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ぼやけた視線の先に、誰かのいる気配がした。
暗いのか、狭いのか、それすらもわからない。ただ妙な浮遊感があるだけで意識も心許ない。
彼は私に気がついたのか、緩やかな動きで振り向いてふわりと笑った。
私と同じ顔で。私とは違う表情で。

「どうしたの?寝ちゃったのかにゃあ?」

ああ、まただ。
重力のない空間にいるかのように体はふわふわと浮かんでいると錯覚させる、のに、何故だか指ひとつ動かせない。
ただ、目の前にHAYATOがいることでここが夢なのだと理解するのはこの夢が初めてではないからだ。

「トキヤ…?あ、やだ、いっちゃやだ」

そんな私を楽しそうににこにこと笑っていたのに、ふいに泣きそうな顔に変わる。
いやいや、と寂しそうに私の腕を掴む。
どうして貴方はそんな顔をしているのか。
仕草も言動も私が演じるHAYATOそのものなのに、その表情だけがいびつだった。
私はそんな顔をしてHAYATOになったことはない。HAYATOはこんな顔をしない、はずだ。
噛み締めたように、苦しそうに涙をこらえたりしない。

HAYATOなら、もっと可愛らしく、といわれるような表情で、わかりやすく泣く…はずだ。
私がそう演じているのだから。
じゃあ、この目の前の彼は誰?

「ボクは、HAYATOだよ。トキヤ。HAYATOで、トキヤだよ。ねえ、早く気づいて、早く…トキヤぁ…」

彼の目からぽろぽろと涙がこぼれ落ちる。その雫は、彼には似つかわしくない。
HAYATOは、こんなふうに泣いただろうか。
私の腰に手を回して子供のようにすがり、抱き締められる。

HAYATOは私だ。別人格というわけでもない、私が演じる"役"。

なのにHAYATOは私の知らない表情をし私には理解不能なことを喋る。
私が作り出したと、多少の齟齬はあれど過言ではないはずなのに。

「いかないで…ほしい、にゃあ」
「…私は、貴方です。どこへいく、ということも出来ないでしょう」
「ちがう、ちがう、よ

ボクを、捨てないで…トキヤ」


ぴし、と空間に歪みが走った。空に浮かぶ亀裂はだんだんと大きくなって私とHAYATOの間をも切り裂く。

「トキヤ、トキヤ!」

鏡が割れたように破片が落ちていく。
世界が崩壊するかのように。
私に手を伸ばし叫ぶHAYATOはまだ泣いていた。
迷子の子供のような顔で。親に捨てられた子供のように、必死に。
だからかもしれない。

「…HAYATO!」

離れてしまったぬくもりが遠ざかって消えていく前に、私は初めてトキヤとしてHAYATOに呼び掛けた。
手こそ、掴めはしなかったけれど。
彼が暗闇に消える瞬間、HAYATOはまた笑った。

私の知らない表情で。





しっとりとした空気が体に纏まりついているようで、その息苦しさが気持ち悪い。
長く深い息を吐けば喉の渇きのせいかやけに掠れていた。いけない、これでは。

喉を痛めることを恐れてそっとベッドから抜け出す。時折聞こえてくる同室人の寝息以外何も聞こえない。
ミネラルウォーターの入ったペットボトルがヒヤリと気持ちいい。

喉は大切だ。アイドルなのだから、アイドルになりたいのだから。アイドルとして、歌いたいのだから。

朝になればHAYATOの仕事がある。私であり私ではないHAYATOの。だから今喉を枯らせるわけにはいかない。HAYATOとしての仕事が出来なくなる。

片手に持っていた蓋がカランと音を立てて転がっていく。手を伸ばしても暗い視界では拾うことは叶わなかった。
嫌な夢を見た。そんな気がしてまた息を吐く。覚えてはいない、ただ後味が悪いことだけを感覚として覚えていた。

「…くだらない」

そう、くだらないのだ。覚えていない夢のせいで眠るのが怖いだなんて、そんな子供のようなこと。
早く寝なければ、体を休めないと持たなくなるかもしれないのに。

「なにがくだらないの?」

もう片方の手に持っていたペットボトルが滑り落ちていく。足にかかった水が滴る感触は気持ちいいとはいえない。何も動かなかった。
自分が喋ったのだと思った。いや、そんなはずはない。くだらない、と言ったときは自分で口を動かした。その返事は?私は声を発していない。

「トキヤ、ねえ」

暗闇で表情までは見えない。だけど声はいっそ耳鳴りがするほど聞きなれた声色。動かない私の指に同じ体温の指が絡む。

「やっと、さわれた」

あいたかったよ、と太陽のような愛らしいと言われた笑顔でHAYATOは私に言った。








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(歪に奏でられていく) (120606)
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