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クラサメがマスコミ業界に入ると言った時、学生時代からの友人はたいてい、一様に驚いた顔をしたものだったが、いざ入社後配属されたのが週刊誌で、更にガチガチの報道部だと知ると手のひらを返したようにみんな天職だと言った。
他の部署はともかく、報道部は普通のサラリーマンより厳格な決まりの多い部署で、政治経済に精通していなければ話にならないため勉強量も他の部署の比ではなかったし、マスコミ業界では例外と言っていいくらいに真面目で堅実な仕事だったからだ。唯一普通のサラリーマンと違うのはフレックスタイムとは名ばかりの10時出社くらいなものだった。

そしてこの仕事を始めて四年目。事故や事件をメインで追いながらも、そろそろ顔や名前が売れてきた頃のことだ。
まさか芸能部、通称ゴシップ部に転属をくらうとは思っていなかった。

「あー……そうだ、今日から報道さんから一人来るってそういや聞いてたなぁ。おーいナツメ、お前組んで仕事教えてやって」
「ハァ?てめーでやれよデスク」
「なんでてめーでやらないかわかってるよねお前?デスクはそういうことしてる暇ないんです」
「へいへい……」

入り口に背を向ける、元は応接用だったはずの茶色い革のソファがしゃべる。肘置きからにゅっと生えた足がぱたぱたと動き、金色が姿を表す。
窓から注ぐ、夕方の陽光を散らす白っぽい金髪。ぼさぼさのその髪の中から、眠たげに細められた目がこちらを睨む。白い手が髪をぐしゃぐしゃと乱雑に整えると、意外なくらいに整った容貌が顔を出したので驚いた。

ナツメと呼ばれた女はハイヒールをカツカツ鳴らしてクラサメの前に立つと、口許に手をやりクラサメをじろじろと観察してきた。

「ふーん……まあナギよりゃ全然イケメンだね」
「おい聞き捨てならねえぞ」
「じゃあどうしようか、どうせそろそろ行くとこだったしいいか……車運転できる?」
「ああ、できるが……」
「んじゃー頼もうかなあ」

デスクと呼ばれた、くすんだ金髪の若い男にひらひらと手を降って、ナツメは「行ってきまーす」と言い、クラサメの横をすいっと通り過ぎて出ていった。まだ机すら指示されていないクラサメは荷物を抱えたまま立ち尽くしていたのだが、デスクが短く「追って」と言った。

「は?」
「早く追って。置いてかれっから。荷物はそのへん置いとけ」

こんな適当な指示があったものだろうか。明らかにクラサメより勤続の短そうな若造に雑な言われ方をするのは腹が立つクラサメだったが、実際置いていかれているのは確かなので、内心舌打ちをして持ち出しバッグ以外の全てをソファに落とすと彼女を追ってゴシップ部を飛び出した。
タバコ臭い社用車に乗り込むやいなや、彼女は後部座席にごろんと横になり、「四ツ谷ねー」と短く言って目を閉じる。噂に聞いていた以上にとんでもない連中である。

クラサメは報道部で五年、ずっと記事を書いてきた。
いろんなものを見て、真実を伝える努力をしてきた。
新聞等のマスメディアの癒着が激しい昨今、そういうところが疎まれたのかもしれないとは思う。なんでも本当のことが正しいわけじゃない、敵を増やすだけだと言われたこともある。
でも結果がゴシップ部だなんて。絶対に向いていないのは間違いない。
遠回しに辞めろと言われている気分だった。


四ツ谷に着いて彼女を起こすと、「あー……ここじゃない。北口の、向こうの坂降りて、その先ラブホ街だからそっち行って」と眠そうな声で言うので、ともあれそれに従うと、彼女は今度は自力で起きた。

「あれだね、運転スムーズね。いいね」
「はあ……ありがとう?」
「何でクエスチョンなの」
「礼より不満が言いたいからな」
「不満?何がよ」
「何の説明もない。四ツ谷にだって何の用があるんだ」
「だからラブホに用があんだってば。ゴシップ部がラブホって言ったら何の用事かくらいわかるでしょ?説明要る?」
「誰のスクープを取ろうとしてるんだ、だから……」
「鹿原菜子」
「カハラナコ、ってアイドルのか?まだ未成年だろう?」
「そうそう。最近はネットのおかげで卒アルとか出まくっちゃうからねえ、年齢で嘘吐くアイドル減ったらしいわね」
「いや、だから、未成年がこんなところに出入りしてるのかという、」
「デビュー当初からしてるよ。だから十五歳のときからだねえ。でもまだ人気も出てないアイドルすっぱ抜いてもつまんないんで寝かしといたのよ」

そろそろ他誌が嗅ぎつけるから収穫時だわ、と事もなげに言い、ナツメは車をホテルの駐車場に入れさせた。位置取りが重要らしく、クラサメを一旦下ろしてナツメが駐車スペースに入れた。駐車場からの入り口と表からの入り口、両方見張れなければ意味がないのだと言って。
駐車場の端に積まれたビート板でナンバープレートを隠し、「じゃ、行こうか」とナツメはまだ少し眠たげな声で言う。

「今は十七時でしょー……収録終わるくらいだから、まだ時間かかるよ。なんか食べるもん買わないと」
「いったいどこまで把握してるんだ」
「だいたいぜんぶ」
「それじゃあ取材も何もいらないじゃないか……」
「何言ってんの、あんた記者でしょ?見ないで書けるわけ?写真もなく?そんな記事書いたら最悪クビだよ、クビ」

クラサメが弁当を買う横で彼女は袋にバターロールが四つ五つ入っているものを買った。そんなものでいいのかと聞いたら、手軽だから、との答えが帰ってくる。
車に戻り、二人で後部座席に蹲るように乗って、入り口に目を光らせた。途中ナツメの携帯が鳴るまでは、咀嚼音くらいしかない狭い車内でクラサメはただ黙り込んでいた。

「はいはいリッカでーす!あっユズキさーん!待ってたんですよお、……お仕事終わったのぉ?良かったぁ、じゃああとでねー!」
「ぶふっ」
「……何吹き出してんの」

電話を切ったナツメがしらーっとした目でこちらを見る。いや今のは笑わずにいられるか。

「リッカって誰だ」
「偽名の一つだよ。こういう仕事してるとそういうことも増える」
「あとで、って。仕事の後で会いに行くのか」
「適当なとこで都合悪くなったってメール送る」

ナツメはごそごそと足元のカバンを漁り、中からカメラを取り出した。大型のレンズを取り出すと、暗い中でもためらいなくカメラに装着していく。

「彼氏じゃないのか」
「ん?そんなわけないじゃん。収録上がりのアイドルをラブホに呼びつける男だよ?」
「いやそっちじゃなくて、今の電話」

クラサメが座席に放られたスマホを指差すと、ナツメはそれで理解したのか、「ああ」と声を漏らした。

「さっきのは赤羽の局のカメラマン。情報源のひとつね。鹿原菜子のレギュラーやってる深夜番組撮ってるからさ、仕事終わりって連絡来たらそろそろなのよ」
「収録が終わったってことか?」
「カメラマンだよ?編集まではしないだろうけど、すぐ帰れやしないわ。カメラマンの仕事が終わる頃にはもう電車に乗ってる」
「車での移動じゃないのか?」
「車なんて出してくれるわけないわ。レギュラーが深夜番組とバラエティ一本のアイドルなんて業界じゃタダ同然、紙切れみたいなもんよ。昨今テレビ業界も厳しいしね」
「赤羽から四ツ谷まで三十分ってところか」
「ん。そろそろ来る頃ね」

ナツメはバックドアの窓に向けてカメラを構え、角度を調節している。聞けば、入るところと出るところを時間付きで撮りたいらしい。

「それで、相手は誰か見当ついているのか」
「事務所の社長だよ。汚いねぇ」
「自分の商品に手をつけるのか?」
「道理を知らない業界人も増えたわねえ」

クラサメの険しい顔を見てナツメは笑った。その直後だ。

「! おい」
「あ、キタキタ」

薄い水色のスプリングコートを羽織ってマスクと帽子を被った女性がふらりと入り口に姿を表したのだ。

「本当にあれが鹿原なのか?」
「体格も髪の色もドンピシャだし。そもそも女一人でラブホに入るヤツなんていないわよ、デリヘルなら送りのバンで来るし」
「なるほど……?」
「ほんとに全然詳しくないのね?まあその顔じゃデリヘル呼ぶほど困らないか。……よし撮れた、行くよ」

ナツメはレンズのついたままカメラをカバンに戻すと、てきぱき動いて車から降りる。今どきリモコンもない車の鍵を手動で閉めると、続いて降りたクラサメの腕を引いて鹿原菜子を追ってラブホの入り口に向かう。
入る寸前で足を止め、中を窺う。それに続いて中を見てみると、カウンター横の待合スペースから、五十代くらいだろうか、スーツのパンツにポロシャツを着た中年が姿を表した。背は低く、小柄な鹿原が隣に並ぶと前に突き出た腹がよけい大きく見えた。

鹿原は彼に楽しげに抱きつき、男が鹿原の頭を撫でながら部屋を選ぶ。501号室、デラックスだのなんだの書いてあるのがクラサメからも見える。
二人が勘定を済ませて入っていくのを見送ってから、ナツメは口を開く。

「何号室だった?」
「501号室だ」
「休憩?泊まり?」
「五千円札が見えた」
「っしゃ、休憩だね。あーでもまだこんな時間だし当然か……501か、迂闊ね?」

ナツメはすたすた入ると、まだほとんど埋まっていないパネルから502号室を選び、会計のカウンター前で「休憩で」と言った。

「おい!?」
「女が払うのはおかしいでしょうが。いいからほら、払って」

クラサメに無理やり払わせたナツメは領収書を請求すると、鍵と一緒に受け取ったそれをポケットにねじ込みエレベーターに飛び乗った。クラサメを顎で呼ぶので不承不承それに従い、妙に狭いエレベーターに乗り込んだ。「領収書ありゃちゃんと金出るから心配しないの」と言うので、仕方なく諦める。
五階につき、ランプの光る部屋に入ると、ナツメは「眠いから」という理由でベッドを占領した。

「おい、どうして入る必要があったんだ。まさか寝るためじゃないだろうな」
「あんたとセックスするためって言うと思ったの?違うよ。二時間後じゃ夜でしょ、ろくな写真撮れやしない……。その点ラブホの廊下ならまだ、最低限の光源があるからね」

クラサメが思い出すゴシップ欄の写真は、たいていがホテルやマンションの入り口なことが多いのに、彼女は廊下で撮ったりもするらしい。

「それにしても、記事は私が書くんだろう?内容を今のうちに詳しく聞かせてくれないか」
「あー……そこのさ、カバンの黒いファイル取ってよ」
「ん……これか」

ナツメにファイルを寄越すと、ごろんと寝っ転がったままそれを開き、一枚のページを指さした。

「これ。誰かわかる?」
「……俳優の大里隆か?」

映っていたのは、誰もが知っている有名な俳優だった。悪役から良き父親まで幅広く演じ、彼の名前を知らなくても顔は見たことがあるという人も多いだろう。年齢は確か五十代半ば、昔アイドル歌手と結婚して子供がいたはずだ。
彼がどうしたのだとクラサメが問う前に、ナツメはうっすら微笑んだままページを捲り、次の写真を指さす。
そこには車が斜め上のほうから覗き込むようにして撮られていて、運転席には帽子を目深に被った大里が、そして助手席には件の鹿島が座っていた。隣のページには、同じ場面を続けて撮ったのだろう、二人がキスしている写真が載っている。

「先週の写真だよそれ。……他人のディープキスってなんかキモい。いっそフェラしてるとこぐらい押さえたかったんだけどねえ」
「……」

しれっと言うナツメにクラサメは言葉を失った。ナツメはそれに気づいているのかいないのか、ベッドの上で欠伸をした。

「……しかし、いい年して自分の息子より若い娘とデキてるんだから笑える」
「ちょっと待て、これはつまり、二重スキャンダルということか?鹿原菜子の?」
「そうよ。きょうび売れ始めのアイドルが事務所の社長とヤッてようと、有名俳優とヤッてようとそんなので巻頭独占はできない。でもそれが、同年代のイケメンおじさまと豚シャチョーの二股なら話が違うわ」

クラサメは引き続き、言葉が出てこない。感情に頼って言うなら、はっきり言ってくだらない。

「……こんなの間違ってる」
「そうでしょうよ、あの社長だって一応家庭はあるんだから。別居してるけどね」
「そうじゃない。こんなことを、よけい世間に響くような形でバラそうとするのが間違ってるんだ。これは……誰も救われないし、苦しむばっかりじゃないのか?大里隆も鹿原菜子も降板だろうし、大里の家族は?こんな形で家族の裏切りを知ることになるのは、」

可哀想だ。
クラサメとて、仕事だから仕方ないともわかっている。それに、そもそも悪いのは不倫していたことだということも。芸能人になるということがリスクを上げるのだということも。
けれど、大里との関係を暴いておいて、それを更に起爆する材料を探す、その行為に本当に悪はないのか。
ないのか?

「だからさ。それはもう、受け取り手次第でしょ」
「受け取り方なんてもう決まったようなものだろうが」
「違うよ。ここからが記者の仕事。もちろん仕事のためのマクラ、って書き方もできるだろうけど。まだ十七歳の子供が大人に弄ばれてるって論調にもなる。あるいは大里に惚れてるファザコンの鹿原が事務所の社長に無理やり手を出されてるって形でもいい。ああ、まだろくに金も持ってない貧乏アイドルだし、生活費のための売春かもね。アイドルなんて相当売れてもそこらのOL程度しかもらってなかったりするもんなあ」
「それじゃあ全然話が変わってくる」
「だから、どれにするか。あんたが決めんのよ」

ナツメは枕元でカメラのレンズをいじりだし、それっきり話しかけなかった。
一時間と三十八分の後、部屋から出てきた二人をドアの隙間から撮影して、「うっわバレなかった、バレる覚悟で撮ってんのに。ヤッた後って散漫だねー」とナツメは一人で笑っていたが、クラサメはそれに反応を返さなかった。

そして夜八時には社に戻って、ナツメは現像に向かった。
クラサメはといえば、一応片付けさせたから、とデスクのナギに言われて端の席をもらい、座り心地のよくない椅子に座り文章ソフトに言葉を綴る。何度か書いて、消してを繰り返し、いろいろなことを考えて、第一稿が仕上がった頃、ナツメがゴシップ部に戻ってきた。

「……あれ。まだ書いてたの?報道畑からきたくせに、遅筆」
「……写真の現像は終わったのか」
「乾かしてるとこ。第一稿それ?見せて」

ナツメに言われるがまま、印刷したばかりでスペルチェック中だったそれを差し出すと、ナツメはそれに視線を落としたまま部屋の隅のコーヒーメーカーへ向かう。そしてコーヒーを作りながら、出てきたコーヒーを飲みながら読み、今日の昼沈んでいたあのソファに沈み直したところで、ようやっと振り返った。

「私の言ったこと全部書くアホがいますか。何?方針が決まらなかったわけ?」
「……何が正しいか決めるのは、読む側だ。私が決めるのはおかしいだろ」

クラサメの言葉にナツメは声を立てて笑い、ちょうど部屋に戻ってきたナギにひらひらとそれを差し出して振った。ナギは無言でそれを取り、ナツメと同じくコーヒーを作りながら無言で読み、途中で吹き出した。

「いやー……こういうふうにハマるとは。……ん、でもいいんじゃねえ?勧善懲悪気取りな雰囲気がない。淡々と事実のみって感じなのに投げかけてくる感はある。こんな下品な内容なのに、下品に感じねえ。うん、ありだな……ナツメ、写真は」
「ほぼできてる。ホテルの部屋から出てきたとこ撮ってるから、久々に完璧」
「よし。明日刷るのに載せられるな?」
「ここまでできてりゃ、あと二時間もあれば」

ナギはもう一度、よし、と両手を叩き、レイアウトのデザイナーのところに第一稿を持って相談に行った。それを見送って、ようやくクラサメも少し息がつける。
ゴシップ誌なんてほとんど読みもしないし、どう書いたものか実は悩んでいた。結局、普段の技術を発揮するしかないと、普段通りを心がけた。それが功を奏したらしい。

「……あれで、いいんだな」
「ま、私達の仕事はあくまで後ろ暗い秘密を大々的に暴露することであって、説教することじゃないから」

ナツメはソファから立ち上がると、パソコン一台があるっきりのデスクの引き出しから鞄を取り出した。

「もう帰っていいと思うけど、どうする?残るの?」
「ああ、……いや。帰る」
「明日も運転頼むと思うから、ちゃんと寝てよね」
「ん、わかった」

ナツメがさっさと出ていってしまうと、それに気づいたのかナギが近づいてきて、「どうだった?」と聞いた。

「いいネタべらぼうに隠し持ってるから、一緒に回ってるうちに盗んでおくといいぞ」
「それは盗んだらまずいんじゃ……」
「いいのいいの。お互い様だから。盗まれないよーに気をつけてな」
「ゴシップ誌は本当に、なんでもありだな……」
「そうだぜ?でも売上は最近、社内トップ走ってるかんな。おかげで記者増員の許可も降りるし、好きなヤツ引き抜かせてもらえる」
「……はっ!?」

想定外の発言に驚いて顔を上げる先、ナギは机に凭れて笑った。

「珍しくナツメが気に入って新聞のほうばっか読んでっからさ。聞いたらこの記者の記事が好きなだけ、なんて言うから呼んでみた。あいつ言わなかったみてえだけど、あんたの書く、読む人間に考えを委ねる記事が好きらしいぜ」
「それは、……知らなかった」
「まあうまくやってくれな。あいつちょっとコミュニケーション能力壊死してるけど、あんたも得意じゃなさそうだし、なんとかなるだろ」

根拠も展望もなさそうなことを堂々言って、ナギはまた仕事に戻っていく。その背中をちらと見て、クラサメは本当に芸能部でやっていけるのか未だ少々悩みながらも鞄を手に立ち上がる。
ゴシップ部への転属は“暗に「辞めろ」”と言われているのかもしれない。そう思ったのは杞憂であったらしい。
明日はあの、時折にやりと笑うばかりの彼女にさっそく、ナギから聞いた話をぶつけてみよう。そう思ったクラサメだった。





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