エンゲージリングは妬けついた







暗い世界から反転し、水の跳ねる音が耳に届いた。寒々とした、湿度の高い空気。目を開けた視界には、透き通る世界。蒼と黒と白。それだけの色素で表現できる、不思議な空間が広がっていた。凍ってしまったようなその場所は、セラちゃんを彷彿とさせる。つまり何もかもが、クリスタル。
下に落ちてきたのだとしたら、ビルジ湖だろうか。上を見上げれば、暗い穴がいくつか見えた。あそこから落ちてきた、ってことか?うわ何それよく生きてたな私……そろそろ死んでも仕方ないくらい危機に見舞われてるわ今日。厄日か!厄日なのか!
むしろこれで厄日じゃなかったら人生詰んだ。

「……いたいなあ……」

体に感覚が戻ると同時に、ガンガンと揺れだす頭。殴られた場所をもう一回打ち直してしまったようだ。くっそ、治りが遅くなる……。私は無意識に舌打ちした。

何やら、先程誰かと会話していた気がするのだが。物語がどうの、調整がどうの、それに……ルシ。そんな言葉が続いていたような。戸惑って思い出そうと思考を続けるのに、それが何か迫りそうになると激しい頭痛が脳を揺らした。

と、同時に、両の手のひらがひりひりと痛み出した。……さっきファイガを使ったときか。グローブもなければシェルもかけてない状態だったから、仕方ない。真っ赤な皮膚に嫌気がさして溜め息を付いた。グーパーを繰り返し、目の前に翳して状態を確認する。ともあれ、大した火傷でもなさそうだ。

体を起こすと、目の前に私のコミュニケーターが落ちていて一瞬焦る。いじくってみれば、しっかり反応を返すので、無事らしい。良かった。
白銀に淡い青ラインの入ったそれは、最近買い換えたばかりだったから余計に。二ヶ月で壊したなんて言ったらさすがにこめかみぐりぐりされる。あの人はそういう人だ。
目立つ傷も無いことを確認して、ようやく「あれっそういや他にも人が居たような」ということに気がついた。周囲を見渡せば、すぐそばにファロンが倒れている。私は近寄り、無事かどうか確かめようとした。そのときだった。

「……セラ!?」

「えっ違いま……、起きたんね、大丈夫?」

「お、おう……。って、なんだよこれ……」

突然後ろで上がった大男の声に返事をしてしまった。恥ずかしい。と、周りに倒れていたおっさんたちも目を醒ましたようだった。ファロンもうっすらと目を開ける。そして私に気付いて、体を起こし、周囲を見渡し始める。遠くに、何度か見たような設備がいろいろと埋まっていた。きっとハングドエッジから落ちてきたのだろう。あれはPSICOMのものだ。

「ここはビルジ湖……だよなあ?あそこから落ちてきて……湖ごと結晶だと!?」

そういえば、私はさっきこの湖からセラちゃんを連想したけれど。ファルシは何かをクリスタルにする力もあるのか。物質を変化させる力、か。それも、クリスタルねえ……。なんか金になりそうな匂いがプンプンする。でも言ったら怒られそうだから我慢。

「何がどうなってんだ、ファルシの力か?俺たちゃ、いったいどうやってここに――」

「私が知るか」

「おっさんさっき言ってたじゃん。落ちてきたんだよ」

「落ちてきた、そりゃそうでもよ!生きてるなんておかしいだろうが!見たとこ大した怪我もねえし……」

「そこはファルシの力っていう万能のXで説明可能。よって知る必要なし」

この世界の不可思議なものはファルシの仕業って相場が決まってる。それなら、その不可思議なものの正体については考えても意味がない。ファルシの恐ろしさなら、私はよく知っているのだ。

「セラだ……」

大男がぽつりと呟き、みんなそっちを見る。えっ君の彼女今関係なくない?

「あんなに上から落ちたのに、助かるなんて奇跡だろ?セラが助けてくれたんだ!」

「ふざけるな。それならファルシのせいだという方がよっぽど理解できる。いいか、セラはお前のせいで……!!」

ファロンが激昂し言葉を詰まらせる中、彼女の後ろから何かが現れる。
うわあああまた来たああああシ骸だああああ。うわあああちょっと私としてはトラウマティック!逃げようかな!ね!

「義姉さん!」

最低なことを考えている間に大男が飛び出し、ファロンを庇った。そして驚くべきことに、彼はシ骸を弾き返し……左の腕から、青い光が漏れる。そのまま彼は左腕を後ろに引き、シ骸に氷を纏ったアッパーを食らわせた。その瞬間、シ骸は凍りつきながら宙を舞う。……明らかに、人間の力じゃなかった。

「なんだよ、今の……!?」

力を使った本人でさえも、左手の発光する紋章に驚いていた。今のは確かに人間の力の範疇を超えていた。あのシ骸を、助走があるでもなく軽くふきとばしたこともだが、彼は魔法なんて使えなかったはず。私みたいにチップを持っているわけでもないのに。そしてそれに、怯えた様子の少年が答える。

「魔法だよ!ルシの力だ……ファルシに呪われたんだ!ルシにされたんだよ!!」

騒ぎに気がついたらしい、奥からぞくぞくシ骸が現れる。……さすがに魔法インストールには時間がかかるし。ここはファロンに任せよー……っと。

そんな心の声に気付いたのか、ファロンは武器を抜き取り、私の前に立ち、構える。やっぱ君、私の部下にしたかったわ。空気読めるって大事よ。

さっきの大男と、ファロン。それにツインテールの女の子が加わり、敵に武器を振るう。やー、がんばれ。超がんばれ。私は応援係ということで。
いやしかしファロンは強いなあ、流石私が目をつけてただけのことはあるわー。彼女の繰り出した斬撃によって敵がまるで灰のように崩れ去り、大男らのシルシは光を収めた。そして大男がファロンを振り返りながら、呆然と言う。

「ほんとに、ルシなんだなー……」

ファロンはそのあっさりした声に呆れきった表情で顔を背けるが、皆々自分がルシとなったことにショックを受けているようであった。お互いにシルシを確認している。全員、ルシ?なにそれ。
私には、そんなもの無いのに?

「ねえねえファロン?シルシができた、っていう感覚どんなんだった?」

「どんな、って……ファルシに焼かれたような感覚があっただろう!?覚えて、いないのか?」

覚えていない、というか。そんなこと、されていない……。
でも、それは言えない。この状況でそんなことを言うのは得策じゃない。私にも印があると思わせた方がいい、誰が誰だかわからない状況で、不和を煽るべきじゃない……。

「そういえば、お腹にあったような。でもあのときすっごいくらくらしちゃって、あんまり覚えてないんだよねー」

そうへらへらと笑って誤魔化すと、ファロンは呆れたような表情を返してくる。見破られることはないとしても、ちょっと戸惑うな……どうしよう。

「……じゃあ、全員ルシか」

彼女が呟くように言うと、震えていた少年が視界の端で崩れ落ちる。……セラちゃんより更に若い。いっそ幼い。こんな子まで巻き込んだのは誰だよもう。あ、私の友人だったわ。だめだ誰も責めらんない。

「なんで……僕が。僕は関係ないのに!あんたらがファルシなんかに手を出すから!!」

その怒りはまあ、最もといえば最もで。決まりが悪そうに目をそらす奴もいた。そして少年はじっと大男を見つめ、睨みつけて下を向いた。

「僕を巻き込むなよ!!あんたのせいで、僕の……僕のっ……」

彼がそのあと、何を言おうとしたのかはわからない。だがそこに続けた言葉は、まるで挑発にも近い糾弾。

「あんたもセラも!迷惑なんだよ!!」

その言葉には、仕方ないとか申し訳ないとか、流石にそういう意識が持てなかったらしい大男は、何か言葉になっていない怒号を小さく吐き出した。それに過剰なまでに少年は反応し、尻餅をついて後ずさる。
だが、後ずさった先は、残念なことにファロンで。足にぶつかった彼に、冷たい一瞥をくれると、少年は頭をかかえてうずくまってしまう。

「あーもう。止めなさいよ大人気ない」

「……悪い」

私がそう言うと、大男は謝った。まあ、今日日珍しい素直な子ですね。いやもしかしたら頭の弱い子かもわからんね……さっきのファルシに関係した発言もそうだけど。
ファロンはもう完っ全に体ごとこっち向いてないからね。素直さの対極にいる子だわ。別にいいけども。と、ツインテールの少女が少年を励まし、なんとか妙な空気は崩れ去る。彼女は少年を立ち上がらせ、歩きだした。
ここに居ても仕方ない、そう判断したのだろう。……賢明だ。全くもって、ここに居ても危険しかない。私たちももう行こう、とファロンに目配せし、彼女たちを追った。追いついて、私は話し合わねばならない話題を俎上に載せた。

「それにしても、これからどうするよ。できるかどうかはともかく、まずここ脱出でしょー?それからどうすんの?」

「……使命……とか、か?」

おっさんがこわごわと周りを見渡しながら、私に返答した。それに対しファロンは目に見えて機嫌が悪くなる。思ったより分かりやすい奴だなお前。

「果たすも何も……使命が解らなければ、果たしようもない」

「……もう、“視た”と思う」

「……視た?」

ツインテールの少女が俯きながら言う。と、周りのみんなも、何かを思い出すかのような反応をしてみせた。
……私は、何も見ていない。黙っていた方がいいだろう。

「ルシの使命っつうのは、ああしろ、こうしろって――言葉ではっきり説明されるわけじゃねえんだ。ぼんやり視えるだけなんだとよ。ま、伝説だけど、な!」

周りの視線を集めたことに気付き、あわてて彼は謙遜するしぐさをした。何この人。詳しくない?調べてないこれ?
彼の言っていたそれは懐かしい黒歴史、私が卒論で発表させられた内容だった。私は下界に潜むという幻の魔物、トンベリについて調べたかったのに。馬鹿かって言われて無理矢理変更させられたのである。無念だったのである。あの黒い悪魔め!髪と心が真っ黒だ!

「大佐は、ファルシについて、詳しくなかったか」

「え?あ、ああ……士官学校の卒論は、ファルシ関連だったけども。でも大したことは知らないし……」

うわー振ってきますか。やっぱりその話題振ってきちゃいますか。一瞬なぜ知ってるのかと思ったけど、軍は入ると上官の特徴を一通り覚えさせられるしな。私の特徴といえば、武器学とファルシ学だから。あとコネ。

「割と抽象的でわっかりにくいって下界の異物調べてたら書いてありましたけど。黙示戦争の頃は、ルシの使命は結構決まりきってたみたいなんだけど、現代的解釈って言われちゃうと困ってしまう」

「そういえば、俺がこの話を読んだのもあんたの論文だ。ファルシの新説発見者が、ルシとは……なあ」

難儀な、という顔でおっさんがこっちを見てくる。……やっぱアンタ調べてるだろ。わざわざ私の論文まで読んだって。まあここで糾弾するわけにもいかないけど。……それも大きな不和の原因だ。

あの論文は、私一人で作ったものじゃない。っていうか、私は半分も手伝ってない。彼がそれを望んだから、私は従っただけ。
いつ、会えるだろう。
張り詰めていた糸が少し緩むように息を吐き出す。こうなってしまっては、会いたいとももうあまり思わないけど。でもやっぱり、それが打開策なんだろう。この最悪な状況の。それはそれで最悪かもしれないが。とりあえずコミュニケーターのマナーモードをサイレントにして、電池使用量最低限モードに切り替える。これで、連絡が来ても妨げになることはあるまい。すでに来ている着信やメールを一通り洗ってコミュニケーターを閉じたとき、すぐ近くからすっとんきょうな声が聞こえた。

「ねね、それ。掌、大丈夫?」

「へ?ああ、これか」

ツインテールの少女が、丸い目を大きく見開いて、こちらを見つめていた。特に手を注視している。そして私の手を取り、「ケアルっ」と小さく唱えた。すると、暖かい緑の光が零れ、私の手を包み込み……次の瞬間には傷が消え去っていた。そして不思議と、ガンガンと鳴っていた頭痛も感じなくなっている。あらまあ。

「よしよし。ちゃんと治ったかなー?」

少女は私の両手を掴み、指の間までじっくり検分した。そこに異常がないことを確かめ、うんうんと頷く。

「ああ……痛みが、取れたわ。ありがとう」

「どういたしまして。この指輪、かわいいね」

私の指を指し、そういって彼女は朗らかに笑う。……不思議な子だ。……とっても不思議な子。指輪が……かわいいなんて。この指にある指輪がかわいいなんて。初めて言われた。私は彼女に一抹の疑念を抱きつつも、回りのみんなに向き直った。

「つまり、具体性は求めても無駄、と。広義で取って解釈していくしかないってことか……。何か、覚えてるか?」

ファロンが未だ浮かない表情をしている少年に話しかけた。気を使っているのだろうか。さっきの件もあるし。
素直に謝れない分、無意識にでもフォローしてしまう、冷たくはなりきれない……みたいな。心根は暖かい子なのだろう。いい子だね!ヤーグみたい!……あ、今いらっとしたわ。思い出してはいけない。頭がもう、痛くなかったとしても。

「あの、……ええと。はっきりとはしないんですけど。大きな、すごく大きな――……」

「まさか、お前らも見たのか!?」

おっさんがびっくりした様子で聞き返す。……何を見たんですか話に入れない。私は一歩引いて、じっと彼らを眺める。

「ラグナロク――……」

私の心の声に答えを返すかのように、大男とファロンがほぼ同じタイミングで一つの名を言う。ラグナロク、って。え、真っ赤な飛空艇がなんだって?じゃなかった。黙示戦争の怪物がなんだって?

「全員同じものを視て――同じ声を、聞いたのね?」

私の問いに、少女が頷いた。ふーむ……。それが、ラグナロク。ラグナロクは人間がなるもの?だとしたら答えは出るのだけど。

「でも、あんなの視せられても、何をすればいいのか……」

「そういうもの、なんだよ。俺たち下界のルシは、コクーンの敵だ。となりゃあ、使命は……コクーンを……」

「守るんだ」

大男がはっきりとした口調で続ける。おそらくおっさんの言おうとしてたのとは全く、正反対の言葉で。

「この世界を守るのが、俺たちの使命。決まってる」

「うんうん。どうしてかな?」

周りのみんなが視線に呆れやら苛々やらを滲ませる中、ツインテールの子だけは優しげに彼に聞き返した。さっきから、殺伐としそうな雰囲気を少しずつ和らげている。不思議な子だけど、悪い子ではないのだろう。

「セラが言ったろ?一緒にやろう!力を合わせて戦うんだ。セラを探すぞ!きっとこの近くだ!」

「私も探すよ!待って!」

自己完結を終え、走り出した大男を追って、少女が走り出す。全く、落ち着きのない野郎だ、と言っておっさんも後を追い、少年もこちらをちらと気遣うように見てそれに続いた。

「……どう、思いますか」

「どう、って……そうねー、敬語は使わない方向で行こう。軍人ってことはとりあえず忘れてたいし」

ほら、仲良くなるところから始めないと。そういうつもりで言ったのだが、彼女は一瞬呆れの色をにじませた。

「そういうことじゃなく……!……いや、いい。すみません」

彼女は、私に聞いても答えは出ないと思ったのだろう。やれやれ。こういう態度慣れてる。
それじゃあ一つ、彼女の求める答えについて、思いつくヒントを語ろうか。私の身の上についても、含めて。

「……使命。本当のことを話しているのは誰だろうね」

「え……」

「ほらー置いてかれるよ。早く行こうぜー」

いくつかの嘘と、いくつかの本当と。見破ったって、そうすることが正解とも限らないなら、どうすれば良いのやら。

「……私だって、ねえ?」

嘘を吐いてないなんて、一言も言ってない。







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