最小地点のフラクタル



AF900年〜頃







「お前はそんなところで何をしているんだ……」

「部下から逃げてる」

「オレのことっすか!?」

「……やぁぁぁぁぁぐぅぅぅぅぅぅぅ」

「マジでオレのことすか何でですか何で逃げるんですかオレが何かしましたか!?何で!?オレの何がだめ!!?」

「その煩さだよ!!」

自警団の屋上、端に積まれた木箱の裏は、盲点にも盲点すぎるルカの大切な隠れ場所だ。にっちもさっちもいかなくなったとき、ルカは10分とか1時間、自分で好きにできる時間ぶんだけここに来る。特になにをするでもなく、足をぶらつかせて時間を潰す。例えば今は、うるさい部下から追い回されるのに疲れて逃げている。
それが無為で有意義な時間であると知っているから、ヤーグはそれを普段邪魔しない。シドもジルも、出来る限り放っておく。同時に彼らも、日常のどこかにたまにそういう時間があったりするから。

「っていうキョウツウニンシキがあったはずじゃなかったですかぁぁぁ……!」

「それは気のせいだ。お前がそうやって一人で黄昏れるのがなんか大人っぽいとか考えているのは知っている」

「っはああああ!?なんっ、何じゃそりゃ!?」

「違ったか?」

「あああ当たり前だろこのアホ!バーカバーカ!」

幼稚な騒ぎ方をするルカに年齢を考えろと言いたげな視線を向けながら、ヤーグは手を差し伸べた。それに掴まって立ち上がると、そのまま手を引かれ歩き出す。

「ヤーグさんズルイっすオレがルカさんと手握るー!!」

「お前はだぁーってろコルァ!ヤーグ、何かあったの?」

「道すがら説明するから装備を取ってこい。住人の失踪情報がここ一時間で三件相次いでる、混沌絡みだろう」

「ちょっ、それを早く言ってよ!」

ルカは一瞬でヤーグを振り切ると走りだし、落とし戸を開いて飛び降りる。建物の四階にあたるフロアは、ルカを始めとした幹部たちの私室がメインであり、ルカが目指すのもその私室だ。ルカは己の部屋に飛び込むと、すぐそばのソファに掛けてあった団服を手に取る。今まで着ていた普段着をはぎ取るように脱いで代わりにソファに放り投げると、素早い手つきで防具を仕込みながら団服を身に着けていく。
軽量金属の部分鎧は着るのに少々時間がかかるものだが、慣れたルカにとっては数十秒もかからない作業だった。最後に銃剣を手に取ると、すぐそばの壁に備え付けられた姿見をじっと睨む。
そこには、罪を贖う術も知らない女が一人。もう、何もかもがバカバカしくなって、百年以上が経っている。

ルカは、静かに部屋を出る。ヤーグとは自警団の入り口で合流し、頷き合って外へ飛び出す。オールトという、ルカが知りうる限り最もアホな部下も慌ててついてきた。
言葉少なに他の仲間の所在を尋ねれば、既に調査に出ているとの答えが返ってきた。こういったことに特に頼もしい三人が既に動き出しているのなら、解決も早いだろうと思う。

混沌というものの正体はよくわかっていない。
というのは表向きの前提。
あれは死人の魂であり、人の心そのものであり、世界の全てを内包しうる体現し得ない一つの答え。ルカにしか見えないもの。

「……混沌に飲まれたら、帰ってこられないんだろう?」

「うん、無理」

「そうか」

仕方がない。だから、そのことは考えない。
ルカはただ走るだけ。

ヤーグが言うには、とりあえず時計塔で合流することになっているらしい。あの時計塔は、ルクセリオのシンボルであり、ルカにとっては最後の砦である。

ここに至るまで、長い長い時間があった。五百年の実感はルカの決意を整理させた。
それは全て、千年前のカタストロフィに起因する。

「……愛する者しか愛せないなら、軍人になんてなるべきじゃなかった」

「ルカさん?何ですか、それ」

「一つの昔話だよ」

走りながら呟いた過去の独白をオールトが聞き返す。
それは、カタストロフィの最中、ルカが思い知った己の倫理観の欠如の問題だ。
その問答を、ルカは乗り越えた。

愛する者しか愛せないのはルカの中の真理であって、変化することはきっとない。あの頃に比べてその愛が範囲を広げただけで、今でもルカは何ら変わらない。
思えば、ルカが成長しないのは当然のことだったのだ。ルカ一人に焦点を絞るなら、エトロのいない世界はいつもどおりの日常でしかない。

「だから、まぁ、知らん人間の死を必要以上に悼む必要はなかろうと」

「つ、冷たいスね?自警団なんてやってるくらいだし正義感の塊かと思ってたっス」

「それは単純に、己の持ってるノウハウを放出した結果だよ。私は戦うのが性に合ってて、ヤーグは目的意識が必要で、ジルは人を操るのが好きで、先輩は……人を守るために行動するのが、信条だから」

どうでもいい話をしながら倉庫街を走りぬけ、その先の商業区も抜け、ルカとヤーグは時計塔に至る。その足元で口論めいた会話をしているのは間違いなく旧知である。

「先輩!」

「ルカ、やっと来たか……!」

「お前が来ないと話が始まらねんだから早く来いよ、ったく」

「リグディの無能発言はいいとして、どうかしら。混沌は開いてた?」

ジルの言葉を受け、ルカは僅かに俯いて首を横に振る。だから、嫌な予感がしていた。

「どこにも開いてなかった。だから……たぶん、また」

過去に二度、同じ出来事があった。
最初の一回は、自警団結成前。ルカも全く事態を把握していなかったため、被害は知らぬ間に大きく広がりたった一日で百人以上もの人間が消えた。
そして二度目、警戒していた自警団はなんとか被害を抑え、被害者は十名未満で終わった。

「街全体が、混沌に覆われてるんだと思う……」

その被害の理由は、ルカにしかわからない。口で説明してみても、感覚的な理解には遠く及ぶまいとルカもわかっている。

混沌は、濃い状態で発生するときと、こうして薄い靄の幕となって広範囲を包んでしまうことがある。そうなると、水に溶けない小麦粉か何かのように、ホットスポットとして濃い混沌が各所に発生してしまう。
しかも、混沌は誰かを飲むかルカが閉じるか破壊するかしないと収束しないのに、広く発現するときは際限なくいくらでも生まれ続けるのだ。到底、ルカの手には負えない。
その上混沌からはモンスターが無限に湧き続けるし、それらは平時のモンスターに比べてやたらとしぶとかったりする。初めてこの現象が起きた時、百人もの被害者を出したのはこれも大きな一因であった。

「またか……!」

「効果的な対処法はまだ見つかってねーってのに、な……」

二度も起きれば、自警団は警戒を強める。場当たり的になんとか対処してきたが、その上で対処法を考案し続けてもきた。
だが、結局のところ、人間にできることはせいぜい混沌から湧いたモンスターを処理して一時的に一つの混沌を排除するだけだった。そしてそれを何度繰り返しても、この事件を収めることはできそうになかった。一つ消す間に二つ生まれ、十消す間に百生まれ、一人助けるために二人が死に、十人助ける間に百人が消えた。
だから、二度とも決着させたのは、人間ではなかった。

「……対処法が無いわけではない」

「はぁ!?“アレ”を対処法って、本気で思っているの!?」

シドがどこか痛みを耐えるような、苦しげな顔で言った言葉に、ジルが勢い良く噛み付いた。

「あんなの対処法って呼ばないわ!あれは最後の手段でしょう!?まだ何も考えてないのに、ファーストストライクで使うわけにいかないわ!」

「我々が悩めば悩むほど人が死ぬのに、悠長なことは言っていられない!」

「あんたが犠牲になるならいいわ、止めないけど……!でもあれは違う、苦しむのはルカなのよ!?」

「ちょ、もう、だいじょうぶだから喧嘩しないんですよあんたたち……!よーしよしよしよーし!」

「お前ふざけてんなよおい、マジで殺されっぞ」

口論するシドとジルの間に割り込もうとするルカをリグディが止め、首根っこを掴んで引き戻す。
ルカに迷いはないから、口論なんて無駄もいいところだ。それでも、彼らがルカのことを迷うのは有り難いことだった。

混沌をくぐれるのは、適性を示した人間だけ。そして、適性があるからといって己の意思でそこを抜けられるか否かはまた別の話。更に、混沌をコントロールできるのは、この世に四人だけ。すなわちライトニング、セラ・ファロン、ユール、そしてルカである。
そして、その中でもルカが秀でるのは、混沌を支配すること。ライトニングのように混沌の中を生き続けることも、セラのように混沌を足場に物語の道筋を見つけることも、ユールのように時代をたったひとつの混沌で繋ぐこともできはしない。混沌の中では眠りについてしまうし、翻弄されるだけで道など見えないし、ルカはただ一人に過ぎなかった。
しかし、混沌を増幅させて魔法の威力を上げたり、逆に混沌を消し去ることができた。理由も根拠も知らないし、知る意味もない。

混沌との親和性の、その差を何と呼ぶべきか。成り果てた結果の、“エトロの瞳”という存在を。
ルカのごちゃごちゃした説明を真剣に聞いてまとめてくれたジルは、かつてそれを“神格”と呼んだ。

『あんたたち四人……ユールは無数にいるみたいだけどひとまとめにするとして、あんたたち四人は、血やら何やらでそんな能力を得たわけじゃないと思うわ。ファロン姉妹がイレギュラーすぎるし、あんたがエトロから最初に生まれた人間の一人だとしても、それならむしろもっと残ってなきゃおかしいもの。それに、それだとあんた始祖になっちゃうじゃない……それはまずいじゃない、いろいろと』

何がまずいのかよくわからなかったが、准将がどうのとぼそぼそ言っていたので察した。

『だから、きっと行動の結果なんでしょう。カタストロフィの結果、エクレール・ファロンは偶然エトロ崩壊の瞬間に居合わせた。そして、運悪くルカ、あなたがいなかった。ああもうそんな変な顔するんじゃないの……!それで、だから!ファロン軍曹がエトロの騎士とやらになったのは、偶然混沌に巻き込まれて混沌を貯めこんだから、でしょう。セラ・ファロンに関してはよくわからないけど、彼女もやはり混沌を貯めすぎてエトロの瞳になった。ユールもそう、最初から特別だったかもしれないけれど、その存在が続くことで混沌は放出されずたまり続けたのよね』

彼女が考えを纏めるように話すのを、ルカは呆然と聞いていた。自分がどうしてこうなったのかだとか、そういうことはあまり考えつかないままでいたからだ。

『あんたも、きっとそうだと思う。その“神格”がある限り、あんたは混沌に飲まれることはないし、混沌を支配下にも置ける』

あくまで全体像としてみるなら、とどのつまりそれは真実なのだろう。
そして、その“神格”を持つのは、ここにおいてはルカだけだった。

だから、動けるのもルカだけだ。

「ヤーグとリグディはジルと先輩を守って。ジル、エアロを」

「ルカ……!」

「行かなくちゃだめだもん。……ありがとね」

泣きそうに一瞬歪められるジルの双眸を見つめ返してから、シドと頷き合う。
二人の協力が不可欠だ。

ルカが一歩、後ろに退く。
ジルが指先から、うっすら緑色に色づいた魔力が放たれる。
一陣の風となった魔力は、ルカの足元へと駆ける。
ルカはその風に混沌を与え、増幅させていく。
風が、ルカの身体を舞い上げた。

凄まじい速度で、風に包まれたルカは空中へ運ばれていった。時計塔の先端より空高く、地上数十メートルのところで、ぱっと風から抜け出して、ルカは両手足を広げバランスを取る。落ちながら、時計塔を目指した。
耳元で風ががなりたてるのを聞きながらも真っ直ぐ落ちて、時計塔の先端にぴったり着地してみせる。それぐらいは朝飯前にやってのける。
問題は、ここからだ。

「……北東520、北北西340、南南東280……」

全体を薄く覆う混沌のヴェールは、広範囲なれど外側からの攻撃に非常に弱い。
だから、ルカは上空から、それを裂く。
ホットスポットの位置は確認した。あとは落ちるだけ。

ルカは両手を大きく開いて、目を閉じる。ゆっくり傾いで、重力に身を任せ、時計塔の天辺から、落ちた。
これは死を示す行為。つまり扉を開く行為。エトロはいないから扉は開かないが、混沌は死を察知して扉へと流入する。
そして、扉はルカ。ルクセリオを覆う混沌が、全てルカへ入り込む。

「なんや乾燥剤みたいよねぇ」

他に誰もいない、究極的に孤独な場所でルカは笑う。混沌がルカに流れ込む段階では、世界はひどくスローモーションで映る。
この世界にいま、瞳は己とユールだけ。ユールがあの神殿から出てこない以上、外で起きる悲劇はルカが解決するしかない。瞳としてできることが、もうこれしかないから。

ルカを中心に、混沌は急速に渦を巻いて纏まっていく。ルカは己が黒く染まるのを感じる。
世界を救うためなんて欺瞞は言わない。己は今真下にいる、たった数名のために世界を救う。


下から見ていた彼らには、それがよく見えた。混沌がルカに向かって吸い込まれていく。
ルクセリオに昼はないから、空が晴れることはない。だが彼らの世界を覆っていた薄暗い靄が晴れるのは、感覚としてわかっていた。毒霧が消えていくような、そんな感覚。

混沌に支えられるようにゆっくりと落ちてくるルカの体が、不意に速度を増した。
混沌を完全に吸い上げた、その瞬間に向かって、ジルが風をもう一度放つ。ルカはその風に絡め取られ、僅かながらも落下がゆっくりになる。

モンスターを近づけまいと剣を振るっていたヤーグが声を上げる。

「レインズ!!」

「わかっている!!」

そこからはもう数秒もない。彼方から落ちてくるルカを見つめながら、シドがその真下に体を滑りこませる。シドが失敗すれば、さしものルカも死ぬ。
だから一ミリの狂いも赦されず、シドは下で待った。一瞬一瞬、彼らは互いのために命をかけている。それを互いの存在理由にして生きているから、必死で。

降る刹那、ルカは一秒を切り裂いて、地面へ到達する。
一コンマもズレの許されないタイミングで、シドはそこに手を伸ばす。
曲芸と呼ぶにも鮮やかすぎる正確さで、シドは確かにルカを受け止めた。

「ぐっ……!!」

悲鳴も上がらないほどの激痛が、ほぼ同時に二人を襲った。
こんなの無傷でいられるはずがない。けれど、やはりジルがケアル魔法を即座に使い、一瞬で二人の傷は癒やされた。

腕の中で完全に気を失っているルカを見つめてから、シドは周囲に視線をやった。一度出現したモンスターは混沌が消えても消えやしないが、一気に弱体化はする。

「総員、モンスターの掃討にあたれ!ナバート、ロッシュは隊を率いて、ナバートは北、ロッシュは南の制圧に迎え!リグディは空から偵察に移れ!ルカの隊はこのまま街の中心部を守れ!」

「了解」

まともな返事をしたのはリグディだけで、ジルとヤーグは頷いたのみだったが、即座に己の受け持ち地区を目指して彼らは走りだした。
さなか、ルカが目を覚ます。

「……あー、やったぁ成功したったー」

「してなきゃ死んでる」

「私がね!いやぁよかったよかった」

ルカは気を失っていたことの影響などかけらもみせず、シドの腕の中を抜けだした。そして腰に括られたホルダーから愛用の銃剣を引き抜く。

「行かないと」

「もう?まだ休んでいるべきでは……」

「いやいや、このままでいたら爆発しちゃうよ私。魔法をいっぱい、使わなきゃ……」

混沌は魔法のエナジーの根源。例えるならガスのようなもの。
ルカはシドに背を向け、悠然と歩き始める。

ついていこうとする彼女の部下をシドは止めた。
今の彼女についていけるのはそれこそ旧知の自分たちだけだろうと思って。



その日、最初の行方不明者である三名以上に犠牲者が出ることはなかった。
当日こそ自警団のほぼ全ての団員を動員する羽目になったが、翌々日にはいつものサブルーチンで仕事が繰り返されるようになる。



「あーのどかマジ平和、この筋肉痛さえなければ世界は平和で誰のことも憎くないんですがねぇ」

「ルカが筋肉痛になるのなんていつ以来だ?」

「さあ……?この間ゴルゴノプス素手で粉砕してた後も別に何も言ってなかったはずですよ」

「人間離れ著しいわねぇ……」

「いやゴルゴノプスくらい意外とできるから!できるよねヤーグ!?」

「それしかなければやるしかないがそもそも武器を手放さなければ済む話だろう……」



墓地に名だけの墓石を立てて、今日も彼らの仕事は続く。
互いを守りぬくためだけに、世界さえも救いながら。









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