錯覚のモラトリアム





ヤーグがようやく指揮官室を出て、ルシ捜索に乗り出してすぐのこと。警備軍の一般兵が、指揮官に願い出たいことがあると言って、PSICOM兵が止めるのも構わず飛び出してきた。

「この街は、我が隊の管轄です。自分らが守ってきた街なんです!だから、住民の避難を徹底させて、それから街を壊すような行動は……!」

「各部隊へ通達。武器使用制限を解除する。全兵器使用自由。総力を上げてルシを討て。……以上だ」

ヤーグはその声は聞こえない振りで、周囲のPSICOM兵、そして無線の先の部下達に司令を出した。その内容は先程の請願のまさに逆を行く内容で、訴え出てきていた兵士は一瞬息を飲みそして、数秒でざわめき立った。

「全兵器って、街で戦争始める気ですか!」

「住民の避難も終わってないのに、どんだけ被害が出ると……!」

「――あんたら現場をわかってない!」

その言葉に、ヤーグは一抹の怒りを覚えた。……現場をわかってない、だと。何を言っているのか。そんなもの、自分は死ぬほど理解している。何が求められているか理解しているから、己はあいつすら差し出したのに。それに伴う絶望さえ、知らないないままに……。
気づけば、軍刀を抜いていた。あいつの剣とは違う細いそれが、銀の輝きを放った。

「君らは、現実をわかっていない。下界を恐れて、ルシの抹殺を願っているのは誰だと思っている。……聖府ではない。軍でもない。民衆だ!」

その恫喝は、兵士達に言葉を詰まらせるには十分だったようで。何か言い返そうと口を動かしていたようだが、結局効果的な反論は見つかりじまいのようだった。ヤーグはそれを一瞬だけ見やると、軍刀を収めて、飛空戦車を飛び上がらせた。

……私がここで、止まるわけにはいかないのだ……。

ぐっと奥歯を噛み締めて、軍刀の鞘を握り締めた。






沢山の人が、列を作っている。それはここパルムポルムではまあよくある光景で、でも今は確実に異様で。みんながみんな、パニックを押し隠す暗い表情をしているのが原因なのは考えなくてもわかった。

「聖府はファルシの言いなりだ。ああやって、みんなパージするつもりなんだ」

「……また、関係ない人を巻き込むの」

「なんでも、自分のせいにすんな」

ぼそりと呟いた声に返答があったことに、少し驚く。……自分のせいになんかしていないのだが。この男はとことん間抜けらしい。関係ない自分たちを巻き込んで、挙句ルシにしたのはお前じゃないか。

「無責任だ」

「でもまだやれることがある。軍を引き付けるぞ」

スノウはつまり、彼らをパージさせまいとしているらしかった。ハングドエッジの時と同じように。彼はショッピングモールに人々が避難しているのに気がつくと、小さく舌打ちをする。

「まずい……!」

そのまま走り出すスノウに驚き、一瞬出遅れる。スノウは兵士に殴りかかると、銃を奪い取り、空に向かって乱射し、そして叫んだ。

「俺は下界のルシだ!全員ぶっ殺してやる!!」

一瞬で周囲は金切り声につつまれる。わけがわからず、ホープはスノウに怒鳴るように尋ねた。

「なんでこんなこと!」

その答えは、すぐに理解できた。空に連絡を受けたらしいPSICOM飛空部隊が現れたのだ。そこにスノウが、悲痛に吐き出す。

「あいつら、人が居ようと平気で撃つ。巻き添えで何人死のうと関係ねえんだ!」

その時だった。路地の辺りで一人、民衆とはぐれたらしい少女が泣いているのに気づく。ホープはつい反射的に駆け寄り、声をかけてしまう。

「大丈夫!?」

「ッ!!きゃあああっ!!」

少女はルシという危険から逃れようと、身をよじり、手に持ったぬいぐるみを投げつける。柔らかいそれは、ホープに当たって音も無く地面に落ちた。自分を恐れている、それが伝わってきて、どうしようもなく痛くて、ホープは動けない。

「近寄らないで!!」

それは路地の先から響く母親の声。彼女に鼓舞されたのか、逃げた筈の人々が廃材やパイプなどを手にして、こちらに迫ってくる。

「ルシの野郎……!」

「子供を助けるんだ!」

「軍隊はまだか」

「俺たちも戦うんだ!」

「コクーンを守るぞ」

その姿は、ハングドエッジで立ち上がった自分たちによく似ていて、スノウは一瞬戸惑う。が、考えちゃだめだとすぐに思考をシャットダウンした。そんなスノウの横で、ホープは呆然と民衆を見つめ、そのスキに少女は立ち上がり、彼を突き飛ばす。そしてぬいぐるみはそのままで、彼女は母親のもとへ駆け出した。

「ママぁ!」

「よかったあ、もう大丈夫よ……」

子供が戻ってきたことで躊躇う理由がなくなったのだろう、人々は二人ににじり寄り始める。それに気付いたスノウは舌打ちと共に烙印を掲げ、群衆との間に氷の壁を落とす。明らかに人間技じゃないそれに、彼らは驚き、一瞬で士気は削がれる。叫び声を上げながら彼らは逃げ惑い、抱き合った親子はこちらをずっと見ている。ホープは地面に落ちたぬいぐるみを拾い上げ、近くの看板に乗せた。

「ごめん」

スノウが、立ち止まったままのホープの腕を引く。

「逃げるぞ!!」

「あ……」

すぐにそこにはPSICOM兵が現れ、銃を放ち始めた。二人は走り、隠れながらはしごを登って屋根の上に出る。
リベラ街だった。商店街から近い住宅地。走って走って、どれくらい走ったのかわからなくなった頃、足が思い出したように痛みホープは座り込む。それに気付いたスノウも足を止め、沈黙を埋めようと口を開いた。

「フィリックス街って、あっちだよな?……結構遠いなあ」

ホープを振り返るも、反応はない。きっとさっきのことがショックだったのだろうと、スノウは触れないように周りを眺めた。と、フィリックス街とは違う方向、更に遠くで、青いアドバルーンを見つけた。

「“家族みんなで明るい生活”……だとさ。ほんと、遠いなあ……」

「ルシなのに、家族なんか」

「そう言うなって。縁がないと、憧れるんだよ。ま、いつか手に入れるさ。セラを助けて、コクーンも守って……」

それはずっと抱いてきた彼の『希望』だった。揺らぐことのない、一つの希望。しかしそれは、ホープの傷を刺激する。ホープはキッと顔を上げ、スノウを睨みつけた。

「どうやって?」

「あー、どうしような。俺はみんなを守りたいけど、みんなはルシを嫌ってる。それでも、傷つけたくねえし……困ったもんだ。けど、あきらめなけりゃどうにかなるさ。ルシだって、希望くらい持ったって……」

言い終える前に、破裂音。反射的に振り返ると、あのアドバルーンは跡形もなく消えていた。

「ルシの希望なんて……殺されることだけなんだ」

ホープの悲痛なその声は、スノウに届いただろうか。燻りつづける痛みは、届かないけれど。






爆発を避け、また走って、屋根の上。とりあえず見つかっては居ないらしいことに安堵しつつ、ホープはふと前を行くスノウに問うた。

「家族に憧れてるんだよね。じゃあ、もし家族を奪われたら?」

「取り返す!」

ポーズをつけてそう断言するスノウに、ホープは更に畳み掛ける。

「取り返しがつかなかったら。誰かのせいで、奪われたら」

「そりゃあ、許せねえよ。……なんだ、突然?、うおッ」

スノウがそう言ってホープの顔を覗き込もうとしたとき、突風が起こり、また軍兵器が襲来。ホープを庇おうと前に出るスノウを、ホープが思い切り押しのけた。

「おいっ!ホープ!」

体は細く、伸ばした鎌のような腕を振り回す兵器。ホープはがむしゃらにブーメランを投げつける、が当たらない。彼が続けざまに風魔法を放つも、兵器はそれをかいくぐり、一瞬でホープに迫った。

「危ねぇッ!!」

スノウは間一髪でホープを掴み、倒れこむことで兵器の腕を避ける。そして、ホープをかばったまま烙印を空に掲げると、それは青く光り、氷の姉妹が現れた。

「あいつをやれ!」

二人はスノウの言葉に表情を変えずに頷くと、氷をまといながら兵器に突撃した。いかにファルシの技術を駆使しようと、所詮機械は機械で、温度変化には弱い。スティリアの手で凍りついたところにニクスが物理攻撃を与えると、ショート寸前の兵器は真っ二つに折れた。

「やった!」

それを見てやっと体勢を整えたスノウに、姉妹は口吻けを投げて去っていく。ふっと安堵の息を吐き出して、ホープを見ると、彼は酷い顔色で地面をじっと睨みつけていた。
スノウはそれを疲れからだと受け取り、近くの遊具施設での休憩を提案する。ホープは何も言わなかったが着いてきたので、自販機でジュースを買って差し出す。

「ほら」

「……それ、好きじゃない」

「そうか。……俺は好きなんだけどなあ」

スノウはさっきまでより更にそっけなくなったホープに困った様子で頭をかき、柵の近くへ歩いていき、缶を開ける。そこは街の高台で、戦闘機はまだ飛び回っていたが、オレンジ色にそまった街は平時ならそれはそれは美しいのだろうと思った。
その背中を見て、ホープの胸が締め付けられることを、スノウは知らない。その場所は、ノラ・エストハイムのお気に入りの場所だった。



ホープは泣きそうになった。その場所は、母が立っていた場所だ。幼い頃、よく自分の手を引いてここに来て、そこから夕陽を見ていた場所だ。そこは、母の場所で。でももういなくて。だからこうやって奪われてく。
この男に、壊されたから。

「……スノウ。あんたの希望って?」

薄い膜を張る涙を振り払い、ホープは冷たい目で目の前の男を見つめる。スノウはホープの声に振り返り、それに答えた。

「さっき言ったろ。セラを助けてコクーンも守って、“家族みんなで明るい生活”だ。まあ、先は長そうだが……なんにしろ、希望があればなんとかなる。ルシだろうと関係ねえ、生きて戦える」

「戦って、人を巻き込んだら?」

軽く言い切って缶をゴミ箱に投げ入れるスノウに、ホープは一歩踏み出した。こいつはやっぱり、何も考えてない。何も、わかってない。

「あんたが生きて戦うために、誰かの希望を壊したら?死なせたら、その責任は?その人たちに、どうやって償うの」

「……償えるかよ。死んじまった相手に、どう償えってんだ。もう取り返しがつかねえのに、言葉で謝ってどうなる」

その無責任に思える言葉に、ホープの怒りは燃え上がる。何言ってるんだ、こいつ。誰のせいで、母さんは……。

「最低だ、巻き込んでおいて……!」

「ああそうさ!巻き込んで死なせた!重すぎて、わかんねえよ。償い方も、謝り方も!今は、前に進むしかねえ。償い方が見つかるまで、戦って生き延びるしかねえんだ!」

それは違う。この男は本当に無責任だ。何も分からないで進んで、それで何を得られるっていうんだ。生きていれば償う方法が見つかるとでも思うのか。それこそ自分に甘すぎるだろう。

「何が、前に進むだよ!言い訳にして逃げてるだけだ!!」

「じゃあ、責任とって死ねばいいってのか!?」

「そうしろよ!」

ホープは、殺意と苛立ちがないまぜになって、自分の中で爆発するのを感じた。それはそのままルシとして与えられた魔力へ直結し、大きく膨らんでそして、解けるように放出される。その圧が、スノウを吹き飛ばす。が、元来のしぶとさからかスノウは柵を掴んで辛うじてぶら下がっていた。

「……ノラ・エストハイム。母さんの名前。あんたのせいで……死んだんだ!!」

「おまえが――お前だったのか!?」

ホープはライトニングから借りたお守りを取り出す。そしてそのままそれを振りかざす。さあ、やらなければ。ああああ、意味をもたない叫び声を上げ、それを今にもホープはふり下ろそうとする。ホープは、スノウを殺すこと、それしか考えてなかった。
だから気がつかなかったのだ。後方から、自分を狙う爆撃機が迫っていることに。

「あっ……」

発砲の音と地面をえぐる音がして、気がついた時にはもう遅かった。振り返る暇もなく、ホープの体は宙に浮く。

「ホープ!!」

スノウは、あの時と同じように……手を伸ばした。届け、届け、必死に祈る。
だってお前を死なせるわけにいかないんだ。その声はきっと、ホープには届いていなかった。






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