解ける思考と感情ノイジー





もう地下道も終わる。やっと地上に出られる……そう思ったとき、ホープは違和感を覚えて上を見上げた。
何か、くる?微振動にも似た空気の変化にじっと意識を集中させ、その正体を探ろうと思った時だった。前を歩くライトニングが、その思考を中断させた。

「家に送ろう」

「っ?ど、どうして……」

「希望もなく戦うのは、生き方じゃない。死に方でしかないんだ。お前には……“希望”のままで生きてほしい。だから命は、私が守る」

地下道の終着点にあるエレベーターに乗り込みながら、有無を言わせぬ言い方でライトニングは語る。上階を示すボタンを押して扉を閉め、彼女に続くしかないホープに向き直り、いつも以上に強い視線を向けた。

「希望は……私も見失っている。でも、家族なら……」

「今さら、父さんに会ったって……どうせ希望なんて……。ただでさえ僕の話なんて聞かないのに、ルシの話なんか……信じるわけない」

ライトニングの言葉にとりあえず反対しようと、ホープは無理矢理声を絞り出す。そして、こんなことを言っても意味がないと思いながらも、父への不信感を露にする。その言葉に、ライトニングが気まずそうに黙り込んだのを見て、ホープはひとつのことに気付いた。
ライトニングは、信じなかった側の人間なのだ。さっきまでの話は、それで納得がいく。

――セラさんが話してくれたことをライトさんは信じなかった。その後悔を、今僕に向けているのだ……。

それは狡いことだと、子供らしく潔白なホープは正しく理解した。だから、意地が悪いと思いながらも、一言ライトへ皮肉を吐き出した。

「……あいつは、信じたんですよね?」

「…………ああ」

言葉はライトに借りたナイフより鋭利で、そっとライトの傷をえぐったのがわかった。そのことに小さな罪悪感は芽生えたが、それでもこの話は終わりになる。エレベーターが地上に到着するまで、それきり二人は口を開かなかった。









人が少ないな。パルムポルムなんて大きい都市で、この時間帯で、こうも人が少ないとは。もう昼も過ぎ、夕方にも近い午後。多分一番、人が出歩く頃の筈なのに。ルカは目を細め、索敵するようにできるだけ遠くへ焦点を当てて周囲を見やった。

「(ルシ潜伏、って市民にもバレてるとか?……いや、そしたら逆に、人っ子一人居ないよね)」

ほとんど乾いてきた髪を揺らしながらルカは周囲を注意深く観察した。人がいない以外、特に異常は無いみたいように思った。

「ねぇ、緊急ニュースだってー」

「ルシの情報かな」

ふと、視界の端に立ち止まった男女が少し先のビルを指さした。縦にも横にも大きいそのビルは、パルムポルムの名物でもあり、壁面の片方を画面にしていつもテレビを流している。その大きな液晶は、商店街らしくどこかごちゃごちゃしたこの街の雰囲気によく合っていて、名物扱いされていたはずだ。今はそこに、見慣れた小奇麗なアナウンサーが映っている。何やら緊迫した雰囲気で、何度も手元の原稿に目をやっている。何が何でも

『さきほど、聖府は緊急会見を開き、逃走を続けるルシの潜伏先を特定したと発表しました。繰り返します、聖府は……』

――おおう、それを今言うのか!バレてないと思った途端にバラすのか!空気読みすぎ!

ルカは心中で舌打ちをして、歩く速度を早めた。どうしよう。まだ“彼”と合流する方法もわからないのに……。思考がぐちゃぐちゃと混ざる感覚に眩暈がする。

――ああもう。やってられん。どこまで行けばいい。とりあえず上に向かう?いやそれは蜂の巣ルートの可能性高いし。連絡を取るべきだろうか。いや、この程度の限定的な範囲だったら、すべての連絡用電波を盗聴している恐れがある。っていうかしてる筈。それなら逃げ切るのは難しいし、助けに来てくれた相手を巻き込むことになる。

「どうしよう……」

そのまま、落ち着くことのない思考のまま歩き続けて。気が付けばそこは、さきほどのあのビルの前。どうしてこんな目立つ所に来てしまったのかと自分に悪態をつきながら、ルカはきょろきょろと周りを見回した。
そこには誰もいない。完全に無人。嫌な予感が脳内を埋め尽くす。

「なんなんだよ……」

ルカはすぐ武器を引きずり出せるよう、転送装置に手をかけ臨戦態勢をとる。こういう空気は嫌いではないが、落ち着かない。
じっと身を固くして周囲の様子を伺っていると、少し離れたところにエレベーターが浮き上がった。地下から来たのだろう。ルカがそのエレベーターにじっと意識を集中させ、すぐそばの案内板の身を隠すと同時に扉が開く。

「……ライトニング?」

「ルカ?」

そこにいたのはライトニングとホープで、ルカはつい姿を表してしまう。そうか、この二人もパルムポルムに……。そう継ぐはずだった二の句は上から飛来した小さなライブカメラによって遮られる。
ハッと気付いて顔を上げれば、そこにあった大きな街頭テレビには、引き伸ばされた自分の顔。

「げぇっ……!」

反応を返す暇もなく、それはぐんぐん遠ざかり、空に浮かぶ飛空戦車の周りを飛び回った。いつのまに現れたのか、周囲には飛空戦車と沢山の兵士。囲まれた、そう思った瞬間にライトが息を呑むのが聞こえた。ホープの喉がヒュッと鳴るのが、やけにすぐ傍で聞こえた。

「(やばいな……どうしたらいい、さすがにこの人数と戦うってのはできれば避けたい)」

指揮官を殺るのが常套手段かしら、と思いながら顔を上げると、遠くの、数十メートルの高度の飛空戦車の上に居たのは、旧来の友人で。

「相手はルシだ。確実に仕留めろ。“3人”と思うな、“3匹”と思え!」

そんな声が、周囲に響く。酷薄そうな響きを持って。ホープと背中を合わせたライトニングが彼に向き直り、睨みつけた。

――ああ、ああ。
ついに、出会ってしまった。

「ヤーグ……!」

吐き出した声は、想像以上に震えていた。……嫌になるね、全くさ。ヤーグと目があった気がして、ルカは必死に逸らした。ああ、いらいらする。この状況に。この最悪の邂逅に。
転送装置から武器を取り出そうかと迷ったが、臨戦体勢を取れば兵士が襲いかかってくる可能性が高い。ヤーグならばルカが武器を持ったらもう危険だと思っている筈だし、それはあながち間違いでもないのだ。

「ルカ。……ホープを頼んでいいか」

「どういう意味。何考えてんの?」

ライトニングがやたらと切羽詰ったような声で言うので、ルカは不機嫌な色でそう返す。その言葉の指すところがわからないでもないが、それはあまりに。彼女はルカの問いには答えず、隣のホープに向けて話し出す。

「私が突っ込む。ここからはルカが守ってくれる筈だ、死ぬ気で逃げろ」

「でも……!」

ホープが声をわなわなと震わせながらライトニングを止めようとする。彼ももうライトニングが何を言っているのか分かったのだろう。

「生きてくれ」

ライトニングがそう言った。
しかしそれが、ルカの目蓋の裏をかっと赤く染めた。

「おいおいふざけんなお嬢ちゃん。こういう時は年寄りから死ぬ、そう慣習法で決まってんだよ」

「ルカ……!?」

「それに、相手が“あれ”なら、私がやるしかないだろーに」

じとりと睨み上げる先に、まだヤーグはいる。ルカの胸はどきどきと緊張に高鳴っている。それはまるで悲鳴のようで、ルカは叫びだしそうになるのを必死に堪えていた。
治らない傷に、爪先を立てて、中を引っ掻き回しているかのようだった。

「だが、お前、あいつらは元仲間なんだろう?それならお前はホープを連れて……」

「なぁに、逃がしてくれんの?辛そうだから?ありがとうね、その気持ちはとっても嬉しいよ」

けれど、ルカは胸にそっと手を当てた。ただそれだけで、ゆっくり鼓動は収まって、脈拍は静かになっていく。

「でもねぇ、こんなに辛くて苦しいから、やっぱり私がやらなくちゃ。辛いことは辛いこととして受け止めなくちゃだめだから。私、あいつからだけは、逃げたくないの。誠実な人間だと思ってたから」

もうずっと長い付き合いを通して、ルカはヤーグを信用し続けた。彼になら何だって預けられると思った。ルカの知る限り誰より高潔で、愚直で、至誠な人間だから。
だからルカも、彼に対してはそうでなくてはならなかった。でもできなかった。せめて今、彼から逃げてはならないのだ。
己は彼から逃げてはならない。ルカもやはり愚直に、そう信じるしかない。

ルカはもう一度、転送装置に手をかける。周囲の兵がこちらを睨む。その瞬間、遠くから新たなエンジン音が聞こえた。こちらを威嚇するように迫る飛空戦車よりどこか軽いその音が何なのか、ルカにはなんとなくわかった。
しかしなぜここに、と視線を空にやると、上から落ちてくる想像通りの大型二輪。

「あれは……!」

巨大なバイクに跨っているのは見覚えのある男。その背後に一人の女性。
ルカがあっけに取られる間に、彼、スノウは突然凄まじい威力の魔法を放ち辺りを氷漬けにして、女性は銃を乱射してヤーグらを僅かに撤退させる。「や、やめっ……!」それが怖くてそちらについ手を伸ばしてしまい、ライトニングが慌ててルカの腕を引く。
それがどんなに愚かしいことでも、ルカは彼を、流れ弾で死んでもいいヤツと判断することができない。

ルカは安堵と戸惑い半分で視線を動かし、上空を見つめる。スノウは滑空し地面へと降り、その瞬間バイクは分解されなにやら一瞬で二人の女に身体が分かたれ、そして宙へと消えていった。何がなんだかわからないルカだったが、それどころではないのも確かだった。

「義姉さん!ルカ!」

「スノウくん……、生きてたんだ。丁度いい、あんな移動手段があるならホープくんを……!」

「ひるむな、上昇しろ!」

ルカが慌ててスノウに詰め寄ったときだった。上からヤーグの声がする。見上げると、彼はもうこちらを見てすらいなかった。そのことに苛立ちながら、今度こそ転送装置を発動させる。

「私が逃げるのも駄目だけどッ……ヤーグだって、逃げないでよ!!」

その声が届くかどうかはわからない。それでも届いてほしい、彼女がそう思ったのは確かだった。
ルカが剣を鞘である転送装置から引きぬいた、それを見て目前の兵士たちが息巻く。

「中佐を煩わせるまでもない!!」

「裏切り者だ、殺せ!!」

「相手はたかが犬だ!」

「得と見れば誰にでも尻尾を振りやがって!!」

ルカの唇が、震えた。
問題は吐かれた暴言の意味ではない。ただ冷える空気は、ルカのもの。
こんな言葉は痛くも痒くもなかった。裏で言われていることはずっと知っていたし、何より名前も知らない、これから覚える気すら無い連中にどう思われるかなんて興味もないから。
でも、ルカは、泣きそうに辛い。

「おいおいダーリン、私がこんなことを言われても平気だって言うわけ!?私がッ……私、が……」

ルカは頭上に吠える。失意の咆哮が彼に聞こえたかどうかは、わからない。
今度は彼女も、届いてほしいとは思わなかった。もうそんなことはどうだっていい。
ルカの両腕は、ぐったりと垂れ、うなだれているように見えた。ルシたちは戸惑い、彼女に手を伸ばすべきか逡巡し、互いに視線をやる。

「……っく、く」

ルカの肩が幾度か跳ねた。それは嗚咽に似ていた。
だからライトニングがついに彼女を庇おうとした。溢れかえる兵と戦える状態じゃない。
兵たちはルカが鈍重になったとみて、勢いづいて銃を向けルシたちに迫り始めた。
ルシたちは、交戦やむなしと、応じるように武器をとった。

「っくくく、あは、あははははははっ!!」

その声はしかし、場の緊迫を切り裂いた。
そして、彼女が振りぬく刃は空に鮮血を巻き上げる。

「スライムなんざプチプチ潰したって楽しくもなんともないんだけどーッ!!おいおいふざけんななんでこの私がこんなゴミクズを相手にしなきゃなんないの!?暇つぶしにもならねぇだろがッ」

一瞬で翻る、優位と劣位の正当性。ぎらりと光るルカの眼は、間違いなく兵士たちを射抜いた。

「人のことを犬犬犬とやかましい。犬は犬でも、私は愛玩犬じゃあないんだよッ!!」

一陣の斬撃が、彼女を囲むPSICOM兵を後退させた。明らかに彼らは気圧されていた。

ルカは犬である。
自身、それを否定できない。
彼女が己の意思でもって決めることは、昔からただひとつだったから。

×情という餌をくれる彼らを、×し続けるということだけ。

ルカはポケットに手を差し入れ、一発の銃弾を取り出した。それを右手で掴み、中指と人差し指で支え、親指で思い切り弾く。それはまっすぐ上空へと跳び上がり、午後の強烈な日差しを乱反射して僅かでも周囲の視線を眩ませた。
そしてルカは、風のように掛けた。

「ヤーグ、ヤーグヤーグヤーグッ!!」

そして、彼の名を呼びながら、取り巻く兵士を鋭く切りつけ始めた。まるで殺せば殺すほど、ヤーグの目に留まるとでも思っているかのように。

「降りてこいッバカ!!私はあんたを諦めないからねッ、あんたが何度私を諦めたって、私はッ……!!」

本人が言ったように、有象無象の兵士などルカの敵ではなくて、彼女は視線を宙に固定したまま兵士たちを攻め滅ぼしていった。殺す、切り裂くという表現では追いつかない速度で、入り交じる血は空気に霧散し凄まじい異臭を放った。
それは蹂躙と呼ぶにふさわしい事態で、ルシたちですら介入を戸惑う。が、その中で最初に動いた影があった。

「おいおいッ、お前はなんて化物だ!?」

スノウと共に現れた青衣の女が、後ろからルカの腰を抱き込み掴まえた。ルカは反射的に徒手の左手で反撃を試みるも、青衣の彼女はあっさりとその手を掴みいなした。

「ッ……!?」

「落ち着けっての!?ここには頭すっからかんのバカしかいねぇのかよ!?おら、スノウ、お前はさっさと行け!!」

彼女は背後に向けて叫び、ルカは視界の端でホープを連れ走り去るスノウの姿を辛うじて認識する。と同時、ライトニングが駆け込んでルカの隣をすり抜け、ルカが撃ち漏らした兵士を的確に潰す。
キュルキュルキュル、と砲台を動かす金属音がして、ルカはさっと視線を遣り飛空戦車を指差した。

「撃たれる!!」

「ああ畜生!!届くか……ッ!!?」

ルカを抱え込んでいた彼女はルカを取り落とすかのように離すと、飛空戦車の方へ向けて何やら唱え、魔力の砲弾を放たんとする。しかしそれが飛空戦車なんて強力な兵器を破壊しうるものでないことはルカにもわかった。
だから、ルカは方針を変える。魔法が発動する直前、伸ばされた青衣の女の腕をひっつかみ、あの大画面の街頭テレビに向けさせた。それは、飛空戦車が滞空する少し手前に聳えていた。

「おいテメェッ……!」

青衣の彼女の手中から、真っ白な魔法が放たれる。まるで花火のようにどこか緩やかな軌跡を描いて、辛うじて街頭テレビの液晶に届く。瞬間、白い爆発が空を埋め、爆音が少しだけ遅れてやってきた。ガラスが割れるような音とともに、飛空戦車が落ちてくる破片を避けて即座に退避行動を取った。
それを見送って、ルカは荒れた息を整える。そして振り返ると、青衣の彼女は睥睨するような目でしずかに怒りを湛えルカを睨んでいた。

「何考えてやがんだ、このバカ女」

「そっくりそのまま返す。あんなところで戦車落として、民間にどれだけ被害がいくと思ってる?そもそも届くとでも?」

ルカは思いつくままにそう返しながら、視線を逸らす。そんなことルカだって一瞬たりとも考慮していない。
ルカが考えたのは、ヤーグのことだけであった。飛空戦車が落ちたりしたら、中にいるヤーグが無事に戻るはずがない。ただ、それだけ。

それでもルカの言い分は痛いところを突いたらしく、彼女は押し黙り後頭部をがしがしと掻いた。

「……それで。お前は誰だ」

兵士が生き残っていないことを確かめて戻ってきたライトニングが、青衣の女に問う。彼女は浅く息をつき腕を組むと、ルカとライトニングを見据えた。

「ファングってんだ。グラン=パルスのルシ。ヴァニラには会ったんだろ?あいつの、まあ姉貴分みたいなもんさ」

「ああ……あの子。んで、その姉貴分さんもルシでそれで、なんでここにいるのかわからないんですけど」

「あと、スノウと一緒に居たのは何でだ」

事情が一切飲み込めず、ルカは苛立ち混じりに疑問をぶつけた。ライトニングが問うた通り、スノウと共に現れた理由もわからない。率直な二人に、ファングは飛空戦車が去った後のまだ濁る空を指差して笑った。

「おいおい、私らはまたあのバカとガキと合流しなきゃいけないんだぜ?道は長いんだ、ここで全部話してたらその後が終始無言になっちまうよ」

その言い方は気にかかったが、確かにここにとどまり続けるわけにもいかない。ルカは内心歯噛みしながら、彼女についていく道を選んだ。
ヤーグを載せた飛空戦車は遥か上空に浮かび上がりつつも、確実にこちらを監視している。これから先の道にも、大量の兵士を用意する手筈を今、整えているはずだ。

ルカは手の中のハイペリオンを握り直す。ライトニングが地下に潜るのを見送り、己もそこへ降りようとする。直前、一度だけ後ろを振り返り、見上げた。
飛空戦車の影も形も、その空に見つけることはできなかった。






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