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聞きなれた着信音に、もはや習慣と化したように時計に目がいく。その次には机に乗ったカレンダー。そして一つため息をついて漸く木手は携帯電話を手に取った。

「勘弁しなさいよ…まったく」
『もしもし永四郎くん?』

携帯から、ここ毎日のようにかかってくる甲斐の母親の声がする。申し訳なさそうに言う昨日と同じ台詞に辟易しそうになって、またため息をつきそうになった。
裕次郎が、そんな言葉から始まる電話にわかりました、と遮るように伝える。

「俺が連れてきます。心配しないでください。見つけたら電話しますよ」

それを言う間にも上着に腕を通す。風呂上がりの熱い体には外の気温は丁度いいかもしれない。しっとりと濡れた髪はもう気にしないことにする。木手自身のお気に入りの髪型にするには、大変時間がかかる。そんなことをしていたら、甲斐の母親にかける心配が増えてしまう。

いつだってふらふらと出歩く甲斐は、連絡すればいいものを携帯の電源を落としているのが常だ。一体何のための携帯ですか。そう問い詰めてものらりくらりとかわされる。
意味などないのだろう、きっと。

電話を切って甲斐にかけても流れてくるのは留守電のメッセージ。これも、いつものこと。

外に出ると湿気でやたら暑かった。ああそういえば小雨が降っていたと思い出して顔をしかめた。
海が近いこの地域は雨が降ると涼しくなるどころか、湿気のせいで体感温度が凄まじく上がる。むわ、とした濡れたコンクリートの匂いに着ていた上着を脱いで薄手になる。
風呂上がりだというのに、もう汗をかいていた。

『まだ、裕次郎が帰らなくて』

甲斐の母親を思い出しては携帯を開いて時間を見る。補導されるにはまだ早い。けれど部活が終わってからは相当な時間はたっている。

「…あんのふらーは」

一体どこにいるのか、検討はつくけれど。




波の音が聞き取れる程度にまで海に近づいたようだ。海自体はまだ見れないが、漂う塩の匂いに立ち止まる。静かなところだ。人の声もしない。
獣道のような木々の間を潜り抜けていく。濡れた葉っぱや地面のせいで服や肌があちこち汚れていた。帰ったら、もう一度シャワーを浴びないといけなくなった。
街灯も届かないこんな場所では視界も足場も悪い。抜かるんだ土はまだ新しい足跡を残していた。
潮風が頬を撫でていく。

まるで秘密基地のようだ、と木手は思う。人もおらず、静かで外からは木々で見えない。先程まで土だったのに、ここだけは何故だか石垣になっている。昔からそうだった。聞いたことも、ここで遊んだこともないが、実際に秘密基地だったのかもしれない。甲斐が海を見つめて、胸にあるペンダントを弄りながら、誰かを待つための。
今までのが嘘のように視界が開ける。街中よりは幾分か涼しい。海を見下ろして、空に視線を合わせたようなこの場所に、甲斐が座っていた。

「遅かったやっしー、永四郎」
「甲斐クン…いい加減にしなさいよ」
「あがっ!痛、痛い!殴るのは勘弁!」
「何度も言わせないよ。携帯くらいちゃんと活用しなさい」

殴られた頭をさする甲斐に携帯を差し出せと催促する。
木手を見上げる形の甲斐は、どこか怯えたようにえーと、と視線を泳がせている。
その姿が悪いことをして怒られている子供のようで、目線を合わせるように隣に座り込む。なついてくっついてくるくせに、怒られると途端にしゅんとする。しゅんとしながらも、ついてくるのだ。昔から、変わらない。
そのくせ次の瞬間には楽しそうに話しかけてくる。犬のようで、それにしては大変な気分屋だった。

「…えーしろー」
「さっさと出しなさいよ」
「あー、と。充電、ないやっさ」
「……甲斐クン」
「さっきおかーから電話きたときに切れたばあよ。ちゃんと連絡しようとはしてたさあ」

わたわたと身ぶり手振りで抗議する甲斐にどっと疲れが出た。いつものことではある。昔馴染みなのだから性格は把握している。ふらふらしている甲斐を連れて帰るのも、いつの間にか木手の役目になっていた。そうなってもう長い。そして、あまり、嫌ではない。

「でも、おかーも別にわんのことは心配してないさあ」
「そんなわけないよ。俺のところに何回電話かかってきてると思ってるんですか」
「なんくるないよ。だって、絶対やーが迎えに来てくれるやっし。どこにいても、わんが隠れてても」
「キミの行動パターンがわかりやすいんですよ」
「でも、いっつも真っ直ぐわんのとこ来るやっさ。わん、多分それが、しに嬉しい」

照れくさそうに柔らかく笑う甲斐は、木手をではなく目の前に広がる海を見ていた。
左手はペンダントを弄っている。きっと、今甲斐の心には父親が浮かんでいる。甲斐にとって年に何度も会える相手ではない。父親が漁師だという子供はこの辺では少なくないが、甲斐の父親は他の漁師と比べても、島に帰ってくる頻度は多くない。
迎えにくる自分を父親と重ねているのか。冗談じゃないよ。木手は顔をしかめた。何が嬉しくて同級生に父親だと思われなければいけないのか。

「おとーとはまた違うけどさ、」
「俺はまだそんなに歳とってないよ」
「…はあ?いきなりどうしたえーしろー」

きょとんとする甲斐を構わず置いていこうかと、木手は立ち上がろうとする。だが、腕を捕まれてまた腰を下ろすはめになった。
いい加減にしれ、と甲斐に目を向るが、月とかすかな星の光だけでは表情は見えない。顔が近づく。言葉を発する前に、塞がれる。

「……あれ、怒らんばあ」
「………甲斐クン、死なされたいんですか」
「あ、違うさあ、その…」
「いいでしょう、今夜俺の家に来なさい」
「えっ!でもわんまだ何も言ってない」
「キスしといてそれですか。まったく早く立ちなさい」
「え、えーしろー…」
「今晩俺の家ではゴーヤーちゃんぷるーだからね。食べていくといいよ」

げえ、と言う声が聞こえたけれど、今度こそ置いていく勢いで歩き始める。
後ろで騒がしく何事かを問いかける甲斐に木手はまたため息をついた。

「甲斐クン」
「な、なに」
「俺がなんで甲斐クンを迎えに来るか、少しは考えなさい。こんな面倒なこと、キミにしかしないですよ」

石垣からまた抜かるんだ土に変わり、塩の匂いが遠ざかっていく。
木手の後ろで、どういうこと、なあえーしろー。と甲斐が大人しくなることもなく騒いでいた。わかってはいたが、甲斐にはストレートに言わなければ伝わらないらしい。けれど、最大のヒントを投げた。これ以上エサをやるつもりもない。

海から距離があいたことで、また湿気を含んだ温い空気がまとわりつく。顎にしたたる汗を拭う。ずっとあの涼しい場所にいたからか甲斐は温度差にぐったりとしていた。
昼になればここも蝉の鳴き声しか聞こえなくなるだろう。
もう、一番長い夏が始まっている。




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