縋る残響








上空に何かの気配を感じ、ホープがさっと見上げる。ライトニングは目を細めて問うた。

「どうした?」

「隠れて!」

と、ホープがライトニングの腕を強く引き、物陰に隠れた。同時にライトニングの耳にもエアバイクか何かの稼動音が届く。すんでのところで彼らには見られずに済んだらしく、彼らは大したスピードも出さずエアバイクで通り過ぎていった。どうやらあまり……いや、全く警戒していないようだ。ホープは安堵と疑問半分といった顔で、ライトニングに話しかける。

「なんか油断してますね、ルシが来てるのに」

「PSICOMが情報を伏せてる。ルシを逃がしたミスがバレるだろ。組織のメンツってやつだ」

それはライトニングの想像でしかなかったが、正しい想像だと彼女には自信があった。PSICOMという組織がどんなものであるか、自分もよく知っている。
言えるわけがない。天下のPSICOMですが重大なミスをしてしまったので、一緒に尻拭いをしてください、などとは。そう思うと、先ほどまで一緒だったルカは確かにPSICOMの中でも異色なのだろう。彼女ならあっさりと言ってしまいそうだ。語尾に星でもつけた、軽い調子で。おそらく、彼女はあのPSICOMの中ではそういう役回りだったのだろう。言動がところどころ厳しいところを見ると、それだけでもないのだろうが、この想像もまた、概ね正しいだろう。

「なんだか、バカバカしいですね。組織って」

「おかげでここの警戒はゆるい。縄張り意識に感謝、だな」

賢い子供独特の、呆れた調子で言ったホープに皮肉げにそう返しながら、ライトニングは一人で同じような旅路を行くルカの身を案じた。まあ、あの強さだ。恐らくは無事であろうが……。

ふいに、ホープが座り込んだ。そこはゲートの直前で、ここの警戒のゆるさなら、とライトニングもそれを黙認する。ここまでほぼ歩きづめだ。少しくらいならば、構わないだろう。ライトニングは、座りこそしなかったものの、自身も体に張り詰めた緊張を解いて楽な姿勢を取る。

「みんな、どうしてるんでしょうね」

「サッズたちか?……どうだろうな。逃げたとして、いずれ追いつかれる。観念するか、覚悟を決めるか……。ルカもそうだ。あいつは尚更、面が割れてる」

ホープが静かに口を開く。それに返答しながら、我ながら矛盾しているな、と思った。自分は観念する気も、死ぬ気も無いというのに。内心苦笑したが、彼女の体にも平等に降り積もっていた疲労で、その感情も彼女の表情筋までを動かすには至らない。結果、仏頂面で言い切られたその台詞に、ホープはじっと真剣な面持ちで、彼のことを思い出した。

「覚悟……あいつ、生きてると思います?」

「……スノウか。無駄に頑丈だからな。あいつの取り柄はそれだけさ」

ライトニングはすっと鋭い目付きになり、遠くを見るような仕草をした。彼女の脳裏に今よみがえっているそれは決して良い記憶ではないのだろうが、それでももう戻れない懐かしい過去には違いないのだろう。その証拠に、表情は厳しくとも、声はそう固くはなかった。

「初めて会った時から、馴れ馴れしくて気に入らなかった。ガキを集めて、大将気取って、ノラとか名乗って……」

「どうして、ノラなんですか」

「直球すぎて、笑えるぞ。ノラは野良猫……権力のイヌと違って、気ままに生きるんだと。いい御身分さ」

クリスタル状の樹木を眺めながら、思い返す。あいつは全く、何もわかってない。軍人は権力に巻かれているのではない。沢山の人間を守るという大義に仕えているんだ。それをよくもまあ、知りもしないで。あいつも、自分のことはよく見えていない。私も人のことは言えないが……。そんなことを考え、今は無用なことだと思い直し……ホープに目を向ける。
ライトニングはそこで、一瞬息が止まった。

すごい表情だった。
少年が、こんな、まだ15歳かそこそこの子供が、何でこんな。
その目に、何も言えないまま、ライトニングの脳裏には一瞬で昔の記憶がフラッシュバックしていた。
コクーンでは珍しい、怨恨での殺人とか。そういう事件の時の、遺族が見せる目。どろりとした、怨嗟だけが聞こえてくるような、見開かれたままのあの目。
決して多くはなかったが少なくもなかった、死者を出した事故や事件のたびに遺族が見せる、共通した真っ暗な目。ホープはそんな目をしていた。

「最低、ですね」

その目のまま、憎悪を噛み殺した声で、そう吐き出される。そして彼は立ち上がり、小さな拳を握り締めながら、目の前のゲートを先に行った。
なんなんだ、一体……。
ライトニングは、掛ける言葉も見つからないまま、ただ後を追うしかなかった。








「う、ぎゃあっ」

なんとも気の抜けた、可愛らしくない声が漏れた。無意識に飛び出したそれは、存外この暗い森に響き、ルカはまたびくりと肩を震わせる。足がぬかるみに滑っただけなのに。それも転ぶとまではいかずに止まり、靴に泥が跳ねた程度のこと。
びびってんのかな、私。とルカは口端を上げ苦笑した。

「……暗いなあ」

ファルシ=フェニックスの放つ灯りは、都会の舗装された道を歩くには十分だ。が、まだ辺境といえる場所で、自分の影もかかるぬかるみのどこに足を置けばいいかなんてことを判断するには、あまりに心許ないものだった。このままではいつ転ぶかわからない。かといって、灯りを出すわけにもいかない。逃亡者へと身を堕とした今、追跡者にわかりやすいサインを送ることは避けたかった。
それに、どうせコミュニケーターなんかから出す小さな灯りでは、足元を照らすほどのことはできない。増して、電池も消耗する。こういう状況下で、充電が切れるという事態だけは避けた方が良いだろう。

転ばないように、転ばないように、と、ブーツの裏から伝わるぬるぬるとした感覚に気をつけて、少しずつ歩く。そのうちに、難所は越えたのか、次第に地面は硬さを取り戻し始めた。
10分も歩いただろうか。気が付けば地面はブーツの靴音を返すようになっており、ルカは靴裏の泥を地面でぬぐって、ようやくぬかるみの苦痛から解放される。これでよし、と靴で地面を叩き、伸びをする。そこで、歩きづめの足が悲鳴を上げたのを感じた。

「ってて……あーあ、もーいっこポーション買っときゃ良かった」

乾いた声が、生暖かい空気に溶けて消えた。鬱蒼とした木々が広がる先に、ガプラ樹林の特徴でもあるクリスタル状の葉が茂っているのが見え、ルカは溜め息をついた。なーんで、こんな疲れた気分で綺麗なモン見なきゃいけないのよ。疲労から出たそれは、意味も持たずに消えていく。足を休めようと、ルカは大木の下に座り込み、大きな幹に背中をあずけた。
伸びをして、足を放り出して、ようやく一息。生い茂る葉が視界を一杯にしていて、あまりに不気味でぞわりとする。
この状態で襲われたら、訳も分からず死ぬだろうな。上空からは見えないだろうし、まさか見つかるなんてことはないと思うが、視界が悪いとそういうマイナスな思考についつい陥ってしまう。兵士の性だろうか……。

そこまで考えたところで、私は気付いた。モーター音がする。直ぐ様木の影に隠れ窺う先には、二人の兵士。
エアバイクに乗って、ガプラの外壁をパトロールしているところらしい。一瞬まずいかと思ったが……よくよく見ると、大した武装ではない。ルシ脱走の最中において、携帯しているのは拳銃だけらしい。

明らかに、情報が秘匿されている。チャンスだ。

「ねぇ!ねぇ、ちょっと!」

ルカは武器の転送装置からは手を離さず、彼らに近づいていく。パトロールの手順に則り、彼らはまずエアバイクを降りてこちらに銃を向けた。が、しかし、やはり警戒心は薄い。一応血まみれだし、泥だらけでもあるというのに。仕事にやる気のないやつらである。

「私、わかる?PSICOM大佐のカサブランカなんだけど。任務の関係でこっちに来てたんだけどさ、ちょっと逸れちゃって。戻りたいからエアバイク貸してくれない?」

「……大佐?どうしてこんなところに……」

「だから任務だってば。いくらつながりの強い監視大隊にも詳細は話せない。……ほら、襟章。これで身分証には十分でしょう?」

彼らは困惑し顔を見合わせた。そしていくばくかの逡巡の後、エアバイクのキーを差し出した。うまくいった。
ルカはキーを差し込み、エンジンを掛けた。これで、ガソリンの続く限りは逃げられるだろう。と、背後で無線を弄る音がした。

「……ああ、確認だ。PSICOMが近隣で任務を、……え?任務なんて予定にない?待ってくれ、だってここにっ」

「余計なことしちゃ駄目」

ハイペリオンの銃で、通信していた男の腿を撃ちぬく。悲鳴が上がる前に無線も打ち抜いた。その相棒が慌てて拳銃を向けた、それと同時、ルカはそいつの乗っていたエアバイクのエンジンを何度も撃った。そして直後、空気がピリッと加熱する感覚を頬で感じる。
同時に、アクセルを強く踏み込んだ。

「お疲れ様ですぅ!」

直後、爆発音。そしてルカの背景を赤く染める炎と煙。巻き起こる爆風に煽られて浮上するエアバイクが想定外のスピードでルカを運んでいく。

「うおっ……ととと」

ルカはゆっくりブレーキを踏みしめ、地面の近くへ降りる。そして微かに浮遊したまま目の前にある道を進んでいく。深い森を抜けたことでだんだん光が差し込んできて、そのうちに水音すら聞こえてきた。さて、どうしたものかな……どこまで自分は走るんだろう。そうして、一体何ができるんだろう?
なんてことを考えた時、道は開けた。

「パルムポルムだ……」

高名な古代の二大術師の名を冠した、コクーン最大の商業都市が、夕暮れの湖に浮かんでいた。前は列車で行ったから、全景は初めて見た。知っているところに出たというだけで安心感を覚える。あとは湖周りを迂回すればいい。それであの街に辿り着ける。

「さて、では……行きますか」

それだと、パルムポルムには寄らないだろうライトニングたちとは合流できないかもしれないけど。街中に入るなんてのは危険だし。でもあの人は待ってくれているらしいから。

私は穏やかな色をした湖面に目を細めて、歩きだした。







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