秤(カーズ)

「誰?!」

夜に森を歩いていると茂みの向こうからがさりと音が聞こえた。獣か、風か。どちらかわからないが夜道で自分の足音以外の物音が聞こえるのは少し怖い。

本当ならこんな時間は暖かいベッドに潜って微睡んでいるはずなのに。少し離れた親戚の家に寄って帰る途中に大雨に降られてしまい、近くの木の下で雨宿りしていたらこんなに暗くなってしまった。

早く家に帰りたい。周りの音に耳を傾けながら足早に歩いていた。近くでがさがさと大きな音が聞こえた。驚いて振り向くとぼんやりと人影が見える。

「名前」

私の名を呼びだんだん近付いてくる。
顔が判別できるくらい近くなると、再び名前を呼ばれた。カーズさんだ。大きく息を吐くと心臓の音がだんだんと静かになった。

「探した」
「すみません、雨宿りをしていたらこんな時間になってしまって」
「早く帰るぞ」

大きな手が私の手を包む。カーズさんは私の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれた。

***

名前は家に着くと火を起こして暖炉の前に座る。後ろから抱きしめると服はほとんど濡れていないが夜風に晒されたせいか、身体は冷たかった。

小さな身体は私の胸にすっぽりと収まり、緩やかに胸が上下しているのがわかる。暖炉の火が名前の白い肌を照らし、身体の陰影をはっきりと映し出している。服の上からわかるなだらかな肩や細い首が頼りない。

「私を食べないのですか?」
「……知っていたのか」
「ええ、村の人が噂してます。人を食べる男がいると」
「……」
「私は美味しそうですか?」

名前が私の方を振り向いて尋ねた。柔らかそうな肌だ。しかしそれよりも名前の精神にも惹き付けられる。初めて名前に会ったとき臆することなくを私を見据えた。そんな目をする人間は珍しかった。

そんな女を食べるのは惜しい。もう少し、興味が尽きるまで近くにいたい。そんな日が来るのはまだまだ先のような気がするが。

「ああ、だが食べるには惜しい」

思ったことを口に出すと名前は目を丸くした。よほど意外だったのだろう。

「よかったです。まだカーズさんと一緒に居られるんですね」

名前が穏やかな顔で微笑む。食べないかわりに名前の首筋に噛みつくと、思った通り柔らかい肌だった。名前はそっと私の頭を抱きしめる。名前の香りと体温が心を穏やかにしていく。やはりこの温もりがなくなるというのは口惜しい。

bkm