存命理論


A.F.900~頃


書類を見すぎて目が完全に霞んでこれは老眼来ちゃうかなと乾いた笑い、えびぞり。

「んっぐあああああーああああーあーーあーー……。……温泉行きたい」

ルカは壊れたファックスのような裏声で唸ってから、無意識に呟いた。そして呟いてから若干後悔をする。

「オレを呼びましたね!?」

「呼んでねェ仕事しろテメェ」

「温泉だったらいいとこ知ってますよ!!」

「まじでか」

馬鹿な部下が珍しくそんなことを言うので、ルカはえびぞりから戻ってくる。残業中にもかかわらず目を爛々と輝かせて、部下は意気揚々といつ調べたんだかカップル向け温泉旅行のプランを話し始めた。

「そんなわけでユスナーン最高ッスよ!!」

「はいわかったありがとうその情報はありがたく活用するからお前は仕事にもどれー」

「アイアイッサーってちょっと待てオレと使いましょうよ!?」

「いやです」

「オレのどこがダメなんですかぁぁ!!」

「顔、声、太刀筋、身長、うるささ、世間体」

「顔から入るのはちょっと……ひどくない?それはもうしょうがないじゃん……それに声は卑怯じゃん向こうは本職だよ……?」

「何言ってんだかわかんないけどとにかく仕事に戻れや」

ルカが部下をしっしと手で追い払うも、他の部下が苦笑して立ち上がり「まぁまぁ」ととりなし始める。

「ルカさんも、そこの馬鹿もここらで少し休憩いれましょう。温泉プランならわたしも行ったことありますから、おすすめコースの話でもしましょ」

「よかろう、誰かお茶入れてー濃いめに!」

「はいはい」

「あとクッキー食べたい……」

「わかりましたよ」

いつもどおりの夜半といったところ。仕事が立て込むといつもこうなってしまう。
と、休憩と聞いて集まってきた部下の一人が、仮眠用にもなっているソファに腰を下ろしながら「そういえば、」と聞く。

「ルカさん温泉なんか行ったことあるんです?そんな暇ないでしょ」

「まぁこんな仕事してらぁね。毎日モンスターは出るし。……でもほら、私とかジルとかは過去組でしょ」

「ああ、そういえば……なんでしたっけね、時空を越えてきたとかなんとかいう」

「そそ。で、千年前も似たような仕事してたっけどさ、その頃はまだ休み取る余裕あったのよ。あー懐かしいなぁ露天風呂。また行きたいなぁー……」

「誰と行ったんです?シド団長ですか、やっぱり」

「ジルさんですかジルさんなんですか羨ましい禿げそう」

「いや、ヤーグ」

「!?」

ヤーグの名を出すと、部下は一様に驚いたり面食らったり戸惑ったりした。つまりほとんど同じ反応を見せた。
なんでや、私はヤーグとも仲いいわ。ルカは唇を尖らせる。

「いやぁ懐かしいわぁ、あれはヤーグが24歳とかそこらで……まだ眉間の皺が2ミリほど浅かった頃だ。二人で泊まったホテルがさぁ、混浴露天風呂だったんだけどあいつ来ないの。あいつ部屋のシャワーで済ませて寝てんの勝手に。なのに翌日寝不足なの。わけわかんね」

「あんた鬼だ」

「日常に癒やしを与えてやろうと思ったのに!?」

部下は呆れ返った様子でルカをまじまじと見た。全員がだ。何でだ。

「……っていうか、何でヤーグさんが巻き込まれたんです?自分からそんな旅行計画しないでしょう、あの人は……」

「いやさぁ。その頃、上司のおっさんがね、裸の付き合いは大事だよって何度も何度も言ってきてて。ある日突然私と二人の出張予定組んでね?特に出張必要な案件でもなかったんで行かなくていいんじゃないかって言ったら、裸の付き合いがないと親睦が深まらなくて仕事に差し障りがあるって言い出すのよね」

「そんな直球なセクハラ初めて聞いた」

「だから、列車に乗る直前に、もうすぐ昇進するだろうからおっさんと仕事するのも終わりなんで親睦とか要らないですって言ってそのおっさん窓から蹴り出してなー」

「またアグレッシブなことを」

「で、出張は予定きっちり組まれちゃってたから、呼び出しておいた非番ヤーグをおっさんの指定席に座らせて私の体面を保ちました。ホテルについたら温泉は混浴露天しかなかったっつう。しかもシーズンオフだからほとんど人いないっていう」

「ヤーグさんに悪いと思わないんですか?」

「なんで?温泉だよ?しかもタダだぞ!」

「あんた鬼だ……」

部下がまた同じ文句をしみじみ言った。ルカとしては納得がいかない。だって誰も見てなくて誰の声もない場所なんだから、もっと自分勝手に生きればいいものを。

「ま、そんなわけで温泉いきたい。リベンジしよう、ヤーグ誘おう」

「やめてあげてくださいって!」

「ヤーグさんの胃痛がマッハだから!」

「ええー……何でよー温泉だよー?」

「それじゃあジルさんも連れて行くとかした方がいいですって、絶対いいですって」

「そんなことしたら自警団に先輩とリグディだけが残されてしまうじゃないか!あの人らを二人きりにすると少年のような目で飛空艇パーツ発注するじゃないか!?」

地味に損害が大きいのでやめていただきたいルカであった。だって今飛空艇パーツ集めてどうする?
……まぁでも、部下がこんなに言うってことは、やはり常識はずれな行動を取っているのだろうから……。

「わかったよー。ジルと行くよう」

「そうしてくださいそうしてください」

「我らはヤーグさんの胃を守ったぞ」

「ヤーグさんがこの苦労を知ることはないけどな」

「いやちょっと待て、オレと行きませんかって話だったはず」

「それだけはあり得ないので諦めろ」

「何でですか!?ヤーグさんと混浴温泉行ったならオレとも行きましょうよおおお!」

部下が懲りずにルカに取りすがった瞬間だった。ルカの班の執務室のドアがキイイッと微かな音を立てて開き、ルカはドアの向こうにいた人物の穏やかに弧を描く目と目があった。
そこにいた人物、つまりシド・レインズは、右手を顔の横辺りに上げると、右手でグッドサインの形を作り、親指をさっと己の背後に向けた。意味するところは、話があるから出てこいということ。

「はいはい何ですかぁ」

ルカは平然と出ていこうとしていたが、周囲の部下たちには見えていた。シドの周りに浮かぶ、呪詛用のフォントで浮かぶ「温泉とか聞いてねぇぞツラ貸せ」という彼の心の声が。
と、ただ一人空気の読めていない馬鹿が、まだルカにすがる。

「いいじゃないですかぁ何もしませんからぁぁぁ……!オレにだってチャンスとかあってもいいじゃないですかぁ!」

「いいわけないだろ、馬鹿!手綱握る男ぐらい、私に選ばせろ!」

ルカはそう言って馬鹿な部下の頭を思いっきりひっぱたくと、疲れを感じさせない足取りで部屋を出ていった。
他の部下には予測できていたことだが、この日やっぱりルカは執務室には帰ってこなかった。








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