夢主の名前を入力し、変換をクリックかタップしてください。デフォルトだと“ナツメ”になっています。





クラサメだけが危険だぞと僅かに反対したが、他の誰も反対はしなかった。結局ナツメの行動に立脚する計画になってしまったので、ナツメの危惧は伝わらず、それよりはむしろ「やはりこの女が裏切ったら大変なことになるのでは」という視線が多かったように思う。

「仕方ない、実働部隊を決めるよ。……まず、ナツメちゃんのカードを持って入るのはサイスにお願いするよ」

「わーったよ」

「白衣を着てるのは研究職の連中だけだから、白衣を狙って。監視カメラのない位置は図面に書き足しておいたわ」

「なぜそんな場所がわかるのですか?あなたは警備の人間ではないのですから、詳しくないのでは?」

金髪の青年が首を傾げて問う。ナツメは肩を竦め、

「まあ、監視カメラのないとこでしかできない会話をすることもあるから。カトルは管理者のトップだし、扱う機密も多くて」

「……誰も疑問に思わないのか?カトル・バシュタールの身内の人間があっさり騎士団を裏切って、しかも陽動を買って出るなんて」

短髪で小柄の少年が忌々しそうにそう言った。まぁそれは否定できない。ナツメだって感情的な理由以外、理屈をつけられそうにないのだから。
だから、もう一度同じ話をする。

「だとしても、よ。やっぱり二つに一つしかないわ。この作戦が成功したら、実際全員助かるんだから」

「もしもわたしたちがあなたを見捨てたら、とは思わないんですか?」

先程紅茶を出してくれたセミロングハーフアップの少女が、不思議そうに聞いた。それは確かに不安だ。不安、だが。

「思っているけど。私にこそ、もうこれしかないの。カトルの身内、なんて言えば聞こえはいいけど、結局私も実験動物に過ぎない」

最初はまだよかった。カトルの両親に引き取られたばかりの頃。
カトルはナツメと八つ離れており、妹を亡くしたばかりだったようで、妹を構うようにナツメを庇護していた。数年はそうして生活していた。

ハイスクールで、ナツメが袖にした同級生がナツメの顔をポルノ女優にコラージュした写真を学校に持ってきて騒ぎになったときも、相手を締め上げたのはカトルだった。それはもうキレていた。のちに、なぜかナツメも怒られた。

でもその理不尽さが、家族のようにも思えて。ナツメは、親の死なんて忘れて生きていられた。

たぶんおかしくなったのは、“あの子”が来たくらいから。

それからカトルはナツメにあの冷たい目を向けるようになった。投薬が始まり、全ての時間、管理下に置かれた。食事の時間も睡眠時間も決められていたし、なぜか基礎体温まで取られていた。アニムスを使わなかっただけで、明らかに実験動物に対する振る舞いだ。

だからもう、本当は、カトルを身内だなんて思えなくなって、ずいぶん経つのだ。
彼らとカトル、どちらのほうが信用できるのか。ナツメにとっても充分二者択一の賭けだが、アサシンを信じる理由はなくとも疑う理由はない。

「……ともあれ、もう伸るか反るかしかないんじゃないの?」

「そうだな。どっちにしろ、結果は同じさ」

口角を吊り上げて言う猫目の少女に、さきほどナツメを観察してきたウルフカットの女性が追従を言った。
それに続けて、クラサメが「ではサイスの手引でカードが手に入り次第、全員で突入するぞ」と号令をかける。いまいち皆のふんぎりがつかないながらも、作戦の決行時間も決まった。狙うは夜半。

それまでの間にと、複数人ごとに別れて彼らはアブスターゴ本社へ向かう。ナツメはクラサメとエミナと一緒だ。三人でバスに乗り込むも、乗客の視線を集めているのを感じた。妙に顔面偏差値が高いのだ。エミナは色気のある美人だし、クラサメも男ながら整った顔をしている。まあ、ナツメにはなんら関係ないんだが。

ナツメはバスに揺られながら、真っ暗になりつつある空を眺める。こんなかたちの別離を望んでたわけじゃないんだけどなと悩みながらも夢心地だった。間違いなく人生最大の決断の直後だし、浮足立ってしまうのも仕方はないか。

でもねアリア。
心の中で、少女の名を呼ぶ。

私はおまえが、嫌いなわけじゃないんだよ。


妹ができたのは八年前のこと。ナツメ自身養子だし、抵抗はなかった。
けれどアリアというその少女の存在がナツメの生活を全く変えてしまったことには、間違いない。

まずカトルの父母であるバシュタール夫婦がアリアをとても可愛がったことがある。カトルの妹が亡くなったのがアリアの生まれる寸前だったというのもあるのだろうが、養子とは思えない扱いだった。宣言して回らなければ養女だなんてわからないくらいに。
ナツメにはそんなことはなかった。引き取られた当初からほとんどカトルとしか関わっていなかったナツメはただ驚愕した。

そのうえ、そのカトルとも、アリアが来てから唐突に会話がなくなった。カトルはアリアにばかり構うようになり、ナツメには用事がなければ関わらなくなった。
ああ、いらなくなったんだなと思った。妹役には、ナツメよりアリアの方が合っている。ただそれだけのことなんだろうと。

ナツメの中にそれを嫌がる子供がいて、地団駄を踏んで泣きわめいていたが、それを表に出したところで無意味であることはわかっていた。待遇が悪くなる可能性の方が高かったので、ナツメはただ唇を噛んで沈黙した。癇癪のただしい起こし方すら、ナツメは知らなかった。そういう心は親の死体を見つけた日にたぶん壊死して、ナツメの奥底で腐っている。

カトルはそうしてナツメをほとんど無視するようになったくせに、命令ばかりは増えていった。大学、学部だけでなくゼミまで指定され、車のGPSまで監視しているのか寄り道した日は聴取に来た。嘘を言ったらバレた。

そして、アリアが来てしばらく経った頃、投薬も始まった。さすがにナツメも飲めと言われればなんでも飲む幼子でもあるまいし、嫌がった。何の薬かも聞いたし、飲みたくないとも主張した。
けれど許されなかった。強い力で腕を捕まれ、点滴で流し込まれるより良いだろうと剣呑な目で見下された。しばらくは目の前で飲むまで離してもらえなかった。

おかしいと思ったし、戸惑いもした。十六歳だったナツメにはこみ上げる感情をどうしていいのかもわからなかった。たぶん、自分で思っているよりずっと子供だった。でも子供でいることは許されないとも思った。
なんだか、全てに裏切られたような気がしていたのだ。それまで受けていた愛情らしきものすべてが、本当はまったく違うものだったと気づいてしまった。


そんな中でさえ、アリアという少女はナツメを姉として愛そうとしていた。カトルが近づけまいとしているのをくぐり抜けて会いに来ては、ナツメが邪険にするのも構わず懸命に話しかけてきた。聞いてもいないのに学校の話をして、カトルに乞えばいいのに勉強を教えてくれと言った。ナツメと親しくなろうとしていることぐらい、すぐわかった。
ナツメが同じものを返せたか。そんなのは、聞くまでもない話だ。

窓の外をサウス・アラメダの喧騒が通り過ぎていく。クラサメとエミナの小声の会話が遠い。
思い出す、最悪の日。その頃ナツメは大学生だったかと思うけれど、いまいち記憶にない。大事なのは時期ではない。

あの日、久々に会ったアリアはナツメに飛びついてきた。それから起きたことは誓って咄嗟の反応で、一つも望んだことではない。ただナツメは、驚くあまりに彼女を振り払った。
想定外に軽かったアリアの身体が宙に浮くのを見た。覚えている。彼女は、すぐ傍にあったテーブルの角に額の端をぶつけてしまった。
少し切れた。血が出た。

使用人が悲鳴を上げ、カトルが彼女を抱き上げてすぐさま病院に向かうのを見ていた。
カトルは怒らなかった。ただ、剣呑なあの目でまたナツメを見た。

親に連れられて病院から帰ってきたアリアは、一人家で待っていたナツメが謝罪しようとする前に、私のことが嫌いなんでしょ、と言った。
ナツメは何も言えなかった。うまくいかないなと思った。

でも、私はおまえが、嫌いなわけじゃない。
それだけ伝えてやりたかったなと、いまさら思っている。誰とも会話できなくなった家で懸命に話しかけてきた、あの小さな妹に。


「……おい。おい、もう着くぞ」

「あ、……ああ。そうね。ごめんなさい、ぼーっとしてたわ」

「見ればわかる。行くぞ」

クラサメが腕を引いてくれて、バスを降りた。昼間に飛び出した場所にむざむざ戻ってきたのを実感する排気ガスの臭い。ロス、ダウンタウンの中心。人が多くビルも多い。
エミナがすぐとなりで、いよいよねと言った。彼女の視線を追うように顔を上げれば、アブスターゴのビルがある。高いというよりは横に広い造りで、三十二階建て。ナツメでも二十二階までしか足を踏み入れたことがない。

「どうする?決行まで時間が空くけど」

「うろうろするのも体力消耗するしねえ。どこかでご飯でも食べない?夜中にお腹すくのもまずいしネー。ナツメ、おすすめのお店とかある?」

「えっ」

言われてナツメはたじろいだ。どうかした?とエミナが不思議そうに覗き込んでくる。

「いや……私、外でごはんとか食べたことないの」

「……え?ダウンタウンのど真ん中で働いてて?」

「んんん……」

自分の状況が異常であった自覚が十二分にあるナツメとしては、さすがにそれらをあけすけに話すのには抵抗があった。でもまあ、死んだら誰にも聞いてもらえなくなるし、今同情を集めておくデメリットはない。そう判断した。

「私の生活は全部が管理されてたから。食べるものも全部カトルが指定してたし、社員食堂以外でお昼食べるの、禁止だったのよ」

「……はあ!?」

エミナが怖い話を聞いたときのような顔をして「なにそれ怖い!」と言ったので、間違いなく怖い話なんだろうなとナツメも思った。
例えば他の誰かが同じ目に遭っていて、それをただ聞かされたらやはり怖いと思うんだろう。病弱で親に指示されてるとかでないのなら。

「なんでそんなことされていたんだ?」

「さあ、教えてくれないし。まあでも、私がアサシンだとするなら――完全に管理しておくのが一番いいと思っていたんでしょうね。たぶん。いつでも殺せる場所に置いておきたかったのよ、きっと」

どうであれ、食事の場所など知らないのは事実なので、結局エミナおすすめの高層ビルの屋上ラウンジにあるカフェで軽食をとった。ところでふいに思ったが、屋上ラウンジとはつまりアサシン二人の独壇場ではないのだろうか。

「これさ、ここにいるのがバレて敵がビル登って追いかけてきたら私一人置いて逃げるつもりだよね?」

「バカ言え、イーグルダイブするには下が水かわら山である必要があるんだぞ」

「そうね、普通にじりじり降りていくしかないわネー」

「私はその普通にじりじりって方法も取れないんだけど?ねえ?」

まあそう言いつつも、ナツメがここで置いていかれることはないだろう。囮になる予定なのだから、置いていかれるとしたらアブスターゴ内だ。
あ、ネガティブ入りそう。いや、でも、うん、今じゃない。ナツメは目を閉じ、深く息を吐いて耐えた。

思ったよりずっと、この世の誰もが敵っていう状況は堪えるものだ。今、世界には、敵か無関係かのどっちかしかいない。

私は何を差し出せば、誰かに……。
いや、もう何も差し出したくなくて、初めて自分で選んだ自由じゃないか。これを離さないでいたいから、死んでもいいとまで思ったんじゃないか……。

考えても無駄なことを妙に必死で考えながら、ナツメはパニーニを齧った。アブスターゴの社員食堂のどんなものよりもおいしく感じたが、供されて時間が経っていたせいか、とても冷え切っていた。








夜半までは、ビルの斜向いのバーで頼んだ酒に口もつけずに過ごした。そこしか居場所がなかった一方で、酒を飲むわけにもいかなかった。
一世一代の大勝負だ。アサシン教団にとっては日常だろうが、少なくともナツメには最初で最後の勝負だと思う。
この賭けに勝てるかどうかだ。賭けしろを叩きつけた後だし、もう後は努力するほかあるまい。

「サイスから連絡があった。お前のキーで入って、たしかに二十階まで入れたらしい」

「そう、それで、次のカードキーは奪えそうって?」

「ああ。すぐに奪って渡すと。ナツメはアブスターゴに入れ」

「わかったわ」

ナツメは席を立ち、椅子に引っ掛けていた上着を纏う。ゆっくり横断歩道を渡って、ビルの一階に入る。
この時間でも仕事をしている職員がいないわけではないので、そう目立つこともない。エントランスでメールチェックしながら静かに待っていると、サイスがエレベーターで降りてきた。すれ違いざまに手に押し付けられたカードを持ち、ナツメはいつもどおりのルーチンを意識してガラス張りのエレベーターに乗った。

目立たないようにするには、こんな時間に仕事のために呼び出されたって顔をしてないと。エレベーターのカードリーダーにカードキーを通して二十階のボタンを押す。
高層階へナツメを運ぶエレベーターは、あっというまに到着したので、覚悟を決めるには時間が足りなかった。私は二十階で一度エレベーターを降り、深呼吸をした。

虚空を睨む。
まずは第一関門、最悪ここで死ぬ。
肺のよどんだ空気を深く深く吐き出して、ポケットにねじ込まれたままのスマートフォンを取り出した。そしてカヅサに指定されたメールアドレス宛に、GOとだけ書いたメールを送る。
目の前に開いたままのエレベーターに身体をすべりこませて、もう一度カードを通して今度は二十二階のボタンを押した。
身体が浮き上がるような心地とともに、ナツメはすぐ二十二階に到達した。

エレベーターを出て、ナツメはゆっくりと歩いた。背後でエレベーターが通り過ぎていく、滑車の音がする。ほんのわずかに振り返れば、一瞬だけあの金色の気配を感じた。
ガラスの向こうに緑の目。ほんの刹那の交錯。

彼らはきっと、NO.2097を、マキナという青年を助けるだろう。
ナツメもできることをしなければ。

カードリーダーを使って、適当な部屋を開けては閉めてを繰り返した。同一カードでそんなことをすれば当然警備の目をひくし、ナツメが異常な行動をとったら警戒せよという話になっているはず。
案の定、すぐにばたばたと走る音が聞こえてきた。警備員が、……五人。うまく釣れたなと他人事のように思った。ナツメの知る限り、日中でも警備員は2フロアに一人だ。それが夜間なのだから、五人ともなればおそらく二十三階の、研究対象の居住区画の警備員も含まれているはずである。

ナツメさんですね?」

「……ええ」

「バシュタール様より、あなたが来たらお連れしろと承っています。こちらへどうぞ」

「わかったわ」

触れられることはなかったが、逃げられないよう半ば囲まれながらの移動になった。
即射殺の許可は出ていなさそうだな。そう思いながら、ナツメは手首、袖口を気にするような素振りをしてみせた。と、五人のうち四人がそれに釣られ、身じろぎをした。

なるほど、この四人はテンプル騎士。

アサシンは教団発足のころから手首に嵌めたブレイサーに刃を装着する伝統があり、それは現代でも変わらないと聞く。だからそれを利用してひっかけてみたのだが、うまくいったようだ。
正式なテンプル騎士の警備員はたぶんそう多くない。ので、この四人は二十三階の所属のはずだ。もしかしてほとんどの警備員が……もしかしたら全員がこちらに来ているかも。

想定外。うまくいきすぎ。ナツメは眉を顰め、うっそり笑った。ナツメの危機の度合いは増している。でも、アサシンたちには吉報。

連れて行かれたのは、誰かの執務室みたいだった。ナツメの部屋よりずっと大きい窓があり、部屋そのものも広い。両端に並んだ高い棚に大量のファイルフォルダが並んでいる。
カトルのものではないはずだ。ナツメは訪ねたこともないが、カトルがいるのは二十四階より上の、役員の部屋があるフロアだったと記憶している。
ここがどこであれ、ナツメはどうにかしてこの警備員たちを少しでも長くここに留めおかねばならない。さあどうしよう、そう思う間もなく唐突に、警備員の一人が部屋を出ていこうとした。

ああもう!
しかたない!

ナツメはとっさに、一番近くにいた警備員のホルスターに指先を引っ掛け銃を引っこ抜いた。

「なっ!!?」

「動くな!!」

フリーズ、そう叫びながらナツメは銃を向ける。安全装置の外し方やらは習ったばっかりだ。オートマチックの十ミリ、殺傷能力は高くないがこの距離では問題にならない。
銃を向けられては警備員も動けない。じりじりと睨みながら叫ばれる警備員の説得はひどく的外れだった。「どうせもう逃げられない」「一人撃ったら全員に撃たれるんだぞ」「そんなの脅しにならない」。説得のプロなわけでもないので仕方がないのだろうが、ナツメにはどうでもいいことばかりだ。

「……騒がしいな」

これが本命だったのかもしれないと、その声を聞いた瞬間に思った。部屋に入ってきたのはカトル、覚えたのは寂寥、恐怖、瑣末な安堵。
カトルは銃など意にも介さずつかつか歩いて、窓辺に立つナツメのほうをまっすぐ向いて近づき、誰のものか知らないデスクに寄りかかった。

「……カトル」

ナツメ、こんな時間に何をしている。門限をとっくに過ぎているぞ」

「二十三の女に門限がどうのって、気持ち悪いにも程があるわよ」

「……何があった?」

カトルはじっと、ナツメを見つめた。怜悧なばかりの、感情のにじまない目。LED電球の白い光が、そこから色さえ奪っている。

「何があったって、……何の話よ」

「お前はそんな反抗をこれまでしなかった」

「それは……あんたが、させてくれないからでしょ」

「呆れた話だな。なぜお前に反抗させてやらねばならないんだ?親でもないのに」

そう言われて、ナツメは己の頬に朱が差したような感覚を覚えた。
ナツメはふうと息を吐いて、己を落ち着ける。そしてゆっくり銃を下ろした。なんのことはない、ずっと向けているのも疲れるし。それだけの話だ。どうせ銃など向けていてもいなくても結果は同じ。

言いたいことは、もうずっと前からたくさんあったように思うのに、うまく言語化できなかった。頭の中がぐるぐるしている。

アリア。私はおまえのことが嫌いなわけじゃなかった。
それと同じように、おまえの兄さんのことが嫌いなわけじゃないんだ。

ここには悲しみがあり、恨みがあり、憎しみがあり、愛がある。
だからうまくいかない。並び立っていい感情ではないから。

「……一つ、教えてほしい」

「何だ?お前の親の死の理由でも聞きたいか?」

「んなもんとっくに知ってるわ」

ナツメはカトルの言葉を鼻で笑った。そして内心、舌打ち。

「私の親を殺したのはあんたの親だって、最初からわかってた。はじめて会った日、“あの二人もあんたも気配が真っ赤だった”。物心つくまえからずっと、親にもそれ以外の人たちにも、赤い奴には近づくなって言われてきたのよ。あのときはちゃんと意味がわかってなかったけど、さすがにそろそろ理解もする」

愛を叩き壊して、憎悪の色だけにしよう。
そしたら話がもっと単純になって、ナツメは楽になる。期待することも、裏切られて死にたくなることもなくなる。

「私が知りたいのは、……どうして、私を……あんなふうに……」

きっとナツメは生きたくなくなるだろうけど。

「あんなふうに、妹みたいに、したの?」

この親愛を、ナツメは殺したい。
それで聞いた問いだった。

カトルはためらうように何度か口を開いて、それでようやく、言葉を吐いた。

「……妹が、死んだ直後だった」

「……うん」

「お前が似ていたわけじゃない。ただ、そういう人間が……手のかかる誰かが、必要だったのだろうかと、今では思っている」

「わかるよ」

そして。
手のかかる誰かは、私でなくてもいいということも。

言いづらそうなそれは、ナツメが言葉にしてやった。

「アリアがいるから、私はもう要らない?」

お願い。要らないって言って。もう、お前なんか、

「ああ。そうだ」

要らないって。

「もう、要らない」





深い息をもう一度吐いた。奥底で泣きわめいていた子供は、地団駄を踏む気力もなく、ただ呆然と泣いていた。さめざめ流れる涙の行方は、ナツメだけが知っている。
でももう大丈夫。そこに愛がないのなら。

「ありがとう」

ナツメはだいぶん久しぶりに――おそらくアリアが来た前日ぶりに――カトルに心からの感謝を述べた。
ナツメがこの局面を生き延びようと殺されようと必要な話だった。カトルがくれた、せめてもの最後の誠実だった。

「じゃあ、もうひとつ。アサシンの私を、なんで生かしたの?」

「……アサシンだろうと、そんなのは大した問題じゃない。こちらについたアサシンもいる」

「ヘイザムは例外だと思うけどね……でも、もう殺すでしょう?私、あなたの味方にはならないから」

「……そう、思うか」

カトルはゆらりと、月の白い光を受けて机に預けていた身体を起こした。
そしてスーツの内側から、ひと目でアンティークとわかる装飾のついた立派な銃を取り出し、ナツメに向ける。
終わりだなと思って、目を閉じようとして、不意にさっき仕舞ったスマートフォンがポケットで震えた。取り出すと、ホーム画面に通知が来ていて、そこに書かれていた文字を読んで。
笑いそうになった。愛を殺したその直後、出会ったばかりの男が誠実さをくれるのだから。

Head Down.

ただそれだけの短いメール。
ナツメ壁際に長い一歩で跳び、頭を下げて蹲る。
直後だ。

硝子の割れる高い音と共に、ロープを括り付けたダートが窓を割って飛び込んできて、窓の反対側の壁に突き刺さった。続けざま、ロープダートを伝って――というにはあまりに速すぎる勢いだったが――黒い影が突っ込んでくる。破裂するみたいに、窓が粉々に割れて散った。
その影が作る金色を見て、ナツメは己の胸が高鳴ったのを感じた。

上がる悲鳴、警備員たちが大騒ぎしている。テンプル騎士が大慌てでカトルをかばっているのが見える。
ナツメは傍らで流れる血など歯牙にも掛けず、その黒い影が伸ばした手に掴まった。

そして二人、真っ暗な空へと飛び出す。地上に未だあふれる光が見たこともないくらいに綺麗だったことだけ、脳裏に鮮烈に焼き付いた。


これが、ナツメが騎士団から逃亡したいきさつである。




Back
×
人気急上昇中のBL小説
BL小説 BLove
- ナノ -