痛み分けの定義





ヤーグは今回のパルムポルムへの軍派遣の本部として使われている中型の飛空戦車に戻っていた。後ろで部下が人数配置について喚いている。彼は一度振り返り、怒声に近い声で指示を飛ばすと、指揮官室へと慌ただしく飛び込んだ。そのまま備え付けの机に置かれたままの、自分の私用コミュニケーターを手に取る。
友人は多い方ではない。すぐに目当ての相手の連絡先にたどり着いた。息も荒く、コールする。彼女がそれに応えるまでの恐らく十秒にも満たない数瞬が、永遠にも感じられた。

『……はい。何よ、パルムポルムで何かあったの?急用なら仕事用の方に……』

「あいつは、ルシじゃない」

口を開くことができたのは、何という言葉を吐き出すべきかわからず、彼女が面倒そうにゆるゆると小言を吐き出してからのことだった。彼のその言葉に、彼女は珍しく絶句しているようだった。想定外にも程があるということか。

「あいつはルシじゃないんだジル、おかしい、あいつは魔法を使わなかった!」

『その程度でどうして断言できるのよ。偶然使わなかっただけじゃない』

「違う、お前だってわかるだろう!あいつが、敵に囲まれている状況で、より楽に状況を打破する力のある魔法を使わないなんて有り得ない!」

彼女は、一番簡単に敵を殺す方法を考えるのが得意だった。必ず躊躇いなく急所を狙う。それがある意味、彼女の強さの秘訣でもあった。

「だから違うんだ!あいつはルシじゃない!理由はわからないがルシにはなってなかったんだ!これでもう大丈夫だ、引き返せる!今ならまだ、まだ引き返せ……」

『……っていうのよ』

必死に語る彼の向こうでか細い声が漏れ、耳の中でぼんやりと飽和した。ヤーグが聞き返すより早く、悲鳴に近い叫びが脳髄を突く。

『だからなんだって言うのよッ!!あの子がルシじゃない、結構だわそれがなんだって言うのよ!!どこにどうしたら引き返せるって言うのよッ!!!』

「っあ……ジル、」

『アンタは甘いのよ甘いの昔っから!だから、だからこんなことになってるのに!!アンタがあの男程ではなくても、もう少し現実をわかってれば!もっと欲しがってれば!こんなことにはならなかったのに!!』

がしゃんがしゃん、と、何かが倒れるような音が耳に届いた。彼は彼女の言葉を半分程度しか受け取れないまま、その背後に響くその音を聞いていた。彼女がわけのわからないヒステリックな叫び声を上げた直後、通信は切られる。
彼は耳から離したそれを呆然とした様子で見つめ、数秒は固まっていたが……コミュニケーターを机に放るようにして戻す。そして後ろにあるソファに崩れるように腰をかけ、そのままぐらりと頭を倒し低い天井を見つめた。ずっと大音量が響いていたせいか、右耳が痛んだ。ヤーグは目を細め、ぐらぐらと揺れる頭を押さえる。

それは確かなことだった。彼女が叫ぶのも無理はない。

「どこに……引き返せるって言うんだ……」

何を考えていたんだ自分は。
多分、彼女の姿を地上に見つけたその瞬間にはすでに、己はあいつを取り戻す方法を必死に探していた。良心がまだ生きているあいつなら戻ってこれるんじゃないかと絵空事を描いて。あいつがルシじゃないと思ったら、それでもう脳内でこの悲劇を完結させて。何もわかっていない。自分はまだこの絶望を理解していない。
それもそうだ。
自分は、彼女にただ乗せられただけなのだから。

「私の……罪は……」

何も知らずに。
何もわからないままで。
足を踏み出していることにすら気づかずに。
まだあいつを想っているままで。

「この……地獄に、入り込んだことだ……」

彼女を最初に闇に落としたのは、そもそも彼だった。目の前で歪む肢体を、焦がれた筈のそれを、彼はただ呆然と見つめていただけだった。その絶望を理解していなかった。
×を失うことが、自分からそれを捨てることが、どういうことかわかっていなかった。ジルはそれを、誰よりも理解していたのに。
いや、違うな……。

「ジルは、捨ててから私に……」

彼女は捨ててから話を持ちかけたのだ。×を、十年以上の月日を。なんてことはない、自分だけが半端。
あの男のように守ることも、ジルのように捨てることもできないから。

……だから私は、ここに居るのだろうか……。

ヤーグは冷たい部屋の中、悄然としたまま、纏まらない思考で自嘲の溜め息を吐き出した。






スノウは近くで俯いている少年を見やる。その双眸はじっと地面の一点を見つめていた。

「雰囲気、変わったよな。甘えた感じがなくなった」

「ルシだから。……戦わないと」

苛立ったようにそう返される。ビルジに落ちたばかりの頃の、戸惑いの表情も、歳相応の恐怖心も、なりを潜めているようだった。

「軍隊なんかと戦うのは……、バカだけで、いいんだよ」

彼の言葉に少し悲しくなって、スノウは苦笑して自虐する。ふっと、スノウの脳裏には一人の女性の姿が浮かぶ。母は強し、よ。そう言って銃を取った彼女の姿が。

「戦うのは、バカなんですか?」

ぐっと拳を握り締めて、震える面差しでスノウにそう聞く少年の声を、もっとちゃんと聞いていたら。きっとスノウだって、そこに重い暗い何かがあることに気付いたのだろうが……。

「……死んじまったら、意味ねえよ」

子供を守るために死ぬくらいなら、子供を守るために生きて欲しかった。そのために、俺たちは戦おうとしたのに……。
後悔はないが、彼女の落ち行く様は、手から抜け落ちる体温は、心に焼け付いて剥がれない。あれから何度も、どうしようもない無力感に襲われた。

もうあんな経験はしたくない。そんな思いから、『戦うのはバカ……つまり自分たちだけでいい』とスノウは言った。
つもりだったのだが。
ホープは、怒りのあまり絶句していた。
おそらく元来の性格からかスノウはそれにも気づかないまま、「とにかくお前は無茶すんな。ノラは軍隊より強い!ってな」と言って笑う。そうして歩きだした彼の後ろで、ホープは今まで経験したこともないような寒い怒りに、底冷えするような震えすら感じた。

――あいつ、笑った……。

彼の手の中には、ライトニングから借りた『お守り』がきつく握られていた。






私が途中水道管を破裂させて己の血を拭い去るという離れ業を行使しつつ、私達は順調に街を進んでいった。道中、ファングは約束したとおり疑問を解消するべくこれまでのことを話してくれた。
暴れたせいか、私に対しては妙に距離を感じるが、身に覚えがある以上仕方がないだろう。

「んで、レインズにここまで送ってもらって、アンタらを迎えに来てやったってわーけ。わかったか?」

「……」

「ま、とりあえずはね」

おーいライトは何黙りこくってんだよお!うるさい静かに歩けないのか。そんなコントを隣で聞きながら、私はふむふむと上空を見上げた。
私の私用コミュニケーターなら、電源さえ入れてあればリンドブルムなら位置が測定できる。聖府側にされるのは怖いけれど、聖府には識別番号が知られてないだろうしおそらく大丈夫。

「で、あの赤い点はルカを指し示してたってワケだな。リグディのやつ、やたら勿体ぶってたけど」

「ふぅん?」

勿体ぶるほど大層な正体もないのだが。先を行くファングの言葉に、つい考えこんでしまった。

そう、ファング……。青衣の女性はそう名乗った。
さっきから、逃亡を最優先していて何も聞いていないけど、この女はルシでありヴァニラと関係がある。私はちらりとファングの持つ武器を盗み見る。三叉槍、だろうか。なんて……原始的な。やはり下界のルシはかなり違う。

何より目を引くのは……。
私はファングの右肩に輝く、白い烙印を見つめた。白いって……どういうこと。何が起きると白くなるんだろ。ルシのシルシとは、黒いものだと思っていたのに。そしてそれは良いことなんだろうか?うーむ……。

悩むが、聞く勇気は無い。っていうか、聞いてどうなる感がある。今はとりあえず、先輩のとこまで行くのが先決かなあ……。そう思って、もう一度脳内で唸ったとき。

「それで。何者なんだ、お前」

ライトニングが少し冷たい声音でそう聞いた。
気づけば丁度外から一切見えない地下通路で、ライトニングは聞けるタイミングを見計らっていたんだろう。ルシ問題っていうのは、彼女にとってはかなり深刻な話。それに烙印に変化のあるルシなんてのは気になって仕方ないって感じか……。ルシじゃない私にはそういう焦りが無いのでよくわからないけども。
ファングは一瞬考え込むように視線を巡らせてから、ライトニングを見やる。そして、何と口火を切ったものかと唇を震わせて、ようやく言葉を吐いた。

「……どっから、話すかなー」

ファングは躊躇うみたいに、微かに俯いた。が、すぐに顔を上げる。

「わり、先スノウに連絡入れていいか。長くなるから」

ファングが片手を上げ謝るような仕草をする。それにライトニングが了承するように顎を引き、私も肩をすくめて構わないという意図を伝えると、ファングはコミュニケーターを手にとった。それは警備軍の支給タイプで、一体誰から貰ったのだろうと考える。無難に飛空挺馬鹿辺りだろうか。あいつも私同様、軍用と私用が混同しちゃってるタイプだし。交友関係が狭いともいう。まあそれは、騎兵隊なんてところでポストを得ればみんなそうなんだけど。空から降りることの方が珍しいし。

「どーしたじゃねーよ!なんで連絡しねーんだ!」

ファングがそう軽く怒鳴り声を上げる。ああ、向こうが連絡する手筈だったわけね。周囲の静かさも相まって、だんだんとスノウくんの声が小さいながらも聞こえてくる。

「ったく……状況は?」

『元気元気、ホープもな。そっちは無事か?』

「たりめーだろ」

ファングはそう言って、ライトニングにコミュニケーターを手渡す。そして、合流場所を決めるようにと促した。

『義姉さん?そこにいるのか?』

「……、誰が、義姉さんだ」

ライトニングがどことなく安心しているように見えて、少し意外に思う。スノウに対しての態度が軟化してる気がした。まあ状況が状況だしねえ、同じルシへの安心感は増すわなあ。吊り橋効果は恋愛以外にも効果アリ、だ。

「ああ、……わかった。合流場所はホープの家。フィリックス街、35のA」

『おう、じゃあ後でな。ファングによろしく。合流したら、セラのことも話すよ。あいつは助かる、よみがえるんだ!』

「……ホープを頼む」

ライトニングも大概冷たいなあ、と私は内心苦笑した。そして、ライトニングは思い出したように付け加える。

「スノウ……聞いてくれ、あの子の、ホープの母親のことだ。あの子は……」

『ライトさん、僕です。やっぱり――僕、どうしても――作戦――』

「ホープ!?おいホープ!返事しろ!!」

途中からホープ君の声に移り変わった通信は、ごちゃごちゃとノイズが入ってしまいには聞き取れなくなった。それにライトニングが血相を変え声を荒らげるも、切れてしまった通信はどうしようもない。

「電波やられたねえ。暗号回線使ってるから聞き取れないのがわかったんでしょうね、多分10分毎に違う回線で電波流してる筈だよ」

「くっ……」

「何熱くなってんだ。話があるなら、まず合流だろ?」

そう言って、ファングは歩き出す。ここから先は、地下道じゃ進めない。

「先行する。援護に回って、少しアタマ冷やせ。ルカ、やれっか?」

「いつでもオッケー」

私が肩を回しながら笑うと、ファングもそれに答えたように笑う。そして先ほど話そうとしていた、彼女についての話が始まった。

「私は……半分イカレちまってるが、あんたらと同じくルシだ。違ってんのは……さっきも話したけど、うちらはコクーンの人間じゃねえってこと。ふるさとは、グラン=パルス」

何と尊称がついたとて、それが私の今いるコクーンの外を指す言葉だということぐらいはわかった。

「お前らが死ぬほど憎んでる、下の世界さ。そこでうちらは、クリスタルになって眠ってた。なのに……目が覚めたらコクーンだった。コクーンがこうなったのも、あんたらを巻き込んじまったのも……私とヴァニラが目覚めたせいさ」

ファングの表情は、さっきまでの人を食ったような物言いから一転、憂いを帯びてほの暗かった。

「うちらは、記憶も使命もわからなくなってて……なくしちまったもんを求めて、コクーン中をさまよったんだ……」

そのうちに、エウリーデであの小さな少年をルシにしてしまい。そこから逃げる中で、ヴァニラともはぐれ。彼女を探し続けるうちに、騎兵隊に拾われて……。

「それでまあ、今に至る、と」

「そういうこった。……うちらが駄目なルシだから、あんたの妹がルシにされて……悪かった。ごめん」

ファングは突然ライトニングに向き直り、そう言って謝った。それにライトは一瞬何も答えず空気が硬化するも、すぐに彼女は動いた。
バキッだかボグッだか、どうにも形容しがたい音が響く。……この子、裏拳出したよ!!なんて容赦のない!相手!女!

「……一発?」

「これで済んだと思うな。許すかどうかは、セラに決めさせる」

「ははっ、スノウとおんなじこと言うのな。あいつは殴らなかったけど」

その言葉に、ライトがぴくりと片眉を上げた。そこでスノウくんにも殴られたって聞いたらスノウくんの評価がマイナスに食い込むところだった。

「スノウにも話したのか」

「ああ。にしても、謝れてよかった。ちょっと楽になった」

「楽になりたくて、謝ったのか」

「……かもな。そっちはどーよ?殴って、少しはすっきりした?」

殴られたにしてはダメージを感じさせない顔で、ファングが笑う。ライトは彼女から視線を逸らしながら、「何も解決しないからな」と言った。と、ファングは一瞬きょとんとしてから、頬に手をやる。

「殴られ損かよ」

「スノウくんよりはマシじゃない?」

彼は吹っ飛ばされてたよ、アッパーだけで。そう言うと、ファングは少し顔を青くして、「……マジ?」と聞いた。マジもマジ、大マジだ。

「いやしかしろくに助走もないパンチであの巨体が尻餅付くんだから恐れ入るわ」

「うっわ、良かった裏拳で済んで……こえー」

「うるさいさっさと行くぞ!!」

振り返ったライトの顔が少し赤かったのは、照れていたからか夕陽のせいか。暴走しがちではあるけど、中身は理性的な子のようだから、今は落ち着いてきて後悔してる感じかな。
――なんにせよ、逃亡を始めたころよりはマシな空気になってきている。と、そんなことをふと思った。どうでもいいけど、ね。








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