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恋をすると世界がピンクに見えるだの七色に見えるだのと、訳の分からない誇張をするバカがいる。
断言しよう、それは事実だ。コバトは頷く。世界は、色に満ちてしまった。コバトはそれまで馬鹿にしていた類のバカになり、そして前より少しだけ幸せになった。

コバトちゃんって良い匂いがするよね〜?何なんだろ〜」

「へぁっ!?あ、お、お昼に食べたチキントマトカレーの匂いですかね!」

「ち、違うよ〜!」

彼女には、最初で最後の恋になるだろうという、予感があった。
戦争だったから。


ジャックという0組の青年は、天真爛漫という言葉がよく似合う性格のようで、知り合ったばかりのコバトにもまるで距離を感じさせない態度で話しかけた。悪く言えば馴れ馴れしい。よく言えば、……とても、優しい。
それは異性に慣れていないコバトにとってはある意味怖いことで、辛いことで、一方でとても心躍ることであった。ジャックは穏やかにコバトに話しかけ、コバトはふと笑っている自分に気がつくようになった。これまでは、あり得なかったことである。
戦争は辛くて、苦しくて、血の臭いがしていた。それまでも無口だったコバトは、尚口数が少なくなったように自分でも思う。コバトは技術系クラスで、つまりコバトの作った兵器で人が死ぬ。そう思ったら、研究はとたんに辛くなった。でも作らなければ、死ぬのは味方だ。たとえば、ジャックだ。
そう思えば、どんな辛さだって、耐える価値のある辛さなのだ。コバトにとっては、確実に。



恋はすごいと、何度も思った。
思考はすべて占拠され、見えるなにもかもがどこかでジャックにつながった。

コバトちゃんさぁ、笑うと右だけえくぼができるの気づいてた〜?」

「え、あ、あばたもえくぼって奴ですね!……あああ違う!違いました!」

「ん?あばたってなに〜?」

「ジャックくんは知らなくていいんです!!」



ジャックには、コバト以外にもたくさんの友人や知り合いがいた。8組のコハルというクールな女生徒やら、2組の仲の良い男女のグループやら、優秀な1組のエンラやフユといった有名な候補生とも仲が良いらしかった。その広い交友関係の中で、自分は明らかに浮いていて、コバトはときどき勝手に戸惑った。ジャックはなぜか自分とも会話してくれているが、かの有名な0組の人間と会話が成立しているなんて自分で自分が信じられなかったから。
けれどもそれはジャックにも失礼だと思ったし、何よりジャックが言ったように、落ち込むことも塞ぎこむこともいつだってできるのだ。ならば自分がこっそりと紡ぐ希望のように、笑っていようと思った。ジャックはそれに希望をもらったと、確かに笑ってくれるのだから。

コバトの淡い恋心など素知らぬ顔で、戦争は激化する。
季節は夏のビッグブリッジ戦を超え、秋には蒼龍を完全に陥落させる運びとなって、戦争は一見優位に進んでいるように見えていた。その一方で、コバトの周りでも死者が出た。重要度の低い研究を行っている生徒から、選ばれるように戦地へ連れだされそして戻ってこなかった。恐ろしくて怯えるコバトを慮って、ジャックは「大丈夫だよー」と笑ってくれた。コバトは、それを信じた。

コバトちゃんのピンチは〜僕がなんとかしてあげる〜。王子様には向いてないかもだけど、当座ってことで勘弁してねー」

なんてコバトがつい泣きそうになるほど、優しい言葉を。







そしてすぐに、冬がきた。
北から吹く風を振り払うように、朱雀軍は北西を朱く染めていった。その頃にもなると任務は1組や2組、そして0組の独壇場で、コバトはただひたすら白虎兵器の分析や新型兵器の製造に関わった。軍令部からの通達を放送するときに最初に受け取る文書で0組の無事を知り、ときどき思い出したように鳴るCOMMからジャックが話しかけてくれるのが何よりの楽しみとなっていた。
戦争は終盤だと、誰もが気づいていた。
もうすぐだと。彼らが、0組が、すぐに白虎など蹴散らして地図全土を朱い旗で彩る日はすぐそこであると。

それは事実であった。確かに世界は、朱く染まった。
けれどもそれは、0組など全く関係のないかたちで。



『うわぁぁあぁあぁ!化け物だ!!逃げろ、逃げっ』

0組が白虎を制圧したとの報が届いた直後、COMMへの緊急通達とともに空から突然の陰りが落ち魔導院に“それ”は現れた。人のような姿をした、けれども到底人には見えない姿をした細長い化け物の出現。コバトが放送部での仕事をこなすために放送室へ歩いて向かう途中の出来事であった。
体長は人間の倍はあろうか。白い顔は仮面のようで、やたらとゆっくり動くくせに攻撃を始めてからが異様なほど早かった。気味が悪くて、それ以上にあまりにも強大で、目の前で5組の生徒が輪切りにされたのにコバトは立ち竦んでいた。その手を掴んで走りだしてくれたのは、同じクラスなのにろくに話したこともない放送部員であった。彼に腕を引かれ放送室に飛び込み、慌てて扉を閉めて魔導院のエントランスホールに続く移送用魔法陣に駆け寄る。
が。

「あ……?」

反応する直前に、魔法陣は光を失った。そして直後、完全に反応を示さなくなる。戸惑うコバトと、腕をつかむ放送部員。見れば放送部の中にはすでに何名か放送部員がいて、突如飛び込んできたコバトたちに目を白黒させていた。
が、轟音。ドアを軋ませるすさまじい音に、彼らは一瞬で眼の色を変えた。コバトと彼が奇妙な化け物が現れたと口にした直後、大きくはない窓が割れそこから長い剣がにゅっと伸び付近にいた二人の女生徒を串刺しにした。

「きゃあああああ!!」

「ぎ、ぎゃ、う、何だよこれぇ!!?」

突如として混乱の渦に巻き込まれる放送室。放送部員たちは慌てて窓から距離を取った。コバトもそれに倣いながら、途方に暮れていた。
魔法陣が切られてしまえば、この部屋からは出られない。戻る道は魔導院外殻部に出られればいくつもあるけれどもあの化け物の侵入を防ぐためにはドアを開けることができない。そもそも外に出たって、一瞬で斬り殺されて終わりだ。
放送部員たちも発狂しそうになっていた。放送部に所属している時点で戦闘には自信がない人間ばかりなのだ、そもそも。それが突然謎の化け物が現れて目の前で仲間が殺されていけば無理もなかった。
コバトだって、決して冷静ではなかった。だって魔法陣が切られたということは、つまり、おそらく見捨てられたのだ。COMMへの連絡直後に魔法陣は切られ、そんなことができるのは一定の管理権限を持つ局長クラスの人間だけなのだから。
コバトの視線の先には、身体の半分ほどの大きさに縦に穴の開いた死体がふたつ。コバトは彼女たちを知っていた。知っていたはずだ。仲良くもなくて、でも悪くもなくて、話したことはあまりない、ただそれだけの二人。
それがどうして、名前も思い出せない?

「……忘れられるんだ」

誰かがつぶやいたのが、妙に鮮烈に聞こえた。忘れられるんだ。コバトは、忘れられる。親にもクラスメイトにも、そしてもちろんジャックにも。
忘れて、忘れられる。ほら怖い。死んでもジャックに悲しんですらもらえないのが、やっぱりこんなに怖い。だってコバトは、姉のことが思い出せないのだから。姉が死んだことを、心から悲しいと思えないのに、どうして他人にそれを要求できるのか。ああそういえばジャックは、ジャックは今どうしているだろう、ジャックは強いから殺されないだろうか。覚えていられる限りは安心だけど、でも。

怖い。怖かった。
ジャックくん、もしかして今日私は君のことも忘れるのかな。忘れるよね。君も今日、きっと私を忘れるだろうから。
もうどうにもならないよね。私、うまく戦えないよ。戦場に送られなくったって死んじゃうよ。やっぱり君を好きになるんじゃなかった。だってこんなにつらいのは、全部君のせいなんだ。
君なんて。君なんていなければ。君を好きになったりしなければ。恋になんて、落ちなければ。

生きることがどんなに苦しくて辛くて無意味で無駄で無価値で最低で、そしてどんなに幸せかなんて知らずにすんだのに。

「……」

でも知ってしまったから。
知ってしまったから、コバトは放送用の機械に駆け寄りマイクを握りしめた。ボリュームをいじって調節する。ジャックの言葉を思い出す。コバトコバトのやり方で戦えば、彼の戦いは楽になる。
コバトが戦いを放棄しなければ、きっとどこかで彼の助けになれている。

「……みなさん、聞いてください」

私だって、戦士だから。戦わなければならないから。コバトは強く己に言い聞かせる。
君が望んでくれたように足掻こう。笑おう。笑え。ドアを外から破ろうとする音が断続的に肩を跳ねさせても、笑え。

「正体不明の化け物が魔導院を襲っています。こちらでも状況が把握できていません。撃破は考えず、ひとまず避難してください。そして無用な混乱を防ぐためにも、通常の緊急時マニュアルに従い冷静な行動を心がけましょう。手の空いている候補生は治療にまわり、安全につとめてください」

足は震えていた。声も、ともすれば揺れる。
でもコバトは耐える。声の震えは、すぐに伝わってしまうから。放送委員として、そんなの自分に許せない。それはコバトの敗北だから。
身体がどんなに震えたって、この声だけは。

「最後に、これは個人的なお願いで、恐縮ですが」

笑みはもう念じなくても勝手にこぼれていた。戦争だったのに、思い出すのは楽しいことばかりだった。今にも思い出は消えそうで、でもまだジャックは心の真ん中にいる。
大丈夫だ。

「こんな状況になってしまいましたが、がんばりましょう!わたしは最後のときまで、何があってもここで放送を続けます!ですから、みなさんもあきらめないでください!」

個人的なお願い?否、私信もいいところだ。けれどもコバトの私信は、魔導院すべての人に向けて。

「生きてください。生きのびて……また、笑ってください。この戦いを、乗り切りましょう」

ただし最後だけは、ジャックへ。彼が望んだ、希望を伝えるための放送を。

言葉が一瞬途切れると、放送室には分厚いドアがきしむ音ばかりが響く。防音のために隙間なく作られた金属製のドアなのに、そんなことはお構いなしらしい。
コバトは笑った。もうどうしようもない世界、それでもジャックに出会えただけでコバトが生きた意味はあって、価値もあった。楽しくて幸せで、一生分の願いはもう叶っている。

良い人生で、良い恋だった。甘くて優しい、恋だった。

「以上、これで一旦放送を終わります。……残りの戦いも、がんばりましょう。みんなで笑い合える、未来のために」

ドアがはじけ飛び、そしてその入り口を歪めて中に入り込んでくる化け物。手には武器。振るわれる度、命が消える。

「ジャックくん」

コバトは最後に一度だけ名前を呼んだ。微笑んで虚空を見上げるその顔は、もう恐怖など一欠片も滲んでいない。
振り上げられる刃。
コバト は目を閉じた。


一瞬の間。
永遠にも等しい、けれどもすべてが終わる、最後の一瞬が終わる寸前。
振るわれた刃はコバトではなく、化け物だけを切り裂いた。

「えっ……」

「ほらほらぁー、斬っちゃうよー?」

抜刀から斬撃まですさまじい速度で敵を屠り、ジャックの黒い刀が化け物をあっさり切断していく。そしてすべての化け物を殺した後で、ジャックは片手を翳し化け物たちの死体から何かを抜き取った。それからコバトを振り返って、「もうだいじょうぶだよぉ」と笑った。

「じゃ……ジャックくん……、どうして」

「うーんと、コバトちゃんの放送が聞こえたからー?放送室にいるってことは、魔法陣切られちゃってるでしょ?だから急いで迎えに来たんだぁー。ほらほらみんなも急いでー魔導院に帰るよー」

ジャックは血にまみれたままで笑顔を崩しもせず、コバトの後ろの放送部員にも声をかけた。そしてコバトたちを連れて、無事にエントランスホールまで連れ帰ってくれる。ホールに辿り着いたとたんにコバトは膝の力を失い崩れ落ちる。「おっとと、」すんでのところでジャックが支えてくれた。

「ジャックくん……」

「大丈夫〜?コバトちゃん。怪我はしてないみたいだけど……」

「ジャックくん、どうして……どうして、あそこに。魔法陣も、ないのに」

自分が助かったのだということが信じられなくて、コバトは目を瞬かせそう問うた。さっきの口ぶりでは、まるで彼が自分を助けに来てくれたみたいだったから。
魔法陣が使えない中、あの化け物たちを切り伏せてまで。

「どうして、って……ほら、コバトちゃんのピンチは僕がなんとかしてあげるって、言ったでしょ〜?どう、どう?さっきの僕、王子様みたいだった?」

「何言ってるんですか……」

がくりとコバトは肩を落とした。そして落ちた先で、肩は震える。
何を言っているんだか、この人は。どうしてこんなに、何がどうして。

「ありがとう……」

どうしようもないくらい、好きにさせるの。
妙に笑えてしまって、涙までもがこぼれ落ちる。後から後から、止まらない。

コバトちゃん、コバトちゃん。大丈夫?」

「大丈夫ですっ……」

笑えばいいんだか、泣けばいいんだかわからない。けれどもともかく、もう大丈夫だということだけはわかった。安堵して、深い息が口から漏れ落ちる。

「僕はこれからまたちょっと出かけなきゃならないんだ。コバトちゃんは後方支援に入ってあげて。可能だったら、また放送も」

「はい、でも……どこに行くんですか?」

「うーんと、万魔殿って場所なんだけど。コバトちゃんは知らなくてもいいところだよ」

ジャックはそう言って優しく笑い、そっとコバトの髪をなでた。聞き覚えのない不思議な場所の名前を聞き返すことは、ジャックの沈黙が許さない。
だからコバトも、ただ沈黙を選ぶ。。

「ジャック!ほら、急ぐぞ。何やってる」

不意に、ジャックの肩の向こうで銀髪の女生徒がジャックを呼んだ。見れば、豪華にも0組の生徒がほぼ勢揃いしている。どうやら少し少ないようにも思えたが、ジャックを含めた12人で彼らは完成形のような気もしていた。
コバトの髪から、ジャックの手が離れる。朱いマントは翻り、ジャックは彼らに合流し、そして背を向け去っていく。

「ジャックくん!」

なぜ声を挙げてしまったのかはわからなかった。わからなかったから、足を止めて振り返った彼に告ぐ次の言葉が見つからない。
が、考えるまでもなく、それらは唇からこぼれ落ちていった。

「わたし、待ってるから!放送しながら、待ってるから……無事に帰ってきてね」

「……うん。コバトちゃんの放送、聞き逃すわけにいかないからな〜。帰ってくるよ」

照れたように笑うその表情は、初めて見るものだった。級友にからかわれながら旅立つ彼らを見送って、コバトはすぐに踵を返した。
やるべきことはたくさんある。ホールだけ見ても、魔導院は大混乱の様相だった。
壊滅し始めたのだろう指揮系統を整理して、コバトはそれを元に放送をする。混乱を収めるために一番有効なのは現状の把握だから。放送室はしばらく使えないだろうが、放送するだけならCOMMでも軍令部の緊急無線でもできるのだ。コバトの目は輝いて、次に出来ることを探す。 

「ありがとう。ジャックくん」

彼には感謝を。そして自分は、前進を。
ジャックを待ちながら、コバトはやはりコバトの戦いに身を投じた。やるべきことはいくらでもあったし、時間は矢のように過ぎていった。
そして。

空は唐突に晴れた。空気中に散らばっていた胡乱な鈍重さはいつのまにか消え去り、いつもと同じように風が吹いていた。コバトはそれまでの仕事を一旦止めて、外の様子を窺うために表に出てみた。
化け物はいなかった。いなかった。なにもいなかった。
コバトは自分がなぜまだ生きているのか、わからなくなった。

何かが消えていく。心の奥で、少しずつでも確かに。
風に火の粉が舞い上がり、足元へと落ちていった。何か温かいものが変わらず胸の真ん中にあって、けれどもその正体は知れず、なぜか涙がこぼれ落ちる。
コバトには、なにもわからなくなった。でも。

「……ほら。笑ってって、言ったでしょ〜?」

おどけるような声が一瞬、風に混じった。
コバトはつい反射的に笑う。そして、胸に広がっていく穏やかな気持ちに目を細めた。

「うん。……わたし、笑って生きていくね。ジャックくん」

“君”がいない未来はきっととても冷たくて、息苦しくて、何度も死にたくなるのかもしれないけれど、でも。

色に満ちた世界で生きるのは、幸せなことだから。







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