んでいく。右回りに、10、8、12、12、10、10。単位は平方メートルだ。おおよそ、であるが。
「五人だし、一番狭い部屋は物置か何かにしちゃおうか。武器庫でもいいし」
「発想が今日も物騒だなおい」
「飛空艇が武器のあんたとは違うんですぅ。さて、そんじゃ希望言って。私どこでもいいや」
「ルカとレインズは一番遠い配置にして」
「なぜそれを君が提案するんだ?ん?」
「俺もどこでもいいわ……部屋には飛空艇入んないしどうせ」
「リグディは一度飛空艇から離れろ……」
「えー、あー、希望ないんですね?ないんなら私が一存オンリーで決めるぞコルァ」
とりあえず、広い部屋を希望するのはジルだけであった。それに、シドもまた体格が大きいことから唯一天井が他より高い部屋を希望したので、結果として一番端の角部屋が彼のものとなる。そこから物置を挟んでルカ、ジル、ヤーグ、リグディという部屋割りになった。ヤーグだけが窓のない部屋となってしまったので、ルカはつい精神に嫌な影響を受けでもしないかと不安になったが、彼が鍛錬馬鹿なのを思い出して勝手に胸をなでおろした。どうせ早朝ランニングするだろうから関係なかった。
「ちょっと待ちなさいよなんでルカとレインズがそんなに近いのよおかしいでしょ」
「女が男に向ける嫉妬は見苦しいを通り越して不安になるぞ?」
「いや距離にすると遠いからいいかなって」
「飛距離!?高度!?」
「だからリグディは飛空艇から離れろ……!」
ともあれ部屋が決まったので全員一度部屋へ戻り、ルカは気になったのでシャワールームを覗いてみる。大して広くはないが、まだ未使用なので清潔に見えるし、住めば都とも言う。問題はなさそうだ。
共同生活は寮以来だが、なんとかなるだろうと思う。近くにいれば問題の起きない自分たちだから。離れるとどうしてトラブルに巻き込まれるかなとルカはつい笑った。この歳になって、近くにいないと不安定になるなんて、笑う以外なんとする。
と、トイレの水回りを確認していた背後でドアが外から開かれる。
「ルカ?」
「ん?」
「そろそろ夕食時だからって、広間に集まってるのよ。来て」
「はぁい」
返事して振り返り、外に出ようとすると、呼びに来たジルがぼーっとルカを見つめ停止していた。「ジル?」声をかけると彼女はハッとして戸惑い、それから白い腕をすっとルカの方へ伸ばした。
「髪が……少し、不格好な長さだわ。後で切りましょう」
「そうかな?まぁ戦ってれば切れちゃうことはあるからねぇ」
「ええ。ちょっと手を入れたほうがいいわね」
連れ立ってシャワールームを出て、二人広間へ戻る廊下を歩く。
「ジルはもう切らない?」
「……そのつもりだけど?どうして?」
「長いほうが、ジルは似合うから」
どうして聞くのかという問いにそう返すと、ジルは隣で一瞬足を止めた。振り返ると、すぐさまジルは俯いていた顔を上げルカを追い越すように歩き始める。
「じ、ジル?どうしたの?」
「うるさいっ」
「ジルー?」
ちょっと意味がわからない。ルカは困惑しつつ、彼女を追う。金髪は肩口の少し下で揺れて、とても綺麗だ。こんなに綺麗なものは世界中探してもそうありはしないと思うくらい。
似合う。それ以上に、ジルの美しさを引き立てる金糸。ルカはつい、知らぬうちに微笑んだ。リビングに入っても微笑んでいたのか、シドが怪訝な顔でルカを見る。
「……どうした?」
「えへへ……」
「何だ気持ち悪い」
「今気持ち悪いっつった?仮にも一度婚約した相手に気持ち悪いっつった今?」
「おいカサブランカ席つけよ」
「待てぃリグディ、これは私の人格と挟持に関わる問題だ」
「いいから座りなさいよ、暇じゃないのよ私も」
「……ハイ」
ジルに言われると逆らえないルカは、がくりと項垂れ椅子をひいて席についた。最後に着席したルカを見て、「さて」とヤーグが口を開いた。
「寮とは違うからな。寮に住んでいた頃とは違って、自分たちで規則を定める必要がある」
「なんですって……!もう寮じゃないんですよ!大人なんですよ!いまさら規則なんかいらなくね?」
「カサブランカお前、何も考えず一緒に住むだのなんだの騒いでたな?」
「んぐっ」
「ルールは必要よ。それに適したペナルティもね。予め決めることで、抑止力にもなるわ。お互い大人なんだしね?誰かが嫌がるとわかっていれば、まさかルールは破らないでしょう」
ジルがルカの言葉をなぞって言い含めてくるので、ルカは何も言えなくなる。斜め隣で座るシドも、特に異存はないようだった。
「じゃあいろいろ決めていきましょう。細かいことはおいおい出てくるでしょうけど、そうね、今ここで決めたこと以外は初回ペナルティはなしにしましょうね。問題が出てきたら別途対処する方向で」
「そうだな。問題は大きく分けて衣食住、といったところか」
「衣に問題あるか?」
「洗濯とか?洗濯機はこれから買うから、まだ直面している問題ではないけど……洗濯機と乾燥機買わないとねー」
下着なんかは、互いの目のあるところに干すべきではないし、なによりスペースが用意できまい。ということで、ジルが曜日を決めて洗濯することを提案した。同じ陽に集中すると、それはそれで困る。
「ローテーションでもいいわね。あるいは、私はルカのものとまとめて洗っても特に構わないし、そのあたりは各自交渉の上ってところかしら」
「一応ローテーションで振っちゃおうか」
部屋の周りと同じように、シド、ルカ、ジル、ヤーグ、リグディという順になった。いまのところはどうせコインランドリーにいくしかないので関係ないが、ジルは取り出したノートに書き込んでいく。
「次は食事ね。……まぁこれは外で食べる人もいるでしょうし……」
「ああ。各自でなんとかする、ぐらいでいいのでは」
「冷蔵庫の中身に勝手に手つけないとかな」
「ええ。手を付けたら倍額弁償にしましょうね」
「なんで全員で私を見るのかな?かなかな?」
「一番食事にだらしないからだ」
「先輩今度はだらしないっつった?仮にも一度は結婚しようとした相手にだらしないっつった?」
デジャヴであった。そういうわけで、ルカは自分の食事をなんとかせねばならないことになった。一応はずっと一人で暮らしていたのだから今更問題ないのだけれども。
「で、住。シャワーも同じくローテーションにしたいところだけど、その日によって事情があるでしょうし……順番はその日ごとに決めればいいわね。入っている時は札でもかけるようにしましょう。共同スペースの掃除は……そうね、休日の人間が何かしらやる、とかでいいかしら」
「そうねー。掃除は好きな人間が多いですから、ここ」
「お前を除いてな」
「やかましいわ」
ヤーグがルカを指さしてくるのでそれを払いのけ、ルカはため息とともに立ち上がる。「もーいいですよね、ご飯買いに行こー」と言って。
が、ジルが「まだよ」とにっこり微笑んだ。仲間内ではめったにこんな笑いは見せないので、全員に戦慄が走る。シドを除いて。
「まだ大事なことを言ってないわ」
「大事なこと?」
「ええ。とても大事なことよ」
ジルは微笑みを形作る美麗なかんばせをギギギギと音でもたちそうなくらいゆっくり動かして、視線をシドに固定し止める。シドはかすかに目を細めた。
「禁止。ルカに変なことするの禁止。少なくとも家の中では禁止」
「へ、へんなこと?」
ルカがつい聞き返すと、微笑みの奥の笑わない目がルカを射抜いた。
「セックス禁止だっつってんのよ」
「うぐふっ」
「おいバカナバート、ロッシュにクリティカルヒットしてんじゃねぇか」
「そこの純潔野郎はどうでもいいわ!わかったわねルカ!!」
「がはっ」
「おいいいい野郎と純潔って言葉をドッキングするんじゃねぇぇぇ!男という種にキルサイト決めるんじゃねぇぇぇぇぇ!!」
「リグディ、キルサイトは私達のシステムではない。ブレイクと呼ぶのが適切だ」
「今の話聞いてて出る感想がそれ!?アンタやっぱ頭おかしいの!!?っていうかわかりにくいわ!!」
常識人枠の呼び名をほしいままにする不動のツッコミ役リグディを横目に見つつ、ルカは反応に困っていた。それというのも、シドが内容そのものになんら反応を示さないからだ。目があっても、薄く微笑まれるだけ。
なんだろうこの、求められないと死ぬほど悔しい感じ。ルカは戸惑い、歯噛みする。
「いいこと、ルカ?何かされたらすぐさま悲鳴をあげなさいね。もちろん他の誰かが誰かを連れ込むのも禁止。したけりゃ駅前にホテルがあります」
「おねがいジル、そういうこと言わないで。私の幻想だけでいいから大事にして」
「女が女に幻想抱くもんじゃないわよ」
「わかってるけどぉぉぉ……!」
ルカがテーブルにぐったり上半身を預けると、その頭上でシドがため息をついた。そして、呆れたと言わんばかりにジルを見つめた。
「その程度のこと、決めるまでもないだろうに。子供じゃあるまいし」
「あら、余裕の表情ね」
「バカバカしいにもほどがある。言われずとも、何もしない」
ルカの肩が一瞬、ぴくりと跳ねた。胃の奥が一瞬重くなって、ルカは困惑する。
「私は何もしない。約束しよう」
シドの言葉が、耳の奥で絡まってゆっくり心臓に刺さった。妙に、捨てられた気分だった。
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